逆境と支え合いについて
「石圧して笋斜めに出で 岸に懸かって花倒に出ず」(虚堂智愚の語録『虚堂録』)
「人は、恵まれた環境にある時、必死に考えることはありません。ですが、逆境にある時、人はどうやって切り抜けるかを必死に考えるものです。」
今、ある本を読んでいて、ほとんど私の中では納得できるものでしたが、この一文は引っ掛かってしまいました。
例えば、
・生活保護受給者で、貰った分を全てギャンブルに使ってしまう人がいます。(見方によっては、この人たちが富を蓄えている人が払った税金を使うことで、景気を循環させる働きをしていると捉えることができ、全体的には役に立っていると考えられます。)
・教育。義務教育は、最低限、教えることが決まっています。でも、子どもが考えるきっかけを奪ってしまっているのではないでしょうか?
福祉・医療・教育は、人が改善する力や治癒する力を引き出すことが必要だと思いますが、現代の日本の教育は、受ける側が悩んでいないことも多々あります。教育によって、敢えて困難を与えているという考え方をすれば、一定の役割を果たしています。しかし、過剰なストレスを与え、非行やひきこもりなどを生じさせているのも事実だと思います。だとしたら、何らかのストレスマネジメントを教える必要もあるかと思います。
苦しみ抜いたあげく、犯罪行為に走ったり、自殺したり、精神疾患を抱えたりする人もいます。この人たちに対して、未然に手だてを講じることはできないものかと思います。
手だてを講じて助けることは、困難を抱えた人から、考えるきっかけを奪うことになるのでしょうか?一方で、困難を抱えて乗り越えられず、苦しんでいる人はただの甘えなのでしょうか?
考えをまとめられず、申し訳ありません。宜しくお願いします。
有り難し 7
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