生きる為だけに生きなければならないのか。救いはあるのか。
自己嫌悪の延長なのか、精神的に未熟なのか、その本質を
見定めるほどの熟慮には至っていませんが、体裁良く言葉で
表すなら以下の通りです。
人生に置いて自己満足を得ることが叶いませんでした。
自身で選択肢を定める場面で良し悪し或いは甲乙を判断していますが
それにより満足したとは少し遠いほどに心に僅かな洞がございました。
ある程度の決定権を自由に行えるのは幸福な環境ではありますが、
その決定とは私個人が現在までに形成された思考に基づいた工程に
よって導き出された当然の恒常的な反応であると言えます。
あらゆる判断は例えどの様な物でも私が私によって
私に下す物である限り、驚きも感動も内包しえない。
乱暴な表現ですが、現象としては風が吹けば木の葉が揺れるのと
同程度に分類出来るとも言えます。
解決策として、自分で自分を満足させる事が出来ないのでならば
他者の手を借りるという考えもありはしましたが、そういった
外界からの干渉は「自分は他者が気に掛ける程の有用な者なのか」
と懐疑的な自虐の考えによって素直に受け止め切れないでいます。
自身の行動によって(例として対話や交友など)引き起こした
外界の反応が不和、好感、失敗、成功を招こうとも、それも
世界の正常な反応であり、自身の成果は能力に見合った当然の結果で
達成感が薄く、失敗が起これば不出来な己に猛省するのです。
また自分の環境や素養が気に食わないだけではとも考え及びました。
しかし、物事への執着心が薄いのか、裕福である事も、対人関係が
良好である事も、社会的な成功も特別望んではいません。
周囲に害を及ぼす事を好まないので逆の事を率先して行いませんが。
即ち私は出自や才覚に不満を感じるでなく、己が生物として生き
「個」として人格をもって思考行動する事に魅力を感じられない
でいるのではと考えています。
現状は己を満たす条件に乏しく、それを意欲的に取り組めない程に自身への関心が薄く、肉体を生かす徒労に終わる生活となっています。
このまま残りの時間、転機の訪れを何の予兆も無いまま待てるか疑問です。
周囲に迷惑の掛からない方法は少なく動機も絶望に至らないほど
希薄ですが、自決を視野に入れるも誰かを困らせる選択は辛いです。
無は楽土でなく踏み入る一歩は苦渋の決断とも理解しています。
落とし所は未だ模索中です。
有り難し 14
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