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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

家族葬後の供養の仕方

2ヶ月前に、妹が自宅で自死しました。遺書に葬儀をしないでとあり、義弟の意向とコロナ禍ということもあり、両方の両親と義弟、姪、甥、私の夫、私のみの家族葬で送りました。 義弟のご両親に宗派を聞いたのですが、よく分からないようで… 義弟のご両親は他県在住で、本家ではないのでお墓を持っておりません。 義弟も宗教や宗派がよく分からないとのことで、急なことでもあったので家族葬にしたのですが、お坊さんに来て頂くこともなく葬儀を終えたので、初七日や49日法要など何もしておりません。 お骨は、義弟の家にありますが戒名が無いためお位牌もありません。 妹は嫁いだ身ですから、私の両親や私は宗派や供養の仕方について、なかなか意見を言い出せずにおりますが、ずっと違和感を感じるとともに、妹が成仏しないのではと悩んでおります。 自死したうえに、読経も戒名も法要も無しでは成仏できないのでしょうか? 妹が成仏できずに彷徨っているのではと思うと…私の両親も私も心が落ち着かず、悲しみが増すばかりです。 義弟も、気持ちがまだ落ち着かず妹の死を受け入れられないこともあり、今後の供養方もきちんと決められてないようですが…義弟の相談にはのるつもりです。 今後、どのように供養していけばよろしいのでしょうか? 義弟の家の近くのお寺を探して相談するべきか、他県在住の義弟の両親の家の近くのお寺に相談するべきでしょうか? ご意見、ご見解をよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 30
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誕生の仕組み

 輪廻転生が真実であるとすれば誕生の考え方が大きく変わります。  まず結論から言いますと、「心は自分自身であり、親から貰ったものではない」と言うことです。 即ち自分の生老病死は自己責任であるということです。  ことわざからはじめますと、  「身体髪膚これみな父母より賜う。あえて損傷せざるは孝の始めなり」  これは身体だけであり、心は別ということになります。  「子は授かりもの」   もし心も親譲りであれば我が子であって、授かるとは言わないでしょう。  「とんびが鷹を産む」  親子の気質は別物であるという事でしょう。  「愚兄賢弟」  もし親譲りであれば、兄弟でも性格が違うとは、遺伝子的には考えられません。 原則的には類を以って集まるはずですから、性格が似ていることは多々あります。  臨死体験者(新堂のぶ子氏)の言葉(講演会にて)  「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」  ある宗教学者はネットで「龍樹と輪廻転生」と題し   「ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と述べています。  「意識」は心と同一と考えてよいと思います。   以上が結論の根拠です。

有り難し有り難し 13
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亡き祖母から恨まれているのでは。

身内のトラブルがあり、祖母が亡くなった事を祖父や叔母から知らされぬままお葬式にも呼ばれませんでした。 トラブルは私が原因です。 打ち明けたことによって、このような身内トラブルになってしまうくらいなら墓場までもっていくべきだったのかと。ただ自分だけでは抱えきれなかったという自分の弱さなのかなと。 母にも責められています。 先程、子供と昼寝をしていたら久しぶりに夢を見て亡くなったと知ってから初めて夢に祖母がでてきました。なにしにきた!と言っていました。 生前、そのトラブルとなった内容を知った後は祖母にもお前は嘘つき者だ!死ね!など言われましたが祖母のことは大好きでした…今でも。 足も悪く糖尿病も患い自由に動けなかった祖母。 意地悪な祖父と叔母と3人での生活でした。 本当に心から優しい祖母でした。 死ねなんて言わない人です。毎朝必ずご先祖様へお経を唱え、足が完全に動かなくなるまでお寺さんへも通っていました。 頼れる人が祖父と叔母しかいないから、私の見方をしてしまえば自分の面倒を見てくれる人がいなくなるだから私に対して冷たくするしかなかったのではないかと思う反面、やはり本心だったのではと祖母が私に言ったことをどう受け止めるべきなのか分からないです。 お墓の場所も教えてもらえずお墓参りにもいけてません。 夢でも怒っていました。やはり祖母は私を恨んでいるのでしょうか。母にも責められ気持ちのやり場がなく辛いです。母が1番辛いのは分かります。母からすれば自分の母親ですから… この先ちゃんと生きていけば光が見える日は訪れるのでしょうか。

有り難し有り難し 39
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解脱

 解脱は最高の「涅槃」から最低の「浄土」までレベルがあるようですが、日本の仏教は、目指すレベルに従って多宗派に分かれたようですね。  最初日本に齎された仏教は解脱の実践方法だったようです。  仏教の基本は真理の「般若経」、真実の「般若心経」、そして論理の「阿含経」で構成されていると思いますが、「阿含経」は南伝だったので、日本ではなじみが薄かったのでしょう。  これらを基本とする根拠は 金剛般若経の次のような記述に依ります。  説法の本質 「それはなぜか。スプーティよ。如来は真実を語るものであり、如来は真理を説くもの、ありのままに語るもの、誤りなく説くものだからである。如来は虚偽りを語るものではない。」  ところで、「阿含経」には解脱の処方迄示されています。  有縁  (南伝 相応部経典 12.23. 縁)  前略  比丘たちよ、そのように、無明を条件として行がある。(中略)愛→取。取→生。生→苦。 (ここまでは十二支縁起と同じ)  (続けて)苦→信。信→悦。悦→喜。喜→軽安。軽安→楽。楽→三昧。三昧→如実知見。如実知見→厭離。厭離→離貪。離貪→解脱。解脱によって煩悩を滅尽したと知るのである。  後略  如実知見→厭離。厭離→離貪、の意識が芽生えれば、 離貪→解脱、に至ります。  厭離は徳川家康の旗印「厭離穢土 欣求浄土」の事ではないでしょうか?  この世が「穢土」であることの認識が重要です。  これによって衆生は「浄土」、菩薩は「涅槃」を求めることになると思います。

有り難し有り難し 10
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仏教的に見た、善人と悪人・罪人

10代の頃から悩みの多い人生で、未熟なまま大人になりました。 家庭を持ち30代になっても周囲に対して愚かな言動をしてしまい、人を気付けたり迷惑を掛けたりしてトラブルになってしまった事が複数ありました。 反省と後悔で苦しみながらこちらにもお世話になっています。 様々な問題を抱えており、これから先の人生に希望をなかなか持てずにいます。 ハスノハでもいろいろな回答を読み、特定の宗派と言うよりは、お坊さんのお話で自分にしっくりきたものを取り入れさせてもらっています。 ある宗教評論家の方が出されている本で、とても気になる事が書いてありました。 それは、「この世の中には善人も悪人も必要」 そして「人間は皆それぞれに役割が決まっていて、それぞれ精一杯にその役を演じれば良い」 更には、「お浄土へ行った時、仏様に労われるのは悪人・罪人の方」との事。 極端な物言いを売りにしているので、この抜粋だけでは著者の本意が伝わらないかも知れないのは恐縮ですが、お坊さん方はこの考えについて、どのようにお感じになりますか。 (ちなみに、誤解を恐れずに言うと、私は少し救われた気持ちになりました。 だからと言って、罪を犯していいとか人を傷付けていいとは決して思いませんし、著者もそういう意味では言っておられないと思います。) お坊さん方の見解をお聞かせ頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 31
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