鈴木俊隆師の「禅マインドビギナーズ・マインド」を読みました。その中に、「自分自身を完全にもやし尽くすのです。... 禅とは、常に完全に燃やしつくして、灰しか残らないことをいいます。」 これは、「只管打坐」ということでしょうか。それとも、他にこの意味合いの語句がありますか。教えていただけたら大変嬉しいです。
私が拝んでいる御本尊様は千手観音様(開眼供養済み)で、最近手に入れた釈迦如来様の仏像も秋頃に予定している開眼供養が済んだら崇拝対象にするつもりです。 私の信仰は ・自力でできる功徳(例えば曹洞宗で教えられている「日常生活全てに禅を見出すこと」など)はしっかり積む(それは修行にして生き様であり、見返りは求めないとする) ・自力でできないこと(例えば収入を増やすことはできないが、少ないお金で満足できる無欲さがほしい、怒りっぽい性格を治したい、ここぞという大切な時に運が欲しいなど)は釈迦如来様と千手観音様の他力本願にお頼りする ・釈迦如来様と千手観音様に向かってお題目や十句観音経を唱えるなど という、曹洞宗と浄土真宗と日蓮宗を混ぜたような信仰です。 なぜ曹洞宗かといえば、昔に人が空想で作った実在しない仏様がいっぱい居るという私の予想に対し、確かに実在された仏様である釈迦如来様が御本尊様であること なぜ浄土真宗かといえば、人間の力には限界があり、その限界を超えるには人間を超えた存在の力をお借りする「他力本願」が必要なこと なぜ日蓮宗かといえば、「人はみな等しく仏になれる」という法華経は願いを叶える力があると信じているからです(その体験談を多く知っている) 私の願いは、仏になることすなわち解脱で、穏やかなあの世にスローライフ永住をしながら人々や自然を守りたいです。こんな、あらゆる宗派のいいところを混ぜた信仰の仕方でも大丈夫でしょうか? 簡単に言えば、「曹洞宗」の御本尊様に「日蓮宗」のようにひたすら祈り「浄土真宗」のように他力本願も混ぜる、といったところです。自分だけの仏教ですが、よくよく見てみると天台宗に近いかもしれませんね。天台宗に入信するべきでしょうか? 祈りの内容は主に世界平和に関する自利利他が基準のルールにしようと思います。これでいい、こうした方がいいなどご回答よろしくお願いいたします。ありがとうございました。 (ちなみに現在はほぼ無宗教(というよりオリジナル宗派)ですが、お墓を買うお金が無くて檀家になれないのでお墓は父方の浄土真宗に入ることになります。また、私のオリジナル信仰にかなり近いならば天台宗の信徒になると思います)
諸行無常、諸法無我、中道は空(あらゆるものには実体がない)と同じようなことを表してるとおもうのですが。 これらの適用範囲は現象世界、現実のみなのでしょうか? 如来もダルマ(真理)も心も、空だと言った説も見かけるのですがそれぞれの正しい適用範囲を教えて下さい。
こんにちは。私は韓国に住んでいる仏教信徒です。 韓国で浄土宗に出家したかったんですが、韓国には浄土宗がないので聞いてみます。 韓国人も浄土宗として出家できますか。 もしあったら方法とか書類とか教えてもらえますか?
最近両親と話をしていて、その時が来たら樹木葬にしてくれと話がありました。 一般的にお墓というと、墓石があって家族が皆同じ墓に入るというイメージがあるのですが、樹木葬というのは宗派にもよるとは思いますが仏教的には問題はないものなのでしょうか? また近年位牌のみを建物内に預けて、お墓参り?のような時に、位牌が部屋の中に運ばれてくるという形を取る事もあるようなのですが、そういう形は亡くなった方に対して失礼にはならないのでしょうか?
こんにちは。初めて質問させていただきます。 現在、先祖供養と家系図作成のため、戸籍やその他資料をもとにご先祖様の情報収集を行っています。 本家である実家のお過去帳を見たところ、1番古い時代で幕末のご先祖様のお戒名を知ることができました。 お戒名からどの宗派だったのかある程度特定可能と聞き、ネットなどを使い調べてみたのですが、どこにも該当するものがなく、調査が行き詰まってしまいました。 そのお戒名というのが、 ・○○院○譽浄心 ・天津○○○神霊 です。 浄心と付く方は寛延に亡くなられたご先祖様でした。天津神霊と付いている方は3人いらっしゃって、宝暦、弘化時代に亡くなられてました。 最後の文字が信士や居士などではなく、浄心、神霊というのは、どの宗派に該当するお戒名なのでしょうか。 長くなってしまいましたが、ご回答頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。
私は浄土真宗では無いのですが、今回母方の祖母が亡くなりました。お西さんでした。考え方と葬式での話になるのですがご了承ください。 浄土真宗では亡くなった後すぐに仏になるとありました。 そうすると、棺に手紙などを入れても結局遺族の自己満足で終わると言う事なのでしょうか。(冷たく考えればどの宗派でもそうなってしまうのかもしれませんが) 49日や各七日の考えも、故人の為ではないと言う事なのでしょうか? 私は父方が曹洞宗で子供の頃に習った話だと、こう言った法要は故人のためだったはずなのです。子供の頃の記憶なので完全に間違ってるかもしれませんが。 祖母にはとても愛されて居ましたし、私も大好きな祖母です。 祖母の為には何をしてあげれるのかと思うとちょっとわからなくなってきました。 今年は新盆ですが、お供えを故人の事を思って選んだ方が良いのか、適当で良いのか・・・ 私としては故人の事を思って選びたく思うのです。 また、納棺の際に他の遺族の連れ合いが壁に寄りかかりながら腕を組んで参加していたりしたのですが、お坊さん的にはこれってありなのでしょうか。 その連れ合いはまだ若いです。最近結婚したばかりなので、祖母ともそこまで面識がありません。 私からすると参加するのであればちゃんとした態度で参加した方が良いですし、そこまで人から見える場所に居る立場ではないとはいえそう言う事はやらない方が良いと思います。 これが母や叔母が憔悴しきって居てならまだ分かりますが、当日来たばかりで憔悴するような立場ではない人間なのです。 こうあるべきと言う考えが強いのかもしれませんが、ちょっと腑に落ちないのです。
人間とは行動、言葉一つで人を殺せるものだと感じております。 それに動物も人間のエゴで去勢やら避妊など自然の摂理を無視したことを平気でやっております。私も猫を飼っており避妊と去勢をしました。人間の世界にとっては至極当たり前らしいのです。 ですが私は疑問に感じております。人間如きの裁量で他の動物達の未来を奪って良いものか?と。私が感じているのは人間如きに生命を自らの裁量で決めていいのか?ということなのです。 人間とは自分が気に入らなければ平気で他人を虐めたり殺したりしますよね?果たしてそんな罪深き人間に存在価値はあるのか?どうぞ御回答よろしくお願いします。
こんにちは。 私はお坊さんの説法が凄く好きなんです。 薬師寺のお坊さんの修学旅行の時の説法が 面白いのは有名な話ですが、 それだけではなく法事の時、お経を唱え終えた お坊さんが話してくれる話が好きで いつも「もっと聞いていたいなぁ」と思ってしまいます。 面白いと言っても、笑ったりとか滑稽な話などではなくて、人生を考えてしまうような、悩んでたことから心が解放されるような、フワッと心が軽くなるような、そんな気持ちになって、その感覚が気持ちよくて凄く好きなんです。 いつも優しさに溢れる言葉が、自分を包み込んでくれるようで、私もこんな優しさを分け与えられる人になりたいなぁと思ってしまいます。 けどお坊さんに直接お礼の言葉を伝える機会ってなかなか無いので、この場をお借りして。 いつも為になる、慈愛に満ちた面白いお話しを、ありがとうございます。本当に好きです。 私もお坊さんのみなさんの様に、優しさに溢れた言葉をかけてあげられる人になれるようにこれからも精進します。 ところで…何故お坊さんの説法ってあんなに面白いのでしょうか?
こんにちは、いつもお世話になっております。 とある文芸賞に作品を投稿したいと思っており、その過程で日蓮宗について詳しく学びたいと思うようになりました。 取材のようなことなのですが、書店や図書館で得られる本の中で、日蓮宗についてわかりやすく学べる本があったら教えていただけないでしょうか。 (余談ですが私自身は曹洞宗です)
嫁ぎ先の父が亡くなり、お葬式をするにあたって本家から浄土真宗本願寺派である事を教えてもらいました。私は今まで特定の宗教を信じたことはありませんが、父が阿弥陀様の後光の一部となり、苦しみなくいられるのであればそれに勝る事はないと思っています。 さて、タイトルについての質問です。 ご縁があったのか偶然なのか、不動明王様と倶利伽羅龍王について知る機会がありました。不動明王様、その化身である倶利伽羅龍王には全ての煩悩や怒りを鎮め、消滅させる力があるという所まで調べることができました。 お不動さんという単語には耳馴染みがあります。真言宗や天台宗等幅広く信仰されているらしい所まで分かりましたが、浄土真宗の教えとは大きく異なる印象を受けました。 父の死をきっかけに、浄土真宗本願寺派の菩提寺とのご縁を結んで頂きましたが、現在、私が抱えている(幼少時から続いた虐待、高卒で就職後も続いた人格否定やコントロールに)怒り、悔しさ、悲しみ、苦しさ、等々が薄れません。 自分が被虐児であった事実を飲み下し、せめて炊事洗濯だけでもできるようになりたいと(現在も取りかかろうとすると体が竦み、パニック状態になります)精神科の先生や主人と話し合い『出来る事を出来る時に出来る分だけ』等を目標に掲げて日々を過ごしています。 治療の開始から、10年近くが経ちました。先生や主人に支えられながら手探りで進み、戻り、日常の精神状態もフラットでいられる日も多くなりました。 しかし凪いだ日が続くと、あの地獄のような頃が夢に出てきます。二度と会う事も声を聞く必要もなくなったというのに。 目覚めた時からフラッシュバックに苛まれ、怒りの感情が暴走します。幸い自分以外を傷つける事はありませんが、のたうち回る苦しみは言葉で言い表せません。 先述の通り、我が家の菩提寺は浄土真宗です。しかし私は自分の身の内にある怒りや悲しみ、悔しさ等々を消化していきたいのです。 月参りに来て下さっている菩提寺様とは異なる宗派へ、救いを求めていいのでしょうか?双方へ失礼ではないのでしょうか?
先月に母が亡くなりました。 母は10年以上もの間、寝たきりだったので足も細く歩けません。 浄土への道のりは800里あると知って、ちゃんと浄土までの道のりを歩いていけるのか心配になりました。 御供えにミニカーやミニチュア自転車などをお供えしても良いのでしょうか?
いつもいろいろと申し訳ございません。 またありがとうございます。 何点か… 本日で大好きな父が他界してから8週間… よく悲しみは時間が解決すると聞きますが、父も母も然りですが人生で最も長く共に過ごし思い出が多いこともあり悲しみが癒えるどころか増しています… ①父が他界した時に棺に手紙を入れました。 また最近もちょくちょくこれまでと同じように父のLINEにメッセージを入れています。 これらのメッセージ、私自身はきっと父は読んでくれていると信じてますが実際いかがでしょうか… ②私が1人の時に歩きながら、或いは父のお骨や遺影に向き合いながら口に出したりもしくは心の中から父にメッセージを送ってますが届いておりますでしょうか… ③私自身、一人っ子ということもありますが両親には幼少時から自分で申すのも…ですが大切に愛情たっぷりに育ててもらいました… 父とは男同士ということもあり、良く2人きりで旅に行ったり食べに行ったり… 思い出がたくさんありすぎる分、時間は経てど悲しみ・寂しさは癒えることなく寧ろ増してます… 七夕の願いで何が一つだけ叶うなら…夢に毎日出て来て長時間一緒にいたいor生き返って欲しいor父のところへ母と一緒に行き、また3人で楽しく笑顔で暮らしたいです… 悲しみ・寂しさを癒やす方法はありますでしょうか… ④もうすぐ初盆です… お盆と言えば良くご先祖様が戻ってくると言いますが、私自身は棺に入れた手紙にも記しましたがお盆に限らずいつも目には見えない&声が聞こえないですが近くにいて欲しいです!! 実際この点はどうなんでしょうか… ⑤最近、自宅近くのお地蔵様へ良く手を合わせに行きます。 お地蔵様もきっといつもこの地域に住む人たちを見守ってくれると信じ、最近この悲しみ・辛さを小声でですが手を合わせながらお伝えしていますが、お地蔵様にこのように語り掛けても宜しいものでしょうか… 長々と大変恐縮です… 宜しくお願い致します。
ネットで般若心経や不動明王、真言を唱えると幽霊が寄ってくる、危険、呪いの言葉というの書いてあるサイトを見たのですが、リラックス効果や厄除け効果があると聞いてたまにですが唱えるので デマだと思うのですが気になりまして、モヤモヤしたので質問させていただきました🙇♀️ 回答お願いしたいです。 #般若心経 #不動明王真言
仏教の話の中で虫一匹も殺さない聖人はいましたか? 教えて下さい。 私もそんな人を見習いたいです
浄土真宗の一部のお寺では、悩み事相談や自殺対策をされているさまですが、そのお寺に悩み事を解決し、前に進みたいと思いました。それで相談したのですが、阿弥陀如来様は救わない時がある、お断りする、自殺を勧められ警察に仲裁をして頂く、頭がおかしいんじゃないか、精神科へ行け、本願寺に行け、など、ショックを受けました。お陰で体力を失い、我が家もソーシャル・ディスタンスの孤独な最中、近々、法要を控えていましたが、取りやめる事にしました。浄土真宗が怖くなりました。他の宗派のお寺様に、オンラインで相談可能なところを探している最中です。そして、色々目処がつきましたら、我が家の宗派も浄土真宗から他の宗派に変えようかと思いました。よろしくおねがいします。
お坊さん方こんにちは。私の仏教に関する疑問にお答えください。 よく人が亡くなってから初7日や49日や1周忌、三回忌などありますが、その時亡くなった方の霊はどんな風になってるのですか??閻魔大王にずっと裁かれてるのですか? また、もう一つ気になってる事があります。 前に家族、親戚などが供養すると故人の霊が極楽に行けると聞いた事があるのですが、もし私がこの先結婚せず孤独死すると墓参りする人も供養してくれる人もいない事になります。なので私は極楽に行けないのでしょうか?? 質問が多くなりすいません。どなたか回答してくれると嬉しいです。
こんにちは。よろしくお願いします。 無量寿経に「唯除五逆誹謗正法」とありますがこの「正法」とはなんですか? もし「正法」というものがあるなら先祖の供養をこの「正法」でしたいと思うのですが。
私が思うお坊さん像は、厳しい修行をして葬式等で活躍する、お話が上手でいろんな相談に乗ってくれる頼れる方です。 最近、自分の身に起きたことや、友人から高額なお布施を請求された、あそこの坊さんは酒飲みで遊び人だからやめた方がいい等といった話をよく聞くようになり、お坊さんへの不信感を抱くようになりました。 また、先日妻の叔父が亡くなった際に枕経からお願いしたら、最近は通夜と一緒に努めることが多いからそうしてくださいと言われました。そういうものなのかと納得しましたが、あろうことに枕経を断られた日にジムに入っていくその坊さんの姿を見かけました。妻の親族は「あの人はそういう坊さんやでな~」と苦笑いしてましたが、私には信じられないことでした。 SNSで発信をしているお坊さんも多く、生活が垣間見れる方もいたりいい意味でいろんなお坊さんがいるのだなと感じています。だからこそ、自分が思っているお坊さん像と違うとお坊さんはどんな人なんだろうとより一層思うようになりました。 大変な修行をされてきた方々ばかりだとは思いますが、自分のお寺に戻ってきたら何をしてもよいのでしょうか。 戒律のお話もお聞きしたことがありますが、守らなくてもよいのでしょうか。 一体お坊さんとはなんなのでしょうか。 お坊さんが大切にされていることは何なのでしょうか。 わかりにくい文章で申し訳ございません。 ご教授お願い致します。
昨日大好きな大切なこと父の四十九日法要が終わりました。 ちなみに浄土真宗です。 偶然父の誕生日と重なり、昨晩は父のお誕生日会を行いました。 四十九日は忌明けとは言え、やはりなかなか悲しみ・寂しさ・辛さは癒えないです。 またその前日の朝は私が寝ぼけていたのだと思いますが、リビングで父の元気な声が聞こえた気がしました。 幻だとしても、父がいつも一緒にこれまでと同じようにいてくれていると思うと嬉しいです。 四十九日法要が終わってからも父はこれまで通り近くにいてくれるのか…そこが心配です… お盆の時はよくこちらに御霊が戻って来てくれて一緒に過ごせると聞きますが、それ以外の時は、四十九日を過ぎると今までと比べて遠くに行ってしまうのでしょうか?? 私も母ももちろん、ずっと近くにいて欲しいです…