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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

僧侶の威厳と戒律

毎回、私のは質問というよりイチャモンと言った方がよいかもしれませんが、今回もよろしくお願いします。 私(S40年代生まれ)の子供の頃は、現在よりもずっとお坊さんは尊敬される存在であった気がしますが、現在の僧侶の威厳の低下(私にはそうみえる)はどこに原因があるのでしょうか? それは、現在の僧侶の大半に、戒律を厳守して生活している印象が全く無い、というところが大きいのでないか(あくまで部外者の印象で、実際のところはわかりませんが)と私は考えます。 「威厳なんていりません」とおっしゃるかもしれませんが、毎日、朝夕「三宝に帰依します」と唱えている側にしてみれば、やはり僧侶には、仰ぎ見る存在であってほしいのです。 現在、僧侶(日本仏教界)にとって戒律はどのようなもので、どれくらい重要視されているのでしょうか? ぜひ、ご意見をお聞かせください。 ちなみに、私は仏教徒であることを強く意識するようになって、五戒のうち、せめて不飲酒戒の一つだけでも、死ぬまで守り通そうと決めて、十四年間一滴も飲んでいません。それ以前は、ひどいもんでした...。       私は本当に仏教に救われたと思っています。

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仏教ウェブ入門講座というサイトで仏教を学ぶ事が出来ますか?

今年は色々あって「自業自得」を身を以て体験し、胸が苦しくなる日々を送っていました それで、ネットでたくさんの情報を得て却って混乱し、苦しみを増幅させた感じです そんな中でこちらに出会い、いくつか相談させて頂き少しずつ心が軽くなっていくのを感じており、大変感謝しております それでも気持ちは常に揺らぎ、ネガティブ側に引っ張られ暗い気分に陥り、ネット内の心理カウンセラーやスピリチュアル系サイト発信者に頼りたくなってしまいます 考え過ぎなのだと思うのですが、今までに見てきた情報の殆どは「潜在意識を書き換えれば世界が変わり幸せになれますよ」という内容なので、「潜在意識を変えなければ!」という焦りが生じてしまいます 頭のどこかで「早くその方法を教えてもらい気持ちを楽にしたい」という思いがあり、飲み込まれそうになります その一方で、それらは【商売】なのだ!、という信じ切れない気持ちもあり、踏み留まっています hasunohaを知り、お坊様からのご助言やお優しいお言葉を頂くとホッとする気持ちになりましたので、仏教を学ぶことが「心の平穏」を得ることになるのではないか、と思うようになりました そこで、表題のサイトを見付けて少し読んでいますが、本当は実際にお坊様から仏教の真髄を分かり易く教えて頂き、「安心」を得たいと思っております 当家や実家に来て頂いているお坊様からは、教えて頂きたいお話しは聞けそうにありません 実家の宗派は「浄土真宗」で、主人側は「真言宗」です 仏教の根源は同じで、それを親鸞聖人や弘法大師方々のご解釈(?)によって宗派が分かれたのですか? また、浄土真宗の【南無阿弥陀仏】というお念仏は、いつでも何処でも唱えて良いのでしょうか? 上記サイトでは、「【南無阿弥陀仏】とは、無明の闇を晴らしてくださったときの御礼の念仏」とありました むやみに唱えるものではない、ということですか? お聞きしたいことが色々あって記載内容が支離滅裂ですが、要は「仏教で救われたい、平穏の心で過ごしたい、それにはどうすれば良いか」、という事をお聞きしたいのです その為には、仏教を学ばなければいけないと思うのですが、どのように学べば良いのでしょうか? 標題のサイトにも「無料メール講座」があります こういう形でも学べますか? 仏教なので、今までのように混乱に陥ることはないでしょうか?

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お釈迦さまが自殺をとめられた話について

インターネットをみていたら、以下のような お釈迦さまが自殺をとめられた話がありました。 とても分かりやすいのですが、 これは、何というお経に出ているのか教えて頂けないでしょうか。 ある時お釈迦さまは托鉢中、 大きな橋の上で辺りをはばかりながら一人の娘が、 しきりと袂(たもと)へ石を入れているのをごらんになられました。 自殺の準備に違いない、と知られたお釈迦さまは、 早速近寄られ、優しくその事情を尋ねられると、 相手がお釈迦さまと分かった娘は、 心を開いてこう打ち明けました。 「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、 今は捨てられてしまいました。 世間の目は冷たく、おなかの子の将来などを考えますと、 死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます、。。 どうかこのまま死なせてくださいませ」 と娘は、よよと泣き崩れました。 その時お釈迦さまは哀れに思われ、 こう諭されています。 「愚かなそなたには、譬をもって教えよう。 ある所に、毎日、重荷を積んだ車を、 朝から晩まで引かねばならぬ牛がいたのだ。 つくづくその牛は思った。 なぜオレは毎日こんなに苦しまねばならぬのか、 自分を苦しめているものは一体何なのか、と考えた。 そうだ!この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだと、 牛は車を壊すことを決意した。 ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当てて、 木っ端微塵に壊してしまったのだ。 ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には、 頑丈な車でなければまた壊されると、 やがて鋼鉄製の車を造ってきた。 それは壊した車の何十倍、何百倍の重さだった。 その車で重荷を同じように毎日引かせられ、 以前の何百倍、何千倍苦しむようになった牛は、 深く後悔したが後の祭りであった。 牛がちょうど、この車さえ壊せば苦しまなくてもよいと 思ったのと同じように、 そなたは、この肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろう。 そなたには分からないだろうが、 死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まねばならないのだ。 その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも恐ろしい苦しみなのだよ」

有り難し有り難し 99
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