できれば真言宗の方にお聞きできたら幸いです。 ①自分は少し前から不動明王様に興味を抱くようになり お寺などに行くようになりました。 今日、初めて知ったのですが密教には越法罪というのがあるのですね。僕は全然一才知らなく経本の不動尊秘密陀羅尼経を買って唱えてしまったことが何回かありました。あと、お寺で護摩をやってもらってる最中にお坊さん達が不動明王真言を唱えてるときに手印をやりながら唱えてしまったことがあります。 他にも般若心経、光明真言なども唱えてしまったことがあります。自分は全然これらのことは無知だったので、良かれと思ってやってしまっていました。 それでもネットで色々調べてみると在家信徒が陀羅尼経を口にしたり、手印や梵字を書くやるなど…すると地獄に落ちる 体に異常をきたすなど書かれてありました。自分はこれらで儲けとか商売とかやってません。僕は地獄へ落ちるのでしょうか? そう考えるとゾクゾクしてきました、、、 ②お経を唱えてると長かったり難しい言い方があるのでつっかえたり噛んだりしてしまうことがあります。 お坊さんは、噛まないのはなんででしょうか? そうすると霊は寄ってくるんですか? 修行を何年も積んでるからでしょうか? 長くなりましたがご返信お願いします。 ③将来、真言宗のお坊さんになろうかと考えてまして そうするとお寺で何年も修行を積まなければならない と大変な感じがあります。実際の1日の流れや、どんな感じなのか教えてください。(越法罪にならない程度に)大変長くなりましたがご返信宜しくお願いします
こんにちは。私は色々自分の中で整理ができなかったので質問させていただきます。 去年の4月頃、当時の私はコロナやこれからの事など色々な不安なことがいっぺんに来て心を病んでいました。本当に先も見えない日々で私は、ふと十数年前に見た何かの雑誌の特集の守本尊を思い出し、わらにもすがる気持ちで阿弥陀如来様の真言を唱えました。すると、数日の間に夢に阿弥陀如来様が出てきました。(夢の内容は長くなってしまうので割愛しますが、怖い印象の夢ではなかったです。) とても偶然には思えなかった私は、ネットで色々とどんな神様か改めて調べていました。すると、あるサイトで真言と一緒に印も掲載されていて、迂闊だった私は一緒に印も結ばないといけないと早とちりをしてしまいそこから真言と印を結んでました。 つい先日に、越法罪の存在を知りそれは越法罪にあたるのではないかと、だとしたら自分はなんて愚かで軽率なことをしてしまったと後悔しており、深く悩んでしまうようになりました。また、初めて印を結んだ時から大分時間がたってしまっていたこともあり、記憶も曖昧になってもしかしたら印を結んだ事で夢に出てこられたのではそうすると、ヤバいことをしてしまったのではと段々思考もエスカレートしてしまい自分でもよくわからない状況になってきています。 このような場合は越法罪に当たるのでしょうか? もしそうだった場合どうすればよいのでしょうか 拙い文章で申し訳ないですが御回答をいただけたらと思います。
これも気になっていることなのですが。 在家信徒は、光明真言以外の真言を唱えてはいけない。どうしても唱えたい時は、お寺から伝授を受けることと書いてある本がありました。 ネットでも聞いたことがあります。 逆にお坊さんの書いた本やブログに、様々な真言を公開し、唱えることを薦めている本もあります。 またネットで、「一般向けの本で公開されてる真言は問題ない。しかしお坊さんがご祈祷等で唱える専門的な真言は良くない」と言う意見もありました。 本当のところ、どれが正しいのでしょうか? 在家が光明真言以外の真言を唱えて良いのでしょうか? またお寺さんで配布しているパンフやお札、授与している教本に真言が書かれていることがありますが、これは伝授されたと考えてよろしいのでしょうか? お願い致します。
はじめまして。 三面大黒天を信仰している在家信徒の者です。 「越法罪」というものがあり、在家信徒がやってはいけないことがあると聞きました。 特に手印を結んだり、 梵字を書くのは良くないと聞きました。 お不動さんには、在家信徒向けの礼拝方法が書かれた本がたくさんあるので分かります。 しかし大黒様や烏枢沙摩様については、文献が限られているので、よく分かりません。 「越法罪」の境界線は、何なのでしょうか? 「在家信徒がやってはいけない礼拝」には、どのようなことがありますか? 教えていただけましたら、幸いです。 ちなみに私は、三面大黒天様にお供えをし、毎日お灯明、お水、お線香をあげています。 そして大黒さま、毘沙門さま、弁天さまの真言と般若心経を唱えています。 烏枢沙摩様も、ほぼ同様です。 印は結んでいません。
密教をご存知のお坊様に、質問をさせてください。 3つ質問があります。 「越三摩耶戒罪(おつさんまやざい)」が非常に気になっております。 密教には、在家の人間がやってはいけないことがあると聞きました。 在家の人間が、阿闍梨の許可なく、勝手に真言を唱えたり、伝授なしに梵字を書いたり手印を結んだりするのはいけないと聞きました。 これを破ると越三摩耶戒罪、越法罪という宗教上の罪になる。 何の功徳も、ご利益もなく、徒労に終わる。 「大叫喚地獄に落ちる」とか「無間地獄に堕ちて出ることができなくなる」という恐ろしげな記述もありました。 1つ目の質問です。 何人かの先輩の信徒(在家)から色々と聞いて、自分なりに考えをまとめました。 ・真言なら唱えても良いし、功徳もご利益もある。 ・手印を結んだり、梵字を書くのはやめたほうが良い。 ・阿字観はお坊さんの指導のもとやること。独学は駄目。 ・本格的な祈祷の真似事をやるのは絶対に駄目。 ・「地獄に堕ちる」は、師僧の指導に従わない・修行のルールを守らない修行僧を戒める方便。でも原則として守らなければならない。 これでよろしいのでしょうか? 2つ目の質問なのですが。 私は信仰を持つ前から、仏教に強い興味がありました。 多くの本を集めて読んでいたのですが、愚かな素人の悲しさ、当時は越三摩耶戒罪のことは知らず、手印や梵字の書き方の本、さらに儀軌や口訣書を含めた専門書もかなりの数、蔵書として所有しております。 また密教美術にも惹かれ、曼荼羅の色紙も購入してしまいました。 しかし阿闍梨の許可なく、曼荼羅を建立したり、儀軌や口訣書などの専門書を読むのも越三摩耶罪に当たると聞きました。 ・小さな仏壇の上に、両界曼荼羅の色紙を額に入れて飾っているのですが、これを気にするのはやはり神経質すぎるでしょうか? ・密教の専門書を読むことを気にするのも、神経質すぎるでしょうか? 3つ目の最後の質問なのですが、先輩の信徒(在家)から、 ・「そもそも貴方は結縁灌頂を受けておらず、正式に三摩耶戒を授かっていないので、越三摩耶罪は成立しない。だから気にする必要はない。しかし灌頂を受けると越三摩耶罪が成立してしまうので、注意しなさい」と聞きました。 この解釈は正しいのでしょうか? 長文かつ生意気な質問で、申し訳ありませんが、ご意見を伺えましたら幸いです。
私の実家は隣県にあり、また分家ではありますが本家には当然代々お付き合いさせていただいている菩提寺様があります。高野山真言宗のお寺様です。しかし私自身は分家の次男坊ということもあり、菩提寺様とのおつきあいは葬儀や法事の時だけです。 最近不思議なことに信仰心に目覚め、朝夕お勤めをするようになりました。(一人暮らしで仏壇はなく御大師様の御影をご本尊にしています) いろいろと勉強するにつけ、やはり正しい理解を深めるためにはお坊様の指導が必要との思いが強くなっています。特に真言宗ですので、勝手に独学して越法罪に触れるのも困りますし。 そこで近隣のお寺様に教えを乞いたいと思うのですが、元々の菩提寺様との関係上、差しさわりはないでしょうか?私自身は付き合いがほぼなくとも、地元の親戚(特に本家は)はお世話になっておりますので、勝手なふるまいをするとお叱りを受けないか心配です。 もちろん教えを乞うといってもあくまで在家としてのことで、先のことはわかりませんが僧侶になりたい、というわけではありません。
聖天様を信仰しております。 毎日、聖天様のご真言千反をお唱えしております。 聖天様は自宅に仏像をお祀りすることは絶対にいけない(十一面様も軽くお祀りすることもよくない)と聞いております。 聖天行者様以外が、聖天様のお姿を見ることはよくないとも聞いており、ネット等にある仏像や仏画等も見ることはよくないとも聞いております。 毎日聖天様のご真言を唱える上で、仏像も画像等も意識におかず、お札のみに対して、聖天様をどのように意識して真言を唱え続ければ良いのか、どのように聖天様に意識を繋げていけば良いか、どうしても体感的にわかりません。 どのようにすれば良いのでしょうか? また、ご真言も含めお経も、本来は阿闍梨様にお授け頂いた上でないと、密教として越法罪になると聞きます やはり、ご真言を知っていたとしても、正式に阿闍梨様にお授け頂くべきでしょうか? もうひとつ、事情があり、ふたつのお寺の聖天様のお札をお祀りしているのですが、やはり、別々にご真言をお唱えした方が良いものでしょうか(おひとつは単身の聖天様、おひとつは双身の聖天様、また、おひとつの本地は十一面様、おひとつの本地は千手様になります) 以上、長々となりましたが、ご指導のほどどうぞ宜しくお願い致します
梵字を習うことに関して質問いたします。 先日ご縁があって児玉義隆師の著書「梵字入門」を手にする機会に恵まれました。それをきっかけに悉曇文字、サンスクリット語を学びたいと思っています。 しかしこのまま自ら書いて習ってよいものかと思い始めました。 私は在家で、在家である自分が梵字を書き、習うことは越法に当たるのではないかという疑問が湧いたのです。 実家の菩提寺などご縁があるお寺やお坊さんに聞いてみましたが、別宗門なので詳しくはわからないとのことでした。 また現在海外住まいのため、直接真言宗や真言律宗のお寺に伺うこともできず、こちらで質問いたしました。 大雑把に、梵字を書くことの在家への制限は越三昧耶罪にあり、その根拠は大日経疏にあると薄い知識ながら理解しているのですが、根拠となる原典を知る機会はありません。 しかし一方で、日本全国で僧侶の方による梵字教室が一般向けに開かれている現状もあり、僧籍を持たれる高野山大学の名誉教授が在家者に梵字の教本と自習を推奨されてもいます。 児玉師の教本には、お袈裟・衣をつけずに梵字を書いてはならないとの心構えの解説がありました。 これを僧侶の方への訓戒と受け取るべきなのか「在家には梵字を書くこと自体許されない」ととるべきなのか判断がつきません。ましてその解説が一般向けの教本に書かれているのですからますますわかりません。 そういったことで、在家でありながら悉曇文字あるいはサンスクリット語を学びまた書くことは功徳になるのか、密教の戒律に詳しい僧侶のかたにご意見を伺いたく思っております。 教条主義的になるのも良くないのでしょうが、独りよがりになることを避けたく、ご意見を賜りたくご連絡いたしました。 もし知識のあるかたから見て問題がなければ、日本に伝わっている素晴らしい文化ですし、悉曇文字を勉強したいと思っています。 僧侶の皆様、お忙しい中見ず知らずの者から長々と恐れ入ります。ご教授いただければ大変幸いです。
折五条袈裟についての質問です。 私は高野山真言宗の在家信者です。 以前から折五条袈裟に興味があり購入を考えています。 僧侶でない一般の信者が着用しても大丈夫でしょうか。 高野山真言宗では着用の作法、規定等がございますか。 半袈裟と同じように本山や寺院へのお参り、これから 予定しているお遍路にも着用したいと思いますが問題 ないでしょうか。 ご教示お願いいたします。
真言宗の聖天様の勤行を毎日しております。お寺の勤行に入っていなくて、私が勝手ながらネットで拾った勤行の以下の真言はお唱えしてもいいのでしょうか? 勿論勝手にいれたのだから駄目なのでしょうが気になっております。 特に悦與と調和の真言の意味が知りたいのですが。 1 召請真言 オン ハキュラシュダ デイバタ ヤジャク ソワカ 2 供養真言 オン アボキャ ホジャマニ ハンドマ バジレイ タタギャタ ビロキテイ サンマンダ ハラサラ ウン 3 悦與 オン ハラウンマニエイソワカ 4 調和 オン シャトロ ハラマタニエイ ソワカ 以上です。 何卒ご教授頂ければ幸いです。
理趣経について調べますとこのような事が書いてありました。『理趣経』を使った『理趣経法』は、四度加行を実践して前行をしてからでないと伝授してはならないという厳しい規則があると調べますとありましたが日常の勤行に理趣経を唱える事も四度加行を終わらせてからでないと唱えれないのでしょうか?
初めまして、私は仏様を側に感じたい時やお寺で参拝する時に印を結び、真言を唱えている破戒するヒトと申します。 私の結ぶ印や唱える真言は師に習ったものではありません、ネットや書籍で調べたものです。 本当は出家をして師に習うのが一番だと言うのは分かりますが、どうしても人が苦手で集団に溶け込んで修行する自分が想像出来なくて、独学でまったりと学ぼうとしています。 このように独学で印や真言を調べるなかで「印は行者しか結んではならない」「印や真言は誰が行おうと構わない」「師に習わない印や真言に効力は無い」「軽い気持ちで印を結べば仏罰がくだる」…など様々な情報が入り乱れて混乱します。 ただそれでも私自身に「印を結び、真言を唱えたい」という欲求が合ったので都合の悪い情報は気にしないようにして印と真言をしてきました。 ちなみに理由は魔法使いみたいで格好が良いから、または自分はいま仏様に近付く修行している…といった心地のよい感覚があり、このまま根気よく続けていれば仏様との間に、より濃密なご縁を頂けるかも…なんて期待をしつつやっていました。 しかし時に後ろめたさの様な物を感じる事があります。この行為はもしかしたら仏様に対し失礼に当たるのではないかと。 とある質問サイトでこのような事を質問してみても意見はバラバラでどうすれば良いか分かりません。 このような混乱と欲求と後ろめたさが入り乱れ撹拌されてか、今朝の夢のなかでお坊さんに「真言や印は欲望で行うものではない、貴方が好意でそのように行動しても仏様は迷惑だと感じるだろう」と言われました。 すみません、あくまで夢の中のお話です でもとても鮮明な夢で「仏様は迷惑だと感じるだろう」という言葉が突き刺さり、堪らずこちらのサイトに登録を行い質問をさせてもらいました。 もしも夢など紛い物で無いお坊さんにそのように言われれば、私はキッパリと印と真言の欲求は断ち切るつもりです。 しかし私の欲求として仏様の迷惑にならないなら印を結び真言を唱えたいです。 どうしたら良いでしょうか。 分かりにくい所があったらすみません。 混乱と欲求が激しく渦巻いてそれ以外の事が考えられません。 どうか回答お願いします。
三面大黒天さまをお祀りしている者です。 ご本尊(阿弥陀さま)、個人的な念持仏のお不動さまと共に、毎日お勤めをしております。 大黒様のお祀りの仕方を読んだ本には書いていなかったのですが、人づてに「天部の神様は怖い」と聞きました。 (聖天さまやダキニ天さまの噂は聞いていたので、遠慮しました。) 大黒様には怖い噂は当初は聞いていなかったので、大丈夫だと思っていたのですが。 しかし何人かの方々から、総じて「天部」の神様は、人間に近く感情をお持ちなので、気をつけなければならないと聞きました。 聞いたところによりますと、 ・粗末に扱う、罰当たりなことをしゃべる ・礼拝をさぼる ・信仰をやめる ・お祀りの作法を間違える ・お坊さんの真似をして、在家が本格的な祈祷をやる これらが要注意だと聞きました。 その後、いろんな人の意見を聞いたのですが、「怖い」、「いや怖くない」と意見はバラバラでした。 いずれも在家の人々です。 (開眼は大きな寺院で集団で行いましたので、そのお寺のお坊さんとは連絡しずらい状況です・・・) そこでお坊さまがたのご意見を伺いたくて、ご質問をした次第です。 よろしくお願い致します。