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hasunoha 問答検索結果 : 「 人生 」
検索結果: 23115件

自身の生育環境への劣等感

よろしくお願いします。 自身の生育環境から来る悩みです。憤りのようなものに近いかもしれません。 家庭環境と、自身の性質が二重に悪い方に作用したこともあり(詳しくはプロフィールページに記載済みです)、自身の能力を出しきれずに生きてきたことに強い後悔があります。客観的に自分の人生を冷静に見れるようになったいま、もっと自身の人生を充実したものにできたのに、という気持ちが止まりません。 理解力、読解力、好奇心が比較的ある方なので、幼い頃からなんでも吸収して割とコツをつかむのは早い方でした。 合う環境に身を置けたならば、またはそれがどんな環境なのか落ち着いて自身と向き合って考えることのできる家庭環境であったならば、という思いが消えません。 旦那と比較をしてしまうことも辛いです。旦那は比較的家庭環境、生育環境土地柄恵まれてきた方で、そのことに自覚なく、のほほんと暮らしていることに腹が立ってしまいます。妬みの感情があって、ついもっとがんばれと言ってしまい、そのせいで最近ケンカが絶えません。 今の状況としては、過去に戻りたいと逃避をしているわけではなく、きちんと現状を分かった上で明確な目標を立て、それに向けて努力をしています。現在の自分の生活も充足感があり、幸せだと感じることもできています。自身の人生をようやくコントロールできるようになってきた実感がありやる気もあり、精神的には決して弱った状態ではないと思います。なのに、いつも頭のどこかにやり直せたらという気持ちがこびりついています。 これは、最近感じるようになった感情なので、心の回復に伴い現れてくる感情、悪いものではない、と思うのですが気にしないようにしたくても消えてくれず対処に困っています。長文となり恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
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2023/07/08

生きる事がしんどく、疲れました。

こんにちは。 はじめまして。 私は臆病で怠け者です。 やる事を先延ばしにしたり、継続が苦手で、何かを続けているとある時窮屈さを覚えて辞めてしまいます。 そんな自分が嫌になり、20代の半ばに差し掛かる頃、やりたい事は先延ばさずにやろうと決めて、数年頑張りました。 しかし、徐々に克己心を使い続ける日々に疲れてしまい、この先死ぬ迄何十年もこんな事をしないといけないのかと思うと気が狂いそうになりました。 確かにそんな中でも充実感はありました。 結果もある程度は出て、自惚れの様ですが、こよまま続けていれば大きくとはいかなくとも、成功できるだろうと言う道筋は見えていました。 しかし、気付いたことがあり、それは目標を達成しても人生は続くのだと言う事です。この辛さを乗り越えれば、楽になる筈と頑張っていましたが、実際のところ、目標を達成すれば次の目標へ向かわなくてはならないのです。人生は頑張り続けないといけないのでした。 その無限とも言える様な日々の繰り返しを思い愕然としました。 人間は至らない存在だと思います。 とりわけ私は出来の悪い人間だと自覚しておりますが、その出来の悪さを都度都度反省しては改善するという営みの連続が人生の構造だと言う事に気づき疲れてしまいました。 行動して、至らなさを自覚して、改善しては、また冒頭に戻る。この無限のサイクルがとてもとても恐怖で苦痛です。 また、世の中には様々な人がいます。 優しい人、攻撃的な人、立派な人、他人の噂が好きな人。 1人の人間も良い部分悪い部分、様々な面を持ち合わせている事がわかりました。 しかし、世の中は文明が起こる前から、群れと群れで争い、群れの中では中で序列を作り争っている。 これは科学技術が発達し、豊かになった今も変わらぬ構造だと実感しています。 有能さや、優位性を証明し続けなければならない構造に嫌気がさしました。 私は他人にも自分にも負けたのです。 以前は悔しい思いをすると、それを糧に奮起していたのですが、ある時からその動機付けの虚しさや、その動機による行動に疲労を感じてしまい、気力がなくなってしまいました。 私は生きる事に向いていません。 甘えた人間です。それを正す為の努力ももう嫌になりました。 死ぬ迄改善の連続。努力の連続。 もう嫌です。 死にたいと思っています。 読んで頂いて有難うございます。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

家族問題

私はこれまで、何度か家を出ようとしましたが上手くいったことがありません。 私の母は、私の幼少期から精神疾患を患っていましたので、ちょっと複雑な幼少期を過ごしました。 私が出て行くことで不安感が強くなり薬の量が増えたりするので、出て行くことに躊躇いがあります。 母は事あるたびに私に頼んでくるのですが、たまに嫌になります。 そのために自分を家に置いておきたいのかと腹が立つこともあります。 小さい頃に受けた母の態度のせいで素直に受け止められない部分があります。 ですが世話になっている身分ですし、家族なので協力しないといけない、協力したいと思えない自分は勝手なのかとも思います。 事情を詳しく知らない父や部外者は、早く家を出ろと言いますが、誰がケアするのか病人を放って行くことが心苦しくあります。 迷っている方がストレスになるので、心を決めて死ぬまで使えることも考えましたが、私の精神力では難しそうですし、これが正しい事なのか分からないのです。 と言うか、やりたくはないのです。 勿論家族は大切ですが、世の中には身寄りもなく寂しい思いをしている人が沢山いると思うのです。 私は世のため人のため、地上全ての生き物に、なるべく心地の良い生活が出来るように自分の命を使いたいと考えています。 そのために、まずは身近な人の世話をすることが私の使命なのでしょうか? 近々転職を考えていて、これを機に家を出ようか迷っています。 何かアドバイスを貰えたら幸いです。 長くなってしまい申し訳ありません。 最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

有り難し有り難し 9
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2024/06/12

新興宗教信者の家族について

家族全員がとある新興宗教の信者で将来行くべき学校や就職などすべてその宗教のお告げで決めるのが家訓のような家で生まれ育ちました 私がその宗教に疑問を持ち始めたのは中学生の頃です 頭のいいコースに入りたかったのですが勉強がついていけなくなるからやめろと言われ母も最初は賛成していたのにそれを聞いて私にコースに行くのを諦めるよう説得するようになり泣く泣く諦めました 担任の先生もなんで?と驚いていたので宗教のことを話さず説明するのが大変でした さらにお茶の水女子大学に行きたかったのですがここでも国立はダメと言われ私立がいいと言われたら母はここでもずっと国立に行くよう私が勉強をサボっていたら学費出してくれる父に申し訳ないと思わないのかと怒って勉強を強いていましたが急に早慶に行こうと言いました お茶の水の過去問はなかなか買ってくれなかったのに私がもう諦めて早稲田に行きたいと言うとすぐに過去問買ってくれました でもやはり早稲田は難しくて勉強疲れやストレスで体調を崩すことが多くなりました そこでも母は病院に連れて行くのではなくその宗教で相談いただいたら「あなたの娘さんは遊女の悪霊に取り憑かれているから体調がすぐれないんだだからお護摩しなさい」と言われたそうでそれを本気で信じています また、早慶の中でもどこがいいか相談をいただいて慶應もいいと言われた途端早稲田落ちて慶應受かるんじゃないのと不謹慎すぎることまで言いました ようやくお茶の水女子大への気持ち整理して早稲田に集中しているところでそんなこと言われたくないです 慶應の過去問読んでこれは無理だと受けないと言っても受けてみたらどうかお寺でいいと言われたんだからと母も譲りませんでした 私の家ではその宗教が絶対服従なんです 少しでもそれ本当に信じられるのと疑ったらすごく怒られます でも新興宗教ですしその宗教の人曰く未来が見えるらしいんですが絶対にあり得ないと思います 本当のお坊さんのご意見を伺いたく投稿しました。私はどうするべきでしょうか?その宗教に従わず自分1人で生きていきたいのですが実際それを実行した10歳年上のいとこは今家族全員から爪弾きにされています それに今までそれに従うのが当たり前だったので逆らう勇気がないです 上にも書いたように体調を崩すことが多いので家族のサポートも必要です

有り難し有り難し 21
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疲れました

お世話になっております。 一昨年秋まで事務として勤めていた障がい者施設で残業が続いていた頃、不倫しているから帰りが遅いと噂を立てられ、村八分となりいじめにあい現在では頭のおかしい人として地域の有名人で孤立しています。家族も不倫を知りながら離婚しない、と白い目で見られています。この件に関して過去4回ご相談しています。 今日、不倫の噂を立てた70代の女性から「どんな死に方をしても自業自得だ」と言われました。その70代の女性も、私のせいで家族に迷惑をかけたので私の事を疫病神だと言った近所の奥さんも、私が不倫したと思っている近隣の方も私が死ねば喜ぶでしょう。ざまあみろと笑うでしょう。それはわかっていますが、もうこの人生から逃げ出したいです。不倫などした事もないのにこんな目にあう私は運がありません。何もしていないのに村八分にあった人なんて自分の他に見た事がありません。大事な家族にまで迷惑をかけ、近所の奥さんの言う通り私は疫病神かもしれません。 以前お寺でお坊様に相談した時「一番怖いのは生きている人間ですよ」と言われました。その通りだと思います。世間というのは冷たく恐ろしいものだと思い知りました。そのお坊様に「世間から誤解されても、死んでからお釈迦さまによくがんばった、と言われる人生ならそれでよい」とも言われました。今死ねばお釈迦さまはほめてくれないかもしれません。でももう浮き沈みの激しい人生に疲れました。なんの取柄もない人間なのだからもっと平凡な人生を歩みたかったです。早くこの辛い人生が終わってほしいです。

有り難し有り難し 6
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変えられない過去に後悔

人生って若いうちに失敗したら終わりですよね。 年取って失敗してもあんまりダメージがない。 一度きりの人生で、二度と返ってこない過去に執着しています。 おそらく人生で1番執着していることがあります。 私のキャリアや青春がクソになったこと、私が挫折や自信を失ったりなどのネガティブになった事、今後80までの何十年のキャリアや給与やらなんやらがクソになった事。 1つの失敗がかなり影響しています。 よく過去は変えられないから未来を見ろといいますが、私は未来が変えられないからこそ過去に執着しています。 私と同じように生きた小中高大と同じだった人が失敗しなかったルートをみて過去の1つの失敗がなければと何度も何度も何度も思います。 親戚や転職活動のエージェントやらなんやらも私のその過去をみて「なんで、それをしたの?」と言われます。 一生その愚行が未来永劫影響しています。 私の野心から来た愚行により全人生に影響して、それがずーっとずーっと私の人生をめちゃくちゃにする原因となっています。 それを修復する為に色々努力しても、その愚行のせいで歯車が狂っていて修復できないです。 何億回後悔してます。 毎日毎日毎日その事が脳裏から消えた事がありません。 この後悔と向き合うにはどうすればいいですか? 一生を変えるような出来事と決別するにはどうすれば。

有り難し有り難し 46
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