はじめまして。お読みいただきありがとうございます。ご教示よろしくお願いします。 私は仏教に興味があるのですが、何に取り組めば良いのかわかりません。 本を読んだりしていますが、なんだかわかった気になっているだけに思えてしまいます。 大切なのは日々仏教の教えを胸に堅実に生きていくことだと思います。が、沢山の考え、宗派がある中でどの教えが良いのか(私の考えとマッチしているのか)がわかりません。 仏教の教えを理解し、実践するにはまず何から取り組めば良いのでしょうか? よろしくお願いします。
我が家にある主人の 親の仏壇に私の親の位牌を一緒に並べてもいいですか?同じ宗派ですが…
昨年、質問させていただいた際は、とてもためになるご回答をありがとうございました。 今回はお墓について質問させていただきます。 亡くなった自分の両親と兄弟、そしてまだ健在ですが独身の兄弟のためにお墓の購入を考えています。 姪や甥、その家族も望むならば将来的に一緒に入れるようにしたいと思っています。 そのため、宗派や宗教を問わない霊園になるかと思います。 ただ問題は、私には子供がいません。 私が居なくなったら一代で終わってしまいます。 姪や甥には引き継いでもらうことを頼むのは重荷になったら可哀相で頼めません。 そのような場合、お墓を購入するのは間違いでしょうか。 私が居なくなるときは、支払えるだけの永代供養料を支払うつもりです。 ほかに選択肢なども含め、ご意見を伺えたら幸いです。 また、宗派・宗教を問わないという霊園でも、運営は宗教法人〇〇寺と書いてある場合が多いのですが、お寺様は本当に宗派・宗教を問わないのでしょうか(もちろんお寺様によるとは思いますがご意見をお聞かせていただけますでしょうか)。 どうぞよろしくお願いいたします。
曹洞宗のお坊さんしか出来ないって聞いたけど本当ですか?その家の宗派が違っても枕経だけは曹洞宗のお坊さんがするって聞いたけど本当ですか?どうしてか不思議です。 静かに死んでいきたいです。
毎日朝、昼、夜にテーラワーダ仏教の「慈悲の瞑想」をして、5分ほど坐禅をして、お経(般若心経か阿弥陀経)を読んでいます。 宗派がばらばらですがこういうことはしてもいいものなのでしょうか?
いま訳あって賽の河原について調べております。 そこで質問させていただきたいのですが、 ①賽の河原の考え方はどの宗派のものでしょうか。また、子供たちは河原で仏塔を組むことによって功徳を積むと聞きましたが、仏塔を組んで功徳になるというのはどの経典に書いてあることでしょうか。 ②またそれと合わせてお聞きしたいのですが、閻魔様による裁判というのはどの宗派の考え方でしょうか。またその際、地蔵菩薩が弁護人のような立場になってくれるというお話を聞きましたが、それは間違いないのでしょうか。 仏教のことには明るくないので、ズレた質問でしたら申し訳ございません。 ご回答いただければ幸いです。
お坊さんでない一般の仏教徒が守るべき不邪淫戒というものについて、 不倫・浮気はだめとよく聞くんですけどそれってつまり独身なら何してもいいってことですか? 例えば独身者どうしならセフレ、乱交、近親相姦もOKってことなんでしょうか?また既婚者で妻が同意してる場合夫は相手もオープン婚や未婚者の人なら不倫等してもよかったりするんですか? 宗派によっても違うでしょうか?ポピュラーな宗派の不邪淫戒について知りたいです。
3人娘が皆、宗派の異なる他家へ嫁いでいますが、父は15年前に、母は最近他界して、墓を継ぐ者がいなくなりました。父母の位牌や墓はどのように処置したらよいのでしょうか?
お寺にいらっしゃるお坊さん… 呼び方は、和尚様がよいのか御住職がよいのか教えてください。 また、これから写経をしてみたいと思っているのですが、何から始めたらよろしいでしょうか? また、お寺、宗派により、お経は違うものなのでしょうか? 何も知らず、お恥ずかしいですが、ご指導いただけると幸いでございます。 よろしくお願いいたします。
祖父が10年前に亡くなった時、母が記憶の中のお葬式の話をして、葬儀屋さんが浄土宗でしょうとなり、お坊さんを手配して、戒名を付けていただきました。 後になって浄土真宗だった事が分かり、お骨は祖父の住まいから近い浄土真宗のお寺に預かっていただいてます。 再婚相手の方がお墓は自分では持つ意思がなく、お位牌もお骨もこちらに渡されたので、そのまま同じお寺にお位牌とお骨を管理していただいています。 10年経つので、永代供養・・・・・・と考えているのですが、宗派をこだわった方が良いのか、戒名は宗派が違うままで良いのか分かりません。 両親もこれから先、遠くに移動が出来なくなってくるので、こちらの近くのお寺にと考えています。
今まで全く宗教とは無縁だった訳ではなくごく普通のかと思いますがいつも法事などでお寺に行ってもお坊さんの説法を短時間聞くのみでいろんな宗教的な悩みなど聞いてもらえる場所がなかったです。 普段は特別故意にしているお寺がある訳でもなくただお参りして帰ってくるのみで、何かの節目があれば特別にお祓いなどしてもらうだけです。 もっと気軽にお坊さんと宗教の話ができる機会ができる場所はないのでしょうか? ただ新興宗教のような信仰の亡者にはなりたくなく、普段仏壇にお参りするだけではなくもっと生活の中に溶け込んだ宗教が欲しいです。 それともっといろんな宗派がありますがその教えを一方的に説法などで聞くだけではなく質問や詳しい話を聞きたい場所を提供して欲しいといつも思っていますがなかなかそのような機会や場所はないです。 実際の所、先祖や親がやっていたので自分も同じ宗派と言われてもどうして良いか全くわからずじまいです。 例えばお経一つとっても何を言っているのかさっぱりわかりません、他宗派のは意味はわからなくても言葉はわかるのもあります。 あなたの修行が足りないと言われても修行の仕方すら誰も教えてもらえないです。 般若心経は解説等たくさんありますがそのほか話目にすることはありません。 もう少し誰にでも平易にわかりやすく教えてもらいたいといつも思っていますが。 日本の仏教界はこんなものなのでしょうか? お坊さん忙しいのでそんな暇はないのでしょうか?
初めてこちらで質問させていただきます。よろしくお願いします。 私は現在、大学院で社会学を専攻しているのですが、同時に仏教に対しても強い関心を持っております。今後の人生は仏道を中心に据えて歩んでいきたいと思っております。 現代の日本の政情を私なりに研究した結果、日本の将来には期待できるものがほとんどないという結論に至りました。日本の政治・経済・文化における凋落は民主主義・資本主義体制が崩壊するまで続くだろうと予測しております。 この現状を踏まえて、私が歩むべき道は仏道以外に見出せないと思いました。しかし、日本仏教を信仰するにはいくつかの問題点があるとも感じております。 まず、第一に宗派があまりにも多くどの宗派を信仰して良いか分かりません。様々な宗派の本を読んでは見ましたが、どの教えにも深く納得することができず、悩み続けている状況です。(最近では、禅とテーラワーダ仏教の教えに惹かれております。) 第二に、日本仏教はもはやその求心力を失ってしまっているのではないかという問題です。鎌倉時代など、社会状況が大きく変化した時代には仏教は多大な求心力を持っていましたが、現代では賞味期限が切れた宗派もいくつか存在していると思うのです。(例えば、私の家の宗旨は浄土真宗ですが、個人的には信仰することに困難を覚えます。もちろん、歎異抄などの著作には深い感動を覚えます。)それが、さまざまな新興宗教を生み出す原因になっていると思うのです。 これらの点を踏まえて、私は禅かテーラワーダの教えを学んでいきたいと考えているのですが、同時に躊躇もあります。その教えに賭けて救われなかった時のことが怖いのです。ここに非常な葛藤があります。 結局、私がお尋ねしたいのは「私はどう生きるべきか?どの宗派を信仰すればよいか?」ということです。何かアドバイスがありましたら、どうかご回答下さい。よろしくお願いします。
昨年秋に兄を突然亡くしました。今年は兄の一周忌があるのですが、実家は遠方にあり、コロナ禍で高齢の父母がいるため、実家での一周忌の参加を断念することにしました。 命日にはそれぞれ自宅でお経を読んで故人を偲ぼうということになりましたが、兄には私が住む地方に来るたびに訪れる寺院がありました。実家の宗派とは異なるのですが、兄が大切に思っていた寺院で、生前は私や甥のためにお守りをよく買ってきてくれました。 できれば、その寺院で個人的にお経をあげてもらえないだろうかと思っているのですが、宗派も違うためどのようにお願いしたら良いかわかりません。また、その寺院は鬼子母神を祀っており、普段は御祈祷など行なっているようなので、このような個人的で小規模が供養をしてもらえるかわかりません。 無理して、お願いせず自宅で偲んだ方が良いでしょうか。仏事に疎く、ぜひお教えいただきたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
よろしくお願いいたします。 3か月前に愛犬を亡くしました。 毎月合同供養をしていただけるというお寺で火葬をしていただきましたが、お骨は連れて帰ってきました。 今は自宅のいつもの場所にいます。 今度お位牌を作ろうと思っているのですが、火葬して頂いたお寺とお位牌を作った時に開眼供養をしてくださるお寺は宗教が違います。 宗教が違っても問題ないでしょうか? 問題なければ 早くお位牌を作ってあげたいと思います。 私自身は信仰している宗教はありません。 よろしくお願いいたします。
こんばんは。 お坊様の着る衣装ってどうなっているのか、画像を検索したりしてるんですが、私が思うほど単純じゃ無さそうで細かいところがよくわかりません。 ひょっとして宗派によってデザインが違うんでしょうか? お坊様の好みで選んだりもするのでしょうか? 何種類ぐらいあるんでしょうか? 着るのもきっと難しいんでしょうね。
私は過去に父親からひどい虐待を受けて育ちました。その影響もあり精神疾患を持っています。 今は両親は離婚し虐待からは解放されましたが、過去のことが今も私を苦しめます。 毎日死にたいという気持ちがあり悩んでいます。 そんな気持ちから解放されたくて、最近尼僧侶に興味を抱きました。 尼僧侶になり神に支え修行すれば、過去のしがらみからも解放され、私らしく生きられるのでしょうか? 私は結婚をしていますが、出家しますと、もう家族とは会えないのでしょうか。 出家してから子供を持つことはいけないことでしょうか。 宗派を決める決め手はなんでしょうか。 教えていただきたいです。
将来は仏門に入りたいと考えています。 数年後には大学で学ぶ決心もしました。 しかし出身地が遠方であるためお寺とご縁を結ぶのが難しいと感じています。 現在の住まいの近くで実家と同じ宗派のお寺を探し、菩提寺とするのは可能でしょうか? またどういった方法でお寺を探せばよいのでしょうか?
数ヶ月前に父が亡くなり、納骨も無事済みました。 私はお仏壇のある実家ではなく遠方に住んでいるため、自宅に父の写真を置いて、お花を飾り毎朝お水とお線香をあげています。 このお線香をあげて手を合わせる時、心の中で何と言うのが正しいのでしょうか? 家族を見守っていてほしい気持ちもありますが、父がもうどこも痛くも辛くもなく、ただただ安らかに穏やかにいてほしいというのが一番の願いです。 何をするのが、亡くなった人にとって一番嬉しいのでしょうか? また今回のお葬式で、恥ずかしながら初めて自身の家の宗派を知り、住まいの近くに同じ宗派のお寺があったため、月に一度父をよろしくお願いしますとご挨拶をしに行っています。 この行為は失礼にはあたりませんか? 何か意味があるのかは自分では分からないまま、どうしても参拝に行きたくなってしまいます。 教えていただけますと幸いです。
私の家は曹洞宗なのですが 真言がとても良い先祖供養の言葉だと聞きました、 宗派が違くても唱えてしまってよろしいのでしょうか?
祖父の葬儀の時に「死後の世界はこうなっています」と何層かになっている図の説明を受けました。 仏教に限らず死後の世界、天国地獄も含めて「あることは知っているでしょ」からはじまることが多く、「なんでだれも見たことないのにあるということになっているのか」が解りません。 さらに私の認識では例えば仏教はゴーダマシッタルーダが釈迦のペンネームで小説を書いてそれを各宗派の開祖が読んで読書感想文を広めた、というイメージなのです。そう考えないと宗派毎の教典の違いや祭事の違いなど差が出てくることが理解できません。 宗教が絶対のもので揺るぎがないものであれば解釈が変わったり宗派が分かれたりするものではない。会派が別れたり解釈が変わるのは不完全な創作物である証かと思います。広めるために土着信仰と結びつくなどその尤もたるところです。 かなり偏った意見になっているのですが「こういうことになっている」だけで「なぜそういうことになっているのか」「それが間違いない検証は取れているのか」を説明しているものがあれば教えていただきたいと思います。 化学実験でいえば「再現性」、こうすればこうなる、というものです。それがなければ「どうなるか解らないのに信仰するの?」となってしまいます。 また、どうしても論理的に根拠がしっかりしているものでないと認められない性格なのですが、「いやいや宗教というのはそういうものじゃないんだよ」というのがあれば教えていただけないでしょうか。