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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 死にたい」
検索結果: 9984件

親の期待(結婚、孫)に応えられず許せない

30歳です。孫どころか結婚とも程遠いです。婚活しお付き合いもしてみましたが、相手を大事にできず、結局ダメになりました。人間関係が上手く行かない時はどちらか片方だけの問題ではないとは言いますが、9:1くらいで自分が原因だったと思います。これまでの人生、友情・愛情を問わず、本当の意味で赤の他人を好きになったことがありません。周りにも私の心の冷たさが伝わるのでしょう、昔から付き合いが続いている友人なども居ません。我ながら可哀想な人間です、他人に何も与えられない人間なのですから。周りからも「あなたは他人に興味がないね」等と言われる始末。人を好きになるという当たり前のことが出来ない欠陥人間だと言われた気がします(そしてそれは限りなく事実…)。 以上の事から私は誰かと人生を共にする資格などありません。 私が生きている以上、両親は少なからず私がごく普通の女性が辿る幸せな人生を歩むことを期待するでしょう。しかし期待するほど、私がそのポジションとは程遠い場所にいる事実にどんどん失望が積もっていくでしょうし、少しずつ長い時間かけて、非積極的なやり方で私は両親を悲しませているのです。 では逆に私が自殺なり事故に遭うなり死んでしまえば?両親は瞬間的には悲しみのどん底に突き落とされると思いますが、時間と共にその傷も癒え、結婚や孫の期待など持つ必要もなくなり、周りの同年代の孫自慢などの話を聞いても我が娘と比べる余地もなく「死んだのだから仕方がない、生きていたなら今頃もしかしたらね」くらいの気持ちになれるのではないかと。 馬鹿馬鹿しい考えとは分かりつつも、もはや無為に生き続けてジワジワ失望を与え続けるより、全てに諦めのつく「死」を選んでしまったほうが、長期的には良いのではないか?等と半ば本気で考えてしまいます。甘えですが。 私は決して積極的に死にたいと思っているわけではなく、突然コロッと死ねたらいいなくらいの消極的な気持ちです。同年代の人達にコンプレックスを抱かないこともありませんし、私自身子どもは欲しいと思うのですが、その前段階として人を愛することができない以上子を持つ資格も当然ないでしょう。里帰りをして親の顔を見るたびに、年々「こんな子供でこめんなさい」と思う頻度が増え、会うのも辛いです。 この苦しさから解放されるために私にできることは何でしょうか。人生の先輩方からのアドバイスお願いします。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

自分にとって、とても有難い存在です。

辛いことが、たくさんあって、独りで、泣いて生きてきました。 辛さに耐えられず、死のうとして、夜に高い場所に行った事もあります。 (お巡りさんに見つかり怒られました。) 無意識に呼吸をしないときもあります。 私は、どうして生きているのか。悩んでいました。 ある日、テレビで、お坊さんの本を紹介していたので、人は苦手ですが(苦手過ぎて震えます)、お坊さんだけは、何故か平気だったので、本に載ってたお坊さんに会いに行き話を聞いてもらいました。 SNSで、知り合ったお坊さんにも、直接会い、色々相談させてもらい、励まされ、応援してもらい、世の中には、こんなに優しくて、親切な人がいるんだなと思いました。 独りで、立ち上がれずにいた時に、生きる力を、心の安心をもらえました。 感謝してもしきれないほど、救われました。 今でも、私のほしい言葉をくれます。 めぐり逢えて本当によかった。 生きていてよかった。 生かされてきてよかった。 そう思いました。 大好きな存在になりました。 心の支えになってくれる存在(私が勝手に支えにしてます。)がいると、精神的に強くなれた気がします。 優しくしてもらった分、 お坊さんのように、私も微力ながら、人に優しくできるよう、役にたてないか模索中です。 子供の頃からですが、私の中で、何故こんなにお坊さんが、特別なのか良い存在になってるのか?わかりません(´・ω・`) 気付いたら、安心安全な存在になっていました。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1
2025/03/15

この世界の残酷さが苦しい

この世界に本当に仏様の慈悲があるのなら、どうして世界中の残酷な営みが今も続けられていて、全ての生命の恒久的平和が保証されないのでしょうか。 結局、生き物として生まれてしまった以上は飢餓や戦争、弱肉強食の世界に放り込まれるのが殆どで、私のように平和で衛生的な生活ができるのは一握りです。いつかはこれをお返ししなければならないのは良いのですが、この世界の苦しみを肩代わりするのは恐ろしくて嫌だと思ってしまいます。奪い合いでしか存在を保てない物質世界にもう産まれたくないのですが、世界中の残酷な営みは止まらずこれからもっと加速するだろうことを考えれば考えるほど、この世界には神も仏もおらず、ただこの地球が無くなるまで残酷な営みから逃れられない無限地獄でしかないと感じて苦しくなります。 どうしてお釈迦様はこの世界を肯定できたのでしょうか。人間でなくとも、野生動物の過酷な弱肉強食、遡れば隕石による避け難い絶滅。それなのに生き物はまだ生きることを選んでしまっている。私もまだ、「今死ねば絶対に御浄土に行くことができる」と誘われても少し躊躇してしまいます。だから私は御浄土には行けない。それもまた苦しい。 自分の生活に集中しようとしても、希望を持とうとしても、それが容赦なく砕かれることもあると知っている以上、難しいです。災害や戦争、犯罪によって無慈悲に未来を奪われた人達の中には、私なんかよりもずっと賢くて清らかな人だっていた筈です。安心して生きられるかどうか、命を全うできるかどうかなんてどこに生まれるかの運でしかない。宗教とは、物質的な苦痛に耐えきれない人間が頭の中で作り出したものに過ぎません。私も本当はお浄土の存在を信じたい。けれど「もしお浄土があるのなら、もし本当に神仏の救いがあるのなら、どうして世界は今も残酷なままであり続ける?」と思うと信じることができません。破滅的なものばかりが真実のように思えてしまいます。 私はただ、安心して生きていたい。誰からも傷つけられず、災害や戦争に巻き込まれず、死んだらちゃんと安らかな場所に導かれる。そういう「確固たる」保証が欲しいだけなのです。ですが今の世界では、残酷な中に放り込まれる確率の方が極めて高く、人間の行き詰まり感からしてこれからの世界はより残酷な弱肉強食の世界になるでしょう。次に生まれるときは、ひたすらに残酷な環境の中なのでしょう。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2
2025/04/30

生まれてこやきゃよかった

hasunoha様、いつもお世話になっております。 転職しましたが、ニュースで新卒社員の給料が高いと知り、「生まれた時代を間違えた」と感じます。東京に家があり、裕福な親を持つ人が心底うらやましいです。そういう人たちは家族仲も良いのだろうと思うと、「生まれた家も間違えた」と思います。そもそも産んでくれと頼んだわけではありません。よく漫画などで、あの夫婦の子どもに生まれるんだ!と子どもが選択するとありますが、気持ち悪すぎるて…。言葉は悪いですが生き地獄のクソ実家に生まれるより、生まれない方がよかったと何度も考えます。 4月分の家賃はまだ払えず、行政の福祉も当てにならないので、死んだほうがマシかと考えることがあります。実家に戻ればいいじゃない、とかの声もありそうですが、生き地獄から逃れるために越してきたので戻れないのもあります(あと、ずっと生活していた祖母宅がいつの間にか取り壊しされていて、帰省とかもできないですね) 生きていてごめんなさい。神様仏様はまことに不公平。人間界が修行や罰と言うけれど、家庭が裕福な人には修行でもなんでもないよ。祈りとか祈祷も意味はないと思う。神様仏様は助けてくれないもの。

有り難し有り難し 20
回答数回答 3