お世話になります。 夫が亡くなって、初めてのお盆。 まだ気持ちのきりかえも整理もできないまま… まだ未だ、仏壇の前に手を合わせれない自分…遺影に向かって話しかけれない自分がいます。 提灯など、飾る事になってる風習ですが… うまく準備ができません。 あまり、きちんと飾りたくない自分がいます。 でも、光を灯してあげないと、亡き人は来てくれませんよね? そもそも、夫がちゃんと成仏できてるのかもわかりません。日頃からも、線香の匂いが一瞬したり、花のちょっと妙な匂いがしたり、今までに嗅いだことがない匂いがしたり… どれもこれも一瞬です。 やはり、私がくよくよしたり、日頃からお線香をあげなかったり、南無阿弥陀ととなえなかったりしてるからでしょうか。 夫の死が普通と違うので、なんとも言えない気持ちのまま時が経ってます。 長くなりましたが… 初盆、日頃から亡き人は、家族を見守ってくれてたりするし、近くにきてくれてたりするのですよね? なのに初盆になったら、帰ってこられるから.とはどういう事なのでしょうか? もし成仏してなくて、後悔のあまり、常にウロウロしていたらどうなるのでしょうか? 初盆になって、あれこれと、準備をしないといけないのは何故ですか? また15日のお帰りの意味とは… 初盆にかかわらず、常に、ここにいてほしいし、15日のお帰りもないでほしいです。
こんにちは。いつも楽しく・癒されながら拝読しています。 先日、お彼岸という事で、久しぶりに祖父と祖母のお骨があるお墓にお墓参りに行ってきました。 祖父母のことは大好きで、亡くなって7年くらいたつ今でも家族団欒の席で祖父母の話が持ち上がります。 仕事が忙しくてなかなかお墓参りに行く機会は作れないのですが、お墓の前で手を合わせれば、「おじいちゃん、おばあちゃん、家ではこんなことがあったんだよ」とか、たまには「お母さんがお父さんの所為で滅茶苦茶ふてくされているのでどうにかしてください」とか願ってみたりします。なかなか無茶ぶりをしているかなと自分で思ったりもします(笑) さて、そんなお墓参りですが、このサイトや他のサイトを見ていて、ふと疑問が浮かびました。 宗派によっても異なるのかもしれませんが、亡くなってすぐ、(少なくとも祖父母の場合の7年より前には)ご先祖様は生まれ変わってしまって、もう元々の家族のことは忘れて違う人生を歩んでいるものだという考え方があるのを知りました。 それでは、お墓にいって何かを報告しても、報告しているつもりの相手はそこにいないのでは?と思うのですが、当然一方通行なのでしょうか? それに、私はお盆やお彼岸の機会でもお墓にお参りに行けない時は、せめて仏壇に手を合わせるのですが、その場合仏さまは仏壇とお墓を生きている人が手を合わせる都合に合わせて瞬間移動しなくてはならないのでは…!? 是非その仕組みがどうなっているか教えてください!
はじめまして。仏像彫刻を習っているヨソと申します。 仏像に対して疑問があり、悶々とした日々です。①②③と質問を書きましたので、お答えいただけたら幸いです。 ①お釈迦さまは偶像崇拝と呪文(お経)を唱えることを良しとしなかったと見たことがあるのですが、それは本当でしょうか。 それが本当であれば、お釈迦さまの嫌がることを積極的にやってることを、どのように肯定してきたのでしょうか。 ②お釈迦さまは実在されていますが、多くの仏は、人々の願いや願望から生まれたという認識でいます。インドや中国や日本に伝わる過程で他の神様と混ざったり意味合いが変わったり、そうして生まれた仏をどういう気持ちで信仰したらいいのかがわからず、教えていただきたいです。今は丸ごと受け入れることに抵抗があります。 ③地元では高名な仏師(兼ご住職)に彫刻を習っていました。片付けの苦手な先生でしたが、ある時先生の作品展を開催するにあたり、ゴミの山の中から見つけて展示した作品に、来場者が手を合わせお布施をされていました。 仏は仏像ではなく祈る者の心に宿る言われますが、ショックを受けた場面でした。 仏像とはどういう存在だとお考えでしょうか? 浅識な上に不勉強なもので、見当違いなことばかり言っているかもしれませんが、このモヤモヤに自分の答えを見出したいと思っています。 どうか宜しくお願いします。
父が亡くなって一か月です。 不器用だったけど優しくて、大好きな父です。 もういないと考えると寂しくて悲しくてたまらなくなります。 毎日のように骨壺をあけて骨を触ってしまいます。 いなくなったのを納得したい気持ちと、父がいたことを少しでも覚えておきたい気持ちで触ってしまいます。 もう少ししたら納骨することになります。 そしたらもう触れないと思うと、寂しいです。 でも母や兄たちには言えません。 家族みんな寂しい気持ちを乗り越えようとしてるのは同じだとわかるから。 でも、寂しい。 誰でも大切なひとを亡くす経験をすると思いますが、どうやって気持ちに折り合いをつけているのでしょう。 悩んだときにいつも話を聞いてくれたのは父でした。 父に会いたくてたまりません。
ハスノハ書籍本をリビングに置いてます。子ども達と何気ない会話の中でハスノハの本を見ながら自分だったらどんな質問するかな?こんな下世話な事をワザワザ質問してもいいのかなぁ?と呟いてる子どもがいて 「仏様ってB型っぽいね」…すみません。あまりにもショーもない子どもの質問に お坊さまなら、なんと回答してくださるかなと思ってしまいました。大学受験を控え、日本史や倫理の教科書を毎夜✏一所懸命と励んでるのだから、たまには柔らかい?こんな質問にも付き合ってあげようと「AB型っぽくない?」とだけ答えておきました。日本人は血液型に拘りすぎてると言われるけどタイプ的に括りは、なんとなくアルアル血液型…と思う場面もありそういえば、あたしが通っている坐禅の仲間はO型がやたらに多いんですお坊さまはお話しする方3人とも…B型なのです。 たまたまなのですが、、、最後に子どもが仏様は血より濃い違うものが身体に流れてるんじゃない?…と あまりにショーもない質問となりました。こんなですが仏教系大学を一般入試する子どもに幸あれ!です (/-\*) ハスノハで親子の会話を楽しみつつもっと深く話せるようでありたいなとなりました。 質問者:男性18歳…呟き
うちの菩提寺は京都の浄土宗のお寺です。 毎年、彼岸会の葉書に「施餓鬼料金 一霊5000円」と書かれたものが送られて来ます。 霊魂を否定する仏教において「一霊」とは何ですか?
お盆中の、お忙しい中、失礼致します。 菩提寺に永代供養塔(永代供養墓)がありません。 もし、建てるとしたら、 ピンキリだと言われてしまうかも知れませんが、 平均的に、いくら位で造ることができますか? 自分に少しでも、できる事があればと思っています。
昨年祖母が亡くなりました。 葬儀は密葬で行い、お寺を通さなかったので祖父や曾祖父母が入っているお墓に納骨しておりません。 当方は結婚して実家を出ている為、このお墓に今後入る予定はないのですが実の両親はこのお墓に入りたくないので祖母のお骨も入れていません。 両親がこのお墓に入りたくない理由としては祖父が他界した時(約20年前)このお寺から戒名代もかなりな高額で、その時の住職さんやお寺関係者の態度も傲慢だったのが父には我慢出来なかったそうです。 その後、事あるごとに実家にとって高額なお布施やとうば代を要求するお寺のやり方についていけないのもあり、お寺の方針を受け入れられないのです。 その為両親はお寺に不満が溜まり、祖母と話し合った結果、祖母のお骨は手元に置いておくという約束を生前の祖母としたみたいです。(当方は祖母から実際にこの話を聞いていないので両親が本音で話しているかは不明ですが…) しかしこの決断を受け入れられない叔父や親戚から「祖母をきちんとお墓に入れるべき・お金の問題ではない・祖母が可哀想」と言ってきます。 父は断固として叔父や親戚の意見を受け入れずにいます。 私は嫁に出た立場なので何も言えませんが、故人のお骨で家族や親戚がいざこざ起こすのは祖母が一番悲しむと思います。 私は今後どのようにしたら良いでしょうか? 私は祖母の意思を尊重してあげたいとも思うし、交友があった親戚が祖母をお参りしたい気持ちも分かります。 ただ喪主である父の意思が固すぎるので何を言っても父は受け入れてくれません。