2023/08/21亡き娘への自責と後悔が払しょくできません
以前に一度相談させて頂いております。
娘が病気で亡くなったことは運命であったと理解しており、辛さ、悲しさは日々増しますが残された高齢の父を看取ることが私の使命と思っています。
そのような日々の中、私の中でどうしても払しょくできない自責と後悔の念があります。
娘の病気が発覚した当初から私の役目は娘が最後の最後まで楽しく前向きに生きれるようにする事だと考えていました。最初に主治医にお願いしたことは、『娘との最後の会話は「今日はゆっくり休もうね。明日になったら元気になるからね。お天気だったら公園に行こうね。」と言って見送りたい』でした。
闘病中は病気の重篤さを悟られないように、治るんだと思えるように、私なりに努力しました。
しかし肺に転移した腫瘍が増悪し、最後の3日は病院で鎮静が必要な状態でした。娘は仰向けになる事ができず、ベッド上のテーブルに突っ伏して半分寝て半分起きているような状態で右に左にふらふらして本当に辛そうでした。
この時点で鎮静を多くして娘の苦痛を取り除いてもらうべきだったのですが、こんな状態でもまだ私は娘の死が間近であると認識していませんでした。
ふと、トイレに行くのは苦しくなるのでオムツにしてもらわなければ、と気づき、看護師さんにお願いしようと思った矢先に娘が「おしっこしちゃった」と息も絶え絶えに訴えました。私は「やってしまった。最後に失敗してしまった」と思いました。苦しい思いは絶対にさせまいと誓って頑張ってきたのに。
娘を私に寄りかからせて看護師さんにパジャマをハサミで切ってもらい何とか着替えさせました。すると娘が「もう死にたい」と私の耳元で一言いったのです。10歳にも満たない娘に「死にたい」と言わせてしまった。最後の最後で私が気付くのが遅れて苦しい思いをさせてしまった。すぐに鎮静を多くしてもらい、娘はやっと仰向けになって眠れるようになりました。その後目を覚ますことはなく、翌朝早くに亡くなりました。
病院側から残り僅かであると一言あればもっと早くに苦痛を取り除いてあげられたのに、とも思いますが、最後まで意思の疎通をさせてあげたいという善意だったと理解しています。気づかなかった親の私の責任です。
楽しくお浄土にいると言われても、この世の最後の言葉が「もう死にたい」であった幼い娘の気持ちを考えると、自分自身がどうしてよいか分かりません。
有り難し 29
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