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問答一覧

父の生活

今回は父の事で相談させていただきます。 父は70歳、退職し10年程経ちます。 父の生活はというと家族の中で1番遅く起き、朝食が出来るまで自室にいます。朝食後は洗濯を干し、終わるとお菓子を食べ、昼食が出来るまでわけもなくリビングと自室を行き来。 昼食後は昼寝をしTVでゴルフや将棋、相撲のスポーツ番組を観ます。それが夕食が出来るまでずっとです。好きな番組がない時は自室に行き、何の役にも立たない計算やTVで言っていた事をそのまま書くということをしています。得た知識を書くわけではないのでただの落書きです。 夕食後はTVを観ながら夕寝をします。夕寝が終わるとお風呂に入り1番先に就寝します。 退職したら料理学校へ通うと言っていたのに学校どころか手伝ってと言っても手伝おうともしません。TVの前に座りっぱなしです。 ほとんど外出もしないのではっきり言って時代遅れで知らない事ばかりです。 自分から習い事を見つけたり運動したりと「自分から」というのが一切なく、こちらが「ボランティアやパソコン教室はどう?」とチラシを置いてみても見向きもしません。将棋番組が好きなので「将棋の出来る所に行ってみたら?」と言ってもダメ。本を見て勉強するなんてとんでもない。押し入れにしまってあった将棋セットを出してあげましたがそれには手をつけずとにかくTVしか興味なし。 無気力という言葉がぴったりです。 私は、生きているのだから少しは外に目を向けて欲しいのです。この生活について親子で何度も言い争いをしました。父は何もしなければそのまま死ねると思っているらしく、この間「俺はこのまま後2、3年で死ぬから」と発言し人生を放棄するような発言をし、私は怒りました。(父は家族の中で1番健康です。)私は持病がありますので生きる事に関しては敏感です。日々勉強したり、出かけたりとありふれた日常にとても感謝して過ごしています。 だらだらすることは悪いとは思いません。休息は必要です。でもメリハリをつけた方が良いと思うのです。父の生き方ですから、口出しする事ではないと言われてしまえばそれまでですが、一緒に暮らしているとどうしても目につきますし、家族だから何とか理解しようと思いますがどうしても理解出来そうにありません。 アドバイスいただけると嬉しいです。

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霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

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法華経が好きなのにお念仏

私が仏教に興味を持ったのは、ある落語家兼尼さんの著書で仏教と法華経の解説を読んだからです。 私はそれまで大乗非仏説を支持していたのですが、この方の著書を読んで考えが180度変わりました。 ところが、私は不思議とお題目を唱える気にはなりませんでした。天台宗で法華経が顕教だけではなく、密教の経典としても扱われていることを知り、すぐにご真言に興味を持ちました。 ある時、法華経に「一称南無仏 皆已成仏道」と書いてあるのを知り、私はこれをお念仏の教えと解釈し、今度はお念仏に興味を持ちました。 大無量寿経を読むと、お釈迦様が「私が死んでも阿弥陀如来に関する教えがなくなることはない」というようなことをおっしゃっていて、お釈迦様の最後の教えである法華経とも矛盾しておらず、何だか嬉しくなりました。 しかも私は統合失調症という精神病を、軽くですが患っておりまして、「厳しい修行やなんやかんやは無理やけど、阿弥陀さまを信じてお念仏を唱えるだけでいいなんて、なんと大きなお慈悲なんだろう!」ととても感激いたしました。 更に、法華経で「法華経の説く清浄な意根を持っていれば、他の宗教や信条を信じていてもお釈迦様の教えに通じている」と説かれていることから、大乗仏教の裾野の広さ、寛容さを実感し、「みんなで幸せになれる!」とまたまた嬉しくなりました。 長くなりましたが、これって「阿弥陀さまに仏縁をいただいた」と認識しても問題ないですかね? 法華経の解釈とかあくまで自分の解釈なので、勝手な思いあがりかと思い少し心配になりました。

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他大学へ行くか、このまま続けるべきか迷っています。

理系の大学に在学中です。 わたしは今年の夏頃、ストレスが溜まりすぎてしまったためにうつ病で半年間休学しました。 人間関係が上手くいかず、誰にも相談できずに空回りばっかりしてしまい、ストレスが溜まっていきました。 しかし、早く復帰しなければという思いと、半年間なにもせずに過ごしていることも考えすぎてしまって良くないのではという思いから焦って復学してしまい、同じような状態に戻りかけています。 学校では、グループの中にはいるのですが、友だちがいないため、自分は1人なのだと確認をしに行っているような毎日を送っています。 そこで、これではいけないと思い、新しい環境で再出発しよう!と他大学を受験することを考え始めました。 今勉強しているものは続けたいので、同じ学科の1年生から始めようと思っています。 両親からも今期の単位をとることを条件に了承を得られ、受験勉強を始めたのですが、自分の頭の中で解決していないようで、思い悩み、学校も休んでしまいます。 (新しい学校でも上手くいかないのではないか、同じ学科では就職するときに悪い方向に働くのではないか、、などです。他にも意識していないことがあるのかもしれません。) 文章が下手なので、状況を長々と書いてしまい申し訳ありません。 回答よろしくお願い致します。

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前向きに気持ちの整理をつけるには

何度かこちらでご相談させて頂き、アドバイスをもらいました。 いろいろあって…心も折れ、気力も無くなりました。 今現在は "死にたい" とまでは思っていませんが、今日まで様々な事かありました。 本当に大変なのは、これからです。 血の繋がった家族の協力は一切なく、私一人で立ち向かい、辛い気持ちも吐き出せず、自分なりに一生懸命に頑張ってきました。 私は突然、巻き込まれた立場でしたので心のどこかで、 "自分の人生このままで良いのだろうか、違う道を選んでも良いのではないだろうか" と思う自分もいて、どこか腑に落ちない思いをずっと抱えてきました。 本当に疲れました。 家庭環境に問題ありなので、自分の本当の気持ちを話せる家族もなく、ちゃんとした会話ができない環境に苦しむ毎日です。 私の結婚後の人生は、環境的に苦労や苦しみが絶えない生活でした。 仕事をしていても、家族のために自分を犠牲にしてきました。 何故、私ばかりがこんなに苦しまなければならないんでしょうか。 そういう運命だったならば、恨みたくもなります。 今まで散々、唯一自分だけが家族のために動いても、何故、私が悪い人にならなければいけないんですか? こんな環境で、心が病みます。 人のせいにも、したくなります。 不運によって、とばっちりも受けました。 私はそんなに悪い人間なんでしょうか。 もう、ネガティブにしか物事を考えられなくなりました。

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夫がわからなくなりました

前回、嫁姑関係の事で、こちらにお世話になりました。 その節は、ありがとうございます。 心のつかえが取れ、前向きになりました。 今回またご相談させていただきたく、こちらに書き込みさせてもらいます。 前回の悩みと関係があり、夫との今後の生活が見えなくなりそうです。 私は結婚して13年目になります。 結婚してすぐに家を購入し、その際に地元でご祈祷していただいたのですが、そのお札を義母が見つけたのをきっかけに、お札の事、私の両親のこと、結婚式の事など、すべて好き勝手に進めた事が気に食わなかったようで、電話越しに言われました。私もまだ若かった事もあり、義母から今まで言われた嫌味などが辛かった事を伝えました。口答えしたした私を義母は許さず、私が泣きながらこれを機に本当の親子のようになりたいと懇願しても、聞き入れず、それから今日まで会っていません。 夫は一人息子で、私と義母の喧嘩で辛いはずなのに、私の味方になってくれました。子宝に恵まれず、辛い時期もありましたが、夫が私の味方についてくれた事が何よりも私の励みであり、ここまで二人の生活を続けていけるものでした。 しかし義母と喧嘩してから10年が過ぎ、年老いたせいもあってか、主人だけが実家に帰る機会が増え、心境の変化があったのか、突然両親を家に連れてくると言い出しました。 私は喧嘩してからの長い期間、自問自答しながら、いろいろな思いがあります。 私にも生意気なところがあったのも事実、でも義母の言動に人として許せない部分もあったりで、心が定まっておりませんでした。そこで突然の訪問。 主人にどのような顔で会えばいいのか、訪ねてみたところ、「普通にしてればいい」の一言。 あまりにも短絡的な一言に腹が立ち、ぐじぐじと詰め寄ってしまいました。 すると「親に謝らせたいの?謝りたいの?」と冷たく言われました。 私は今日まで、義母との確執を主人と共に苦しみ、共存していたつもりでした。しかし、主人は単なる親子ゲンカのように、いつまでも根に持っている私を責めました。 このことで信頼していた気持ちが一気に崩れ落ち、これからの夫婦生活にすっかり自身が持てなくなりました。 心持ちなどアドバイスがあれば、お力添えお願いいたします。 長文、失礼致しました。

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