衒学のすすめ
最近、衒学というものに酷く悩まされています。骨身に染みた知識を知らぬまにひけらかしては悦に入る自身に度々懸念を感じているのです。
日常で見聞きすることを辞書で調べて深めたり、違う概念と結びつけるのは実に楽しいです。様々な食事を味わって食べたり、他の物と食べ合わせる快感に似ています。
ただ、それを欲しているかどうかも分からない他人の前でやるのはちょっとお節介が過ぎるのではないかと思うのです。まるで満腹の方に酒池肉林を叩きつけるような傲慢を感じます。
他方、知識の追求を止めるのもこれはこれで厄介です。味のない会話や食事はお節介以前に誰にも好かれません。
かくして、啓蒙の皮を被った衒学が今自分の中でふんぞり返っています。
自身では知識は有れば有るだけ善い(無いのが罪と言うわけではなくあったら生き方が面白くなるにすぎない)と思ってても、側から見れば知識に酔いしれていると見なされるのが世俗です。故に、啓蒙をなるべく自身の中で完結させられるようにしたいのです。
そんなこんなで、衒学というものの手綱の握り方を知りたいです。少々でも愚かに振る舞うことができれば、処世には困らないかと思っています。
あとこれはただの願望ですが、必殺仕置人みたいに昼行灯でも有事の際にいぶし銀の活躍ができる人にちょっと憧れています。
いたずらに知識をぶちまけて人を振り回すのではなく、大事な時に知恵のスパイスをちょっと振りまいて背中を押してあげられる人になりたいです。
有り難し 10
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