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hasunoha 問答検索結果 : 「実家 いない 心配」
検索結果: 1650件

自信が無い

こんにちは 久しぶりに質問します。 月末に今お付き合いしている彼の実家に嫁ぐことが決まっています。 日本の端と端と言っていいほどの距離に嫁ぐのですが、そこは気にしていません。 が、私は生まれつき恵まれた環境で育っていません。 物心つく頃には両親が不仲 精神的虐待 父親は物心ついた頃には不倫 離婚後は母方の祖母、伯父から精神的虐待は続いてました。 1度目の結婚では嫁姑問題 モラハラ、不倫されていました 不倫の原因は妊娠中に入院した時で 私が不在だったからということです 幸せな家庭をドラマの中のものしか知らない そんな私がうまいことやっていけるのか 自信が無いです。 彼の実家に10日ほどお泊まりした時は 期間限定もあり仲良く、楽しくさせていただきました。 精神的虐待は 姉妹で差別を受ける事でした。 長男教の家庭だったので、次女の私は扱いがぞんざいで、父親も姉だけは引き取ろう、養育費払うという感じで 私は給食費未納、学費すらも払って貰えませんでした。 小学校の時から殆どが滞納児童でした。 再婚してうまくいかなければ 今までの苦労は私の責任だったんだと諦めもつくんですが 実家が無くなり、もう帰るとこもありません。 諦めたとこで、子供に苦労させたくないです 今事実婚状態でとても円滑に幸せに暮らしています。 だからこそとても怖いです。

有り難し有り難し 5
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お墓がない

主人の父は、気が小さく心配症なのか、自分以外の人を信用できないようで、大変気難しい人なんです。 その、義父のおかげで、現在、9年前に他界した義母のお墓はいまだなく、遺骨は主人の実家の『仏壇』という箱の中に保管されています。 『仏壇という箱』とは、どういうことかというと、仏壇に魂入れをしていないのです。 火葬が無事終わり、初七日は義父が大々的な法要にせず、義父だけで静かに済ませ四十九日までに仏壇もきちんと納めていただき、親せきらにも来ていただいて法要をしたいということでしたので、主人はじめ、主人の兄家族らも、義父の意向に従うことにしました。 ところが、四十九日になっても、法要の連絡もこないので、いつするのか聞いてみたところ、お坊さんはもう呼ばず、自分ら家族だけで集まって供養しようと言い出したのです。 よくよく聞いてみると、初七日の法要に来ていただいたお坊さんから、早く仏壇を買うように勧められ、仏壇屋さんまで斡旋してきたとのこと。 義父は、それがどうも気に入らなかったようで、『マージンをもらってるからと商売の話ばかりをする』と完全に、お坊さんをシャットアウトしてしまい、四十九日も来てくれるなと言って追い返したようなのです。 なかなか限られた文字数で説明するにはあまりに難しいのですが、とにかく義父は一度シャットアウトしてしまうと、だれが何を言おうと聞く耳を持たないどころか、説得しようとする人までも悪者にしシャットアウトしてしまいます。 現に、そのころの義父は、何度電話しても電話にでないし、連絡がつかないから直接実家に行ってみても居留守を使うという状況でした。 三男の主人には一番、心を許していたようなので、私が主人に説得するように言ったのですが、主人は、説得や意見することで自分までもお父さんの敵になってしまったらパイプ役がいなくなるから、義父の話を聞くだけで説得などはしません。 そのため、当初、亡くなって2年は手元においておいてその後はいいお墓を探して納骨すると言っていたのが未だされてません。 私たちでお墓を作れればいいのですが、正直、いつかは!という思いはあっても、今現在、このご時世、自分たちの生活で精一杯で、お墓を購入する余力がありません。 やはり、お墓がなければ、義母は成仏できませんか? 義母を偲ぶだけでは供養になりませんか?

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「死にたい」という言葉に囚われています

本当に死にたいわけではないのに、何に対しても「死にたい」って思ってしまいます。 例えば後悔した記憶や恥ずかしかった記憶を思い返しては「なんであんなことをしたんだろう死にたい、死ねばいいのに」って考えてしまったり、楽しい事があっても「私なんかが楽しんでいるなんて許されないから死にたい」と、そういう風に考えたり口に出す癖みたいなものが昔からあるのですがここ数年それがとても酷くなってきて、どうしたらいいのかわからずにいます。 酷くなった引き金は、生きがいだった愛猫が病気で亡くなってしまい、再就職に失敗したからです。現状実家暮らしのフリーターな事もあり自分への失望感や負い目が酷く他人との関わりも極力避けるようになりました。 自分が落ち込んだり悲しんでいると心配してくれる家族がいます。楽しいと感じることも嬉しいと感じることもこれからやりたいこともあったと思います。 でもすべてが「死にたい」という言葉に直結してしまって、酷い息苦しさと八方ふさがりのような、生きにくさみたいなものに囚われています。死以外に道はないぞと自分自身で言いきかせているようで怖いです。 どうしたらこのような気持ちに囚われず前向きに生きていけるのでしょうか。ご意見聞かせて頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 26
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