浄土真宗です。 昨年10月に母が亡くなりました。 母は実家で一人暮らしだったのですが仏壇があります。過去帳には6年前に亡くなった父がおります。 私の家からは車で15分ほどの距離ですが毎日、朝晩通ってご供養させていただくのは難しいため簡易的ではありますが生前の母の希望もあり自宅に父と母がのってる過去帳を祀っております。 遠方に兄がいますが兄も母の希望を尊重してくれています。 本来なら実家の仏壇仕舞いをした方がいいのでしょうが来年までには私と主人で実家に引越す予定なのでそれも出来ない状態です。 母の49日の法要も実家の仏壇でさせもらいました。また初盆も一周忌も実家でするつもりです。 ただその度に過去帳を自宅から実家に持ち運んでいること、毎日のお経も自宅から⚫⚫家の阿弥陀様と言わせて貰ってますが果たしてそれでよいのか、粗末にしているのではないか、と自信がありません。 週に1度は実家に行くのでその時は供花、お水、お経をあげさせていただいてます。 ですが今の状態でよいのかどうか自信がないためご相談させていただきました。 分かりづらい文章で申し訳ありませんがよろしくお願い致します。
実家の宗派と、嫁ぎ先の宗派が違う時の"数珠"についての悩みです。ちなみに、いくつか"宗派の違い"についての質問と回答は読ませていただきました。 実家が日蓮宗だったため、数珠が長く中指に通してつかうものを使ってきました。 夫の宗派での行事において、それを使ってもいいのか、別の一般的なものを用意したほうがいいのかお聞きしたいです。 余談ですが、宗派の違いについて私の中では、幼少期から朝晩お経を自ら読んでいたのもあり、実家の方の宗派は大切にしたいですし、とはいえ嫁ぎ先の宗派も大切にしたいところです。 実家では相手方の宗派関係なく(私からみて父母の宗派は違ってました)、全て日蓮宗で先祖供養をしていました。 自分が結婚した今、私はそこまでの強い覚悟はなく、実家の宗派(日蓮宗)の朝晩のお経は唱えておりませんし、夫方の先祖のについても関与はしておりません。 実家が両家の先祖を全てを背負ってるのをみて育ったので、自分も同じことが出来ない葛藤はあるのですが、嫁ぎ先には嫁ぎ先の生き様があるので無理強いするところでもないと思っている次第です。 答えが出ない気持ち悪さはありますが、宗派の違いを受け入れるって、これも一つの正解でありますでしょうか。 宜しくお願いします。
「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を 分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて 段階があります。 地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。 こちらの文章はとあるサイトの一文をコピーさせていただいてます。 https://biz.trans-suite.jp/20492 ←こちらのサイト様です と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか? 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。 不安です。 というか、どれだけいいことをしても無意味ってことですかね。 人に優しくしたり、色々あると思いますが・・。 自分の行くべき場所はもう決まってる訳ですから・・・ 生きてるのもしんどくなりますね。
いつもお世話になっております。もう、我慢の限界です。 道が一緒になりゃ固まられ、頭下げりゃガン飛ばされ、 知り合いにゃ私の悪口三昧。 地下回廊で道が一緒になって固まられた時は本当に鬼みたいな 顔で怖かったです。「どうぞ」と促したら頭下げて通って くれましたが。 ちょうど本尊とお嬢の間に私がいた時、それから、寒くて身体を 折った時にちょうど柱の陰からお飛び出してきて、ぶつかりそう だったので謝罪の意味も込めて笑顔で頭下げたら睨まれるし。 お経終わって皆さん帰って行く時、距離は置いているけど 直線上に私がいると睨んでくるし。 経卓や地下回廊の壁面に偶然ぶつかってしまい音を立てて しまった時など、2回も3回もチラチラ睨まれて! 親戚のおっさんに相談したら、「知らん奴が絡んでくるって 坊さんにチクれ。抑もそいつがなんの病気かもわからんだろ」 とのこと。ちなみに、どの事象もかなり時間が経っています。 「なんであたしなのよ…若くて目立つから?」 「そういうこと。お前だからお前なの!」と言われました。 お坊さん、修験行者の先生がたは、時にはからかって笑わせて くれたり、あちらから挨拶をしてくれます。 結構可愛がって貰っています。 ちなみに一番最近の事象は、地下回廊での硬直、 本尊前でのガン飛ばしです。 「こう言う人からこう言うことをされて驚いた。以来、私も ビクビクしながら参拝してます、どうしましょう」と報告しても 大丈夫でしょうか? ご意見お待ちしています。
父が、急死して母は毎日泣いてます。 「お父さんは自分が死んだ事に気付いてないと思うから、あっちにいけるか心配」と母は言います。 もちろん、ささやかですが葬儀を済ませ、実家には毎週、曹洞宗のお坊さんがきて下さりお経をあげて下さってます 実家へも車で片道三時間かかりますが、出来る限り私も行って、父に手を合わせ「お父さん大丈夫だからね、私達も頑張るから!」と声をかけに通っています。 父は、一瞬過ぎて、死んだ事にきづいていないのでしょうか? 私達の事は見えているのかな? 49日までに、してあげると良い事、その後出来なくなる事など何か些細な事でも、ありましたら教えて頂けたらありがたいです。 一番近くにいた父がなくなり、49日までのお互いの過ごし方やマナーなど、きっと知らない事もあるのでは、と不安です。 お花、お経、ロウソク、通常のお供え物の他に仏様が、喜んでくれる物や事もあれば、ぜひお教え下さいm(__)m いまだから、父にしてあげられる事、してはいけない事、初歩的な質問かも知れませんが、改めて教えて下さいm(__)mませ。 お忙しいところ、最後までお読み頂き感謝です ありがとうございますm(__)m よろしくお願い致します。
よろしくお願いいたします。 先日、実母が亡くなりました。 諸手続きに於いて、父(喪主)がお寺さん(浄土真宗)より三十五日を行うよう言われました。 遠方に嫁いでいる私は三十五日は参列を見送り、四十九日の法要には参列することになっていました。 ところが、三十五日法要でお寺さんが間違え、四十九日(満中陰)のお経が挙げられ、勝手に繰り上げ法要とされてしまいました。 参加した家族は皆、三十五日法要のつもりでしたが、お経の内容に疑問を持った父が確認したところ判明したようです。 父としては「仕方ない」ということで「満中陰の法要は済んだ」と。 済んでしまったものは仕方ないと思いつつ、母を偲ぶ思いを無碍にされたような、何とも言い難いやりきれなさを感じています。 遠方に嫁ぎ、子も小さい為、頻繁には戻れなくとも、四十九日と百箇日だけは必ず参列したいと思っていただけに尚更。 満中陰の法要は済んでしまいましたが、四十九日まではまだ日があるため、遠方ながら私一人でも本来の四十九日に当たる日に何か出来ることがあればやりたいと思っています。 何か出来ることはあるでしょうか?
母を急に亡くしました。急病死でした。まだ60歳手前でした。亡くなる2日前に電話で元気な声をきき、それが最期になってしまいました。 母の優しさなのか亡くなっていたのは自宅のベッドの上でした。 家族は私、妹の2人娘で父は離別していておらず、 私は結婚して、妹は仕事の関係でだいぶ遠方なので母は1人で暮しておりました。 そのため、亡くなったことに気づいてあげるのに1日程かかってしまい、そして何より1人で逝かせてしまった。怖い思い、寂しい思いをさせてしまった、助けてあげられなかった。死に目にもあえず1人で死なせてしまったことをすごく悔やんでいます。 母は悲しんでいるでしょうか? 毎日ごめんねと母を思っています。死を受け入れているつもりでもまだ母から電話やメールがくるのではないかと毎日思ってしまいます。来ることはないと分かってはいるのに。 また、母は離婚しているため無宗派、無縁仏です。 葬儀もお経などあげてもらわずに見送りという形だけで終えました。 そのことも胸につかえ気になっています。 お経をあげてもらわず母の供養になっているのでしょうか。無宗派なのでどうしようもないですが、母はちゃんと成仏できるのでしょうか。 まとまりない文章で申し訳ございません。
大変お忙しい中失礼いたします。 今はまだ現実的な話にはなってないのですが、将来自分が結婚せず生涯を終える場合、父方の家が持つお墓ではなく、母方の家が持つお墓に入りたいと考えています。 父方はあまり檀家付き合いなどをせず、祖母が亡くなった時に以前から祖母が霊園を区画を買っていた曹洞宗のお寺様のお墓を家のお墓としています。なので私も曹洞宗ということになるとおもうのですが、私にとって子供の頃から慣れ親しみ、手を合わせてきたのは母方の臨済宗のお寺様なんです。 母方の家が檀家になっているお寺様のご住職様は、小学校の教員であった母方の祖母の元教え子さんで、祖母のお葬式の時に「恩師にお経をあげるなんて…」と祖母の死を悼んでくださり、心からのお経を上げていただきました。 大好きだった祖母の生涯は本当に立派なものだったと感じることのできる素敵なお葬式で、一周忌が終わる頃には、私も嫁ぐことがなければ、できるなら母方のお寺様にお世話になりたいと自然に思うようになりました。 この場合、私が個人的にその臨済宗のお寺様の檀家になれば、母方のお墓に入ることは可能なのでしょうか?それとも、父方のお墓を選ぶべきなのでしょうか? 度々の質問、申し訳ございません。
私は2021年6月28日にぽふちゃんというメスの可愛い白と黒のゴールデンハムスターを殺めてしまいました。大丈夫だと思っていて 朝は元気でした 給水機も買い与えていなくて お水を外から二段目のところにこぼしていて与えていました 床材がある下に溢れるのに それなのに冷房を16度設定などで風も強くしていて、大丈夫だろうと思ってました。そんなわけないのに。 水で濡れているのに冷やして苦しめて殺してしまいました 夜ごろに今日朝に見たきり来ないなと思って覗いて そしたらもう冷たくなってました でもまだ生きてました お湯などで暖めていたらまだ生きていたかもしれないのに 冷たさで死なせたと言うことは頭になくて お世話することも頭になくて 餓死かと思ってお口に豆腐をやってました 私は馬鹿でした どうかぽふちゃんがあの世で幸せに暮らせるように手を合わせてお経を唱えてくださいませんか。どうかお願いいたします。本当にお願いいたします。 可愛い子でした まだ2歳にもなっていなかったです。 28日は神社に向かってお世話になっている神様にご挨拶をしてきます。 どうかお坊様達もお経を唱えてくださいませんか。お願いします。
難病の再発で、真言宗のお寺で得度するつもりでしたが、やめておこうと考えました。 理由は住職様に、難病を理由に得度を延期したい旨を伝えたら「治療で飲むステロイドをやめて、瞑想した方が良い」と言われ、びっくりしたからです。 いやいや、私の難病はステロイドを飲まないと、他臓器不全を起こして死んでしまうのですが! という趣旨の話をしたら、笑われました。 持病の双極性障害は落ち着き、今まで関わってくれた人達のお陰で50年いきてこれたので、今は冷静に残りの人生を誰かの役に立てるように生きたいと思えるようになり、得度したいと思いました。 でも、よく考えたら得度しなくても、そういう生き方はできます。 正直、話を聞かず医療も否定する住職様に幻滅してしまいました。 これからも、自分で好きな観音経や他のお経の勉強も、書籍で出来ます。 ご先祖供養の仏前勤行も、音源を手に入れたので、自分で練習して出来ます。 お坊様も人ですから、色々な方がいます。 僧侶としての経験は立派で尊敬していますが、なんとも複雑です。 仏壇やお位牌の開眼供養を、大したお布施も出来ないのに快く受けてくれる僧侶の友人の紹介の住職様なので、これから住職様と、どう関われば良いかなと考えています。
4年前 大学卒業間近の息子を事故で亡くしました。あまりにも突然の死を受け入れ事は出来ず、未だに涙する日々ですが、毎朝、お仏壇にお花、ご飯、コーヒーをお供えしお線香を上げて、「我が家に生まれてきてくれてありがとう。亅と語りかけています。友達も多かったので 帰省の折には、必ず我が家にお参りに来て下さり、お線香を上げ息子を偲び、私の体調を心配してくれます。 優しいお友達に恵まれて、本当に幸せな21年間だったのだなあと思います。 お坊様にお聞きしたい事は、月命日に 来て下さるお坊様が、お供えしてある お土産や本、手紙などを、当たり前のように、手に取って、中をみたり読んだりされるのが嫌で、辞めて頂きたいという相談です。 お茶を出すために、席を外し戻ってきたら、遺品の財布を開けられている事もありました。お坊様だから勝手に触る権利はないですよね。その方個人のモラルだと思うのですが、お坊様が来られる日は、お仏壇の周りには、何も置かないようにしています。 ところが、先日お茶を持って部屋に戻ってきたら、息子のパスポートを見ながら 「あちこちの国に行かれたのですね。」 とー 床の間の端に置いてあったパスポートや 本を離れている場所から持ってきたようで、パラパラめくっている所でした。 悪意はなく、ただ興味本位でされている様ですが、不快でたまりません。 実はお経を上げている時も、珍しいものがないかと、首がぐるぐる回ってあちこち見ているのが、後ろに座っていてもわかります。世間話でも、自分の息子の話をされているので、配慮のない方だなと悲しくなります。 主人の家が長くお世話になっているお寺ですが、月命日の日が本当に憂鬱です。 主人は、私以上に悲しみの底にいて 未だに、お墓にも行けず、お仏壇にもお線香を上げる事はできない状態ですので、相談もできません。 私が、神経質なのでしょうか? 出来れば、月命日に来られる方も、他のお坊様に変えて頂きたく思っています。 どうか、良いアドバイスをお願いします。 長文読んで頂き、ありがとうございました。
はじめまして。 一昨年年末、昨年年始と立て続けに母方の祖父母がなくなりました。 祖父母は信じている宗教が特別ないようでしたが、毎晩必ずお仏壇に手を合わせている人だったのでお仏壇から宗教を特定し(浄土真宗 西本願寺派でした)、お坊様の派遣サイトでそちらのお坊様を探して来ていただきお式を祖父母宅近くの神奈川であげました。 その際、お墓(祖父が建てたものです)が九州と遠方だったことと母がしばらくここに置いておきたいと言った為、本日までお骨を自宅に保管し手を合わせてきました。(すぐ納骨しなかったのはマナー違反かもしれませんが…) しかし先月で祖父母ともに一周忌を迎え、そろそろ納骨しに行こうか、となりました。 そこでお聞きしたいことが2点あります。 1、お骨の運び方はどうしたら一番ベターでしょうか 納骨には私(20代)と母で行きますが、母は足が悪く、私が2人分持つことになると思います。これがなかなか大変そうなのです。 ゆうパックで送ることができるらしく、正直気持ちに抵抗があるのですが母の事や私ひとりだと丁寧に運べないことを考えるとそちらの方がいいのかな?とも思います。 また必ず今のままの大きさの骨壷で運ばなければならないのでしょうか? 2、納骨の際はお坊様にお経をあげてもらわなければなりませんか 派遣でお呼びしたお坊様は神奈川県内に住まれている方で九州までお呼びするのは難しそうです。 お坊様は必ず納骨の際はいらっしゃらなければならないでしょうか。 お墓のある霊園は市営のもので、私は九州に縁のあるお寺様はいらっしゃいません。 不勉強なもので、言葉づかい等誤用があるかもしれませんが、本当に困っておりまして、お知恵を授かれますと嬉しいです。
先日、父が亡くなり親族葬を行いました。 突然の死でしたので残された家族と共にバタバタしながらも、父や列席していただいた方々に失礼のないよう努めてまいったつもりです。 そんな中、お通夜のお焼香の時に一人ずつ順番に出て行ったところ、お坊さんのお経の方が早く終わってしまい席を立たれてしまいました。さすがに退場されることはありませんでしたが、その時にお坊さんが「もっと早く出てこなあかん!お焼香は喋るとこちゃうよ!」とお怒りになられました。 喋るというのは恐らく、親族の方々が順番が来て前後の方と「どうぞ」「ありがとうございます」とやり取りされてたことだと思います(狭い会場でしたがそれ以外に会話は聞こえませんでした)。 たしかにお焼香は一人ずつ席を立たず前の方の後ろに並んで途切れることなくすべきだったのかもしれません。お葬式に不慣れとは言え、お坊さんにとっては無作法で失礼に値することだったのかと反省するところはあります。 しかしながらお通夜にも関わらず高齢の親族へ声を荒げられたお坊さんに対し、憤りを感じてしまったのも事実です。 故人である父はこういう場面だと「皆さん足元気ぃ付けておいでください。」と親族を気遣うような人です。その父に背を向け親族を怒ったことが許せませんし、父の通夜を、列席していただいた皆様の思いを侮辱されたような気分です。 何より喪主である母が「こんなことになってお父さんに申し訳ない」と落ち込んでいるのが辛いです。 いまだに気にしてしまっていること自体、父に失礼なような気もしますし、それよりも父を思う気持ちが大事だということは分かってはいますが、この出来事がなかなか頭から離れません。 我が家はお坊さんのお寺の檀家で、これまでも長く付き合いがあり、これからも顔を合わせることはあると思います。 どうやったら落ち込む母を励まし、またこの出来事を乗り越えて、今後もお坊さんとわだかまりなく付き合えるのでしょうか。
真心をこめて関わる方々が、自死を選んでしまったのがつらいです。 自分が関わると死に追いやってしまうのだろうか、立て続けなのは何か因縁があるのだろうかと考えたり、また繰り返してしまうかもとこわいです。 信頼できる人には感情を出し切って、話し合って現実的に動いていますし、皆私を必要としてくれているのを感じる一方、自分を疫病神のようにも感じてしまいます。 また、お墓参り等できないので、厳しい弾圧に耐え抜いたご先祖様の力もかりたく、自分なりにお経をあげ弔いました。が、宗教が違うのにそんな弔いをしてよかったでしょうか。
相談というより質問です。先週、祖母が亡くなりお葬式をあげました。その前のお通夜の時の、お経が始まると息苦しくなりクラクラしました。マスクをしていたので外して落ち着こうと、深呼吸をして様子を見ましたが変わらず…席を外しました。深呼吸を続けても変わらず今度は動悸がしました。ずっと気持ちがソワソワしてると母が気づいてくれて、「ばあちゃん、心配しないで」と言いながら私の肩や背中を摩ってくれました。すると、自然と涙が出てその後は落ち着きました。ばあちゃんが、私のところへ来たのでしょうか?このような体験は初めてなので気になりました、、。
先日、親戚の法事に参列しました。 お経の後 和尚さんから有り難いお話があり、 とても感銘を受けました。 煩悩があるから 人間は思い悩むと。 自分の心が自分を苦しめるという お説教でした。 会食の席で 和尚さんは我々と同じ料理を 食されていました。 食欲って煩悩ではないのですか? てっきり精進だと思ってたので 少なからずショックでした。 お子さまの話しもされてました。 結婚してもいいんですね? お説教とあまりにギャップがあります。 そのあたりを 分かりやすい教えて下さい。 よろしいお願いします。
祖母が、私が写経しているときに、コバエを写経用紙の上で潰してしまいました。祖母は軽度の認知症なので、写経しているという認識もなかったのかもしれません。止められなかった私が悪いのですが、この写経用紙をどうしたらいいのか考えあぐねています。 捨てるのも良くない気がするので、全て書き終えてから、お寺に納めることを考えています。その方が虫の供養になるのではないかと…。 ただ、元々、祖父の病気平癒の祈願を込めて写経を始めたので、殺生したくせに、安易な気持ちで納経できないとも思ってしまうのです。 アドバイスをいただきたく存じます。
先日祖父の十三回忌がありました。お坊さんにお経をあげていただいている時に奇妙な景色が頭の中に流れてきました。 どこか分からない場所を、お遍路さんが持つような長杖を支えにして祖父が歩いていました。祖父の顔は遺影よりも若く、少し苦しそうでした。 死後の世界とは苦しいものなのでしょうか。それとも供養が足りないから祖父は苦しんでいるのでしょうか。ただの幻覚ならいいのですが状況が状況なので気になります。
真言宗の掛け軸 私以外の家族は信仰心が薄く、神棚と、棚の上に家族の宗派の仏壇がありますが、 私は真言宗が好きで、念珠も持ってお経も毎日読んでます。 ただ仏様を見て読みたいので 真言宗の掛け軸を自分の部屋に置きたいと思っていますが、ダメでしょうか 棚の上に仏壇なしになりますが…… 本尊様はどの仏様でも良いですか?(個人的にお不動さんが大好きです) また魂入れをやれないのですが、掛け軸に悪いものが入ってしまうのは嫌なので、できないなら、買わない方が良いでしょうか……? やはり開眼供養は必要ですよね……
お寺の小僧さんの生活について教えてください。 得度前の小僧さんは、どのような生活をされているのでしょうか。 下座行とはお掃除以外にもありますか。 朝の勤行などお坊さんのお勤めは、得度してからですか? ごはんの前にお経を唱えたりとか、夜もまたお勤めしたりとかあるのでしょうか。 得度前、あるいは得度後(一人前になる前)の小僧さんの暮らしについて知りたいです。 どうぞよろしくおねがいします。