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検索結果: 677件

中絶

4月19日初めての子を中絶しました。 相手は未婚だと言ってますが、今まで連絡先や職業を偽られていたので、既婚者の可能性もあります。 彼は赤ちゃんが出来たら絶対責任取るよ と言ってくれてたのですが、実際何も責任を取ってくれません。 終いには今仕事でトラブルがあって、警察や弁護士が動いているから お金は今は払えないから手術費は立て替えてって言われました。 それから全然連絡が取れなくて、今に至ります。 結局欲しくて作った子なのに、いざとなるとシングルで育てる覚悟が出来なくて、私がして貰った様にその子に何不自由なく育てれるのかを ずっと考えたけど、やっぱり無理と思い手術しました。 自分で決めた事なのに、やっぱりその子と会いたかったし、私は我が子を殺したという罪悪感でいっぱいです。 手術前夜もこの子からの生きたいというメッセージは伝わってきたけど、自分の気持ちを優先にしてしまった。 手術では、 怖かっただろうし、痛かっただろうし、母親に見捨てられたと言う悲しみもきっとあったはずです。その想いを全て受け入れるつもりです。 しかしこのまま私達親は生きてて良いのでしょうか? 彼を殺して私も…と思ったりもします。 しかしやっぱり1番悪いのは私自身…。 彼が反対しても産もうと思えば産む事も出来たのに結局殺したのは私の判断。 そう思うとやっぱり私が1番悪いわけで…。 私の願いは我が子が成仏し、我が子の幸せを願っています。 地元の住職さんに聞いた話だと水子さんは残念ながら成仏は出来ないと教えてくれました。 しかし、親がちゃんと願って、そしてその子の為にも人の役に立ちその子に徳を積んであげなさいと言われました。 相談内容としては私はこの先どのように生きていけばいいのでしょうか? 毎日ごめんね、宿ってくれて大切な事を教えてくれてありがとう、大好きだよ とお祈りしてますが、私の想いはちゃんと我が子に伝わっているのでしょうか? 水子供養をしましたが、ほかにその子の為に何をしてあげれるのでしょうか? 人の役に立つとはどんな事でしょうか? 教えて下さい。

有り難し有り難し 39
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2023/11/17

隠蔽を繰り返してしまった

お忙しい中、相談を聞いて下さりありがとうございます。 私は介護職をしています。 私は過去に悪い事ばかりしてきてしまいました。 その中でも、事故報告書を書かなかったり都合よく書いてしまった事がありました。当時は皆も見て見ぬふりしてるから良いのかな、書くのが面倒、報告が怖い等の対応をしていました。 2年程前、薬を落としてしまった時も怒られるのが怖くて、確認もせずに見つけた物だけを内服させてしまいました。ご利用者様も気づいていたようでした。 自分を守る事しか考えておらず、相手の事を考えていない行動をしてしまいました。 パニックになって間違えた選択をしていました。 その時の感情で動いてしまいました。 後々、自分の軽率な行動に気づいても手遅れでした。 正直に話さなかった事に後悔しています。環境のせいにしていたんだと気づきました。本当は、自分の弱さだった事に気づきました。 判断を誤ってしまいました。 今、私は転職してしまい元同僚によると利用者の方は数ヶ月前に病気で亡くなったとの事でした。 私がちゃんと報告しないで見つけた薬だけを確認せずに内服させてしまったから亡くなったのではないかと後悔が止まりません。 あの時、しっかりと考えて行動していたらと申し訳なく思います。 家族に相談したところ、今からどうすることもできないのだから事実を受け止めて反省して次に活かして行くしかない。考えても過去は、変えることが出来ない。 変えられるのは、これから。 気付いた時が始める時。との事でした。現在は、反省しながら少しずつ変わろうと心掛けながら毎日を過ごしています。 当時は、パニックになって言えなかった事も話すようにしています。 冷静に物事を考えて大切にしなければいけないことを考えて落ち着いて行動するようにしています。 ミスを、少しずつ減らせるように慎重に行動するように心掛けています。 私は、今後どのように生きて行ったら良いのでしょうか。 もうすぐ、子供が生まれるのですが今までの後悔が止まらずどうしていいか分かりません。

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植物の命について

こんにちは。初めて質問させていただきます。 じぶんは花屋に勤めているのですが、最近どうも、これは因果な商売だという気がしてなりません。 というのは、われわれは花を切ったり折ったり、娯楽として楽しんでおり、それはこのうえなく命を粗末にしていると思うのです。生きていくために仕方なくならまだしも……です。 故人にお花を供える文化もそうですが、花にしてみれば土から身を引き抜かれて、あとは枯れるのを待つばかり……などと考えてしまいます。 仏教の精進料理や、いま流行りのヴィーガンなどは、動物の命はちょうだいしません、かわりに植物を食べますと認識していますが、科学が発展し、植物も命のひとつであることを疑う人はいなくなりました。そうすると、「殺生はしない」という主義主張が植物のせいでおかしくなってくると思うのです。 道徳や倫理は人間本意で作られていて、それを動物や虫にまで広げたのが仏教の教えにあるという印象です。とても心の優しい 宗教だと思います。そこへ、植物が入り込んできたら、いったいどうなるのだろう……という疑問があります。 植物には神経が通っていない、よって痛みは感じないと聞きます。ですから正直あまり可哀想とは思いませんが、それでも自分が同じ立場になったら……ちょっと恐ろしいです。 いま現在、仏教に身を置く方々は、植物の命についてはどのようにお考えなのでしょうか。責めているのではなくて、単純に思想に興味があります。私自身は肉も食べれば、フラワーアレンジメントもします。ふと気になって、お尋ねさせていただく運びになりました。

有り難し有り難し 23
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月命日に来られるお坊様。

4年前 大学卒業間近の息子を事故で亡くしました。あまりにも突然の死を受け入れ事は出来ず、未だに涙する日々ですが、毎朝、お仏壇にお花、ご飯、コーヒーをお供えしお線香を上げて、「我が家に生まれてきてくれてありがとう。亅と語りかけています。友達も多かったので 帰省の折には、必ず我が家にお参りに来て下さり、お線香を上げ息子を偲び、私の体調を心配してくれます。 優しいお友達に恵まれて、本当に幸せな21年間だったのだなあと思います。   お坊様にお聞きしたい事は、月命日に 来て下さるお坊様が、お供えしてある お土産や本、手紙などを、当たり前のように、手に取って、中をみたり読んだりされるのが嫌で、辞めて頂きたいという相談です。 お茶を出すために、席を外し戻ってきたら、遺品の財布を開けられている事もありました。お坊様だから勝手に触る権利はないですよね。その方個人のモラルだと思うのですが、お坊様が来られる日は、お仏壇の周りには、何も置かないようにしています。   ところが、先日お茶を持って部屋に戻ってきたら、息子のパスポートを見ながら 「あちこちの国に行かれたのですね。」 とー 床の間の端に置いてあったパスポートや 本を離れている場所から持ってきたようで、パラパラめくっている所でした。 悪意はなく、ただ興味本位でされている様ですが、不快でたまりません。 実はお経を上げている時も、珍しいものがないかと、首がぐるぐる回ってあちこち見ているのが、後ろに座っていてもわかります。世間話でも、自分の息子の話をされているので、配慮のない方だなと悲しくなります。 主人の家が長くお世話になっているお寺ですが、月命日の日が本当に憂鬱です。 主人は、私以上に悲しみの底にいて 未だに、お墓にも行けず、お仏壇にもお線香を上げる事はできない状態ですので、相談もできません。 私が、神経質なのでしょうか? 出来れば、月命日に来られる方も、他のお坊様に変えて頂きたく思っています。 どうか、良いアドバイスをお願いします。 長文読んで頂き、ありがとうございました。

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浄土真宗、曹洞宗、真言宗

すみません、タイトルはあるお坊さんから見られないようにするためのものです。 相談です。 私は在家出身ですが、運よく師僧に恵まれました。 その師僧と友人が、私が精神病で実家で自宅療養していることについて、私の病状もよく知らないで、障害者なのを言い訳して実家で自宅療養するな、独り暮らししろ、親が自立を許してくれないなら失踪しろ、成人したら失踪して親を困らせても構わない、と言ってきました。 実家を出て就職して独り暮らしするには、作業所の管理人や主治医の判断が必要になるのに、それを言い訳にするな、だの言ってきて。 自立しろというのはわかるんですが、そのために失踪して家族に心配かけても構わない、成人なんだから、とかおかしくないですか? 師僧も友人も上記のような意見で追い詰めてくるんです。友人のほうは子供扱いして罵詈雑言並べ立て、私は謝ったのに一切謝罪なし。 師僧いわく、本当の親孝行とは社会に貢献することであって親に心配をかけないことではないから失踪して家族を心配させてもいいんだそうです。実家で療養して働いておらず、社会に貢献していない障害者はみんな親不孝ということです。 障害者がみんな実家を出られるわけじゃありません、ひとによって病状が違うからです。 裏切られた気持ちで落ち込んでいると、裏切られたくらいで怒る私の器が小さいんだ、とも言われました。 ひとりで大泣きしました。この出来事のせいで最近まで治っていた幻聴が再発し、心もずたずたです。いまも泣きながらこれを書いています。 私が可笑しいんでしょうか? 皆さんどう思われますか?

有り難し有り難し 21
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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 73
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