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hasunoha 問答検索結果 : 「私 生きる 」
検索結果: 29544件

十善戒の教えは、守りやすい順番に並んでいるのですか?

はじめまして、お忙しい中恐縮ですが、気になることを質問をさせていただきます。 私は読書ブログで本を紹介させていただいたり、本の内容を暮らしの中で活用したお話を書いています。 仏教の本は、暮らしの中で自分も相手も気持ちよく暮らせる取り組みが多く、よく紹介させていただいております。 先日取り上げた本には、十善戒について書かれた内容があり、暮らしの中でできているかを当てはめてみました(心に思っただけのことも入れて自信を持ってできる!といえるコトは1つだけですが…) 本では十善戒を、①殺生しない、②盗まない、③性において淫らな行為をしない、④嘘をつかない、⑤意味のない流行り言葉を使わない、⑥悪口をいわない、⑦二枚舌を使わない、⑧貪らない、⑨愚痴らない、怨みや妬み羨み怒りの心を持たない、⑩愚かな考えをおこさない、と紹介されていました。 実際に暮らしに当てはめてみると、「暮らしに合わせて3つに分けられるのでは?」と思えてきました。 ①〜④までの教えは、最低限、「生きていく」のに守らなければならない決まり。 ⑤〜⑦は、家族と仲良く暮らしたり、地域や会社でトラブルを減らす「社会で暮らす」のに欠かせないこと。 ⑧〜⑩は、自分の心の中の出来事でもあるので「幸せを感じる」のに必要なこと。 ちょうど順番通りになっていたので、もしかしたら元になったお経でも「こうなっているのかな?」、まとめていてふと思えてきました。 十善戒の中で「生きていく」ための決まりは守りやすく、後半の「幸せを感じる」のに必要なことはとても難しいと感じます。 教えの元になったお経では、順番によって守りやすさはあるのでしょうか? 解説書などでは、何かしらの分け方があるのでしょうか? 専門家のお坊さまに、お時間のあるときで構いませんので教えていただきたく思います。 緊迫する悩み事ではありませんので、本当にお時間のあるときで構いません。

有り難し有り難し 16
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妊娠8か月に夫が急死。先月末無事に産まれました。

8月初めに最愛の夫が急死し、告別式が終わってすぐ切迫早産で入院、先月末無事に緊急帝王切開で産まれました。 結婚式の直前に私が病気になり、式が終わってすぐに手術、その半年後には別の病気で医療ミスに遭い、その後うつ病で通院。父親からの暴力の中で育ちました。不妊治療もしていました。結婚して4年、幾多の試煉をともに乗り越えてきた、こんなにも優しいひとがいるのかと思うほど優しさで溢れた夫に支えられなんとか生きてこられました。体外受精でようやく子宝に恵まれました。 その夫が朝目覚めると心肺停止でした。危篤状態から奇跡的に3週間も持ちこたえてくれましたが力尽きてしまいました。こんなにも悲しいことはありません。妊娠中はお腹の赤ちゃんをなんとか無事に産むまで守らなくてはと気を張っていたのですが、無事に産まれて安心、と同時に一気に悲しみが、淋しさが、これからの生活に対する怖さが溢れて止まりません。告別式が終わってまともに供養もできないまま入院し、退院する日を決めなくてはいけない。夫が、パパが、いない家に帰ることの怖さ、夫と過ごした思い出の家に帰ることの怖さで退院できずにいます。 まわりから、そして自分自身も、夫が遺してくれた可愛いわが子が悲しみを癒してくれるだろうということや、生きたくても生きられなかった夫の分までという気持ちはわかります。でも、どうしても自分の辛さが勝ってしまいます。どうしても、夫がそばで見守ってくれているという感覚がピンとこないのです。姿もみえない声も聞こえない。やっぱり、ただただ生きていてほしかった、3人で幸せに暮らしたかった。どうしてどうしてと、夫が亡くなったことを受け止められずに信じられずにいます。苦しいです。頑張ってねと言われたり、頑張らずにゆっくりでいいよと言われたり。 わが子は悲しみの中にいるみんなの唯一の希望です。救いです。なのに見ていると辛くなるのです。 最愛の人をこのようなタイミングで失った時、母親としてはわが子を支えになんとか生きていけるのかもしれません。ですが、夫を亡くしたひとりの妻として女性として一体どのような気持ちで生きていけばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 46
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彼が自殺をしました。

彼とお付き合いしてまだ4ヶ月しか経っていなかったんですけど、付き合ってすぐに同棲をはじめました。 些細なことで喧嘩もすることもあったけど、いつも彼の方から「ごめんね。俺が悪かったから。」って言ってきてくれてました。 彼が亡くなった日も家で喧嘩をしました。 その時も「ごめんね。俺が悪かったから。許して。」っていつものように言ってきました。 でも私は、「前にも同じことやって、何回やれば気が済むの?!! ほんとに今回だけは許さないから!! この手離して!! もう実家帰るから!!」って彼の手を強引に離して荷物を片付けていた時に後ろの方から、「今までありがとね…」って声が聞こえて「なによ?」って振り向いたと同時に、ロフトの柵の所で、目の前で首を吊りました。 すぐ隣人の人も呼んで救急車で運ばれたんですけど、そのまま帰ってきませんでした。 まだあの日から日が浅いのもあって、お酒がないと眠れなくて、シラフの状態だとほんとに些細なことで彼のことを思い出して辛くて苦しくて、気づいた時にはお酒を飲んでしまいます。 こんな姿、彼は見たくないとは思うんです。 でも、心の整理なんてまだ全然つけられなくて、半分まだ生きてると思ってるし、でも現実にはもういないって、もう色々と心がぐちゃぐちゃで… 後追い自殺をしようとも思ってしまいます。 彼が生きる意味になってたのに、なぜ彼をもっと大事にできなかったのか… 今では、後悔ばかりしかありません… 相手方の遺族の方や友人にも謝っても謝りきれません… もうこんなことを毎日考えて、すごく辛くて苦しくて、耐えられません。 こんな私ですが、少しでも生きる希望を持ちたいです… どうすればいいのでしょうか…

有り難し有り難し 33
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3人目を産んでよいものか

子どもが2人いる主婦です。私は昔から子どもが3人欲しいと思っているのですが、3人目を産んで良いものか迷っています。 これからの将来に希望はあるのでしょうか。私の子どもたちや孫たち、子孫たちは幸せに生きられるのでしょうか。 また地球や動物たちにとって人間を増やすべきなのでしょうか。 近い将来、気候変動で水害が多発して住むところがなくなるかもしれません。 資源は枯渇し、物価は青天井にあがるかもしれません。 世界規模で土地や資源の奪い合いが始まり、戦争が多発するかもしれません。 豊かな森や海は伐採とプラスチック、水質汚染で破壊され、飲み水すら化学物質で汚染されていきます。 日本だけでみても子どもたちの年金や社会保障の負担は増すばかりです。 原子力発電、インフラの老朽化、ゴミ問題のツケは彼らがはらいます。 また、人間の動物に対する行いを知ると、人間は増えるべきではないと思います。 畜産動物たちは身動きできないケージに閉じこめられ、妊娠出産を繰り返した末、殺されていきます。毛皮は生きたまま皮を剥がされます。 人間も動物も脳があり、心臓があり体の違いはないのですから、同じように痛みや苦しみを感じることが当然です。哺乳類ですから我が子に対する愛情もあるでしょう。 コンビニに行くお動物から搾取していないものを探すことがいかに難しいか。人間は動物なしでは生きられないのに、その動物に残虐非道なことばかりしていると感じます。 私自身、昨年までは無知でしたが、経済動物の裏側を知ってしまった今、人間はなんと罪深いのかと思います。 こんな罪深い人間をまたひとり増やすのか。 将来的にも希望がない世界に子供をまたひとり送り出すのか。 短期的には3人の子供たちと楽しく過ごせるでしょう。しかし、それはただの私のわがままで、子ども自身や動物たち、地球環境からみたら迷惑なのだとしたら産むべきではないのかもしれません。 対処できない問題には目を背け、個人の価値観で判断すればよいのかもしれないとも考えますが、その近視的な考え方が色々な問題を引き起こしてる原因とも言えます。 私が子どもひとり産まないぐらいでは何も変わらないとも思いますが、ひとりひとりの行動が世の中を動かしているとも思います。 私は3人目を産んでも良いのでしょうか。迷っています。

有り難し有り難し 24
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母を悲しませるのが怖い

病気で手術することになりました。 幼い頃に母親が家を出て行ったことがあるせいか この年齢になっても母親に対する執着がひどいような気がします。 母親が本当に私のことを大事に思っているのか まるで思春期の子供のようにその愛情を試したかと思うと 自分が母よりさきに死ぬことになったら 母はどれだけ悲しみ、苦しむのだろう。 ひとりぼっち(父はすでに他界しています)で 寂しく生きていくのだろうか。 誰が母の葬儀をあげてくれるのだろうか。 もし、母が孤独死するようなことになったら と考えるとどうしようもなく怖くなります。 母も私を置いて出て行ったという負い目があるらしく 必要以上に私の面倒をみてくれます。 互いに依存しすぎているのかもしれません。 分かってはいても、母の手を振りほどくことも 母の悲しそうな顔を見るのも耐えられません。 今回の手術でも自分が死ぬことよりも、母を残していくことに どうしようない恐怖を感じるのです。 手術自体は簡単なものですが、 もしその過程でほかの悪性の何かが見つかったら… もし手術が失敗したら… もし術後の回復が芳しくなく、大きな障害をおったら 母は悲しむだろう…と考え、涙が止まらなくなります。 いったいどうしたら、この執着を手放すことができるのでしょうか。

有り難し有り難し 22
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自分の生き方、意識について分からないです。

初めまして。よろしくお願いいたします。 私は中学生の時、精神病を患い通院していました。その原因は色々あると思いますが、一つに"父と母の不仲"があったと思います。私が小学生の時、目の前で両親が大喧嘩し父が母に手を出しました。それが私には本当に本当に恐怖で、それ以来ずっと二人の仲を気にして、また喧嘩をしたらどうしよう、と両親の顔色を伺いながら生きてきました。それがだんだん体の不調に表れて、中学生の時、精神病を患うこととなりました。 そして20歳になった今、私はすぐ物事を人のせいにしてしまう癖があり、そのことで母と言い合いになりました。そして母に「私が精神病になったのはお母さんとお父さんのせい、これは断言できる」と言ったのです。 そしたら、それを聞いていた弟に「お姉ちゃんが病気になって一番心配してた二人に、二人のせいだなんて言うべきじゃ無い」と、泣きながら言われたのです。弟は普段泣いたりしないので、正直驚きました。 そこまで言われたので、私の放った一言は重大なことなんだなぁ、とは思ったのですが、いまいち分かりません。 何故弟は泣くのでしょうか?両親が一番心配してたって、自業自得ですよね?よく分からないんです。私が重大なことを言ってしまった、ということは理解できても、だから何?くらいにしか思えません。 でも、このままではいけないのだろう、とそんな気はしています。 こんな風に思う自分が心底嫌です。 嫌なのに変わろう、とも思えない。 そんな心持ちの自分も嫌。 嫌いです。 どう生きたら、人の思いやりの大切さを理解できますか? 私はどう生きたら良いのでしょう。人のせいにしてしまう癖もどうしたら治るのでしょうか。 また、母親や弟には謝っておいた方が良いのでしょうか? どうか、御言葉をください。

有り難し有り難し 8
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