2023/01/11憎しみや恨みについて解せません
憎しみや恨みの感情を持つのは、それ程誰かから酷く傷つけられ、心が病むほど深く悲しみ、余程耐え難い事があったからだと思います。それなのに、被害を受けた方が、自分で悲しさや心の傷を癒せずに相手を憎んでしまうと、怒りという煩悩に負けて一番不幸になり、結局被害を受けた方が悪いのでしょうか。相手を傷つけた方は、傷つけたことすら理解する気もなく、忘れて、何にも囚われずに今を楽しく生きられて素晴らしいのでしょうか。
恨みや憎しみの裏側には、きっとその相手に同じことを体感して自分がしたことを理解して悔いて欲しいという思いがあるのだと思います。でも、傷つけるような人がそんな考えに至ることもないだろうし、空虚な願いというか…だから制裁が加わってほしいとか、因果応報はないの?とか、どうして理解すら、同じ苦しみを味わうことすらないの?とか思いが膨らんでしまうのだと思います。
恨みを抱える方も、そうしたいわけではなく、悲しすぎて自動的に反芻してしまったり、反芻することにうんざりしたり、そんな風に生きていると心が一杯になって、新しい幸せや喜びを心に入れる隙間やキャッチするアンテナがなくなっていく事もわかって辛くなったり…。でもそれでも悲しみが大きすぎて止められなくて、時間が流れていき、自分だけが悲しみの中に取り残されていく焦りがどんどん溜まり、それでも昇華できないから憎んでしまうんだと思います。
でもそれって原点に帰れば元々それだけ傷つける行為を相手がしなければ起こらなかったことですよね?ではなぜ被った方が、その原因に対する第1段階の悲しみと、憎しみが増殖していく第2段階の悲しみと、"憎しみや恨みを持つなんて良くない"と抜け出せない自分が悪いような罪悪感と何重苦も抱えて、人を傷つけた方がお気楽に人生を楽しめるのでしょう。だとしたら、人の事なんて気にも止めず、我を通して相手が傷つこうが傷つくまいが知ったことかとやりたい放題やって楽しく生きられるのが良しなんでしょうか。それが道理なら虚しすぎます。
それとも何があっても人生そんな事もあるよねと水に流し、次の瞬間には忘れてハッピーに!とか、比較することでもないのに、もっと恵まれない人だっているから幸せなのよとか、もしくは自分の知らない前世で罪を犯したのだから全てを甘んじて受け入れて下さいなんて言うことなんでしょうか。どう考えたら良いのでしょう…
有り難し 46
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