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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 苦しみ 」
検索結果: 8578件
2023/11/11

仕事を辞めたいのに辞められません

夫婦2人で忙しい会社にいます。
夫がパワハラで精神を病み休職しました。パワハラした側は何人も退職に追い込みながら、今も元気です。 
私も夫を支え数年頑張り、共倒れになりました。2人でリハビリを頑張り復職しましたが、夫がまた倒れてしまいました。もう仕事はバイトも嫌、専業主夫をすると言い、最近は少しずつ家事を学ぼうとしてくれています。 
ですが、私ひとりだけで、これから先ずっと働き続けていくことにも辛さを感じています。あまり眠れずやっと起きて重い体を引きずり会社に行く時、帰ってきて夫がずっと寝ていた時、とても悲しい気持ちになります。今後世帯所得が減るのなら、節約の必要もあります。2人とも精一杯やれることをやって頑張ってきたのに。 働き方改革で社内も、以前より少しはましになりました。ですが、私にはもう耐えられる体力、気力や若さがありません。辞めたくても家族を養わねばならず、この年齢では次の仕事もありません。 
ありがたいことに職場では配慮していただいて、同僚よりは少ない仕事を配分していただいていますが、もともと1人に任される仕事の質と量が異常です。 
忙しさと疲れの中、私もギリギリで頑張ってきましたが、最近ある人から強い主張と心ない言葉を浴びせられました。元気な時なら受け止め方も違ったでしょうが、それをきっかけに疲れがドッと出てきてしまい、時々涙ぐんでしまいます。良くないと思いつつ最近はその人や、夫のパワハラ元上司の不幸を願ってしまいます。 事情があり親も頼れません。
少しの貯金はあっても幼い頃の貧乏と家庭環境がトラウマで、怖くて辞められません。 子供の頃から辛いことが多く、そのために今もずっと生きづらい。 心ない言葉をおっしゃった方は「代々の地方の名士」のような方です。そういう方達にもそれぞれの大変さがあることはわかります。それでも、彼らは下々に好き放題言えて、何も無ければ一生それができるんだなと思います。 片や、いくら頑張っても明日も知れない状況の私たち。世代間連鎖は今まで仕事でもさんざん目にしました。いくら頑張っても貧乏人の子供は貧乏人のままなのでしょうか。 あなた次第、今手元にある幸せを見つめなさいのような言葉もつらいです。そう考えてずっと頑張ってきましたが、結局は身を削るばかり。本当は明るく頑張りたいけど、終わりが見えず、正直もうつらいです。

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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

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宗教とは

祖父の葬儀の時に「死後の世界はこうなっています」と何層かになっている図の説明を受けました。 仏教に限らず死後の世界、天国地獄も含めて「あることは知っているでしょ」からはじまることが多く、「なんでだれも見たことないのにあるということになっているのか」が解りません。 さらに私の認識では例えば仏教はゴーダマシッタルーダが釈迦のペンネームで小説を書いてそれを各宗派の開祖が読んで読書感想文を広めた、というイメージなのです。そう考えないと宗派毎の教典の違いや祭事の違いなど差が出てくることが理解できません。 宗教が絶対のもので揺るぎがないものであれば解釈が変わったり宗派が分かれたりするものではない。会派が別れたり解釈が変わるのは不完全な創作物である証かと思います。広めるために土着信仰と結びつくなどその尤もたるところです。 かなり偏った意見になっているのですが「こういうことになっている」だけで「なぜそういうことになっているのか」「それが間違いない検証は取れているのか」を説明しているものがあれば教えていただきたいと思います。 化学実験でいえば「再現性」、こうすればこうなる、というものです。それがなければ「どうなるか解らないのに信仰するの?」となってしまいます。 また、どうしても論理的に根拠がしっかりしているものでないと認められない性格なのですが、「いやいや宗教というのはそういうものじゃないんだよ」というのがあれば教えていただけないでしょうか。

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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

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比喩表現なのか...謎

お世話になっています。僕はこれまで、「お念仏は1日10回程度でいいだろう」と思っていました。何なら、1回でもいいと思っていました。ところが、あるお坊さんから聞いたのですが、「お念仏というのは、瞑想みたいなものだ」と言っていました。ただ手段が違うだけだと。瞑想では、呼吸や身体の感覚に集中することで、「今」に心を置きます。お念仏も瞑想と同じで、お念仏を唱えている時だけ「今」を生きることができると言っていました。自力の計らいというのも、瞑想でいうところの雑念なのでしょう。また、阿弥陀様や如来というのは、この世の大いなる働き(空、因果律)のことだと言っていました。浄土真宗はとにかく比喩表現が多いんだと。これらのことは本当なのでしょうか?もし、本当だとしたら煩悩を自覚する意味が分かりません。また、煩悩即菩提の概念もよく分からなくなってしまいます。僕は今まで本当に浄土(死後の世界)があり、阿弥陀様も実在する「人」だと思っていました。 しかし、内心では疑いを持っていました。南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に往生でき、それが出来なければ地獄行きというのは疑問に思っていましたし、大宇宙の法則がなぜ「この人は浄土、この人は地獄」と判断するのかもおかしいと思っていました。もし、このお坊さんのいう通りなら、色々と納得できる部分がありますが、実際のところはどうなのか気になります。回答お願いします。

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夫を信用するには

現在1歳5ヶ月になる娘がおり、 妊娠5ヶ月の専業主婦です。 主人とは普段の日常生活では 趣味や話も会う事もあり、 とても仲が良いと思っています。 子煩悩で私が疲れている時などは 娘を連れて遊びに行ってくれたり よい父親でもあります。 ですが、上の娘を妊娠中の 臨月の近日中に産まれるという時に、 私に嘘をついてまで友人とアイドルの ライブ?に行っていたことや、 結婚式に行って連絡もなく、 次の日の仕事も無断欠勤し、 夕方になりやっと帰ってきたこと。 出張中にわざわざ嘘をついてまで キャバクラかなにかに行っていたこと。 上の娘を妊娠中に友人に 「妊婦はつまらないから 他の女と遊びたい」という 発言をしていたこと。 他にもたくさんありました。 その度に謝罪をしてはくれますし、 私も毎回謝罪を受け入れました。 ですが同じような事を 何度も繰り返していたり、 後から後から出てくるので 正直全く信用できないのです。 私の事を愛してくれてるのか? 私の事は女性として見ていないのか。 質問したこともありましたが、 もちろん愛している、という返答。 二人目を妊娠中の今、尚更 毎日毎日もやもやし続けていて 先日は我慢できず、夫の前で急に 泣き出してしまいました。 どうすれば夫の事を許し、 信用できますか? もしくは嘘をつかなくなりますか? 浮気したわけでもないのに… と思われるかもしれませんが、 もう悩むのにも夫を疑う事にも 疲れてしまいました。

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