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hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 2994件
2022/05/24

父の納骨について

昨年、父が80歳で他界しました。 残された母の住む実家から、車で2時間半のところに父の故郷があります。父は長男で2人の姉も嫁いでおり、田舎の家は人手に渡り親族は住んでいません。その田舎に先祖代々のお墓があります。すぐ近くの小さな墓地で町内の方が管理されているようです。 すでに遠方に嫁いでいる私の負担を考えてか、父は生前田舎の墓じまいを考えていましたが、自分のお墓はどうするのか決めかねていたようで、本人の意思は聞けないままでした。結局、母の意向で母方の親族が供養されている都心の大きなお寺の納骨堂へ納骨しました。 月命日に母とそのお寺にお参りに行っていますが、今になって田舎のお墓にも分骨してあげればよかったと後悔しています。物忘れが激しくなり急に頼りなくなってしまった母も、「前にも言ったと思うけど…」と定期的に父のお墓のことで後悔を口にします。 今、私の家には手元供養にと片手の掌に乗るほどの小さな骨壺の中に少しだけ父の遺骨があります。その遺骨を父の田舎のお墓に納めて、墓石に名前を彫ることができないかと今頃になって真剣に悩むようになりました。すでに納骨堂へ納めていること、お骨が少量であることから、納骨式は行わずに石材店に依頼して納骨と彫刻だけお願いできればと考えています。その地域の石材店に電話で問い合わせたところ、最近はお寺さんにお経をお願いしない方もいますよとのことでした。 そのお墓は近くに住む父のいとこが墓守りをして下さっており、私達も毎年お盆にはお参りしています。 自己満足のための非常識な行為にも思えますし、親戚に相談したらどう思われるだろうか…と考える一方で、ほんの少しのお骨でも祖父母の元に帰してあげたら、父も祖父母も喜んでくれるのではないか、と勝手な想像をしてしまいます。 もう納骨を済ませたのだから、このような行為は控えるべきでしょうか? 長々と申し訳ありません。よろしくお願いします。

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祖母が92歳で自殺をして苦しいです。

 8年前から施設に入っている祖母が92歳で自殺しました。認知症はないですが、身体が不自由で、施設から這って出て、立ち上がれないから施設の敷地にある低い枝に紐をつけて首を吊ってしまいました。遺書は『おしずかに、おせわになりました』と力強く書かれていました。  ここ2週間で食欲も落ち、血液検査の結果も悪く、病院へ入院する予定の2日前のことでした。  大体3ヶ月に一度くらいはひ孫を連れて会いに行っていた(家から1時間の距離に施設があります)のですが、電話も私からも、祖母からも1ヶ月に一回くらいはしていましたが、私の第二子の妊娠出産(昨年2月に出産)と、その後のコロナ禍の影響で(施設ではコロナで面会禁止が一年続いてました)、1年以上会えていませんでした。  2日後に入院が決まったなら病院の方が施設より面会制限が厳しくないからやっと会えるかも思った矢先の出来事でした。  祖母は若くに夫と息子を亡くし、30年前くらいから死にたいと孫の私にだけこぼしていました。いつもそんなこと言わないでと励ましていました。  ずっと会えてなくて、電話でもすれば良かったのですが、私も二人の子の育児でバタバタして、ワンオペ育児の時も多く、祖母への最後の電話は数ヶ月前でした。母や叔母は週に2回は電話していたようですが。祖母のことを何度も思い出したのに、その時に電話すればよかった、施設玄関の窓越しでも会いに行けばよかった(施設では最近玄関窓越しの面会が許可されたばかりだそうですが、知りませんでした)、と後悔するばかりです。  年賀状に『コロナが落ち着いたら会いに行くから。元気で待っててね!』と書いたのに、待っててはいませんでした。  祖母の携帯は私が契約しました。もう電話しても祖母の声が聞けない、もう会えないのが悲しくてたまりません。自殺を食い止められなかったこと、二人目のひ孫を見せられなかったこと、電話しなかったこと、後悔がつきません。  一連の葬儀で、お坊さんが、四苦八苦、愛別離苦は苦しいもので、お経は生きている人のためにあると言ってました。後悔と寂しさで辛いです。  仏教的な考えで、私は何か救われますか?近所のお寺に駆け込んだら救われたりするのでしょうか?おばあちゃんは幸せだったのでしょうか?今は辛い思いをしていないでしょうか?

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2023/04/19

祖母は幸せなのか

こんにちは。 今回は母方の祖母(母方の祖母。私が小2のときに、90歳で死去。パーキンソン病と認知症で自宅介護だった)について、相談というか質問になります。 前回ご相談させていただいた通り、今は両親から消息を断ち、生活しています。 平和な日々ですが、生前の祖母の姿がずっと心に引っかかっています。 祖母は、私が物心ついたころから、パーキンソンを患っており、身体が震えたり、また幻覚幻聴が聞こえていたようでした。 そんな中でも、私が両親に虐待されていたりすると必死に止めてくれたり、話してくれたり優しい祖母でした。 ただ、私の母(祖母からみたら娘)は、そんな祖母に毎日殴るなど暴力をふるい、家の外まで響き渡る声で毎日毎日、本当に、朝晩問わず怒鳴りつけてました。 私も幼いながらハッキリ覚えていて、恐怖でした。なんで施設に預けず、わざわざ自宅においておき、暴力を振るうのか、幼稚園児の私ですら本当に理解ができず、その光景はトラウマです。 祖父は、私が生まれた頃にはアルコール依存症でのなんらかの心疾患?で他界していて、会ったことはありません。 ただ、昔母から聞いた話によると、祖父も祖母にずっとDVしていたようです。 今思い返しても、あんまりじゃないですか。。夫には暴力を振るわれ、お金もアルコールに溶かされ、年老いてから自分の娘にも毎日暴力を振るわれ、怒鳴られ。。 祖母にもし悪い部分があったとしても、そんなことをするのは許されなかったはずと、悲しくなってしまいます。 私は祖母が生前好きで、祖母が亡くなる日には何故か小学校で発熱し帰ってきたり、お盆になると夢にでてきたり、色々なことがありました。 両親は大嫌いだったけど、祖母の骨があるお墓にいき手をあわせることが、心までポカポカして、大好きでした。 今は身を隠してるのでしばらく手を合わせにお墓にいくこともできませんが…。 私がいま、気になることは、祖母はそんなに辛い状況の中亡くなり、ちゃんと今は幸せなのか、です。 ちなみに祖母が何宗だったか等わかりません…ただ、某新興宗教のお経?みたいなものを毎朝唱えていた姿は知っています。。 ずっと心の中でのひっかかりで、質問させていただきました。 よろしくお願いいたします。

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住職様にとって、お葬儀とは何ですか

大変失礼な質問だと思いますが、何卒ご了承いただけると幸いでございます。 私は、長らくサービス業に従事しております。 ここ5年の間に、2人の祖母、叔父、母親、旦那の親友が亡くなり、その都度お葬儀に参列いたしました。 宗派の違いはありましたが、通夜・火葬・葬儀・法要とそれぞれにおつとめをいただき、『ありがたいお経のおかげで、故人は仏になるために旅立つんだな』と故人の冥福を祈っておりました。 そういった機会も多かったためか、ご縁あって葬祭会館へ転職いたしました。 まだ1ヶ月も就業しておりませんが、すでにたくさんのお葬儀に立ち会わせていただき、さまざまな宗派のご住職様にもお会いしております。 何件ものお葬儀に立ち会うと、知りたくなかった裏の部分も見えてまいります。 『お葬儀をしておつとめを頂くのは、故人が無事に仏になるためではなく、残された遺族が大切な人の死を受け入れるための段階の儀式』なのかな、とも考えてしまいます。 お葬儀をする意味とは、そういった死を受け入れる儀式的な理由も含まれているかと思いますが、住職様から見た『お葬儀の際におつとめをすること』には、どのような意味があるのか、お伺いしたいです。 無知故の不躾な質問で大変申し訳ございません。 よろしくお願い申し上げます。

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2022/01/27

自死してしまった弟について

以前も相談に乗っていただき、ありがとうございました。 私には、若くして自死してしまった弟がいます。 もう10年程になりますが、その間に幸せなことに私にも家族ができました。 今現在、私の実家にて私の親、私の家族(夫と子供たち)が同居をしていますが、どうもその家が、夫や子供にとってあまり良くないようです。 夫は霊感が強く、そのような影響を受けやすい体質のようなのですが、私の弟が成仏できずに家でさまよってしまっていて、あまり良くないものになってしまっている、そのせいで自分たちに良くない影響があると言っています。 実際に家にいるときに急に体調を崩したり、しんどそうにしています。子供も家があまり好きでないようで、誰かに見られている気がして怖い、帰りたくないと言います。 実は親の意向でまだ弟の納骨が済んでおらず、お骨がずっと家にあります。 それもいけないのでしょうか? また、我が家は何故か子供が若くして亡くなることの多い一族で、とても悪い因縁があると言われたことがあり、因縁切りもしたことがあるのですが、もしかしたらまだそういうおかしなものが家に憑いているのかなと、とても心配です。 私としては、たったひとりの弟を亡くして一生癒えない傷がある上に、その弟が悪いものになってしまったと聞いて本当に辛いです。 辛いですが、私の家族がそのせいでつらい思いをしたり悪影響が出てしまうのは、なんとしても避けたいです。 そのようなことは本当にあるのでしょうか? 弟だとしても因縁だとしても、悪いものの影響を受けずに生きていくにはどうしたら良いのでしょうか? 弟がさまよってしまっているとしたら、どうしてあげたら良いですか? うまくまとまらず、読みづらい文で大変申し訳ありません。 どうぞよろしくお願いします。

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子供をこの世にうむことの是非

はじめまして 最近、正信掲、歎異抄、大無量寿経、スッタニパータを読んでいます。 読んでいて、不勉強ゆえ以下の疑問が湧いています。 子供を作ることは、愛すべき我が子を、厭うべきこの世に呼び出す行為とも思われ、子を思えばこそ作るべきではないように思えます。以下、詳述しますのでどうかご指導ください。 ブッダは、欲望の支配からの自由、ひいては輪廻転生からの解脱を説かれます。 その前提として、人(を含む生き物は)煩悩具足の凡夫であって、他の生物を殺生し食べねば生きられず、醜い体をもつ哀れな存在だと捉えられていて、「再び母胎に入ることのないように」と仰います。 つまり、私達が子供を作ると、上記の哀れな存在を生むことにはならないでしょうか。子供を作らねば、輪廻転生の苦もなくなるのではないか、と思えているのです。 しかも、子を遺して自分が世を去る時後ろ髪を引かれ、絶つべきこの世への執着が、子供の存在によって強まるようにも思えます。 確かに、「人身受け難し 今既に受く」「大海に浮かぶ板の節穴から盲た亀が顔を出すより難しい」とも言われます。しかし、これは、どうせ生まれるなら、他ではなく、仏法を聞ける人身に生まれることの有難さを説かれたものであって、生まれること自体の素晴らしいとのお考えでないようにも思えます。 また、生まれることの幸不幸は本人の捉え方次第とも思われます。しかし、もし子が生まれ、「生まれたくなかった。なぜ厭うべき仮の世に産んだのか」と言われたら、答えに窮してしまいそうです。 この問に答え得るブッダのお考えをご指導ください。できれば、それが書かれている文献の名前と場所(第何章のどの辺りか)もお教えくだされば幸甚です。 どうか、宜しくお願い申し上げます。 (以下、ご参考です) 一五二 さまざまな欲望の対象への、深層の欲望から超脱するようにせよ。そうすれば、もはやふたたび母胎へ入って輪廻転生することはなくなるであろう。(スッタニパータ 荒牧典俊著) 二三五「過去の業は絶えた。未来の業もあり得ない」と、賢者は、来世に執着せず、種子を絶やし、自己存在の芽を未来にまで伸ばしたいとの願いを捨て、油の切れた灯のようにふっと消えてしまう。 三三九 二度と輪廻の世に舞いもどってはならぬ。 三四〇 たえず身体に注意を向けて、その醜さを思い知れ。厭い離れる心に満ちてあれ。

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悔しい想いをして亡くなった人の気持ちはどうなりますか

大事な彼が亡くなり今日で19日が経ちました。 毎日が後悔でやり切れません。 彼は肝硬変がかなり進んだ状態だと医者には言われ、復水を抜く治療が見つかると思い4ヶ月を過ごしてきました。 2度の検査入院をし、担当医のはっきりしない態度に不安を持ちながら過ごしていました。 時々逢う私には治る病気ではない。どうせ永く生きられない。もうすぐ死ぬ人間にそんな事しなくて良いなんて事も言いだしました。 私は彼の病気に無知でした。もっと力になりたかったと悔まれます。 彼と私は26年間一緒でした。ただ彼は私と知り合う数年前に昔の彼女と結婚していました。彼女には自分の子供だと言われていたようですがそうは思っていませんでした。 彼女には精神疾患があり時々理解しがたい行動をとっていましたが病気の人間を放り出すような事は出来ない。私には悪い。と言っていました。 病気になった時、そんな彼に家族は冷たい態度でした。 最後になってしまった日、私に話した事が忘れません。 俺の集大成がこんなものか。人の家族を背負いこんで。食べたい物も惜しまれる。顔も見たくない。声も聞きたくない。 実のお兄さんにも奥さんにもお金の事では利用された事を悔しがっていました。 その時私はどうする事も出来ず、ただ話しを聞いていただけでした。 三日後、最後の電話になってしまった時、私に逢った時のお礼を言って、もうえらいから横になる。と言った言葉が最後になってしましました。 彼はいつも別れ際、私にありがとうと言ってくれました。 最後にこんな思いをして逝ってしまった彼は今はどう思っているのでしょうか心配です。 人が亡くなると四十九日間はまだこの世をさまよっていると聞きました。 彼の遺骨は私の手元のにはありません。 憎しみしかないと言っていた家族の元にしかありません。そんな状態でも彼は成仏できるのでしょうか。 亡くなった人の節目になる五七日と四十九日にお寺でお経をあげたいと思っています。 家族でない私がする事は亡くなった本人の為に良くないのでしょか。 また、私たちのような繋がりでもまた彼に逢う事は出来るのでしょうか。私のすべてだった彼にまた逢いたいです。彼を感じる事はどうしたらできるのでしょうか。 取りとめもなく長々と申し訳ありません。

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観察日記(空と念仏)

空とは無分別だと聞きました(100分で名著・維摩経)、番組内では大乗仏教を代表する理念、二項対立を解体する手立て、縁起を発展したものと説明されてましたが、色々な表現があって素人にはポカ〜ンとする話しです。色即是空、空即是色、有るけど無い無いけど有る、五蘊は空、幻、実態が無い、一切皆空。 聖と俗、浄と不浄、善と悪、生と死、二項対立は苦の原因。……救いどころか何を頼ればいいのか虚無感を感じていました。 hasunoha内では弱者の味方や弱者に寄り添うと言った言葉をお坊さんがよく使われるのを見て思ったんですが、「正義の味方」と言ってしまうと正義面した私(自我)が立ち、無意識に相手を悪にして二項対立を勝手に作りその悪を叩き下手すりゃ喜ぶ、でも弱者の味方ならそこに善悪の隔てがないし煩わしい私(自我)を立てる必要が無く目的を見失うこともない。自我や善悪を解体していく空の実践のような話しなのかな〜と思いました。 嫁さんも子供も仕事も家も自分のものなど何も無い期待もしない、虚無と感じるのはご都合主義の自我を立てるから、悩み苦しみリアルな課題が無くなることもない全ては縁起し空、私は私として生きるだけ一歩引いて願うだけ、無我とは心の自由に感じれるようになった気がします。 話しを広げすぎかもしれませんが、どんな生きざまでも死にざまでも関係ない、念仏すれば阿弥陀様が救ってくれるとどなたか仰っていましたが、念仏の導きも同じ作用(心の自由)な気がするんですが検討違いですかね。 空(念仏)→無分別→自我の解体→無我→心の自由→空(念仏)…?

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今回の災害についてのお礼とお願い

先日、お願いさせていただきました安否不明の犬につきまして 駄目でした。 泳いでいた犬の情報などはよその子だったのでしょう。 そのままの状態で見つかりました。 こちらへ連れ帰り、皆できれいにしてやって、翌朝一番に荼毘に伏しました。ペット葬やお坊様を呼ぶ余裕もなく、この暑さですので、すぐに送ってあげる必要がありました。 また、菩提寺は遠く、そちらも被害があったかも分かりません。 簡単ではありますが、仏前に骨壺を置いて皆でお経を唱えました。 前回、お祈りして下さったお坊様、ご心配下さったお坊様、ありがとうございました。 最後まで懸命に生き切ったことは、ちゃんと受け止めてやりたいと思います。 あと一つ、これは見ている方にお願いがあります。 被災地へ安否を確認したい時や仕事など、連絡を取らなければならない場合、何度も電話するのは控えて頂けないでしょうか。 皆、疲れています。 食べること、寝ること、猛暑と悪臭の中での片付け、二次災害への備え、喫緊の事務手続きなどで手一杯です。 毎回相手は違っても、何度も同じことを説明するのは非常に疲れます。 仕事仲間、遊び仲間なら代表者を決めて、最低でもその方を経由して、一度に纏めて手短に負担なく伝える準備を整えてから連絡を取って下さい。SNSなどで確認できるなら、そちらを優先してください。 また、使える道路が限られています。 救援車両や地元の車で、ただでさえ渋滞が発生しています。 可能な限り、車での乗り入れは控えてください。 急を要するものであっても、自治体に確認するようお願いします。 そして、ボランティアや支援物資を送りたいけれど、様々な事情でもどかしい思いをしている方へ。 こちらでは、落ち着いて行動できる方、淡々と作業を行える方、体力があり、被災地での生活全般に関しての知識・経験がある方を求めております。 そうでない方は、まずはご自分の生活を第一になさって下さい。 こちらの状況がひと段落した時に、お力を貸して頂けると嬉しく思います。 それまでは、何も焦らないで下さい。 そして、被災地に関して、真偽不確かな情報を鵜呑みにしないでください。 どうか、自分だったらどう思うか、相手の立場になって考えてみてください。 お願いします。

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受精卵(胚)は命でしょうか、なにか供養はできますか。

夫の乏精子症のため不妊治療で顕微授精をし、受精卵をつくりました。 幸いなことに、比較的早い時期に二人の子供を出産する事が出来ました。 しかし、胎児にすらなれなかった胚のことが気にかかっています。 最終的に体に戻せる状態だったのが13個 もっとも状態の良い一つはすぐに着床を試み、残りは凍結して保存することに。 医師は「保存する管が6本だから、二個ずつ保存する」と言いましたが、 「双子はなるべく避けたいので、状態の良いものから6個選んで一つずつ凍結を」とお願いしました。 最終的に、新鮮卵で一人目を妊娠、出産 凍結保存した卵で二人目を妊娠、出産 凍結卵の移植は一回失敗(着床せず)、 また一つは解凍した時点で死滅しており、 残りは医院の方針で施術から二年経過で廃棄するしかありませんでした。 まず凍結保存の段階で「選別」してしまったという後ろめたさがあり 失敗で胎児になれなかったものや お腹に戻せば命になったかもしれないのに廃棄になったもののことを思い 毎年施術した9月になると思いだして落ち込んでしまいます。 私の中では、施術の日を「慰霊の日」として、せめて自分だけは存在を忘れないようにしようと思っています。 主人も最初は同情してくれましたが、最近はすっかり忘れてカレンダーの印を「これは何?」と聞いてきます。 受精卵は命でしょうか?なにかしてあげられることはありませんか。

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最愛の母親の四十九日でした、、

投稿は3回目ですが、最愛の母親の四十九日法要終えたところでした、、 去年の11月11日に緊急入院してわずか約2週間後の29日に永眠してしまってから時間がまだまだ進むのが遅く感じてます、、 末期の大腸癌からの腹膜炎併発で余命数日と宣告されて生きた心地がしないまま看病してきました。 本人には告知できずずっと手を握りしめて涙浮かべてた母親、、最後の数日前ギュッと握り返してくれた反応、、 未だに頭から離れず悲しみが溢れかえってきます、、 四十九日法要をお寺に遺骨と位牌遺影持参してお経してもらったのですが、住職がお経唱えてる間、自分はずっと遺影に想いを込め続けて見つめていました。 その時不思議な体験をしました。 遺影の後ろに花瓶で生けてある百合の花がバサッ!と音を立てたんです、、 風もないし、完全な本堂の閉め切った中で、、 お母さんが挨拶してくれたんだと自分はそう受け取りました、、 涙がとめどなくとまりませんでした、、 これでようやく先祖の元にたどり着いたんだね、、ゆっくりと見守ってくれるんだねって、、 普通はあんなタイミングで沢山生けてある花瓶の百合の花がバサッと大きな音立てる事はないから、、、お母さんがちゃんと伝えやすい方法でやってくれたんだねって、、 自分の事より常に家族の心配第一に考え日々を過ごしてくれた母親、、 84歳でもユーモア溢れる優しさに満ちた性格で、片足不自由なまま生きてきた母親を常に自分は側で支えてきました、、 買い物や、遊びに出かけさせるのも車に乗せて常に母親を楽しませてあげたい想いで仕事頑張ってきました、、 いつも母親は、こんな年寄りといつも一緒に行動してくれてありがとね、、ほんとなら若い子と遊びに行きたいやろうに、、って、、 自分は全くそんな事思いませんでした、、自分が幼少から母親の壮絶な苦労を見てきてたので早く大人になって常に守って楽しませてやるんだ!って、、母親が喜んでくれるならどんな苦労にも耐えてきました、、 それだけ密接な家庭で歩んできたので、母親の存在の偉大さがなくなった今、すさまじい悲壮感と空虚感の反動が続いてます、、 母親の為にも自分の残り人生幸せに歩んでいかないとって思いはわかるんです、、母親の元へ自分も後追いたいとか変な気も常にあり続けてますが、そんなのも悲しませるだけってわかります、でもとにかく今は悲しい、、

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和食の傲慢さに苛立っています。

私は黄帝内経(京都の仁和寺に写本所蔵、中医学の祖)にも記させている、陰陽五行説を大切にしています。 日本では科学の発達により味蕾に辛味が反応しないからと、味覚から辛味を排し、代わりにうま味を足した陰陽五行説を謳う栄養学者が後を絶ちません。 黄帝内経は心身一如や医食同源、陰陽五行の関係とバランス、季節等を大切にします。 日本は海に囲まれている為に、陸上のうま味より海産物のうま味(鹹味)に頼っています。 陰陽五行で謂うと鹹味は水や腎に分類し、水剋火で火に属する苦味や心を相剋(抑制)します。逆に、水生木で木に分類される酸味や肝を相生(生み出し)ます。 従って、鹹味のうま味に頼れば鹹味は比和(増幅され)、心は相剋されます。 その為に心を補うか、心の親である肝より相生する必要があります。 例えば、焼き魚やパエリア等に柑橘類を搾る等です。 陰陽五行説を活用すれば様々な組み合わせで、うま味は発生します。 しかし、外食や中食、家庭等の全てがうま味調味料〔味の素、調味料(アミノ酸等)〕に頼り切っています。 近年、精神疾患の増加、世知辛い社会を生んでいるのは上記より、うま味調味料に頼る事により、心を瀉し、相生させる為に肝を多忙にしているからだと考えています。つまり、和食にも要因がある。 元来、和食は大陸より教わったのが、南蛮貿易や文明開化により西洋と交わり発展しました。簡単に言うと、和食の産みの親は中国です。 なのに、陰陽五行を歪曲し、”唯我独尊”の間違った解釈である”自分だけがすぐれていると自負する事”である”自己中心”や”傍若無人”な態度に写ります。 また、『料理芝居(著:北大路魯山)』より、料理屋は下手でも風格がなといけないのはわかりますが、和食やラーメン等の職人の写真は、”実るほど頭を垂れる稲穂かな”と謂うのに、偉そうに腕を組んでいる人ばかりです。 心理学で謂うと、腕組みは不機嫌、守り、怯え等です。 その点で、料理の美味しさの3割は雰囲気と謂われ、雰囲気で美味しかった経験は誰しもあるはずです。 食への感謝は、作る側にもあると自負しています。 故に、傲慢な態度で雰囲気を大切にしないと、美味しいとは言えないのです。 以上より、家庭から和食が廃れ、世界遺産に登録してまで和食を守らないといけなくなったと考えます。 ご見解を、何卒宜しくお願い申し上げます。

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亡き祖母の夢

長文乱文乱筆失礼いたします。 曹洞宗の家です。去年8月に91歳の同居の父方祖母を亡くしました。それから約半年経ちますが、私たち家族が見る祖母の夢に共通点があることがとても気になっています。とにかく食べることに関する夢です。結婚して東京に住む私の妹は、3ヶ月くらい前に、祖母がバタートーストを妹から奪って一心不乱に食べている夢をみたそうです。県内の別市に住む兄も2ヶ月くらい前祖母の食べ物に関する夢を見たそうです。さらに私の母は先日夢の中で祖母が勝手に茶飴を食べているのを見て「おばあちゃん、それだめだよ、ご近所さんに持っていく飴なんだから」と注意する夢を見ています。私は祖母に関するそういう夢は見てません。 うちでは、毎朝起きたらまっさきにお仏壇のお水とお花を新しくして、ご飯とお茶とお味噌汁をあげてお経(般若心経と修証義の1、2章)あげます。毎日ご飯を炊くたびにまず一番にご仏壇にあげます。今年初めて畑で採れる野菜やご近所さんや親戚などからの頂き物もまず仏壇にあげてから下げていただいています。法事もきちんと行い、父は檀家の役員でお寺の行事にも仕事が忙しい中、「お寺さんの行事だから」と仕事の予定を調整して参加しています。お寺が家から歩いて5分なのでお墓の掃除も1ヶ月に一回くらいは母か私が行っています。母はお寺に写経に行ったり法話を伺ったり家の畑の野菜がたくさんとれるとお寺の方丈様にお裾わけさせて頂いています。心身を投げ打って信仰に捧げている訳ではないですが、お寺さんを通じて先祖を敬う心はわりとある家庭環境だと思います。 なのになぜ祖母は家族の夢の中で何かを食べたがっているのでしょうか。亡き祖母は何か物足りないのでしょうか。この夢は何か意味があるのか、これ以上どうしたら祖母が満足するのか気になっています。それともこれは生きている人たちの側の問題なのでしょうか。ちなみに生前の祖母は別段食べることに特別なこだわりや執着を持っていませんでした。静岡人らしく美味しいマグロと濃い緑茶が大好きでその2つがあれば満足していました。祖母も少なくとも40年近く毎日ご仏壇にお経をあげていて、私も小さい頃から聞かされて、幼稚園の年長で般若心経と修証義1、2章はそらでお唱えできるようになり、今でもお唱えできます。 生きている側の人間が亡き祖母に満足してもらえるように何かできることがあるのでしょうか。

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今後の供養、御寺様との付き合い方について

長文失礼致します。 3週間前、実家の母が亡くなりました。末期癌で、あっという間の事でした。 祖父母の法事等でお世話になっている菩提寺の和尚様に葬儀のお願いをすべきだったのですが、生前より葬式はしないでほしいと繰り返しておりました為、葬儀社の方にご紹介いただいた御寺様にお経のみあげていただく形で私と2人の妹、父で送りました。 母は生前、祖父母や私の伯母達に散々苛められ大変辛い思いをし、家を出て伯母や祖母との関わりを一切断っておりました。祖母の葬儀、年忌法要も参加しておりません。 しかし、父(長男)は家を出た母を追い、後日同居をした為、祖父母の仏壇は家にありました。お盆等は和尚様がお経をあげに来てくださり、母も応対していたようです。 ただ、今回菩提寺にお願いすると、よく菩提寺に行く伯母達に母の亡くなった話が伝わり、また悪口を叩かれるであろうと懸念したのです。伯母達は今でも嫌味を言い続け、貶しておるような状態ですので、とにかく関わりたくないのです。 菩提寺の和尚様には何の不満も無いのですが、ただただ伯母達との関わりを避けたかったのです。亡くなってまで陰口を叩かれるのは可哀想でなりません。 ところが、四十九日を前に、父親が法要と納骨(墓は菩提寺内にはありません)を菩提寺にお願いすると言い始め、先日お願いに行ったようなのです。 当然ながら和尚様はとても驚かれたようで最終的に、母に戒名をくださった御寺様にお願いされた方がいいと思いますよ、と仰ったようです。父は、上記のような家族間の問題は伝えておりません。 和尚様には何の問題も無いのに、不義理をしてしまい大変申し訳ない気持ちでおります。 母の法要は、戒名をくださった御寺様が行ってくださると聞いておりますが、先祖墓に納骨すべきかどうかも悩んでおり、今後祖父母の法要、後々父親が亡くなった場合に菩提寺の和尚様とどうお話させていただいたら良いのかがわかりません。 私が物心ついてから、母が幸せであった事は無かったように思います。父親の放蕩で金銭的に亡くなるまで困窮し、祖父母、伯母達との事で苦しみ、贅沢も旅行も病院に行く事さえも我慢した母に、もっと何か出来たはずなのにと今となっては後悔ばかりです。 せめて亡くなってしまった後、母が心から安らげるよう、母の思いに沿える供養がしたいのです。どうしたら良いのでしょうか。

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興味と愛情

私はいろんな宗教の教えに興味があります。その中でも特に仏教に興味を持っています。 海外では激しい宗教対立がある中で日本では独自の均衡を保っているように思い非常に素晴らしいことだと感じています。 しかし教えを拝聴することも有り難いのですが、等身大で「話し合える」お坊さんとお酒でも飲みながらぶっちゃけトークをしたいと常々思っていました。 ところで、私の両親は敬虔なクリスチャンのはずなのですが、幼い頃から私を殴ったりののしったりして、彼らが思う通りにした時だけ「愛してる」と言われてきたので、「相手の思う「何か」をしないと私はいてはいけないんだ」と思うのが当たり前でした。 そして心身ともに病んでしまい、病院に通うも長年の投薬の副作用でホルモンバランスを崩し体重の激しい増減を繰り返し、免疫力がなくなり肝臓、腎臓、皮膚疾患、病気になりやすく転職を繰り返しています。 そんな私を両親はののしり、私は自分自身の不甲斐なさに落胆しています。 何回も挫折を繰り返してきましたが自分や病気、誰かのせいにするのではなく心の平穏を得たいと前から気になっていたお寺に通い始めました。 最初はただ境内を歩いたりするだけでしたが、本堂でお経を読む会に参加したりお坊さんとお話をするようになりました。 そして少しずつ前向きになり転職先も決まりこれからという時に 檀家さんの派閥争い?の様なものに巻き込まれ、悪口を耳にし凄く悲しい気持ちになっています。 なぜ同じ「仏」「神」を信仰しているはずなのに、他人の行動を批判するのか? 私には解らないのです。 また同年代のお坊さんの考えや展望など率直な意見を交わしたいのです。 そんな思いの中、少し年下のお坊さんでフランクな対応をして下さる方に最初に記述したお酒を飲みながらぶっちゃけトークをこの方なら出来るのではないかと思い連絡先を渡し飲みに行きたい旨をお伝えしました。 今はこれが知的好奇心、興味なのか恋慕なのかわからなくて混乱しています。 そしてそれが相手のご迷惑になっているのか不安です。 皆様からしたらこういう事は迷惑でしょうか?

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お寺の選び方がわかりません。

質問させて頂きます。 私は結婚して16年になります。 夫婦いざと言う時の為、普段からの 先祖供養等の為にお寺に入りたいと 主人と常々話をしています。 でも、お寺の選び方等が全く不明で ずっと悩んでます。 20代後半時に友達からS宗教の事を 聞かされ何度も足を運んで話を聞いたりしましたが納得いかず・・・ 次、主人の叔父さんにKに誘われ、 付き合いで行ったのですが怖い思い をしながら断り・・・ 今はNSに入っていますが前の2つ と変わらない感じで抜けたいです。 主人曰く、新興宗教とやってる事が 変わらないと(私も同じ考えです)。 信者獲得で発表会で何人入信した、 その為のイベント等は大々的。 他宗教は邪宗で批判的、他の人を 幸せにしたいなら勧誘はするべき。 お題目、勧誘が出来ないと功徳が 無い等。 勧誘とかするつもりないですし、 新聞とるの当然と強制されたり、 自分の実家宗教を間違ってると否定 するのは間違ってると思うのです。 実家が入ってる宗教に入るべきとも 思ってないので何かあった時の為に 夫婦で生前に入りたいのです。 私も主人も詳しくないですが仏教が 好きですしお寺も大好きです。 お説法を聞いたり、お経を唱えたりするのも好きですし気持ちが落ち着きます。 でも今は仏教やお寺と言うものが、 信用出来なく嫌いになりそうです。 お話聞いてみたいと思ってもどうしたらいいのか直接聞けるとなると 上記の感じの所ばかりです。 今の状況を打破したいのですが、 お寺の選び方や直接お話聞いたり する事が出来たり等という方法は ありますでしょうか? 宜しくお願い致します。 長文、乱文失礼致しました。

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死後の世界について、助言をお願い致します。

私は、HSP(高感受性)の者で、霊は、見えないのですが、人の細かい感情や動物の気持ちも感じやすかったり、植物や大気のオーラを感じる事もあります。私は、見えないものに興味があり、死後の世界についてもよく考えるのですが、人生とは、魂を成長させる為の修行なのでしょうか? 死後の世界について、いくつかご質問したいと思います。お願い致します。 ①人は、体が死ぬと魂が体から抜け出て、人生を全うした善人であれば、現世への拘りが強く無く、死んだという自覚がある魂であれば、お迎えが来たり、来ない場合でも天国のような霊界に行くことが出来る。 ②現世への拘りが、強い魂や自分の体が死んだ自覚がない魂は、現世に留まり浮遊霊や地縛霊になって拘りがとれて、死を自覚するまで何年でも何千年でも現世を漂い続ける。 ③悪人(人殺しや自殺)をした者は、死後恐ろしいところや暗闇をさ迷い続けて生きていた時よりも苦しむ。 ④霊界で再度人間に生まれ変わる時は、霊界の偉い方と相談をして、どの体に入るか自分で選択する。そして、選択した体に魂を宿し、生まれてくる。体を選択するときには既に、その子どもとして生まれたら、どんな親の元で育てられ、どんな友人、恋人、結婚相手等と出会うのかわかった上で選んでいる。 ⑤霊には、私達と同じでお経の意味がわからないことが多い。 ⑥霊には、私達と同じ記憶と感情があり、精神は生きている者となんら変わらない。 ⑦霊は、生きている人と話せる。瞬間移動を出来る。軽いものを動かせる。電気機器などを動かせる。夢枕に立つ。体を生きている人と同じ見た目の姿に出来る。体に重量をつけれる。霊能力者と頭の中で会話が出来る。霊が見える人だけに憑依出来る。写真や映像に写り込める。 霊感の鋭い人には見えるが、普通は見えない人の方が多い。 ⑧地獄に鬼や閻魔大王はいない。死後の世界では、現世でのどの行いが良かったことで悪かったことか自分で解るようになる。死後の世界は、自分の心の現れでもある。 死後の世界は、精神世界で異次元空間。その空間は、現世と重なりあうように存在している可能性がある。 上記の①~⑧は本当でしょうか? 私が、死の世界について真剣に調べて、直感で感じたことです。長々と失礼いたします。ご意見お願い致します。

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