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hasunoha 問答検索結果 : 「私 縁 」

検索結果: 12748件

大事な人を二人も失くしました

初めまして。長らく辛い日々が続いています。一年半ほど前に片親を亡くし、その後、彼女(婚約者)に別れを告げられました。 その後、ボロボロの心で何かに惹かれるように巡礼に出かけ霊場各地を巡りました。自分の未熟さに気付くとともに大切な人を失くす前から平凡な事が至極の幸せであると思いながら過ごしてきたにも関わらず、それすらも理解し切れていなかったのではないかと思い知りました。 巡礼の途中、京都で事情を知った尼さんから、「辛いことがあっても試されてると思ってしっかり生きて行けば、必ず仏さんは見てくれている」という言葉が心の支えとなっています。 一時は吹っ切れたと思っていましたが、やはり辛いという気持ちに変わりはありません。親を亡くし、事後処理に追われ半年ほどのちに婚約者は僕の元を去りました。恐らく、色々なことにいっぱいいっぱいになっている僕が頼りなく思えたのでしょう。 周りの友人や、同年代の人が結婚したり街でカップル等を見かけると胸をえぐられるように辛いです。 また、亡くなった母に対しても子供として何も恩返しできず、これからもっとしてあげられるはずだったのにと申し訳なさと、なぜ救ってあげられなかったのかという気持ちでいっぱいです。 正直なところ、なぜ周りの人は物事がトントンすすんでいくのになぜ自分は思わぬところでつまずいてしまうのかと辛くなります。 しかし、最後はどこかで必ず自分にも幸せが訪れると信じで日々過ごしております。こんな僕にこれから日々を過ごして行く上でのアドバイスをいただけないでしょうか。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 28
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自分が醜い、死にたい

こんにちは。ゆうなと申します。 ずっと何かに焦っています。 自分を変えようと思っています 。 なのに、フラッシュバックばかりします。 昔真剣にやらなかったピアノをやろうと思って、最近毎日弾いております。 しかし、弾いてみると、昔の先生の怒号が頭の中で響きます。 「他にもっとひどい環境の人もいる」 「親に申し訳ないと思わないのか」 「澄ました顔してても無駄」 「何を練習してきたの?」 フラストレーションを発散しようと、歌ってみると、また頭の中で響きます。 「無駄なことはやめろ」 「下手くそ」 勉強をすると、また響きます。 「お前は一生できない」 「昔ダメだったんだから、ダメ」 「一生変われない」 どんどんネガティブになります。 過去ばかり見ているのです。 過去ばかり見ている人は暇なんです。 足も相変わらず悪くて、動けません。 そんな暇がある理由の一つです。 せっかく元どおり痩せたのに、また太っていく一方です。 私は人間になりたいのです。 このままでは一生豚さん牛さんのままです。 だから変わるために努力しているつもりです。 でも本当に努力している人はこんなところに来ないと思います。 だから実は努力していないのかもしれません。 テレビが嫌いです。 インターネットの7割くらいの記事も嫌いです。 バカを助長するからです。 毎日意味のないニュースを見て喜んでいるバカが嫌いです。 自分で試したわけでも調べたわけでもないのに、テレビが、ネットが、ネイチャー誌が言ってるからと鵜呑みにするバカも嫌いです。 そんな人間になりたくありません。 そんなものは人間だと認めていません。 でも周りから見たら私もそういう人なんだと思います。だってまだ何も結果を残していない。 私は本当にゴミです。 こんな私が一番人のことをバカだなんだと言える資格がありません。いえ、本当は資格があろうがなかろうが言わないことが最良です。 過去の私と今の私は違うのですから、割り切ればいいのにもかかわらず、割り切れません。 わけがわからなくなります。 呪いでしょうか。 もう死にたいです。 でもどうせ死なないですから、生きるつもりでいます。 ある電話相談の方によるとどうしようもないそうです。この先もどうしようもないのでしょうか。 つらいです。助けてください。他力本願ですみません。

有り難し有り難し 34
回答数回答 3
2023/06/25

自己保身・我が身可愛さを捨てたい

連日の投稿となってしまい申し訳ありません。先日は御回答ありがとうございました。(本日も先日の相談に関連したものになります) 罪を自覚し、ネット上で多くの意見に触れ、ようやく罪との向き合い方が定まってきたように思います。しかし罪と向き合うことは自分と向き合うことでもあり、その中で自分の中にある愚かな感情「自己保身・我が身可愛さ」をどうしても隠しきることができず、現在気づかぬフリをしている状態です。 具体的な感情の内容はというと(ここに書くことも恥ずかしく思いますが)、謝罪をしたいという気持ちの裏には「謝って楽になりたい」という気持ちがあるだろうし、被害者の方々の苦しみの声をみる行為の裏には「許しを得たい」という気持ちがあります。どこまでも「自分が」という気持ちを捨てきることができていません。本当に自分はずるい人間です。 自己保身・我が身可愛さを全て捨て、足先から頭のてっぺんまで相手の方への謝罪の気持ちを持ち、心から幸せを願える、そんな私になりたいです。これから来るかもしれない因果応報を心から受け入れられる、そんな私になりたいです。 自己保身を捨てるにはどのようにしたらよいのでしょうか。また全て捨てることは難しくとも、どのように向き合っていけばよいのでしょうか。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2