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検索結果: 323件

感興のことば第26章13の内容について

仏典についての質問です。 正式に仏教の知識を学んだこともありません。 己の体験と仏典を照らし合わせて仏道に勤しんでいます。 浅学でお恥ずかしいのですがお答えいただければ幸いです。 感興のことば第26章 安らぎ(ニルヴァーナ)の13です。 僧侶であればだれでもが親しんでおられる仏典だと思われます。 「13 ①前にはあったが、そのときには無かった。②前には無かったが、そのときにはあった。③前にも無かったし、のちにも無いであろう。また今も存在しない。」の内容をお知らせください。 個人的な一考察ですが、 ①「前にはあったが、そのときには無かった」とは、 A:前には「認識している私」という意識があったが、そのとき(=安らぎ)ではすでに「私」というものは無い。 B:前には「渇愛」があったが、そのとき(=安らぎ)では「渇愛」はない。 ②「前には無かったが、そのときにはあった。」とは、 前には「智慧」は無く「無明」であったが、そのとき(=安らぎ)には「智慧」があった。 ③「前にも無かったし、のちにも無いであろう。また今も存在しない。」とは、 前にも「魂」は無かったし、のちにも「魂」はないであろう。また今も「魂」など存在しない。  という勝手な考察ですが、お坊さんの体験された内容をご伝授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 17
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ヌミノース体験について

私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 55
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とある不思議なお寺の住職

先月からご縁があり、とある相続関係の仕事をさせていただきました。内容は、同じ区画内の土地と建物の権利者がそれぞれ4人おり、権利が複雑な為、権利関係を整理するという内容でした。その一部にとあるお寺の所有の土地があり、事前に住職にお話しをしたところ他の権利者に譲渡(売買)の話をしてもらえないかとの事だったので、時間がかかりましたが何とか承諾いただき他の3人の権利も整理できそうな所まで話がまとまりかけたところ、 そのお寺の住職が売らないと突然言い出し、話が破断に終わりました。私が残念に感じたのは、その住職はお金の話(そんな安い金もらってもしょうもないなど・・)が多く、また誰が損か得かの話も多く、仏に仕える方として有るまじき発言だと感じました。同じ住職としてどう思いますか?私はお寺や住職さんの心を作るお話が好きで前から「住職」という職務を全うしている方には尊敬の念がありましたが、そこのお寺の住職さんは欲深く、由緒あるお寺なのに修行が足りないのかな?と感じました。大きなお寺ほどそういう方が多いのですか? ちなみに私は今回の仕事に対して報酬はなく、奉仕(無料)でさせていただいておりました。どちらが仏に仕えるものかわからなくなりました。同じ住職でもこの方欲深いな?と感じる方いますか?

有り難し有り難し 112
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慢心100%!?愚の自覚がなくなってる気がする。

いつもお世話になっております。 近頃、「あの人たちみたいになりたくない」という考えから、変なお節介が止まりません。 ✳︎ あの人たちというのは、私の親やその友人知人、特に母方の親戚です。 マイノリティの人たちや見えない何かに怯えている人たち、特定業種の人たちを訳のわからない理由で下に見て大声でバカにしたり、 自分とは考えの違う人たちの事を散々に悪く言ったり、人助けを「危ない事」と批判したり… ✳︎ まるでそんな親たちに反抗するかの様に、何かした後に慢心して、逆にやり過ぎてしまいます。 きょうも知り合いの坊さんに 「ロータスさん、五体投地(上礼)、あれ坊さんの作法だからやらないでっ!?1人がやると皆かえって戸惑うから!!」と言われて初めて気がつきました。中礼と上礼の違いがわかっていなかったという痛恨の凡ミスでした…。 ✳︎ そんな感じで「おまいらが考えられない事考えられてる私偉すぎwww」という気持ちから、逆に色んな事が気になってしまっている状態です。 ✳︎ それで逆に念仏も読経もできなくなる時があります。まずい状況だと思っています。 どうかお知恵をお貸しください。 よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 8
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2021/11/26

仕事。怒りのコントロール

仕事場で自分の感情を出してしまいました。 自分の感情を抑制する心構え、コントロール方法が知りたいです。 私は元々感情的な人間で身体的な面からもかホルモンバランスにより 些細なことで怒り、悲しみが溢れ出し涙が出てくる時がよくあります。 仕事場で自分が怒っている態度、涙目なのを見られてしまい。表に出さないようにしたいです。 その怒りも大した事ではないのですが、 外来看護師をしていまして、年齢的に1番下っ端。 なので重いゴミを捨てるなど割とみんなが避ける雑務は私の仕事です。 勿論1番早く仕事にも行きます。 それを何も思わずこなせばいいのに なぜ私ばっかり!他の人は雑談して笑っているか。今しなくてもいい仕事をしているのに! 私が他のことしている間できるはずなのに! といつもそれに怒りを感じながら仕事をしていました。 私の同期はうまく逃げる人で私が声をかけないかぎり手伝ってくれませんしあからさまに避けている態度なので声もかけず 最近は一人でこなしてました。同期は朝早くも来ないし早く帰ってしまいます。 しかし、人間関係は良く 私が他のことしている間に他のめんどくさい雑務をこなしてくれる人もいます。それがほとんどだったのですが 今回、診察が終了し帰るために後片付けをしていました。もちろんめんどくさい雑務をこなし帰ってくると 大事な雑務が最後まで残っていました。 談笑している人、それしなくても帰れるようなことをする人 なんだか私がやれと言われてるのではないかとそれを見て思い怒りと悲しさが同時にやってきました。 私に対しては〇〇やってと声をかけるこの人たちは私より後に入ってきた26歳の看護師に声はかけないのか。 歳の近い先輩は三人とも仲がいいから手伝ってできるのに面倒臭いことは協力して押し付けようとするのか 私が重い荷物を運んでいる間になぜ笑って談笑する暇があるのか こういった怒りと悲しみが同時に高まり涙目になり態度に怒りがでて声が低くなってしまいそれを察した先輩が周りで談笑していたのをやめ手伝ってくれ、 やってしまったと思いました。 年功序列、先輩達もこなしてきた道を私もしなければ行けない我慢できていないのが恥ずかしい。 教えて助けてくれてる分若いし働かなければと思えない自分が恥ずかしい 態度に出してしまう自分が恥ずかしい このような考え怒りを感じてる自分が恥ずかしいです。

有り難し有り難し 15
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悪い方に変わっていく自分を変えるためには

前回の相談に親身にお答えいただけて心が軽くなりました。 今回もお知恵をお借りしたく相談させていただきます。 私は以前より自分が最低の人間になっているのではないか、と恐怖しています。 昔の私は愚痴をこぼすことも他人に悪意を抱くことも嫌い、「人は人、自分は自分」の精神で誰かに無闇に干渉せずに過ごしていました。 しかし最近は、誰かと会うとつい愚痴を言ってしまう、周りの仕事の仕方にいらいらしてしまう、つい自分を大きくみせようとしてしまう等……自分自身でやりたくないこと、他人にとっても嫌なことを不意にやってしまいます。 自分で気を付けようと思っていても、いつの間にか口から零れ出ています。 自分の中のよくないものだけが出てきてしまっていると感じます。 最近はそれを何とかしようと、今ある人間関係からなるべく離れる時間を増やしました。 そして、自分がどうありたいのか、どうしたいのか、自分に向き合う時間を取りつつ、会う人も少数に絞って過ごしています。 それでもぽろっと愚痴が出てしまった時や、自分の存在を誇示しようとする発言をしてしまうと、後悔して自己嫌悪に陥ってしまい、また人から離れなければと一番最初に戻ります。 そんなルーティンを繰り返していたら、ついにS少数の人がSNS上で私と距離を置いたことに気づきました。 SNSの数字などあまり気にしていなかったのですが、少し調べたらよく会って話をしてくれていた人達だと気づきました。 自分で今のままではダメだと思いつつ、本当に変わる気がなくて逃げていたのではと、自分自身にショックを受けています。 自分が引き起こしたことなので、もうその人たちから一生嫌な奴だったと言われ続けても構わないです。 ただ、まだ仲良くしてもらっている人たちにこれ以上負の感情を撒きたくなくて、何とかして自分の感情をコントロールしたいです。 でも、どうしたらいいのか分かりません。 お坊さんたちは、自分がコントロールできなくて周りに迷惑をかけていると思った経験はありますか? もしあれば、その時にどのように考え行動したのか、お教えいただけないでしょうか。 また、人に対して自分の意に反することをしてしまうとき、どのような心持ちで自分を変えていけばいいのでしょうか。 他力本願のような拙い文章でお恥ずかしいですが、お知恵をお借りしたいです。

有り難し有り難し 20
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ぼくの優しさはウソですか?

ぼくが接したお坊さまは、みんな優しいです。 祖父の法事に来たお坊さんは、自分のがん治療体験を基に、命の尊さと大切さを教えてくれました。 Hasunoha で聞いた曖昧な質問に回答をして下さったお坊さまは、分り易い答えをくださりました。 旅先で訪れた先のお寺で出会った住職は、私の他愛のない質問に真摯に答えてくださりました。 ぼくは、弱いです。 学生時代から20年以上いじめられています。大したことじゃない。多分、誰にでもあるような、からかわれ、陰口、いびりくらいです。大したことないからこそ、言えずに、辛かった。 僕は、弱い。 アラサーも超え、はじめて、その弱さと向き合い、認めることができました。 大震災から5年。 はじめて、ひとのチカラになれるよう行動ができた。弱さを認めたから、出来たのかもしれません。今でも、続けています。 ただたまに、よく分らなくなります。 ぼくが行うボランティアや、日常の人助けが、僕の隠れた弱さをカバーするためのものなのか。誰かを手伝うことで、驕り高ぶってないだろうか。優越感に浸ってないだろうか。人のチカラになることを、自分の経験として利用していないだろうか。 訳がわからなくなる時があります。 ただ、実際のひとのやさしさを目の前にしたとき、ぼくはうそをつけなくなりました。ひとの情熱を目の前にしたとき、ぼくは今の自分を、恥ずかしく思いました。何だっていい、TV でもYoutube でもいい。 体が熱くなる。涙が、出てくる、ちからが湧いてくる。 ぼくはこれかも、夢や希望をもって努力する人のチカラになれるよう努力します。 そこで、お坊さまがどんな心持ちで過ごし、働き、人と接しているか知りたく、ご質問させていただきました。よろしければ私がどのように映るのかお教えいただければ有難いです。 長文失礼しました。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

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