大好きな祖父の早すぎた死
数日前、20年間同居してきた祖父が亡くなりました。
私の家は祖父と父がそれぞれ仕事でうまくいかなくなり、いつしか多額の借金を抱えることになりました。
一度は返済完了したものの、祖父は今住んでいる家の固定資産税と車庫代を滞納していたのです。
ここ数年、年金生活だった祖父は返済する気もなく、その借金は全て父に回り、それをきっかけに祖父と父の関係は最悪になってしまいました。
市役所からくる連絡に応じない祖父に対し、父は罵声を浴びせたり、怒鳴り散らすことが多くなり、時には本気ではないものの祖父を蹴ることもありました。
私はいくら祖父が悪いとはいえ、自分の親にそんなことをする父が嫌な人間に思えました。
祖父は小さい頃から私の事をとても可愛がってくれていました。
父と母が働きにいっている間は祖父と祖母が私の面倒を見てくれていました。
そんな私も物心がついて反抗期になってからは祖父に対して冷たく当たってしまうこともあり、その度に後悔をしていましたが素直になれなかった時もありました。
私が社会人になってからは自分の生活でいっぱいいっぱいで、一緒にご飯を食べたり、家にいる時間もかなり減りました。そんな中、少しでも祖父と祖母に孝行したいと思い、時たまご飯に連れていったり、かなり時間はかかりましたが今年一度だけ温泉旅行に連れて行けました。
しかしここ1ヶ月くらい前から祖父は食がどんどん細くなっていたようでした。その後ついに祖父がまったくご飯を食べなくなり、ふらふらで立つこともできなくなってしまいました。
いつもとどこか違う感じがして、もともと祖父が大の病院嫌いで拒むのを承知で私は病院にどうしても連れて行きたくて母に相談したところ、祖母がいつものことだから、と家で様子を見ていました。
最期の方は目は開いているけど聞こえているかわからない状態でしたが、できる限りの介護と感謝の気持ちをひたすら伝えていました。
下顎呼吸はまずいというのをネットで見ていた私はそれをし出した祖父を見てすぐ救急車を呼びましたが、祖父は帰らぬ人となりました。
もちろん父は激しく落ち込みました。
私は祖父はちゃんと幸せだったのか心配です。そしてもっとそばにいてあげたり、どこかへ一緒に行ってあげられたらと悔んでしまいます。
唯一の救いは苦しまず家で最期を家族で看取れたことですが、果たして祖父は幸せだったのでしょうか。
有り難し 4
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