真宗大谷派について
こんにちは。僕は浄土真宗を学ばせてもらっている者ですが、今までは「派」について考えたこともなかったのですが、大まかに「本願寺派」と「大谷派」があるようですね。しかも、往生観が大きく異なるようです。本願寺派は死後(現世でもありますが)の救いを重視し、大谷派は「縁起」の救い?を重視しているようですね。こう見ると、僕はどちらかというと大谷派になるようです。
しかし、大谷派の場合の「往生観」がよく分かりません。浄土は、この世の「法」を空間的に現した方便なのですよね。「法」の世界は、無分別の世界だと思うのですが、人間の分別心は消えないのですよね。機の深信により分別心が明らかにされたのに、法の深信では浄土(無分別の世界)に往生させると言う。矛盾している内容だと思うのですが、僕が間違っているのですか?
二種深信は同時に起こるものだと理解していたのですが、今の僕は機の深信だけが実感できている状態です。
お詳しい方、回答していただけると有難いです。
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