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検索結果: 1349件
2021/10/10

罪悪感でもう死にたいです

こんばんは。私は過去(小学生の頃のころ)沢山の人を傷つけてきました。 陰口や悪口を言ったり暴言を吐いたりなどです。私自身も沢山悪口を言われてきました。その時の悲しみを私は分かっていた筈なのにです。 そしてその悪口や陰口が原因で友人達は離れていきました。その際にやっと自分がとんでもないことをしたのだと気づき、それからは自身の言動に気をつけ思いやりを忘れず生活してきましたが、ふと昔のことを思い出すと罪悪感で潰されそうになります。 「みな試行錯誤であり、それは良い経験であった」「もし昔のことを思い出したら心の中で謝り、今出会っている人たちやこれから出会う人たちを大切にしてあげてください」「神仏やご先祖様に向かって罪の告白、相手への謝罪、今後あのようなな事はしないといった誓いなど懺悔することを日課にする」といったアドバイスをいただいたり他の方向けのご回答を拝見したりして少しでも考え方を改めようと思いましたが、それでも罪悪感で息苦しくなってしまいます。過去が消える訳でもありません。もし今仲良くしてくれている友人達が昔の自分のことを知ったら?昔の自分を知っている人と今の友人が出会って自分の過去のことを知られたら? そのような想像をしてしまい不安で仕方ありません。今でこそ多くの人に「優しいね」と言ってもらえることが多いのですが、昔の自分を思い出し、「本当はそんなことない」と素直に受け止めることができません。 「死」を選ぶことは逃げであり結局は自己満足でしかないことは分かっています。それでも罪悪感でいっぱいになり生きていくのが辛いです。 もう「死」が一番の贖罪ではないかと考えてしまいます。

有り難し有り難し 99
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他人を気にしすぎてしまいます

よろしくお願いいたします。 私は、常に他人からの評価を気にしてしまいます。 いろいろなことにそれは反映されますが、たとえば趣味で描いているイラストです。 自分ではとてもうまくできたと思っているし、実際以前に描いたものよりもずっと出来がいい、というものでも、思うような評価を貰えずに苦しむことが多々あります。自分と同等、もしくはそれ以下(であるように思ってしまいます)の作品が自分のものより評価されている、ということがさらに自分を苦しめます。 自己評価と他者評価とのギャップに苦しんでいる、と言えばいいのでしょうか。 しかし、絵を描くのは楽しく、やめたいとは思いません。 自分は自分、他人は他人、と思えればいいのでしょうが、そう理屈ではわかっていてもできません。 たとえば、自分というものを否定され続けてきたならば、生きていくために、肯定されるために「他者」を取り入れるほかどうしたらよかったと言うのでしょうか。 というのも、私は不美人ですが、小中の頃から勉強も運動も芸術も、そこそこにできたのです。しかし、勉強も運動もできて部活も強く、顔が可愛くて男女問わず人気者の女の子が幼馴染みとして長年隣にいた、という過去が私のこの人格形成に影響しているのではないか、と最近になって思うようにもなりました。 まとまらなくてすみません。 毎日苦しいです。助けてください。

有り難し有り難し 69
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自分で決めることが出来ません

昔から自分で決めることがとても苦手です。 いつも誰かの決定に従って生きていきたい、と思うほど自分で決めることが出来ません。誰かに決められないと、何をすればいいのか分からず非常に不安になります。 高校のころまでは自分で決めなければならない場面が少なかったため、こんな性格でもなんとか過ごせてこれました。けれども最近は自分で決めなければならない場面に多く直面しています。そして周りの子が当たり前に自分で決めているのを見るたびに、自分もああならなくては、と焦っています。そんな風に焦ってはいるものの、結局自分で決めることが出来ず、友人にどうすればいいのだろうと決定を求めてしまっているのですが…。 自分で決められないのは、自分の決定に責任が伴うのを恐れているせいだろうと思います。また、何に対しても「そういう考え方もあるんだなあ」と疑問を持たずに受け止めてしまい、結局何が正しいのだろうかと悩んでしまう性格のせいだろうと思います。 責任を持てないふわふわとした自分に嫌悪感があふれ、このような性格のまま生きていけるのだろうか、と不安を抱える毎日です。どうすれば自分で決めることができる人間になれるのでしょうか。(こうして聞いている時点で人に決定をもとめていますね…笑) 長々と申し訳ありません。つまらない悩みかもしれませんが、何かお言葉を頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 59
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読経が何故供養になるのか教えてください。

お経を読むことがなぜ先祖や自分に関わりのある仏様の供養につながるのか? 大変罰当たりながら、そのような疑問を抱いてしまいました。 仮に例をあげますと、日蓮宗では法華経を読んで先祖供養などをされると思います。 法華経は釈迦が悟りを開いて亡くなられる前に最後の教えを説いたもので、 数ある経典の中でも最上の教えとされていると聞いたことがあります。 その素晴らしい教えを守り、帰依しますと宣言する=「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。という事になるのでしょうが、なぜそれが供養につながるのか疑問です。 自分は先祖や仏様との何らかのつながりがあるから、その自分が題目を唱えることで先祖や仏様の過去の罪が軽くなり救われる。=先祖や仏様も成仏できるという考え方も確かに一理あると思います。 しかし、お経というのはただ聞いたり意味を知らずに読んだりすれば、まるで呪文のようでいかにも効果がありそうに思いますが・・・。 現代語に訳して意味を分かるようにしてみると、一つの物語をただ読んでいるにすぎないように思えてしまいます。 とてもありがたい教えが書かれていることは理解していますが、客観的に考えれば子供に絵本を読み聞かせているようなものではないかと思ってしまうのです。 子供ではなく対象が先祖や仏様へ、絵本がお経という物語へ変わっただけではないでしょうか・・・。 物語を読み聞かせる行為がなぜ供養につながるのか? 先祖供養のためによくお経を読む者として、大変疑問に思っています。 どうか教えてください。

有り難し有り難し 101
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