2021/11/09死の苦痛が怖くて仕方ありません
死の間際に感じているであろう苦痛が怖くて仕方ないです。
最近、ときどき「死ぬ間際の苦痛」がどうしようもなく恐ろしくなってしまうことがあります。
多くはフィクション作品やドキュメンタリーを鑑賞している際に感じています。「死」や「病」に関する描写が出てくると、ふと「死ぬ間際にはどのような感覚なのだろう」と想像してしまうのです。
例えば病であれば、病床で満足に動くこともできず逃げられないまま病による苦痛を味わい続ける日々を想像し、気分が悪くなってしまいます。
フランス革命の話題であれば、「ギロチンにかけられた場合でも間髪入れずに死ぬのではなく、一瞬は生きているだろうから、その際に激痛を感じているのだろうな」などと考えてしまいます。
それ以外にも、例を挙げれば枚挙に暇がありません。
調べてみれば、やはり「苦しまない死」を享受できる可能性はそれほど高くないとのこと。
私はこの、「人生の終わり間際に大きな苦痛が予約されている」という状況そのものに耐えがたい恐怖を感じてしまいます。
思えば、私は「予定された苦痛」というものが非常に苦手です。
以前、微熱と悪寒があり「もしかしてインフルエンザかも」と思った瞬間に、来たる高熱での苦痛への恐怖で血の気が失せて吐きそうになったこともありました(ただの体調不良でした)。
コロナウイルスのワクチンを接種した際も、注射そのものではなく、ほぼ確実に発生するという副反応へかなりの恐怖を覚えていました。
死の苦痛も、私の中では同じです。
死ぬことそのものにはそこまでの恐怖を感じてはいません。
ですが、そこに至る過程である「苦痛」の存在が、私は恐ろしくてなりません。
夜遅くや、朝起きたとき、ふと浮かぶその恐怖に押しつぶされそうになってしまいます。
こうした「来ることが確約されている痛み」への恐怖を和らげるためには、いったいどのような心構えでいればいいのでしょうか?
有り難し 11
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