「正義の剣」を振るってしまう
初めて質問を投稿させていただきます。
少し前にこのサイトと出会い、様々な方のお悩みやそれに対するご回答を読み、仏教の教えや考え方を少しずつ自分の生活の中に取り込むことを日々模索しております。
今回は受け流そうとしても際限なく自分の中に湧いてしまう「正義感」と怒りへの対応についてお伺いしたくご質問させていただきます。
ここ2年ほどこの国を揺るがしている新型コロナウイルスは、今も社会を揺るがし、人々を不安に陥れています。
しかし多くの人々の努力の結果、研究上効果があるワクチンも開発され、まずは重症化リスクの高い高齢者では90%弱の方が1回目の接種が終えている段階まで進行することができました。結果として現在PCR検査での陽性者はかなり拡大しているものの、死者/重症者の増加もかなり抑えられている状況です。
しかしメディアや「専門家」達は陽性者(相当数が軽症者)の数ばかりに着目し、国民の恐怖を煽り、昨年と状況が変化する中でほぼ同じ対策しかヒステリックに叫びません。医療逼迫も叫ばれだしていますが、これも法律に基づいて極めて対応病床を限定していることにも起因しています。
結局我々はただひたすらに恐怖感を煽られ、段階に応じて適切な治療と処置をすれば良いウイルスに対して「恐怖の殺人ウイルス」という印象を持たされてしまったことでその実態を捉え損ねている気がしてなりません。
そしてこうした恐怖感を作り出してきたメディアや「専門家」に対して、自分の中の「正義感」が強く作用して憎悪と怒りが止みません。もちろん現在病で苦しんでいたり、近親者の方を亡くされた方の悲嘆は想像に堪えません。しかし度重なる緊急事態宣言等で経済的に大きなダメージを負い、生きる術を失った人々は必要な犠牲だと捨て置かれて良いのでしょうか。自殺者数が増えているという報道もあります。病と共生し、深刻かつ回復の遅い経済対応する視点へシフトする必要を感じてなりません。
怒りが三毒である、という学びを通じ極力こうした話題は遠ざけたり、怒りを感じたら自分を客観視してみるといった対応を取ってはいるものの、生活していく上で完全に回避することは難しいです。怒りを感じてなだめて、の頻度とその感情の振れ幅があまりに大きく精神的に少し疲弊してきています。
混乱が続く時代をもう少しゆるやかに捉えられる智慧をお借りできれば幸いです。
有り難し 18
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