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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 供養 」
検索結果: 1969件
2022/07/07

自殺した元彼からの恨みの遺書

1年ほど前に4年付き合った人と別れました。 理由は彼の借金でした。 知らない間に私に相談も無く仕事を辞め、その3ヶ月後にFXで生きていくと宣言されました。その時に「借金をしない事、持ち金が無くなりそうになったら働く事」を約束していたのに、私に内緒で借金をしてたようです。最終的には「馬鹿なことをした」と仕事に復帰したものの、すぐ鬱を発症し、働けなくなったところで 借金がある事を告白され100万を貸して欲しいと頼まれました。沢山悩み お金を貸せない事を告げると暴言を吐かれ別れると言われました。お金は貸せないけれど法テラスなどは一緒に行こうと思っていましたが、向こうから別れると言ったので同意しました。その後、私の家の鍵を返す話などでこじれ、警察にもお世話になりました。 一昨日、職場に彼のお姉さんから電話があり、警察に間に入ってもらい話を聞くと、どうやら彼は自死したようでした。さっき家に帰ったらポストに彼から直筆の手紙が入っており、一番辛い時に私に助けてもらえなかった恨みつらみが書かれていて 「お金だけの冷たい人間」と… 「あなたかが支えてくれなかったので一人では立ち直れなくて人生を終わらせます。あなたには感謝の気持ちなど全く無く恨みしかありません。」と書かれていました。 鬱を発症してすぐの時は、彼を支えていくつもりでしたし、彼に寄り添いましたが、すぐに金の無心を受け、断った時の暴言と(貸すことのできるお金があるくせに貸さないなんて酷すぎる、金の亡者め、お金を貸せないような信頼関係ではこれから付き合っていけないから別れるなど)、もともとモラハラ気味で何度か別れようと思っていたのもあり、彼からの別れにそのまま同意しただけなのに、彼の遺書の中では 「鬱を発症してどうしていいか分からなかった俺を完全に見捨てた」と書かれていました。 鬱を発症した事が問題なのでは無く、仕事をやめる事やFXで生きていくとに関する相談がなかったことや、勝手に借金をしていた事、また借金の詳しい内容を聞いてもはっきり答えずただただ100万を貸してほしいとしか言わなかった事、もともとモラハラ気味であった事など色々な結果の上での別れであって、こちらとしては「見捨てた」と言われても…と。怨念がこもっているようで怖いです。今後、私はどのような気持ちで日々の人生を生きていけばいいのでしょうか?

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生きる意味が分からない

毎回何かがあると相談に乗ってもらっているものです。 生きる意味が最近分かりません。 自分は先天的な軽度ではあるものの、 発達障害があります。昔から大変な子でした。 繊細すぎる、真面目で素直すぎる、と言われて来ました。いつも親の顔色を伺っては怯えたり安心したりを繰り返して来た自分にとって、人の顔色を伺い、そして、失わないように自分を偽っていくことは必要でした。 父はサラリーマンで亭主関白、亡き母は保育士で長年障害保育に携わって来た人でした。 下に3人の弟がいるため甘える事はあまりできませんでした。 中学生の時から生きる意味が分からない、と思うようになり、ずっと24歳の今の時までに至ります。 普通の人とは違う、と常に感じ、いくら人に褒められても、受け入れる事が大人になるにつれありました。 やがて大人になっても、仕事にしっかり就けず、 やっと安定した仕事に就けた、と思いきや、 今は公私混同の問題が大きく発展してしまいました。支援機関を使っているものの、不安が立ち込めてきました。現在は同じハンデは持ってはいても働いている年上の方と付き合っていますが、 その方も30代なのできっと不安があるのだと思います。「いつになったら心も仕事も安定するの?」と。僕は精一杯頑張っているつもりでも、やはりそうではないのかもしれません。 頑張り方にもきっと問題があるのかもしれません。 どうして自分は支えてくれる人のためにすら、頑張ることができないのか? 踏ん張ろうと思うと何故か事が起きる。そんな自分が嫌になり、生きる意味すら失いかけています。 大切な人とも大変なことを乗り越えて来ましたが、ここまで来て、距離を置くことにもなりそうです。自分の招いた種だから自分があれこれ言う権利はないです。 誰にも心の内を言えなくなってしまった今、誰に言うこともできずここに書くことしかできません。 2年前に母を亡くし、今のお付き合いしている方と出会う前までは、希望もなく、自分をさらけ出すことに常に怯えて来ました。どうせ失うのなら…と30歳までの人生と決めて生きて来ました。 こんなに辛いのなら、と今思う事は沢山あります。 取り留めのない話で申し訳ございません。 よろしくお願いいたします。

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2022/12/07

本日愛猫を亡くしました

本日13時頃4歳の猫を亡くしました 私はたくさんの猫と暮らしています 完全室内飼いですが、猫風邪が出たようでみんなに感染してしまい 人間の風邪のような症状が出ていました。 冒頭に記載した通り、たくさんの猫と暮らしていますので みんなを病院に連れていくことが出来ず その時1番体調が悪そうな子を連れていき注射をし、薬を処方していただきました。 それにより、私もみんな風邪だろうと思い込んでしまい 薬をあげていればそのうち良くなると思ってしまいましたが、 内1匹が、風邪ではなく尿路に異常があり 膀胱内に尿が溜まってしまっていました。 その為、身体の毒素を排出することが出来ず体温が異常に下がってしまい、翌日病院に連れて行った時には極めて危険な状態と告げられました。 それから1日半が経ち、今朝病院から連絡をいただき 体温は上がったがまだ危険な状態にはあるとの事でもう1日様子を診ますとの連絡の後 再度連絡があった時には先程亡くなりましたとのことでした。 お迎えに行き箱に入れられている姿を見て涙が止まりませんでした。 獣医からは、もう1日早ければ助かったかもしれないと言われ 異変に気付けなかったこと、救急で病院に連れて行かなかったことを総じて 私のせいでこの子は4歳という若さで、病院で1人苦しみ痛さに耐え息を引き取っていったと考えると胸が引き裂かれる思いです。 以前12歳で亡くなった子の時にも同じような思いをしたはずなのに 私はなにもわかっていないじゃないかと 自責の念でいっぱいです。 動かなくなってしまった子を目の前にし、ごめんなさいしか出てきません。 もっと早く気付き、病院に連れて行ってればこの子は死なずに済んだと思ってしまいます。

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彼氏の中絶させた過去について

付き合ってまだ数ヶ月の彼がいます。 この数ヶ月とても良い関係を築いていて、20代後半ということもありまだ日は浅いですが将来一緒になれたらと漠然と描いていました。 そんな彼から先日『以前お付き合いしていた人との子どもを中絶させたことがある』と打ち明けられました。 まだ学生だった頃の話で安易な考えからきちんとした避妊を行わなかったそうです。 お互いに学生だったこともあり、産みたい彼女を説得し合意の上で中絶に至ったとのことでした。 正直言って言葉が出ないくらいのショックで涙が止まりません。何に対してのショックなのか自分でもわかりません。 彼は真摯な人でこの数ヶ月本当に良くしてくれていましたし、そんな彼がまさかと信じたくない気持ちでいっぱいです。 彼は今回、隠し通すこともできたけど将来を本気で考えているから嘘をつきたくないと打ち明けたと言っていました。 この事に対して彼は非常に自分を責めていますし、一生背負っていくべきことだと感じているようです。 私自身、中絶や避妊に対して安易な考えを持っている人に対し昔から強い嫌悪を抱いているタイプです。 中絶は命を奪う行為、避妊は絶対必要な責任と思います。 だからこそ、この彼の過去とどう向き合っていけばいいのかわかりません。 過去は過去だけど事実は事実、別れるべきだと思ったり でもこの数ヶ月の彼の真摯な姿勢は紛れもない事実だと思ったり 頭のなかがぐちゃぐちゃです。 とにかくショックで苦しいです。 どういった答えを導くのが正解でしょうか。ご享受頂けると幸いです。

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飛行機、海外への不安。

いつも有難うございます。 低学年の娘と二人暮らし、夫が海外におり、近い将来娘との渡航を控えている者です。 私は元々、様々なことで不安緊張になりやすいようなのですが、 恥ずかしながら10時間以上のフライトを考えるたびに緊張して不安になってしまっています。 飛行機は、若い頃はなんともなかったのですが、以前に飛行機の降下を経験してから怖さを覚えてしまい、前回は国内線でさえも音や揺れが怖く、緊張で一杯でつよい動悸、目を動かすので精一杯の状態になりました。帰りはまだマシだったので、場数かな、とも思うのですが… 文章にすると情け無いのですが、この状況で、当日空港で怖気付いて動けなくなってしまってはどうしようとも思ってしまいます。 ましてや、コロナ禍で日本人の自分達が、異国で安全に暮らしていけるのか。など、普段は語学や趣味をしながら明るく過ごしているつもりでも、ふと冷静になるとネガティブなことばかり浮かんでしまいます。 私も母親であり妻であり、強さを身につけたいと思ってはいます。 「不安な気持ち」に対して仏教の観点からの向き合い方などあれば、ご教授頂きたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

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コロナ死の父への酷い態度、その後悔

父が新型コロナで亡くなりました。保健所から濃厚接触者だと連絡が来てから亡くなるまで、私は父に何ひとつ優しい言葉をかけず、それどころかまるで汚い物のような扱いをしてしまいました。謝る事や、今まで育ててくれた事への感謝もできず逝ってしまい、日々激しく悔やんでいます。 父は軽い認知症で、デイサービスに週3回行く事が唯一の楽しみでしたが、そこで感染しました。濃厚接触の連絡が来た時、私はただ迷惑としか思わず、冷たい態度をとりました。感染者が少ない地域で、仕事先や子供の学校で『第一号』になれば白い目で見られてしまう…絶対に感染りたくない!と考えて。父は何も悪くないのに。 二世帯住宅でしたが「うちには絶対来ないで!」と言い渡し、母のみに看病させ、父に声をかける事すらしませんでした。PCR検査と入院は私の車で送迎しましたが、「絶対に喋らないで!」と釘を刺し、寒空で窓を全開。父は何度も『寒い…』と呟いていましたが、私は(喋るなと言ってるのに…)と舌打ちしていました。気管支炎で息が苦しいので、マスクを下にずらしてしまう父に、「マスクしろ!」と車内で何度も鬼の形相で怒鳴りました。ドライブスルーPCR検査で1時間弱待たされている時、私は車外に出て、父を1人放置しました。行きも帰りも私はずっと不機嫌な態度で接していました。 入院する事になった時も、すぐにマスクをずらす父に、窓全開の車内で何度も怒鳴りました。 そのイライラした感情のまま、病院の裏口のドアから看護師に支えられながら中に入る父に、低いトーンで「頑張ってね」と言ったのが父との最後でした。 歩いて、荷物もしっかり自分で持ってドアの向こうに行った父が戻ってこないなんて思わなかった… 入院して暫くして「悪化」の連絡が来た時、自分の態度を猛省し、何とか戻ってきて欲しい、酷い態度を謝りたい、今まであまり親孝行ではなかった分を償いたいと奇跡を祈っていましたが叶いませんでした。遺体とも会えず、遺骨となって戻った父。なんて酷い娘だったのだろうと思うと苦しくて仕方がありません。 車内で、寒い寒いと言っていた父。怒鳴る私に、叱られた子供のようにマスクを直した怯えた顔の父。その父の姿が目に浮かび、胸が締め付けられます。父が逝ったのは私のせいではないかとさえ思えてしまいます。 父に謝りたい…私の心を父に届けるにはどうすればいいのでしょうか。

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母が54歳で亡くなりました、つらいです

3/6に母を亡くしました。酒を飲み吐いたものを詰まらせての窒息死、前日にはメールをして、亡くなる5日前には電話もしました。13日には会う約束もしていた突然のことに心が追いつきません。 母は仕事で遠方に行くことが多く共に過ごしたのは4歳まで、12歳までは2、3ヶ月置きに20日ほど、中学の3年間は共に過ごしましたが、15の頃事件に巻き込まれ両親は離婚、以降母とは別に暮らしていました。母には月に一回会いに行く生活でした。親子で過ごした時間はとても少ないと思います。 私が小さな頃に母は兄を自殺で、8年後父(私の祖父)を失っています。家事もして優しくて、けれど二人を失ってからは心のバランスを崩しがちでした。事件以来パニック障害とうつ病も持っていたことを、死後知りました。 私は酒を飲んでいる母が嫌で、つらいことがあるという事もわかろうとせず、冷たくしてしまうこともありました。 死後、家の整理をしていたところ母の履歴書がたくさん出てき、母が頑張ろうとしていた事も知りました。また母のメールから、母が男性に金銭面で援助してもらい、代わりに身体を差し出していた事、その中で暴力行為があった事も知りました。それが母の病状を悪化させたのではないか、知らなければよかったと苦しいです。 なぜ、もっと優しくしてあげなかったんだろうと後悔しています。 誰か一人、私だけでももっと優しくすれば、必要とされていることを母に伝えていれば、向き合って話を聞いていれば母は酒に溺れる事もなく、吐いたものを詰まらせて亡くなる事もなかったのかもと考えてしまいます。 母は依存症でしたが、私のことは常に愛してくれていました。毎月いつ来るかを聞く母は嬉しそうでした。残された沢山の私の写真、母の写真はほとんどありません。 ここ数年は一緒に写真も撮っていなかった、大切だと伝えていなかった、話をして共に出かけたかった、全てを後悔しています。 母の依存症で辛い想いはたくさんしました。普通の家庭がよかったと思う事もありました。 それでも母のことを愛しています。嫌いになったり割り切ったりできません。死後の世界でも、苦しみから解き放たれてほしいと思っています。 残されたものがくよくよしてはいつまでも然るべき世界に行けないと聞いたので前を向きたいです。けれどどうしたらいいかわかりません。 よろしければお言葉を下さい。

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謝罪拒否している加害者からの申し出

交通事故で母を亡くしました。 弁護士を通して加害者から謝罪の申し出がありましたが 受け入れることができず、お墓への参拝であればと お寺の所在地をお伝えしました。 後日お墓へ行った際、住職から加害者が お墓参りに来られたことを聞かされましたが、その際、 住職が受け取ったものがあるということ。 それは、加害者が事件後、車を洗ったときに気づいたという 車体についていた髪の毛でした。 住職は、それをどうしますか?と私に聞きました。 私は言葉を失い、答えることができませんでした。 生前の母はとても美人でした。 私は、事件の知らせを受けたときに最初に駆けつけ、 銀色の台に横たわる母の姿を見ました。 もう再び起き上がることはできないとわかりました。 致命傷なのであろう額は大きく腫れていて、あまりに残酷な現実でした。 家に帰ったときには腫れがひいたそこは黒い大きな痣に変わっていて、 化粧担当の方が上手に隠してくださいました。 遺影も良いものを選ぶことができ、 お葬式のときには参列の方々へ生前のような姿でお別れすることができました。 警察から検分の済んだ持ち物を返品しますと連絡が来ましたが、 事故の痕跡が残っているであろう衣類だけはどうしても向き合えず、 処分してほしいと頼みました。 数ヶ月は目の前の用事をこなすことで精一杯でした。 仏壇の母の写真はいつも綺麗に機嫌よく微笑んでいて、 私はその姿に日々救われていました。 ようやく諸々が片付きつつある今、気づけばもう8ヶ月が過ぎていますが、 私はあの銀色の台に横たわる母の姿に蓋をして、過ごしているんだとわかっています。 受け取れないなんて酷い娘でしょうか。 衣類を処分したことも、私は間違っていたのでしょうか。

有り難し有り難し 11
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