良心の呵責や罪悪感を生きる糧にすること
頭の中が混乱し,同様の質問を繰り返してしまっています。20年前に1度,15年前に1度,何もしないから泊まっていってと言われてそのまま不貞行為に及んでしまいました。1度目の直後になんでこんなことをしてしまったんだと自分に絶望したにも関わらず,同じような過ちを5年後にしてしまったことを今でも振り返り,なぜそんなことをしてしまったのかと当時の状況を毎日思い返しています。欲情した自分、犯してしまった事実に嫌悪感と罪悪感を感じています。妻は何も知りません。(と私は思っています)連日のようにテレビでこういった話題が取り上げられ,「私は絶体に許せない。どんな状況であれ1度でも許せない」と妻が話しているのを聞くと,自分からではなかったから・・と心の中で自己弁護してた自分としては申し訳なくて苦しくなります。朝、目覚めてから寝るまではずっと申し訳ないという罪悪感や自責の念,これからどうなるのだろうという不安や恐怖,自分の生き方はこれで良いのかという混乱,で疲弊している状態でした。妻は笑顔で私もとても幸せです。でも,このまま「言わない」ことが正しいのか,言わないでいることに妻への申し訳なさを感じます。最も嫌いなことを2度もした男が夫でいるのです。このままで良いのだろうか?正しい生き方なのか?と迷います。妻の笑顔を守るため,良心の呵責に苦しむのは自業自得なのだからひたすら耐え続けて生きる・・・ことを自分は選択して今日まで来ました。自分の心身の限界に恐怖を感じてもいます。でも,勝手ながら妻を絶望させたくないのです。「そうは言っても結局は自分自身の保身でしょう?」「すべてを告白すべき」とのご意見も頂戴したのですが,やはりその勇気は持てなかったです。この生き方は仏教的に,お坊様から見ても卑怯な生き方なのでしょうか?自分の生き方は自分で決めなくてはならないとは思っています。でも,自信が持てないのです。誰にも相談できないのでハスノハの皆様に「考え方」「生き方」のアドバイスをいただきたいと思って何度も質問させていただいておりました。一生後悔しながら妻と生きること,は許されないのでしょうか?残り2つの選択肢,①自分が病気で死んでしまう。そうすれば誰も傷つかないで済む。②すべてを告白して別れる。100%,妻は絶望します。悲しませたくはないです。どうすることが誠実だと思われますでしょうか。ご教示願います。
有り難し 18
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