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回答は、各僧侶の個人的な意見のため公共性を帯びたものではなく、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
検索結果: 6378件
2019/07/16

他人の目や、他人の言葉が気になる

昨年の冬から仕事をし始めたのですが、そのころから他人の目や言葉が気になり始めました。 それまでは体調が悪かったこともあり、出かけるのは買い物に行くくらいだったので、外出先で人目を気にすることはあまりありませんでした。 しかし、仕事を始めたころのある朝、大勢の人たちが行きかう中を出勤していたら、知らない人からすれ違いざまに自分に対して外見についての悪口を言われたように思い、その日一日中暗い気持ちでした。 その後、出勤時ではない、普通の買い物の時にもそのようなことを言われたことが何度かありました。 家族にその話をすると、「実際に外見のことを言っているんじゃなくて、偶然そう聞こえただけじゃないか」とか、「他人と目を合わすのが嫌な人が目が会ったから変なことをいっただけかもしれない」と言われました。 そうかもしれないのですが、実際に自分には、自分の外見に対する言葉に聞こえて落ち込みます。 そのほかにも、よその子どもたちが私を見て逃げていったように思えたことも何度かありました。 外出する際には、自分のできる範囲でおかしくない外見に整えているつもりですが、だんだん何か言われるのが怖くなく、下を向いて歩くことが多くなってしまいました。 他人の目や、他人から何か言われる言葉が怖くて、外ではびくびくしています。 このまま下を向いて歩いていた方がいいでしょうか。 それとも、何か言われても気にしない心を養うべきでしょうか。 何かご助言いただけましたら幸いです。 どうぞよろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 1
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2019/06/25

他人とは何でしょうか

子どもの頃から親、クラス、教師など他人と関わるのに疎外感を感じてきました。 その時の自分を表現したかっただけなのに、杭として飛び出れば、やっかみやいじめや、利用してやれ、無視してやれみたいな報復が待っており、世の中の大多数の他者とは分かり合えない、という思いが形成されました。 そういった「分かり合えない、わかってほしい」という思いと他者との関係は大人になってもたいして変わらず、そういった渇望に付け込まれて、やりがいの名の下にいいように働かされ、精神を病んで休職してしまいました。 自分が、他人と仲良くなるかどうかは別として森羅万象の相互関係性のなかで生かされていることは理解できます。他人の存在がなければお米を食べることすら不可能です。 それでもやっぱり、休職から社会に戻って人と関わるのが怖い。というか、自分の中に他人を位置づける場所がないのです。 他人と折り合えない、悲しい、深く傷つき、自分さえもそれを癒せない。ましてや外の世界に救いなんて無い。 また、わざわざ傷つきに戻るのだろうかと... そこで、そもそも自分そして他人とは何かということを考えています。 仏教では、自分さえも固定的な本質を持たない、相互関係性でその瞬間ごとに成立しているただの現象であると説いていますよね。 では、同じような原理で発生している「他人」、例えばジャンケンしようとして相手が何を出すのかすら観測不能なまでに隔絶された「他人」というものについて、仏教はどう説明しているのでしょうか? 教えてください。

有り難し有り難し 11
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2020/04/30

他人を信じることができない

私は都内の大学に通う学生です。 大学の人間関係は問題ないのですが、高校時代の経験が元で人を信じられなくなってしまいました。 その経験というのは、友人だと思っていた方から嫌がらせを受けたというものです。 高校進学時、同じ中学出身の異性が一人だけおり仲良くしておりました。ある時交際を申し込まれたのですが、私はアセクシャルのため恋愛感情が持てず、その方に対しても特別な感情を抱いたことがございませんでしたので、交際をお断りしました。この後が問題でした。私は高校進学と同時に異性が多く所属する部活に入り、そこで異性の親しい友人がたくさんできました。そのことを良く思わなかったのでしょう、その方からの嫌がらせが始まったのです。嫌がらせの内容は、根も葉もない噂を流したり、SNSアプリの画像を加工しあたかも私が不謹慎な言葉や他人の悪口を言っているようにみせたものをクラスメイトに拡散したりといったものです。徐々にクラスメイトがよそよそしくなり、私と接触しないようにしよう、というような空気を感じるようになりました。それは学年、クラスが変わっても同じことでした。本当に辛い3年間となりました。 それから先、私は他人を信じることが出来なくなりました。私に向けられた優しさに対しても、どうせ裏切るんだろう、どうせ見返りを示さないと嫌がらせをするんだろう、と思ってしまい受け入れることができません。大学に入り友人に恵まれた現在も変わりません。 恋愛対象に振り向いてもらえなかったからといって自分勝手に私を傷つけたその方と、この経験から他人を信じられなくなった自分の弱さに対して未だに怒りを感じます。 特に、他人を信じられないという点に関しましては、仲良くしてくれる友人に対しても、少しでも情報を握られたくないという思いから些細なことでも隠し事をし、無意識に関係を浅く保とうとしてしまうのです。 また、あの時交際を受け入れていれば今でも他人を信じられる私でいたのかなと、後悔の念にさいなまれることがあります。 昔のように他人を無邪気に信じられた自分に戻りたいです。しかし、努力してみても過去の記憶が枷となり荒んだ自分に留まってしまっています。 私はこれからどう生きるのが正解なのでしょうか。また、湧き上がる怒りはどのように抑えれば良いのでしょうか。 道を教えていただければ幸いです。宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 16
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