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生き物の殺生について

こんにちは。私は以前小さなパン屋さんで焼成を担当しており、毎日パンを焼く仕事をしていました。全てのパンにイーストを使用しています。毎日働いているうちに仏教への関心が強くなり、私は大量のパン酵母を焼き殺しているんだと考えるようになりました。酵母がいきいきとするように保湿をして 暖かくして エサとなる糖分を与えて 十分に分裂したあと熱い窯で一気に焼き殺してしまうことに強い罪悪感を感じるようになりました。パンを買ってお客様に喜んでいただける職業はとても素敵だと思います。 ですが、それ以上に自分が担当している焼く仕事は罪の重いものだと感じるようになり、心の中で葛藤していました。これが原因ではないのですが 転職し 今は全く生き物を殺さない仕事に就いています。この心の葛藤を抱えたままですが今も生活しています。 最近では、リアルファーに対する嫌悪感が出てきてしまいました。動物の毛皮や皮革を剥ぎ取ってしまうなんて酷いと思いました。理想では動物実験をしていない薬や合皮を使って生活したいと考えています。 避けていても自分の手の及ばないどこかで犠牲になる生き物が出てしまうのは仕方ないと考えています。自分の出来る範囲で皮革製品は使わないようにしていますが、最近プレゼントに牛革のパスケースを頂きました。避けていたのですが使わざるを得ません。頂いたことには感謝しています。牛革は肉の副産物だから 気にすることはない。という意見を聞いたことがありますが、矛盾しているのでは?と思います。無駄なく使うことは理にかなっていますが お坊さんのご意見はどうでしょうか…? それと また似たような感じになってしまいますが、カビの殺菌スプレーを使うことにも少し抵抗があります。水回りを不衛生にしていては そのうち健康に影響が出てきてしまいますし ある程度は使用しないといけません。毎日のことなので 毎日悩んでしまいます。お坊さんでもこのような 殺菌スプレーを使うことはあるのでしょうか?また、使うことに対する考えをお聞かせいただけたらと思います。ながい文書になってしまい、すみませんでした。ご回答よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 66
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彼と進展しました。

彼と先月中旬から同棲スタートしました。 去年の事があり、彼は急いで準備してくれたのだと思います。 些細な事で喧嘩したりしますが、お互い助け合って毎日大好きな彼と居られる!幸せなのに、心に穴が空いた様な不安に襲われる事があります。 それが起こるのは決まって月経前です。ホルモンバランスの関係と認識しているものの、辛く当たってしまったり、イライラをぶつけてしまったり、疑心暗鬼になったり不安定になってしまいます。昨年のことがあってから、特にこの時期になると、彼は私とどうして一緒にいて、こんなに優しいのかな?ずっと一緒にいよう!私には少しでも美味しい物を食べてもらいたい、欲しい物も買ってあげたい。改めて正式にプロポーズしたいと思ってる。指輪もプレゼントしたいと言ってくれて、キチンと考えてくれてるのに、皮肉を言ってしまったり、本音は私も彼とずっと一緒にいたい。もっと素直に気持ちをぶつけたい!心はそう思ってるのに、素直になれません。こんなに優しい彼だから私よりもっと素敵な女性、優しい女性が彼には相応しいのでは?と思う時さえあります。私の事、信じてくれているのに私は疑ってばかりで、幸せになってもいいのかな?一歩踏み出す事が出来ません!どうしたら、彼に素直になれますか?

有り難し有り難し 9
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旦那の家族と上手くいきません。

6月に男の子を出産しました。 妊婦生活は旦那の実家でほとんどすごしました。とてもマタニティーライフという言葉のものはありませんでした。20週目で陣痛がきてしまい入院をして子宮口は1.5cmもひらき、流れると言われ全てストレスだと言われました。実母が小さい頃から鬱病で気を使う生活が当たり前で義理の家族にはとても、気を使っていました。トイレも隣のスーパーでする時もありました。つわりも気絶をして救急車に運ばれるほどひどいほうでした。 自分の実家に帰りたいとお義母さんに言いましたが、旦那に実感をわかせるためにとダメだと言われたえました。 そしてお義母さんは不倫をしていて旦那のことを殴ったり言葉の暴力をしたりなど私はお義母さんの不倫相手に好感がもてませんでした。堂々と不倫をしていて、おとうさんにいつばれるのかと怖いくらいです。私が妊娠してる時は毎週水曜日と土曜日の夜デートに行っていたり、おとうさんが夜勤の時は夜あったりしていました。 そんな気を使う生活の中、お義母さんの不倫の不満の中、子育てはできないと思ってしまって里帰りを1ヵ月半~2ヵ月といっていたのを、さきのばしにしました。私からは直接言わず旦那に言ってもらいました。そして私と旦那側の家族とはぎくしまくしてしまい、子供のお宮参り、100日のお祝いもなにもできてないままです。私からいう勇気もなく、旦那側の家族から連絡も一切ないです。 お宮参りにもとても行きたいですが、勝手に旦那と2人で行ってもいいべきなのか色々悩んでしまいどんどん時間だけが過ぎていきます。 どうかアドバイスがあればよろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
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器の広い女性になるには

はじめまして。 私は夫が大好きです。心から愛していますし、これからも変わりなく愛したいと思っています。 しかし、夫の携帯から女性の写真が見えたり女性関係の事になると小さな事なのに過度に嫉妬したり、小さな嫌味を言ってしまったり。こんなに好きで損した、というような気持ちになって冷たくしてしまいます。 夫を好き過ぎて、その気持ちを変えたくないのですが、幼稚な私は「こういう発想にしよう →例: 期待せず愛する 自分も他の事に意識を向ける 等..」と思考で変われそうな良い発想をいくら思いついても、いつもその場になると感情に負け、心から安定して愛したいのに、嫌な自分になってしまいます。 今回の相談なのですが ①そんな気の変わりやすい自分を怖く感じる。(昔から気が変わりやすく人を傷つけた過去があり、現在臨月で子供が産まれたら、何か自分の気持ちが変わらないか心配) ②夫が楽しく自由で居てくれる方が嬉しい。そう心から思っているのに、嫌な自分になってしまうのはなぜか、 またそんな時、嫌な自分にならずに器の広い女性になれるにはどうしたら良いか (年齢と性格からの幼稚さや専業主婦という環境も原因でしょうか) 全ては、自分の気の変わりやすさの不安と、心から夫を変わらず大好きでありたい(いちいち誤解したり、気が変わって自分も相手も疲れさせたくない) という願いと悩みです。 難しい質問ですが、お答え アドバイス頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 9
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お守りへの気持ちを間違えてないか不安です

今回、お守りとお寺参りについて相談させていただきます。以前にもお守りついて質問させていただきました。今回はその続きについてです。 私はお寺に行き、交通安全のお守りをお受けしました。車を購入し、車の安全を祈って納車までに交通安全のお守りをお受けしました。 私は車が大好きで、納車されてくる車が事故に遭うかもしれない、という不安をなくすためにお守りをお受けしました。 しかし、お守りをお受けしたのではなく盗んでしまったのでは、という不安が頭から離れず(最近は盗んだ不安は薄まり、代わりに説明の仕方がわからない嫌なモヤモヤ感があります)、お守りを大切に出来る自信がなくなり、また大切に出来ていなければ本当に神様や仏様に申し訳なく思います。 先日、こちらのサイトからお言葉をいただいたように、近いうちにお守りをお寺に返納し、お賽銭箱にお布施をお納めしようかと思います(おそらくそうする事が自分が一番楽になれると思います)。 そこで相談なのですが、もともと、近いうちに納車される車の交通安全を願ってお守りを授かりました。今持っているお守りは返納しようと思いますが、そのあと、近いうちに改めてお守りをお受けする事について、どうすればいいのでしょうか(次は盗んだかもという不安が起きないために万全の対策をしてお受けします)。 例えば、1ヶ月ほどしか経っていないお守りを自分の都合で返納し、近いうちに同じお守りをお受けすることは、神様や仏様に失礼な行動には当たらないですか? もしくはお守りをお受けしなくても、定期的に、継続的にそのお寺にお参りさせていただいても、交通安全のご利益はありますか?定期的にお参りする場合は、自分の都合でお守りを返納しておきながらお参りを繰り返すのは神様、仏様に対して失礼な行動ではないですか? もしくはやはり返納はせず、今はモヤモヤした気持ちでしんどいですが、心をなんとか入れ替え、今あるお守りに改めて感謝をして持ち続けてもいいのでしょうか?(やはりこの場合は、盗んでしまったかもという不安と、盗んでいた時の申し訳なさ、今のこのわけのわからないマイナスの気持ちを持ってしまっている事が申し訳なく思います)。 このような自分勝手な相談内容で申し訳ありません。しかし、自分にとってはどうしていいのかわからない問題で、なんとかお言葉をいただけると嬉しいです。

有り難し有り難し 12
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2023/09/22

今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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