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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

最愛の母親が亡くなって49日を迎えます、、

去年11月末に入院してまさかのわずか2週間で永眠してしまった最愛の母親、、 入院直前は確かに座れなくなり、家で寝たきりになってしまうまでが早かったのですがまさかの大腸ガン末期からの腹膜炎併発で告知聞いた時は卒倒してしまいました、、 余命数日なんて信じられないって、、 あれからまだ四十九日を迎える段階の現状で年が変わっても全く自分の環境、心境は変わりません、、 毎日母親の写真持って話しかけては何とか仕事復帰しましたが、一瞬でも無になると涙がとまりません、、 常に母親と一緒でした。足も悪かったしずっと苦労してきたのを小さい頃から息子ながらに見てきたので毎日母親を喜ばせる想いで仕事頑張ってきました。母親が糧でした、、 自分は40代で独身ですが、84歳の高齢な母親から産まれた分、凄く可愛がってくれて小さい頃からの記憶も覚えてる分辛くて辛くてたまりません、、 毎週車に乗せて美味しいもの食べに連れて行ったり、遊びに行かせたりと母親は毎週週末が楽しみでした、、 母親は常に、(ほんとに親孝行息子やね、ありがとね。ほんとなら若い子と一緒に遊んだり出かけたりしたいやろうに、こんな年老いたのを連れ添ってくれるんやもんね、)と、、 自分は全くそんな若い同世代と遊びに行きたいとか思わなかったし、母親の喜んでくれてる姿がとにかく何より嬉しかった、、 入院した1週間はかすかに話ができてた、、点滴ばかりやね、、早く年末また一緒に買い出し行きたいねって、、 辛かった、、看病しててほんと心がはち切れんばかりでした、ほんとの告知はできませんでした。 2週間目にはもう酸素マスクで話も出来ずに、点滴もとうとうほとんど打てなくなって、、 最後の数日前に涙たくさんだして自分の手をずっと握り返してくれたあの想い、、 母親の言葉で聞きたかった、、きっとありがとうっていう意味だろうねってそう受け止めてました、、 亡くなった直後はもう自暴自棄で自分もすぐ後追いたい、、母親の支えにとかそんなことばかり、、 勿論わかってます、、母親がそんなこと望んでない事は、、でも、こんなに親が亡くなるって想像絶する辛さですね、 まだ夢にも出てきてませんが、母親との想いが残ってる家の空間、物、服、全てがあるのに生身の人間はなぜ残らないのか、、そんな変な事ばかり考えます、 お母さんともう一回言葉を交わしたい、、 お母さんを感じたいです、、

有り難し有り難し 11
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神様仏様御先祖様なんていません。

1カ月程前、婚約者を亡くしました。 健康状態も悪くなかったし元気だったのに、くも膜下血腫で突然の事でした。 まだ32歳だったんです。 知り合ってから11年、付き合ってから5年、私が41歳と高齢なので先に子作りをし、やっと妊娠出来て安定期に入ったので、新居を決め、今月中に引越と同時に入籍する予定で周りにも報告していました。 何でこんなむごい事が起こるのですか? 彼も私も、こんな大きな罰を受ける事はしていないし、仕事も私生活も真面目に生きて来たつもりです。 同じ会社だったから、職場にも思い出があり過ぎて、辛さに耐えられず会社もずっと休んでいます。 こんな精神状態で赤ちゃんは無事に生まれてくれるのか、育てて行く為、経済的に会社は絶対辞められない、でも今は思い出が沢山ある場所へ行くのが怖い。 心療内科なんて行きたくもないけど、毎日悲しさや辛さや先々の不安で色々考えていると気が狂いそうで、自分の頭がおかしくなって、ウツ病にでもなってしまったのかと心配になり受診しました。 彼は自分より大切な人だった。 もう居ないと分かっているけど、どこかで受け入れられていない。。。 運命、宿命、寿命、そんなの信じられないし、神様、仏様、御先祖様なんて居ないと思いました。 毎月子宝神社へお参りし、自分の大切な人達の健康も祈ってたのに神様は無視したんですか? 頻繁にお墓参りも行き、仏壇へ手を合わせて供養していたのに、御先祖様はなぜ子孫を苦しめるんですか? 子孫を守ってあげなかった、彼の御先祖様に一番怒りを感じてしまう。 罰当たりと思われても、誰のせいでもないから、見えないものに思いをぶつけるしかない。。。 悲しむだけ悲しんで時間が経てば、、、 彼の為にも前を向いて、、、 赤ちゃんが力をくれる、、、 そんな決まり文句を言われても、当事者の私は綺麗事じゃ済まない。 これから親になるのに、こんな弱い自分も情けない。 自分の気持ちに折り合いをつけられるまで、いつまで時間がかかるんですか? 考える事、やらないといけない事があり過ぎて、頭が働きません。 この悲しさ辛さ苦しさに耐えられる気力がありません。 どうすれば良いですか?

有り難し有り難し 90
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介護施設にいる父について

私には10年以上会っていない父がいます。私が小学2年生のときに親が離婚し、そこから暫くは会っていたのですが年がたつにつれ会わなくなり、母親の再婚してからは一切あっていませんでした。 しかしここ2、3年は介護施設の人から手紙が来て父が体を悪くし介護施設にいると連絡があり話をするだけでも良いので、顔を見せてあげて下さいといった手紙が来ていました。 しかし、気まづさのようなものを感じて私は一度も会いに行っていませんでした。 ですが、最近新たに連絡がありもう長くはないかもしれないと、会いに来てくださいと連絡がありました。 私の父の思い出は決して多くはありませんが、愛されていたと胸を張って言えるぐらいには思い出があります。 だからこそ、父がそうやって大変な時に何もせず顔を見せることもしていない私が今更どんな顔して会いに行けばいいのでしょうか。 忘れられているのが怖いのか、嫌われてしまってるのが怖いのか、会っていないとはいえ血の繋がった父の最期の近づいたすがたを見るのが怖いのか…正直今の私の心はどうすればいいのか分からないのです。 私はどうしたら良いのでしょうか。 正直今の私は心の整理がつかず拙い文章となり本当に申し訳ございませんがお言葉をいただければと思いますのでよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
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気持ちの整理の仕方

もうすぐ、今年も終わりますね。 今年の9月に母親を亡くしました。元々から体が弱い母でした。 今まで入退院をしていたので、いつもの体調不良だとおもっていたのですが、倒れた8月から一か月たたないうちに、母はいなくなってしまいました。 母の入院中、母と話せたのは1回きりで、あとは人口呼吸器につながれていたため、会話も意思の疎通取れず、たまに、筆談にて会話をするくらいでした。(元から耳が不自由な人でした) その筆談も、力なくほとんどなにを書いているのかわかりませんでした。 しかしたった一度はっきりとした字で『すぐ、死にたい』と書かれました。 愕然としたのを今でも覚えています 母のその一か月間は絶食で水の一滴すらのませてあげることができませんでした。 私や家族の顔を見ると話せないながら、手で水を飲むしぐさをしていました。 その姿や、衰弱していく母しか、まだ思い出せず。今は声すら思い出せません。 もっと話しておけばよかったと後悔しています。 私は、姉妹にも父にも旦那にも子供にも、母がいなくなって寂しいと話せません。 共有できないから、私が強くないと父も姉も、壊れてしまうから、 姉も母と、同じ病を抱えています。 父も、もう若くはありません。 自分の家庭は、私が悲しんでいたら回りません。 でも、日に日に寂しく罪悪感が増していきます。 どうして、もっと早く病院に連れて行かかなかったんだろう、もっとちゃんとしたお医者様に見せなかったんだろう。 なんで、話さなかったんだろう。 尋常じゃないくらいつらくて痛くて苦しかったはずなのにどうして私はわからなかったんだろう、どうして教えてくれなかったのだろうと。 大切な方や身近な人がなくなったりした時、このような気持ちの整理をつけるためには。どうしたいいのでしょうか。 ずっと母と話したくてたまりません。 長文、乱文にて大変申し訳ありません。

有り難し有り難し 11
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亡くなった祖母のことを思い出し、耐え難く、辛い

はじめまして。 私は大のおばあちゃん子でした。中一の頃に父が病気で亡くなり、それからは別々に住まなくてはならなくなりました。この世で一番大好きな大親友でした。父が亡くなったため、祖母が亡くなる前の何週間も毎日1人でお見舞いに行きました。父がいたら家族や親戚でお見舞いにも来られたし、そう思うと辛くて仕方ありませんでした。父方の親戚は優しいですが、母と仲が悪く、父が亡くなってからは、祖母の死の間際まで付き合いが途絶えていました。 祖母が亡くなった時、祖母はもう辛さから解放されたとほっとしました。けれど命日から四年経った今月突然、辛すぎた当時のことを思い出したり、祖母に会いたくなったり、悲しすぎて耐えられなくなってきました。あまりにも悲しくて寂しくて、何も食べられなくなり、体重も8kgも減り、目が覚めるとうんざりします。 思えばこの4年間、信じられないくらい平気で過ごしてこられました。でも四年も経った今、堪え難いほどの悲しみに襲われ、生きていくのも嫌になりました。 母は祖母のことが大嫌いだったので、お葬式にも行っていません。だから誰にもこの気持ちを話せずにいます。誰かに聞いて欲しいのに、こういう話ができる友達もおらず、彼氏も夫ももちろん子供もいません。 優しい親戚のおばさん(父の従姉妹)や、隣の家の親戚のおばさん(母方の祖父の奥さん)、祖母の友達などは、祖母のことをとても気にかけて優しくしてくれたので、聞いてくれるでしょうが、こういう気持ちを話しても、迷惑だと思うのです。ただ誰かと祖母の思い出話だけでもしたいのです。 とにかくこの気持ちを和らげて、今までのようにそれなりに生きて生きたいのですが、悲しすぎて耐えられません。 祖母は最期は認知症でしたが、最期まで私のことはわかり、私が結婚することを願っていました。いつも私のことを想ってくれていました。だからもう味方が誰もいないような気分です。 いつも心配してくれていた祖母のためにも、幸せに生きて生きたいのですが、あまりにも辛く、どうすればいいのかわかりません。なぜ子供の頃に父が亡くなったり、私の人生はこんなに辛いのでしょうか? どうすれば少しでも楽に生きていけるようになるでしょうか?

有り難し有り難し 38
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大切な人を失くしました

10年前 私が20代半ばの頃です。約2年半程 交際していた方が自ら命を絶ちました。当時は 悲嘆に暮れ 絶望感と今までに経験したことのない喪失感でいっぱいでした。 私の言動や行動が 彼を追いつめたのではないかと思い自責の念にも苛まれました。 彼に対して 『何故、どうして?』という気持ちがいっぱいで溢れそうになり 時にはそれが『なぜ私をこんなに悲しませるの』と、怒りになることもありました。 彼がいなくなってからも 私の日常は変わらずにあり 泣いてばかりもいられませんでした。半年も経てば 彼がいない生活にも慣れてしまいました。亡くなってからの一年間は 周りに心配をかけまいと 必死に毎日を過ごしていたように思います。楽しいことがあれば普通に笑えたし、その一方では 死にたいと考えてしまう自分がいたり。今思えば、 常に両極端な緊張感の中にいるようでした。結果 糸がプッつり切れてしまい休職するに至りました。 『時間が経てば癒される』と よく言いますが、三回忌を過ぎた頃からは 彼がいないことに対して寂しくて泣くことは少なくなりました。あんなに毎日の様に彼のことを考えていたのに 自分のやるべきことに追われ忙しい日常にいると すっかり彼のことは忘れていましたし、それでいいのだとも思っていました。しかし そう簡単に割り切れる訳もなく、 少し疲れていたりすると 決まって彼のことを思い出しては悔やんでいる自分がいたのも確かです。 七回忌が終わった頃には 私自身も 歳を重ね 彼の自殺の原因を考えるより 彼が亡くなった意味に想いを巡らせる様になりました。 歳月が流れて 私の気持ちにも沢山の変化がありました。時間はかかってしまいましたが 私なりには彼の自死を消化してきたつもりです。しかし、10年が経とうという今でも あの当時の喪失感だけは拭えません。新しい誰かと未だに向き合えない自分がいます。 また、物にも あまり執着しないようになり、とにかく身軽でいたいと年々 思うようになりました。彼以外にも この数年に大切な家族を立て続けに亡くしたことも かなり堪えています。 すっかり 自分の進むべき道を見失ってしまいました。生きることに執着がない自分自身にも とても不安になります。何か新しく手に入れたり 出会いが生まれれば、そこから貪欲になれるのでしょうか?

有り難し有り難し 5
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先日母親が亡くなってとても辛く淋しいです。

幼少の頃から母親が苦労してきたのを見てきたので自分が早く大きくなって母親にたくさん親孝行することを糧に生きてきました。 ずっと母親っ子でとても優しく、自分の事よりも子供の事を何より優先して心配してきた母親、、 そんな母親との日々が仕事してても糧でした。 それなのにまさかの先月緊急入院してから僅か2週間で他界してしまい、、今でも信じられません、、末期の癌からくる腹膜炎でした、、84歳でした。 2週間付きっきりで看病してましたが、母親は最初の一週間は「迷惑かけてごめんね、、退院したらまた年末一緒に買い出しに出掛けようね、、がんばるからね、、と、、」 手を握りながら相づちうって笑顔振りまいてましたが、すでに主治医からは余命数日と予想もしない宣告受けててとてもとても苦しくて一人の時は号泣し続けていました、、 母親はまた家に帰れる想いで頑張ってるのに、本当の事はとても言えなかった、、 2週間目に入ったら一気に急変してきて話さなくなり、、それでも必死に口の渇きを潤してあげあり耳元で話し続けてました、、 母親は涙浮かべて、ぎゅっと手を握り返してくれました、、今思い返してもその時の光景が離れません。 最後は、徐々に息も絶え絶えになり眠るように永眠しました、、 号泣してありがとうを何度連呼したか、、嗚咽止まらず叫び続けました、、 亡くなってまだ2週間ちょっとですが、空虚感、悲壮感、孤独感、現実に受け止めれません、 何もやる気がおきず、母親の元にすぐ行って支えて一緒に逝きたいとかばかり考えてしまう今、、 家にいても母親の直前まできてた服や、台所の物とかはもちろん、出掛けても母親と行った場所、道がどこも頭をよぎって涙が止まらずさみしくて辛いです、、 母親の写真を常に肌身離さず持ち歩いて話しまくってます、、 84歳なら往生だと思うよとか、周りは慰めで言ってきても、自分にとっては全く素直に受け入れられず、逆に親のいる人に何がわかるんだ!と怒りとか苛立ちばかりになってしまう、、 普通に過ぎていく毎日がいかに幸せだったか、こうした別れで深く感じています。 今は普通に過ごす事すらつらくてたまりません、、 母親の涙流しながら手を握り返してくれた想い、、言葉で聞きたかった、、 母親の気持ちが聞きたくてたまりません、、 母親が高齢の時生まれた自分でまだ独身なので余計淋しいです、、

有り難し有り難し 19
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故人との付き合い方について

世界で一番大事な人を一週間前に亡くしました。 最期を看取り、通夜、葬儀に参列し、肉体を失うまで見てきました。 ですが、いまだに実感がわかずにいます。ただ、涙はずっと出ています。 まだ、過去形で故人を語ることが出来ません。 そこで質問です。 (1)故人へのこの思いは、故人を現世にとどめてしまうことになってしまうでしょうか? (2)故人の写真を持ち歩いたり、生前頂いたものを身に着けてもよいのでしょうか? (3)生前通り、ついついメールをしてしまいます。(いつもそうしていたので)また、生前頂いた大事なぬいぐるみにも毎日話しかけてしまいます。これも良くないことなのでしょうか。 (4)故人とした会話や行事での音声を毎日聞いてしまいます。これも良くないことでしょうか? (5)故人の匂いや気配を感じると、そちらを向いて話しかけてしまいます。これも良くないことなのでしょうか? (6)この哀しい気持ちを引きずってしまうのは、いつまでしても良いのでしょうか? 故人には解放され、自由になってほしいと思っています。 自分も前を向いていきたいと思っているのです。故人は私が哀しんでいるとへこむと生前仰っていましたし、いろんな思いを私に託してくれたので、それらを糧に頑張りたいと思っています。

有り難し有り難し 59
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亡くなった子どものこと

はじめまして。みぃころと申します。 夫と1歳半の子どもと3人暮らしです。実は3年前にも妊娠と出産を経験しているのですが、生まれたときに先天性の障害があるとわかり、1年もたない命でしょうと医師から宣告されました。最初は受け入れられず、面会に行けなかったり、早く次の子どもを作らなくてはと焦ったりしました。でも、徐々に受け入れられるようになってきた頃に短い生涯を終えてお空に帰ってしまいました。たった4ヶ月でした。そして今いる子が二人目の子どもで、健康そのもので育っています。 出先で出会う知らない人や、一人目の子どもを亡くしていることを知らない知人など、なにげない会話のなかで「はじめての子ですか?」「一人っ子ですか?」と聞かれたときの返答にとても困ります。一人目の子を亡くしていることを話すと気まずい空気が流れて会話が止まってしまうことがあり、正直に言いたくありません。でも、適当に話を合わせてしまうと、一人目の子の存在をなかったことにしているようで苦しくなります。お空で聞いていたらきっと悲しむだろうと苦しくなります。また、健康な二人目の子どもを羨んで悔しい思いはしていないかと心が痛むときもあります。 つまらないことかもしれませんが、いつも気になってこの話をされたくないなと怯えています。気にしすぎでしょうか? もうひとつ「賽の河原」について知りたいです。親より先に死んだ子どもが、そこで懺悔?の意味を込めて石を積むが、鬼に崩されて一生積み終わらない石を積み続けると。お地蔵さんが時々助けに来てくれると聞きました。私の子どもは障害のため指が曲がって固まっていました。石など積める手ではありません。石を積めないことで、イライラした鬼に意地悪をされたり怒られたりしていないでしょうか?体も小さかったので、助けに来てくれるお地蔵さんに見つけてもらえず、悲しい思いをしていないでしょうか?バカにされるかもしれませんが、そんなことが気になって気になってしかたありません。せめてあの世では辛いことがないようにしてやりたいと願っています。 まとまらない長文で申し訳ありませんが、心が穏やかになれる回答がもらえたら嬉しいです。お願いします。

有り難し有り難し 19
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母の死

先日、母が旅たちました。 10年ほど前、検診で初期のガンがみつかったのですが、当初、家族に隠し、積極的な治療も避けていたようです。 一番身近にいたのが娘の私でしたので、母の身体のちょっとした変化に、どこか悪いのでは、病院へ行こう、と話したことも一度ではありません。その都度母は、私の心配を一笑にふし、何もなかったように毎日は続きました。 6年ほど前、いよいよ体調を崩し、やっと病院へ行ってくれた母の診断はステージ4、病院の先生方、母自身も最善を尽くしての6年だったと思います。 母が逝って2週間、母のいない人生に意味が感じられず、想像を超えた喪失感に打ちのめされる毎日です。そばにいた私が10年前の初期の段階で病院へ連れて行けなかったことへの自責の念や、親友のような母に、ガンであることをたった一人で抱えさせていたことへの不甲斐なさに潰されそうです。 過去は取り戻せない、そう思おうとしても、後悔ばかりがわいてきて、涙がとまりません。いつも精一杯私を愛し応援してくれていた母の一大事に何もできなかった、助けることができなかった、そのことはもう取り返しがつかない。10年前の自分を殴り飛ばしたいとさえ思います。 亡くなる前、とびきりの笑顔で「ありがとう」といった母の顔と声を思い出すと、もう若くもないのに泣き叫びたくもなります。この思いをどう乗り越えたらいいのか、もしおこたえがいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 27
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