先日ガンで父を亡くしました。55歳でした。 辛い闘病生活の後でしたのでそれなりに覚悟はありましたし、亡くなった直後は「やっと楽になれたね、良かったね」と思っていたのですが、 やはりとても寂しく辛い思いでいっぱいで、毎日遺影の前に座っては泣き、父の使っていた食器や布団を見ては泣き、父が好きだったテレビ番組を見ては泣いています。こうして文章を打っている今も涙が止まりません。 「いつまでも悲しんでいてはお父さんが成仏できないよ」とか、「乗り越えて強くなりなさい」とか、葬儀の時親戚の人に言われました。自分でもそんなことぐらいよく分かっているのです。 それでも、(こんな事を言うと怒られると思いますが)成仏なんかしないでいつまでも私と母の側にいてほしいとさえ思ってしまいます。 父も私も無口で口下手なため、元からお互い交わす会話は多くなく、私が働き始めてからは同じ家にこそ住んでいるものの関わりはあまりありませんでした。 そこにこのような出来事があり、私はこんなに父の事が好きだったのかと自覚しました。それならもっと話しておけば良かった、こんなことになるなんてとまた泣いてしまいます。 私も勿論辛いですが、最愛のパートナーを亡くした母はもっともっと辛そうで、私がいなければ後を追っていたかもしれないと思うほど悲しんでいました。そんな母を見ていると私も悲しくなってしまいます。 父の死を乗り越えるにはどうすれば良いでしょうか。時間が癒してくれるのを待つしかありませんか?
こんな時間にごめんなさい… 毎年この時期は、心が沈み死にたいピークになります。精神を患ってる方で同じ思いの人も居るかと思います。 死にたい 年末年始に向けて、何ごとも「せわしく感じ」耐えられない 生きる苦しみ 生苦 死への快楽 私にとっては死へ向かう事を考えるだけでも楽しくなります
死ぬのが怖くて仕方ないんです。 毎日が辛い。 カウンセリングに行っても恐怖が消えない。 未知が怖い。生き続けるのもこわい。 家族がいなくなるの怖い。 寝る時に今寝たと、わからないのと同じと言われても怖い。 天国で永遠に楽しく生き続けると言われても怖い。どうしたら、いいのか。 この恐怖を少しでも減らしたい。 みんなみたいに考えてもしょうがないことは考えないようになりたい。 夜目を閉じるのも怖いんです
もういい加減、生きているのが苦しいです。 あまりこういったところで書くべきではありませんが、簡単な経緯をお話しさせてください。 読み飛ばしていただいてもかまいません。 小学校に上がる前に父を亡くし、母が鬱病になりました。 祖父母の家と行き来しながら母と二人で暮らしていたのですが、あるとき父の知り合いでもあるという男が家を出入りするようになりました。 この男ははじめは優しく、母や私ともよく遊んでくれていました。 二人とも傷心でしたのですっかり信用しきってしまい、母は再婚し私は娘になりました。 これが間違いでした。 男の希望で私たちは引っ越し(ここから少しずつ家族や友人との関係を絶たれていきました)、隔絶された家の中で私たち母子はほとんど奴隷と言っていいような扱いを受けました。 男は毎日ささいなことで激怒し物を壊しては気の済むまで土下座させ、そのあと何度も殴るという有様でした。私を殴るのは母の役目です。 この頃にはもう逃げるなんて発想すらなく、常に死と隣り合わせで、恐怖で震えながら寝る毎日でした。 同時期には学校でいじめも受けていました。 もともと泣き虫でいじめられっこ気質ではありましたが、転校後のそれは教師も含めて大変悪質なものでした。 家にも学校にも休める場所がなく、毎日死のうかと考えていましたが、なんとか生き延びて今に至ります。 これらのことで精神を病んでしまい、様々な後遺症が残りました。 元から持っていたらしい発達障害と合併して生活が非常に困難です。 具体的には高校中退、大学にも行けず就職はおろかアルバイトさえろくにできません。 どうしても納得いきません。 例えば私が重大な罪を犯して、その報いとして今の状況があるなら納得はできます。 なぜ、私は真面目に生きてきたのに、他者から一方的に理不尽に人生を壊されなければならないのか。 世の中に善悪や法則などないのだから、なんでなんでと言っても仕方ありませんが、あまりに遣る瀬無いです。 人に優しく誠実に、と生きてきたつもりですがなにもかも無意味でした。 この先にも希望がありません。 私だってできることなら誰かに愛されたかったし、自分や誰かを愛してみたかった。 勿論自分にそれだけの価値や魅力がないことも理解しています。 生まれてこなかったほうがよかったとすら思います。 なにがいけなかったのでしょうか。
以前もこちらで質問をさせて頂きました。 今回は自死をした彼のお母様との今後の付き合い方についてご相談させてください。 彼が自死で亡くなってから約3ヶ月、前を向いて生活することが彼の供養になるだろうという想いから毎日仕事に励んでいます。1人になると寂しく思うこともありますが友人、家族、職場の上司にも恵まれ笑って過ごせる日が続いています。 しかし、ふと彼のお母様のことを考えてしまうのです。 彼の最後を最初に見つけたのはお母様でした。そしてお母様には通夜で始めてお会いしました。 自死で原因不明の場合は交際者が責められることも多いと伺っていましたが、本当に優しく気を遣ってくださり家族葬にも呼んでいただけました。ありがたいことです。 私は直接的な現場は見ておらず、綺麗にして頂いてからの対面でした。(縊死でした。) ただ、大切に育てた息子の最後をそのように発見した辛さは私なんかでは計り知れないものと思っております。 葬儀後には「納骨が済んで落ち着いたらまた連絡します。一緒にお墓参りにいつかいきましょうね。どうか今回のことは気にせず、幸せになっていただければと思います。」と声をかけて頂き別れました。その後は一切連絡を取っていません。 初七日、四十九日は心の中で彼を思って過ごしました。今の今まで彼のことを思わなかった日はありません。お墓参りにいつかいきたいと思っていますが、お墓に行くよりも気持ちが大切なのだろうと思い過ごしています。 ただ、お母様の気持ちを考えると何かできないものかとも思ってしまうのです。 例えば大人になってからの彼の生前の写真をあまりお持ちではないと思うので、アルバムを作って渡そうかとも考えました。 しかし、そこまでするのはでしゃばりすぎかな…とか。自死をしたことに関して怒りの気持ちを抱いているとしたら顔も見たくない段階なのかな…とか。そもそも私が何かできると思ってることがおこがましいな…など、色々と考えてしまいます。 こういった場合はどのように関わっていくのが正しいのでしょうか。もしくは私は私で彼の供養を願い毎日を過ごすことでいつか、解決する問題なのでしょうか。よろしくお願いいたします。
12月15日で夫が脳出血で突然亡くなって3年たちますが、変わらずほとんど毎日いろんなことを思い出したり、考えたり会いたくて会いたくて、 夢でもいいから会いたいのに、夢にすらてでくれずないています。 転勤族なのですが、建売を買うことになり買ってその年になくなりなした。でもそのおかげで偶然にも私の居場所できました。しかし、実家は隣の県 身内もだれも頼りになる人がいません。 頼りにしてた息子も大学になり、ひとりになってしまいました。 子供達はそれぞれの人生がある、夫のこともどうにもならない。それはわかっているからだれにもなにもいえない。 自分の事は自分で決めるしかないとおもっていますが、こころがぐちゃぐちゃになって死んだ方が楽だ 辛いです。 喧嘩して大嫌いだと言われたこともありました。 死ぬ前にも何を考えてるかわからないひとでした。でもなんでもできて、たよりにしてたのに 私は世界いち大切な人を亡くして、これからどうしていけばいいのかまだわかりません。 パパは私の事なんかなんとも思ってないから、夢にさえてでこないのでしょうか? パパに会いたい!なんか言ってほしい!です。 助けてください
次女を亡くして7ヶ月になります。 笑ったり、外に出れるようになりました。 次女がいない世界に慣れていく自分が怖いです。
9月に主人を亡くしました。 寂しくて悲しくてたまりません。 でも泣いても怒っても何をしても主人は帰ってきません。わかっているのに、心がついていけずほとんど毎日泣いてしまいます。 だけど、主人の成仏を願って毎日手を合わせ 南無阿弥陀仏と朝夕唱えています。 主人はそばにいる。見守っていると言われますが、感じることが出来ません。 どうしたら、主人がそばにいてくれていると感じられるようになりますか? 主人の気配を感じて生きていきたいです。
この1週間の間に友人が二人急死しました。一人は急性疾患、もう一人はバイクにはねられて即死でした。 先月 私には2人目の孫ができて、その生命力や成長に感動しながらお世話をしていた最中でしたので、命のはかなさに気持ちが動揺して落ち着きません。 友人達は仏様の元で今は安らかになられていると思いますが、それでもやはり涙が止まらないのです。 孫を抱いて顔を見ていますと、この子達に悲しいことが起こりませんように!病気や怪我をしませんように!と願わずにはいられません。 命のたくましさとはかなさを同時に見たようで、気持ちの整理がつきません。
はじめまして。考えてばかりいて居ても立っても居られずこちらで質問をさせていただきます。 祖母が今年の夏頃から急激に体調を崩し、入退院を繰り返しております。先ほど姉から連絡が来て、今年いっぱいどうなるか、という具合になっているそうです。 現在も入院をしているのですが、5、6年ほど地元を離れて暮らしているもので、小学生の頃はほとんど毎日祖母の家へと行っていたはずなのに、今となっては祖母とどんな話をしたらいいものか、生と死の間際なのになんだか気恥ずかしい思いが先立ってしまいます。また、今思い出すと小学生の時に何をそんなに話していたのか、姉と比べると口数が多くはないもので なにも思い出せず、祖母には世話になりっぱなしなのに情けないです。 先日帰省した際、母と一緒にお見舞いに行ったのですが、すっかり弱ってしまった祖母を見て涙が出てしまって止まらなくなり、病室に入ってすぐそのまま席を外してしまいました。帰り際に祖母の手を握ったら、祖母の手の冷たさにまた涙が出てきてしまって、私の体温をどうやったらあげられるかだろうと思っておりました。そんな私を見て祖母が死期を悟るといいますか、祖母の前では笑顔でいたいのにそうなれません。 こちらのサイトで仏様のお教えや皆さまのお考えを拝見しまして、後悔する前に行動することが一番だと思い、次の休みは祖母の元へ行こうと考えております。しかし、初めて母や姉と一緒ではなく1人で行く予定なので、どんな顔をしてどんな話をしたらいいものか悩んでいます。 今もずっと涙が止まらなくて、泣いたまま会ってもいいのでしょうか?いま祖母に会ったら、ばか正直におばあちゃんがいなくなったら悲しいと泣きこんでしまいそうです。 なにかアドバイスをいただけたら幸いです。長文乱文失礼いたしました。
初めまして 私にはオンライン上での繋がりしかなかったもののそれなりに仲の良かった友人がいました。 その友人は特撮が好きだったのですが、そのコミュニティ内で多数に反する言動を行い、それにより陰湿ないじめを受けました。 そして、親族の方より訃報が届きました。おそらく自死だったんだと思います。 元から精神疾患で療養中だった身ですが、それ以来更に精神状態が不安定になり自分の感情を抑えられる自信がありません。 自分を傷つけるだけならまだしも、彼女を間接的に殺した人々への復讐心がちらつき、その度に罪悪感に苛まれます。 一度お寺を訪れることも考えましたが、彼女の信仰を知らないので失礼に値しないか心配になります。 それに彼女を供養する気持ちより自分を優先してるんじゃないか?そう自責し苦しいです。 どうしたらこの苦しみから解放されるのでしょうか?
以前、母への想いについて、質問をさせていただきました。回答をいただいた和尚様、ありがとうございました。 その後、母がいない現実に心が締め付けられるような辛い気持ちで、日々を過ごしています。 生前にしてくれていたことも、当たり前に思っていたことも、今は一つ一つのことに感謝しています。それと同時に迷惑ばかりかけていたことを、申し訳なく思います。 毎日母に会いたいという気持ちで頭がいっぱいになり、旅立った母に今も迷惑をかけてしまっているかもしれません。どうしようもない息子です。 今、気持ちを落ち着かせるために死後の存在等の書籍などを読んでおります。母が魂となって存在していると信じておりますが、母の存在を確信できるための方法など、何かあるものでしょうか。 少しでも母と繋がることができる可能性があることがあれば、ご教示をいただきたく思い、質問させていただきました。 自分本位の考えで、本当に申し訳なく思いますが、前を向いて力強く生きる希望がほしく、どうかお願い致します。 何卒よろしくお願い致します。
なにも変わってほしくなくて、 なにも消えてほしくなくて、 いつかが来るのがこわくて、 涙がとまりません。
1年以上付き合った彼が9月、自死を選びこの世を去りました。本当に突然の出来事でした。詳しい理由もわからず、気持ちの整理がつかずにいます。 私宛の1枚の手紙が最後に残っていました。 私は何も悪くないこと。全部自分の問題だという事。付き合って過ごした毎日は楽しく幸せって感じることが多かったという事。本当はもっともっとたくさん思い出を作りたかった事。私の幸せな将来を心から願っているという事。 手紙からたくさん愛されていたことを感じ、四十九日も過ぎましたが涙が未だに止まりません。 なぜ彼は自死を選ばずにいられなかったのか。こんなにも大切にしてもらったのに、私は彼に何もできなかったんじゃないか、もっと彼を思っていたら心の苦しみに気づいてあげられたんじゃないか、答えも出ないのに1人になると同じことを考えてしまいます。 何も考えたくなくて、この2ヶ月仕事に無我夢中で取り組みました。事情もごく少数の人にしか話していないので、何も伝えていない同僚、友達の前では常に笑顔で過ごしています。 ただ、ふと我にかえると「なんで私こんなに頑張っているんだろう。」と思えてしまい、仕事も辛くなってきました。 もし、今以上にぷっつりと糸が切れてしまった時本当に何もできなくなってしまうような気がしています。 いつまでもこんな鬱々とした状態では彼の供養にならないことは重々承知です。 彼も死を考える気持ちの中、最後の最後に私の幸せを願ってくれたからこそ幸せになりたいです。彼と付き合っていた頃のような前向きでポジティブな自分に戻りたいです。 しかし、幸せがわからなくなってしまいました。どう生きていけばいいかわからなくなってしまいました。私はこれからどのように考え、過ごしていけばいいのでしょうか。
娘を亡くして半年が過ぎました。 まだ哀しみの中に取り残されています。 最近は怒りの感情が抑えられません。 特によその子を見たときは、どうしようもなく腹が立ち、「この子も死ねばいい」なんて思ってしまいます。 最低なことを考えているのは分かってます。 でも感情をコントロールできないのです。
先日大伯母が亡くなりました。 98歳という大往生でした。 通夜と葬式を昨日終えたところです。 晩年は認知症で私の事は忘れたようで「どちら様ですか?」と言われました。 それでも私は大伯母の事が大好きでした。 大正時代から生きて、結婚への圧力は凄かったでしょう。それでも生涯独身を貫き一人で雑貨屋を営んでいました。 実家から徒歩2分ほどの場所に住んでいたので、小さい頃から料理を作ったら届けに行くのが日課でした。 いつも笑顔で接してくれて、何歳になっても背筋が真っ直ぐでした。 就職にともない実家を離れてからは会う機会が月に1回、半年に1回と少しずつ減りました。 最後の日も母から「午前から血圧が高くなってるらしいの、またお見舞いにいってやって」 と言われ 「分かった、じゃあまた今度の休みに行くよ」 そのまま午後に大伯母は亡くなりました。 なぜ「また今度来るね」という状況を作れなかったのか、それは未だに悔やまれますが 大伯母は棺桶の中の姿があまりにも綺麗で、死化粧も素敵に施していただけました。 葬儀場の椅子が足りなくなるほどの人に囲まれ、顔が見えなくなるほどの花に囲まれ焼かれていきました。 私は、出棺の時に棺を持ち上げても、大伯母がわずかばかりの真白な骨に変わっても、その骨を箸で掴んでも、なんだかピンとこないまま今日を迎えてしまいました。 涙は出ないままでした。 むしろ誕生日をお祝いするように穏やかな気持ちのままなんです。 現実逃避をしているのかもしれません。 今もどこか大伯母が生きているようで、一人暮らししていたあの家にいるような気がしてなりません。 あずきサンドが好きで、熱いお湯で淹れたお茶が好きで 今日も電子レンジでご飯を温めすぎて「嫌な熱さだ」と怒ってるかな。 なんて考えてしまいます。 生きてる姿しか見えません。 こんな経験は初めてです。 今までは、誰が死んでも葬儀が終わるまでには実感が湧いてきて涙が出てくることばかりでした。 なぜこうも思い入れの深い人に限って受け入れられてないのでしょう。 そもそもこれは現実逃避なのでしょうか むしろすべて受け入れた結果のようにも思えます。 実感のない死との向き合い方 ご助言いただければ幸いです。 よろしくおねがいいたします。
主人が医療ミスにより亡くなりました。 私の唯一の愛する人でした。 私は幼い頃から家族に恵まれていなく、父の借金で本当にテレビで見るような借金取りに追われ隠れて暮らしていました。6才の頃に離婚し父と離れましたが、母もアルコール依存症で育児放棄。小学生の頃は祖母にほとんど育てて貰いました。 親の愛情は感じませんでしたが、母の鬱病やてんかんなどの病があったので、一緒に暮らしていました。 その間、幼い頃から祖母に教えて貰った『いつも仏様は見てる。いざというときは助けてくれるから』の言葉を信じて、墓の掃除や供養、母が亡くなっても祖母が亡くなっても尽くしてきたつもりです。 『いつも見守ってくださりありがとうございます』と手を合わせてきていました。 やがて私にも愛する人ができ、子供が出来てやっと家族が持てました。やっと心を落ち着かせて愛情を感じることが出来たのに、夫を医療ミスで亡くなりました。 どうして仏様はこんな事をしたんでしょう。 私には、愛する人を持つなと言っているんでしょうか? ひとりで生きていきなさい。と言っているんでしょうか? 祖母の言葉を信じ、困っている方がいたら手を差し伸べたり、寄付もしてきました。私の出来ることはなるべくしてきたつもりです。 何もかも私の願いを叶えてほしいとは思っていません。 ただ唯一の私の大事な家族だけは失いたくなかったです。そんな願いもきいてくれないんでしょうか? 小さい頃から辛い思い、寂しい思いをしてきましたが我慢してきました。自分で家族を作る為に。それを失った私はこれからどうしたらいいのかわかりません。 信頼していた仏様を信じることが出来なくなりました。また、亡くなった母や祖母にも『あんなに尽くしてきたのに、どうして助けてくれなかった!」という思いも消えなくつらいです。
浄土の存在を心から信じておられる僧侶の方々も少なくないのではないかと思います。浄土という概念自体が浄土教(浄土宗、浄土真宗など)を中心としたものだと思いますが、浄土教の僧侶の方々はどのようにして浄土や阿弥陀仏の存在を信じられるようになったのでしょうか? 多くの仏典を熟読したり、神秘体験をきっかけとしてなど色々あるかと思いますが、是非僧侶の方々の実体験をお聞きできればと思います。私自身もなんとかして浄土や阿弥陀仏を信じるまでになって心の平安を得たいと思い学習していますが、まだまだです。仏典の学習だけでは無理なのかとも思っています。(ちなみに、読書を通して、禅宗においては死後の世界の存在を問わないことを知りました。) 宜しくご教示頂ければ幸いです。
以前も質問させて頂いてのですが、 すみません。 カウンセラーとかにも行ったのですが、 死の恐怖が消えません。永遠に生きるのも怖いし、無とか、生まれ変わるとかも、怖いんです。 仏教やキリスト教の教えを信じれるようになりたいです。 心療内科は、薬をもらって一時的な気を紛らわすだけで、やはり性格を変えないと行けないと思いました。こんな性格で親になれるのか悩んでもいます。 お坊さんはどのように死と向き合い、穏やかに過ごされているのでしょうか?
今日、母が亡くなりました。死因は癌です。 年内と余命宣告されていたためか、または心が麻痺してしまっているのか 現実味が湧きません。 ただ後悔の気持ちに押しつぶされそうです。 突如真っ暗闇の中に放り出された気持ちです。 明日からは数日間、葬儀などで忙殺されるでしょうが 終わってから普段通りの日常に戻ってからが怖いです。 母の居ない日常は想像できません。 母の介護に時間を費やしてきたため生き甲斐になっていました。 特に親しい友人もおらず、独身なためもう自分の役割は終えたような気が します。 生き甲斐を亡くした今、どう、すればよいのでしょうか。