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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

後悔と憤りで、故人を偲ぶ事ができません。

恩師が亡くなりました。学生時代に大変お世話になった先生でした。 結婚していらっしゃらないせいか、生徒を家族のように思われていたのではないかと思います。卒業後も、連絡をとってましたが、ある日を境に連絡が取れなくなりました。クラス会の幹事さんに連絡をとり働きかけてもらい結果、ご親族の方から連絡を頂き、入院されている事がわかりました。10年、間の空いたクラス会がやっと開かれましたが、先生は出席できませんでした。幹事はアルバムを送ると言っていましたが、結局、お送りしていませんでした。 お互いに人生の中で忙しい時期もあり、先生への思い入れも違うので、責める事は出来ないのですが、幹事が、しれっとしている態度に憤りを感じてしまいます。長らくクラス会を開けなかった事、先生が高齢で入院しているにも関わらず、アルバムをお送りしなかった事。また、私自身、幹事に連絡先を聞くのをためらってしまった事(個人的に親しかったのか勘ぐられたりするのが嫌、入院されている先生やご親族にご迷惑なのではと躊躇してしまった故)か憤りに繋がってしまっているのだと思います。 最後にお話しした時に、先生が「足が悪くなってきた」「皆はどうしているか」と話していた事が忘れられず、お元気な時に、恩返しできなかった事が申し訳なくて、故人を心から偲ぶ事が出来ずにいます。 自分の後悔を人のせいにしているだけなのでしょうか? ただただ、先生にすまない気持ちになってしまいます。 心のあり様を教えて下さい。 追記:お亡くなりになる前に、虫の知らせを感じました。 その時は、諦めの気持ちしかありませんでした。先生は最後に来てくれたのかもしれないのに、感謝の気持ちで身送る事ができず、「もう遅い、何も出来ない」と答えていました。

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母は見てくれていますか?

お世話になります。 宜しくお願い致します。 先日、母の一周忌を終えました。 母が最後にメッセージとして残した言葉…自分の様に苦労苦労ばかりでなく幸せになって欲しい。と。頑張れば幸せになれる。と。私の心に重く残っている一言です。楽しかった、幸せでした。と言う言葉は書かれてませんでした。 父は優しい人ではありますが、今で言うとギャンブル依存症&アスペルガー的な感じですので、かなり苦労していました。私はケンカばかりする親を見たくなく、長い間実家を離れていました。数年前に実家に戻りましたが、私も母に甘えていた部分があり、弟もまた同じで、母に家族全員で甘えていたような気がします。いつも、自分の事より私達家族の事を考えてくれた母。強くて優しくて、尊敬していましたがありがとう。や、ごめんなさい。を言ったらお別れの言葉のような気がして最後まで言えませんでした。 最後の最後まで苦労や迷惑をかけ、自分が今生きてる事を申し訳なく思います。 ただ、もし私が毎日泣いて生きても、仕事もせず引きこもったとしても、私が自死をしても、母と会える事はできない。ならば、苦労して育ててくれたのだから頑張って生きようと少しづつ思えるようになり、心の中で母に話しかけております。 ただ、ふとした時に、本当は亡くなってしまったら無で生まれる前と同じで、母は傍にいない、見守ってくれてるなんてない…と思う自分がいます。 そう思うと虚しくなります。そしてまた自分が生きている後ろめたさを感じます。毎日がそのループです。 自分勝手な思いなのですが、 母は見てくれてると思いたい。 許してくれていると思いたい。 私は、実家を離れております。同居している彼とは宗派が違うので、何かを置く事は出来ないのですが少しでも何か出来ることはありますか? 宜しくお願い致します。

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誰かにあたりたいだけかも・・

母が亡くなって父は私の事を心配してか、フライパンを買ってくれたり・・色々気を使ってるんだろう・・と思います。 心配してるのは分かってても父への怒りを自分で止められませんでした。 父に当たってしまいました。 母に対して「申し訳なさ」を感じる時にどうしても父への怒りを同時に思い出してしまうんです。 例えば、父と一緒に母の見舞いに行った時に、その時は珍しく母は目があいてたんです。 でも、父はとてもイラな人なので待てれない、と思ってすぐ病室を出てしまったんです。 その時の母の顔を思い出すたびに辛くなってくるんです。 あの時、誰かにそばにいて欲しかったんじゃないだろうか、何か言いたかったのではないだろうか・・とか思ってしまって 父のイライラがしんどくて、そっちをとってしまったのは私なので 父へあたるのは違うのかも知れないと思いながらも自分の怒りを止めれませんでした 母への後悔を誰かにあたりたいだけなのかも・・ そう思いながらも自分でコントロールできなくなる事がよくあります。 父なりに私に気を使っているのかも知れないですけど、情緒不安定な時は怒りでいっぱいになってきて見えなくなってくるんです。

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母を不本意な死に追いやった罪の意識で毎日が苦しい。

 56歳で生死の境をさまよう難病に罹った母親を89歳で看取りました。最後の数年は軽い認知症も併発し子供のようにかわいいお母さんでした。ステロイドという強い薬の副作用で骨粗しょう症になり手足の神経も圧迫でマヒ状態でやっと歩いている状況でした。  私は60台前半ですが40歳前に母に手伝ってもらい内科医院を開業し,自宅では酸素吸入するほど重い病気の母親を診ていました 10年ほど前から神経や骨の痛みがひどく医院の経理は引退し、自宅で療養しながらデイサービスでリハビリを受けるようになっていました。  いつも前向きで明るく気力を振り絞って寝たきりにならないようにと頑張っていました。散々苦労かけたので毎週老親2人を連れて温泉に行ったりレストランに連れていったり楽しく3人の生活をしてきました。  昨年夏寝てばかりいるので庭で散歩をと強引に外の庭に出したらすぐに転倒、大腿頸部骨折で入院。手術し1月間で何とか退院。歩行がさらに不自由になった母を今まで通りあちこち連れまわしていました。友達のいない一人娘の私に止む無くついて行ってやるが、体がしんどいので本当は嫌だと繰り返し私にも周囲にも言っていましたが、運動しない母にリハビリになると思い連れまわしました。  今年に入って2回目の転倒で胸椎圧迫骨折を起こし2ヵ月入院。ほとんど食べなくなり毎日3回病院に通いおむつ交換食事介助と必死に看病しました。3月末にやっと自宅療養開始しまたぞろ温泉に連れていきましたが、息も絶え絶えに苦しい苦しいといって泣きました。  ゴールデンウィークどこも出かけず介護ばかりで息詰まる閉塞感から嫌がる89と92歳を連れて遠出し、宿泊先の宿で嫌がる朝風呂に入れて突然死させてしまいました。直前まで私を信頼しニコニコしていたのに。  毎日生前の優しい顔した母が笑ってくれるビデオを見て号泣しています。なんて人でなしな生きざまだ。世界で1番好きな母を殺してしまったと叫んでいます。従妹から可哀想な死にざまだ、虐待死だといわれてしまいました。生前の母にもお前は医者なのに患者の気持ちがわからないのかと泣かれました。人生最大の罪を背負い悲嘆に明け暮れています。

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死への恐怖

母は私が幼いころに癌を患い、その後治療を続けていたものの半年ほど前に再発しました。今すぐに命に関わるという病状ではないのですが、身近な人間の死に関わりうる病気を通して死というものを考えることが増え、もうどうしていいかわかりません。 私と母とは30ほど歳が離れています。つまり、一般的な寿命を迎えることができても、私はいつか母がいない時間を30年も過ごさなければいけない。そのことが私には耐えられないことに思えます。私には妹弟はおりませんので、私は家族の中で最も長く生きる可能性が高いわけですが、自分の大切な人が皆亡くなってもなお生きていかなくてはいけないのでしょうか。頭ではそんなことわかっているのです。死は避けられない、身近な人の死も受け入れなくてはいけないし、皆そうやって受け入れて乗り越えて生きていると思うのですが、わたしにはそのことができないように思えます。親不孝の極みですが、母が死ぬ前に死ねたら幸せだなとすら思ってしまいます。 私が中学3年の時に祖父が亡くなった時のことを未だに忘れることができません。少し前まで生きていた、人が、生きてはいないということが受け入れられず、その恐怖を忘れることができません。昔見たドラマで、大量殺人を犯した犯人が、人をモノにするのが好きなんだと言っているものがありました。祖父の葬式の時に感じた、人がモノになったということが、私の中に恐ろしい記憶として残っています。祖父の死以来、刑事ドラマも不愉快で見ることができません。人の死を面白がって作っているように思えてしまうのです。私はどうしたらいいのでしょうか。受験期に入り、ストレスや疲れもも溜まっているのか、死ぬこと、母のこと、いつか大切な人が皆亡くなってしまった時のことなどばかりかんがえてしまいます。

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夜になると不安になります

現在母(70歳)と二人暮らしです。 私は会社員、母もパートはしていますが、 経済的に余裕があるわけではなく、母が働けなくなったら?介護になったら?やっていけるのだろうか?と不安になります。 それ以上に、母を見送った後の事を考えると、寂しくて寂しくて。母はまだ元気なのでこんな事を考える必要はないと思うのですが。 また、独身で子どももいないので、自分が死ぬ時に、ちゃんと身仕舞いしていかなければ、と思うのですが、それも不安で。(今あるお墓の墓じまいや永代供養もお願いして、死んだら手続きして下さる方もお願いしなければ、そもそも施設に入れるのか、など色々考えてしまいます) 結婚していても相手が先に死んだら独りだし、 子どもが居ても面倒見てくれるとは限らないし、結局は独りなのだから同じだ、私が特別寂しいわけではないし、独りで亡くなっていく方はたくさんいるだろうし、と思うようにしているのですが…。 強くならなければ、きっと大丈夫、と思うように、自分に言い聞かせてはいるのですが、夜になると特に不安になってしまって泣いて眠れなくなってしまいます。 40半ばで、終活なんてまだ早いともいわれますが、どうしたらこの不安から脱け出せるのでしょうか?

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日本、自然死を知らない医師

いろいろ、いろいろ、思うことがあって、思うことがあり過ぎて溢れて、うまく文章に出来ないです。 死とは何か…医者は自然死を知らない 「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米 夕刊◯ジの記事は、良くも悪くも、日本人の「自然死」に対する考え、気持ち、心について、考えるきっかけを与えてくれているように感じました。 良いとか悪いとかじゃなくてです。 いろんな意見があります。 どの方の意見も分かります。 そうだね、そうだよね、と思います。 ただ記事にすると、意見の押し付けや行き過ぎた言葉が並んでしまいがちで… でも、それも仕方がないことで… 何せ人間が書いた記事ですからね… 意見の押し売りさえなければ、それも良しとするしかありませんよね。 私も自然死賛成、いや、自然死なんて嫌だ、延命治療はしたくない、いや、延命治療だって必要だ… どれも、そうだよね、と思います。 医療者の側からすると、治療拒否→治療しない、とは出来ない事情もあります。 それも仕方がないこと。 最近、腎臓の病気を患う患者さんに対して、人工透析をせず死なせた!という事件(?)が世間を騒がせたけれど… じゃあ…ただ人工透析を続けるのみ、人工透析の拒否を受け入れない医師が、良い医師、正しい医師、と言えるのか… 私がよく経験した話になります。 タクシーに乗った時に「◯◯大学病院までお願いします」と言うと、私がまさか職員とは知らず、見舞い客か何かと思って、こんな話をされたりするのです… 「僕の兄貴も腎臓悪して、ずっと◯◯大学病院で透析うけとったんや。でもな、しんどうてしんどうて、もうええ、透析はやめる言うてな、ホンマにやめて、死んでんけどな、やめて良かったわ、医者は反対してたけどな、やめて良かった…」 だから、透析どうこうは、そんな単純な話ではないと私は思うのです。 じゃあ、ケースバイケースだ!という人が正しいかと言えば、そんなこともないし、それだって言ってしまえば綺麗事であり他人事のように聞こえます。 正しい答えなんて、ない。 じゃあ、どうしら…? お坊さまたちは、人が人としとある最後の姿、亡くなった姿をたくさん見ている貴重な方々です。 自然死、延命治療、その他いろいろ… お坊さまの意見…?というか…お坊さまの心の中にある想いをお聞かせ願えませんか?

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母親代わりの叔母が亡くなり辛すぎる

よろしくお願いいたします。 実の母はシングルマザーなので私が幼い頃から働きづめでした。なので、近所に住む子供がいない一人暮らしの叔母が料理をしてくれたり、ゆっくり話を聞いてくれたり、ほぼ母親のような存在で育ちました。本当に優しく温かい人でした。 ここ10年ほどは認知症がすすみ施設にいました。私は月1回面会に行っていました。 その叔母が先日亡くなりました。90歳でしたので自然な事だと思います。 が、最後が施設で寂しくなかったかなとか、色々な気持ちが入り交じり気力がわきません。 プロフィールに詳細を書いてありますが、今の私はいくらでも一人で時間があるので常に考えてしまい悲しみにどっぷり浸かってしまいます。喪失感が大きく、全てが嫌になるというか一人ぼっちになってしまったような。 また、葬儀の時に親戚に「お前はあれだけ世話になって月一しか面会行ってなかったのか?」という言葉も頭から離れません。その人は一度も行った事ないのに。というより私以外誰も行ってなかった。 そして始めは週1で行っていたら大部屋なので他の入居者が叔母に嫉妬のような嫌みを言うようになってきたので仕方なく間を開けていき結果月一になった流れです。が、説明する気にもなれず言われっぱなしでした。 だんだん自分は薄情だったのかなと後悔も出てきて、さらに辛いです。 49日までに自分が叔母にできる事はないか、こちらのサイトで調べて「なるべく肉を食べない・写経をする・お経を唱える」と見つけ、やってみようと思っているところですが、他に何かありますでしょうか? また、この悲しみや後悔や親戚の言葉への嫌悪?憎悪?をごちゃごちゃに抱えた汚い心で写経やお経をして叔母の応援になりますか? お知恵をいただけたらありがたいです。 乱文長文失礼いたしました。

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これからわたしはどうしたらいいのでしょうか

結婚を前提にお付き合いしていた彼が自死しました。 彼とは4月13日よりお付き合いをはじめ結婚を最初から考えていました。彼の住む家のリフォームも決まっておりどんなキッチンにするか他に間取りはどうしたいか教えてねっという話もしていました。そんな中4月30日に彼は突然会社を解雇されました。誰が聞いても不当です。5月1日に彼に会いました。社長に裏切られたという気持ちでいっぱいでと言っていましたが一緒にゆっくり良い会社を探そうって言っていました。最後に一緒にいたのは5月5日、6日。一緒に映画を観てスーパーで買い物をしてわたしの作った料理を美味しすぎるって言って食べてくれました。新しいキッチンができたら圧力鍋も買おうねって。5月8日に会う約束をしましたが彼の突然のキャンセル。5月9日はわたしの体調が悪く無理をすれば会えましたが会いたくないという気持ちが強く駅まで迎えに行こうか?と心配してくれた彼の電話にも出ず明日は迎えに行くねというラインも明日返せばいいやと無視してしまいました。 5月10日朝から全く連絡がとれませんでした。1日くらいで大袈裟と思いましたが5月11日に彼の自宅を訪ねました。彼は二世帯住宅で下にお母様彼は二階と全く関わりを持たない生活をしていました。ピンポンを押しても出てくれず少し待ってお母様が帰宅されたので事情を説明し見に行ってもらいました。そのあとわたしが見に行きましたがもう彼は亡くなっていました。 わたしを置いてどうしてという気持ちとなんで彼の電話にでなかったのか会わなかったのかという後悔ばかりです。彼はわたしに毎日会いたいというひとで会いに来てという日に行けないというとなんで?嫌なの?というひとでした。わたしは結婚するまでは同棲や毎日や突然会うのは困るという考えでしたので友達と予定があるからごめんねと彼を傷つけないよう断っていました。でも、彼の会いたいはさみしさであり何かの合図だったかもしれません。わたしが彼の優しさを裏切り助けることもできませんでした。もっと一緒にいたら生きてたんじゃないかと。彼に会いたいし抱きしめてもらいたい失ってから大好きだったと気づきました。彼が亡くなったあと彼は離婚をしていて子どもが二人いることをお母様から聞いて知りました。彼の口から聞けなかったことがショックでした。わたしはまだ未婚です。わたしはこの先どうしたらいいのでしょうか。

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叔父が亡くなりました

今月の7日に大好きだった叔父が亡くなりました。叔父は私の母の兄であり、片親の私にとっては父親のような存在でした。 生前、叔父は大病を患い奇跡的に回復し仕事を無理のない範囲で出来る程までになりました。亡くなる数ヶ月前から再び体調を悪くし入退院を繰り返していましたが、弱ったところを見せたくない心配させたくない、という叔父の思いから私と母やそれ以外の人にも内緒にしていました。叔父からの連絡がないので心配した母と私が叔父の元を訪ねて、体調が悪いことが発覚しました。 それからは心配で、定期的に叔父宅を訪ねていました。体調が悪い中でも、前向きに回復へ向かおうともがいていましたし私達もきっと良くなると思いながら叔父を見守っていました。 最後に会った時は、いつもより調子が良さそうで沢山お話ができて笑顔の時間もありました。それから1ヶ月経たないうちのお別れで後悔ばかり残っています。 私は祖母(叔父の母)と母の三人暮らしです。 祖母には叔父の病状を全く知らせていませんでした(叔父の意向もあって)。なので、久しぶりの対面がこんな形になってしまった事に後悔しています。祖母は滅多に泣かない人で、私は祖母の涙を一度も見たことはなかったのですが、斎場での最後のお別れの時間涙を流して悲しんでいました。母も突然の事でショックが大きく葬儀が終わるまで泣き続けていました。 時間が解決してくれるとは思いますが、2人の悲しみを少しでも和らげて支えてあげたいです。 私はどのように立ち振る舞い2人に声をかけてあげたらいいのでしょうか。 また、亡くなった叔父は私達のことも見守ってくれているのでしょうか。

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老いに対する恐怖

こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。  

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贅沢な願いでしょうか?

少し前に母がお酒の飲みすぎで、出先で倒れてしまい、その際に後頭部をぶつけて救急に運ばれました。 病院から連絡をもらって急いで向かってら、本人は横になってるものの意識もあって安心はしました。先生からは「後頭部の骨折と頭を打った衝撃で脳が前頭部にぶつかって少し出血してるから一週間は入院しましょう」と。 私の中では最初はとにかく(無事であるならそれだけでいい)と思ってたのでとてもほっとしたんですが、入院3日位過ぎたあたりから母が「匂いが全然しない」と。先生が言うにはもしかしたら嗅覚障害かもしれないから退院したら耳鼻科で調べてもらってください、と言われました。 まだ耳鼻科へは行ってないので、結果は分からないんですが、もし完全に戻らない状態だったらと思うと... 母は別に仕事で鼻を使ったりする訳では無いですが、匂いが分からないせいで味がイマイチ分からないようで、家にもどってから普段の生活に戻った時の事を思うと、正直心配でたまらず、絵馬とか願掛けとかばかりしてしまいます。 最初の時は(命が無事であるならそれだけでいい)とだけ願っていたのに、無事と分かってからは今度は(障害だけは回復して欲しい)という願いに変わってました。 実は以前父も脳の病気で入院した時に(命が助かるなら)ということだけだったのに、助かって後遺症が残ってからはずっと(麻痺が良くなってくれれば)とかそういう願いまで拡大してる自分がいたことを今回の事で思い出したんです。 その時も周りの人は口を揃えて「助かっただけでもいいじゃない」って言ってくれてました。 勿論、周りの人の言葉はその通りなんですけど、家族だからという理由だけなのかは分からないんですけど、やっぱりどんどん次を求めてしまう自分がいます。 父の時も、母の時も場合によっては死んでしまうこともある病気や怪我なので神様や仏様に(命だけは助けてください)と願ったくせに、助かったら今度は(後遺症だけでも回復して下さい)と図々しくお願いのレベルを引き上げてしまっている事に後ろめたさのような不安が出てきてしまいました。 こんな風にお願いするのは良くない事なのでしょうか? 長文、駄文読みにくくて大変申し訳ありませんが、何かお言葉を頂けると有難いです。お願いします。

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