父のことでこのhasunohaのサイトに出会いお坊さんにいろいろとアドバイスをいただきました。 さて本日は自分のことでお話を聞いていただきたく書き込みをさせていただきます。 以前からなのですが、病気が怖くて怖くてたまりません。 何か体の不調があると、それを癌と結びつけ、夜も眠れないほどの恐怖に襲われるのです。 昨日も胸の辺りの肌が変色していたため皮膚科を受診しました。 先生ははじめは、よく分からない様子だったのですがルーペで観察をしたところタムシであるとの診断を下しお薬を処方していただきました。 しかし、帰宅後皮膚片を顕微鏡で観察しなかったことや皮膚科で使用する特殊な拡大鏡で皮膚を観察しなかったことなどから、本当はタムシでは無く皮膚癌では無いのかという思考に陥り、一晩中その事が頭の中を巡り、眠れない一夜を過ごしたのです。 このhasunohaでも父の死からも人間の命は永遠では無いことや人間には病の苦しみが付きものだと言うことは理解しているのですが、癌が怖くて怖くて仕方が無いのです。 心療内科も受診し、薬物療法とともに先生からは気分転換をしなさいと言われるのですが、時には恐怖から呼吸が苦しくなるなどの症状になることもあります。 本当に本当に弱い人間で情けない限りですが、今後どの様な対応をすれば良いのか?、アドバイスをいただければと思い書き込んだ次第です。 よろしくお願いします。
小学生の娘を持つシングルマザーです。 乳がんになってしまい、今度手術をします。昨年に離婚と同時に子宮がんの手術をしたばかりで、悪いことが続いて 負けてしまいそうになります。 幸い今の段階では初期と言われているのですが、元々ネガティブなため、次またどこか悪いところが見つかるんじゃないか、、と考えても仕方ないことを考えてしまいます。 まだ小学生の娘のこの先を考えると、あと最低10年は働いて育てないとなのに、どうしよう。不倫で出ていった元旦那には子供は任せられないのに、誰が育てるんだろうか、どうしよう、と 暗くなってしまいます。 私一人なら覚悟できるけど、娘のことを思うと、どうなっても大丈夫!とは言えないのです。申し訳なさばかり募ります。 明るくならなきゃとは思うのに、どうしたら明るくなれるかわかりません。
漠然とした質問です。 人は誰でも必ず死を迎えます。死ぬことは、やむを得ないですが(頭では解っていても)精神的に苦しくない穏やかな最期の迎え方をするには、どのような生活を心掛ければよろしいでしょうか?
(編集部より。回答者を指定した質問はできません。タイトルを変更しました。) 前回も愛犬の事でお世話になりました。 ありがとうございました。 実は今日、最愛の父がなくなりました。 ケガで3ヶ月入院し、退院した矢先、今度はウイルス性の院内感染が原因で、入院から6日で亡くなりました。 入院時には意識がなく、話せないままの別れになってしまいました。 でも、入院中はたくさんありがとうを伝え続けました。 晩年は苦しかったと思いますが、一切泣き言を言わず、家族の為に生き抜いた、世界一の父でした。 どうか、父の為にお念仏を唱えて頂けませんか?
常々自分は身体という車に乗せて貰っているだけに過ぎない雇われ領主みたいなものだと思ってしまいます。 勿論、織田信長みたいなカリスマ性の有る領主ではありません。しかしこの身体にどうにか天寿を全うさせてやりたいと考えては居るのですが、身体のある部分だけに病が起こりそれを取り除くのもやむなしと思われる時、しかし当然その取り去られる部分の身体にも何らかの存在意義や権利がある筈なのにそれを無碍に踏みにじって裁断を下して良いものかどうか悩んでいるのです。 自分としては、命に関わったりする場合は身体の他の部分を巻き込むことは流石に出来ないのでただちに処断しなければならないと思うのですが、そうではなくて不便ではあるけれど命を危険にさらす程でも無く付き合っていくことが可能なら、生かしてやりたい。 けれども幾らかの薬が必要で代謝などで他の臓器にご負担をお願いしなければならないかも知れない。そう考えると他の臓器から不満の声が上がらないとも言い切れない訳でして・・・。しがない領主としてそんな悩みが尽きない訳でありますが、お坊さん国の先輩領主様はどの様に思いますでしょうか?
娘を亡くしたものです。 先日、いつものように仏壇に手を合わせていると、瞼の裏にお釈迦が座っておられるのが見えました。 そして、その膝の上に亡くなった娘がニコニコ笑顔でこちらを向いて座ってました。 生きていればちょうどお座りができるようになった時期です。 ずっと心が苦しかったのですが、娘がお釈迦様の元にいるとわかり少し安心しました。
タイトルの通り老いの受け入れ方をアドバイス下さい。 独身、子なしの人生です。仕事、友人、健康には恵まれています。それなりに楽しい人生ですが、将来の不安と体の老化に心が苦しい時間が日々増えています。長寿の家系です。これからの人生を前向きに生きる考え方や知恵を教えて頂きたいです。
最近、私の母が熱を出しました。 50代半ばの母は病院を極端に嫌い、行くのを面倒くさがって行かずに、再び熱が出てようやく病院へ行きました。 夕方に37.4度、1時間後には39.8度と、急に熱が上がりすぎたのか意識が朦朧として、ハッキリ喋っているのに内容がしっちゃかめっちゃかで何を言っているのか分からない状態になってしまいました。 症状に関しては入院してお医者様に診て貰うので心配はしていませんが、 母の意識が混濁していて10年前と昨日の出来事をまぜこぜに話している姿を見て、涙が止まりませんでした。 ここで初めて、私は「親の死」や「介護」への不安のような、老いに通じるものへの見えない恐怖を目の当たりにしたような気がします。 翌日再び病院に荷物を持っていっても、やはり少し意識が混濁していて、話す度に少しずつ内容が変わっていて、とても見ていられない。 これが高熱による一時的なものだと信じたいのですが、もし今のまま、あるいは熱が引いても少しずつボケていってしまったら、私はこの人の面倒を見られる自信もないし、例えばコロリと死んでしまっても、乗り越えられる自信もないです。 自分一人でさえ食うや食わず程度の経済力しかなくて、不安で不安で、救急外来に行ってからまだ2日しか経っていないのに、5キロ近く体重が落ちていて、どうしようどうしようという気持ちでいっぱいなんです。 受け入れるのも、乗り越えるのも、出来るわけないじゃん お母さんだもん お願い 元気になって
いつも拝見しています。 私の母は、昨年肺がんから肺炎になりなくなりました。68歳でした。 私は元々東京で働いていましたが、4年前母の癌が発覚し、母と暮らすため2年前に地元へ帰り同居していました。 昨年、母の容体が悪化し1ヶ月の介護の末亡くなりました。 今は、以前の仕事の上司のお世話になり東京でまた仕事をしています。 うちは元々私と姉との間に確執があり、姉が嫁いでからはほとんど交流がありませんでした。 母が亡くなるまで、私がすべて入院の世話から介護、お葬式の手配等行いました。 今回母が亡くなる直前に、お互い本音で話しをすることができ、和解しました。 後悔は沢山あります。もっと母に優しくしていれば良かった。一緒に出かけて、写真を取れば良かった。一緒に住んでいても一緒に過ごした時間はとても少なかった。 今は、小さいながらも母のお墓もたて、私の役割は終わったと思っています。 今後の人生、どう生きていけばいいのか、わからなくなりました。アドバイスをください。 あと、私は同性愛者です。なので、結婚をして新しい家族を作ることも子供を持つことも出来ません。
私は裕福というわけではありませんが、親や周りの人たちに恵まれてきました。なので家族のみんながとても好きです。 だから、いつかくる別れがとてもこわいです。きっとその時にはとても後悔するし、悲しくてどうしようもないけれど自分は生きていかなければいけないという事に耐えられるのかな?と思います。 出来るだけ後悔しないように、思い出が残るように沢山一緒に時間を過ごそうと思いますが、その思い出すらもういないんだ…と辛くなってしまわないか不安になります。 これから先、どう過ごせばいいのでしょうか。 私が親離れ(自立)できていないためにこれほど苦しいのでしょうか?
友人の御主人が、まだ30代という若さで病気で突然死してしまいました。 子ども達もまだ幼く、これからという時に、何故という残念な思いばかりです。 御焼香をするために葬儀に行きましたが、友人と御主人が築き上げた幸せな家族の写真がたくさん飾られており、本当に素敵な家族だったのに何故?といういたたまれない思いでいっぱいになりました。 仕事関係の写真や、別れを惜しむ参列者の多さを見ても、本当に色々な人から慕われ、ご活躍されていたのだなぁと感じられ、そんな人が何故、こんな若さで…と思います。 いい人ほど若くして亡くなるとは、よく言われますが、何故、いい人が若くして突然、天に召されなければならないのでしょうか? また大切な人を亡くした友人に対して何か出来ることはあるのでしょうか? 私が引っ越す前は、子ども同士も仲良く、とてもお世話になった方なので、何か出来ることがあれば…と思いますが、直接お会いする機会も少なく、故人のご冥福をお祈りするくらいしかできないのが現状です。 今は行事や事務手続きなどに追われて、友人も悲しむ暇がないくらいに慌ただしい日々を送っているかと思いますが、大切な御主人を亡くしてしまい、心身ともに疲れきっている友人と子ども達が心配です。 今はそっと、御主人とのお別れの時間を見守る方がいいと思っていますが、いずれ何かできれば…と思います。 今はまだ、自分に何ができるのか、どのように接するのがよいのかも分からないのですが… 大切な人を亡くした方が、やって貰って嬉しかったことや、逆に失礼にあたること、負担になることなど、具体的に分かると助かります。
こんばんは。 私の祖母(70代)のことなのですが、去年癌と診断され手術をしましたが全て取り切れず、その後抗がん剤治療も望みませんでした。祖母が発症した癌は希少な類のもので、進行が早く予後も極めて悪いです。退院してからしばらくは自宅で過ごしていましたが、癌による痛みもひどくなり再入院となり、さらに色んな臓器に転移していることがわかりました。 今年の元日、祖母と過ごせる最後のお正月だと思い急遽実家に帰りましたが、あまりにやつれて弱った祖母を見て唖然としてしまいました。本当は一緒にいて少しでも痛みが和らいでくれればと思っていましたが、見ているだけで涙が出てしまい何もできませんでした。痛みによりご飯も食べられず、食べては嘔吐を繰り返していました。 積極的な治療を望まないということは、こうなることだと分かっていたつもりでしたが、あまりに進行が早く自分の気持ちがついていきません。 私が今の仕事をするときに一番応援してくれていたのに、病気で苦しんでいる祖母の力になれず、何も恩返しできていない自分が無力で情けなくなります。病気で困っている人を少しでも助けたくて今の仕事をしているのに、一番大切な自分の家族に何もしてあげられないのがすごく悔しいです。自分はこのままで続けていいのだろうかと考えてしまいます。 祖母の余命はそう長くないのですが、今はまだ意識がはっきりしています。痛みに弱い人なので「死んで楽になりたい」とずっと言っているそうです。容態がどうなるかはわかりませんが、意識があるうちに何かしてあげられることはないでしょうか。 祖母を前にしたら絶対泣くと思いますが恩返しをしてあげたいです。 長くなりましたが、お返事よろしくお願いいたします。
つい、数日前、お正月休みで帰省して 祖父母の家に顔を見せに行って、また来るねって言ったのが 祖父との最後になってしましました。。。 また会えると思っていたのに かなわないなんて 人間、本当にどうにもならない、抗えないことってあるんだなと 悲しくてどうにもなりません 修士論文の提出を控えている中での出来事なので 本当に気持ちがぐちゃぐちゃで いまこそ乗り越えなきゃ、ふんばらなきゃいけない時なのですが とてもしんどいです、いきばがなくて
26才でした。持病もなく、仕事も順調、年末には旅行に行く計画も立てて楽しみにしておりました。眠ったまま、朝にはベッドで冷たくなっていました。 父親はすでに亡いですが、私(母)と二人、仲良く毎日楽しく暮らしておりました。息子に残すためにこそ手に入れた家に私ばかりが残り、未来あるあんな優しい子がどうしてこんな風に亡くならねばならぬのか(私ではなく!)、二度と帰ることのない息子をおもって日々寂しく辛く、もう生きていたくもないけれども仕事をして何とか生きております。 息子を想い、遺品遺影を見ては涙し、毎日寂しい辛い悲しい耐えがたいと煩悶しつつ、しかし結局それは「私が」であり、もう嫌だと言いつつ死にもできずに、いつか死ぬるまで生きねばならぬならば、どうこのあさましき「私」を引き摺ってゆけばよいのでしょうか。 仏さまの教えの中に方策はあるのでしょうか。 どうかご教示お導きをお願い申し上げます。
痔瘻のため入院し、今週末に手術を行う予定です。 普段強がってる私ですが、情けない話入院や手術が不安で仕方ありません。 入院も本当に幼い頃に一度したのみで、20数年ぶりです。 術後の痛みのこと、長期休みを頂くため仕事のことなど色々考えてしまいます。 ネットでの体験談や同じ手術をした友人の話を聞いて、変に不安になってしまいました、、、 人それぞれ経過や症状が違うのは自分でもよくわかっているのに、、 どうかこんな私の背中をそっと押していただけないでしょうか。
12月に風邪をこじらせ入院していた祖父が、昨日亡くなりました。 お通夜も告別式もまだ終わっていない状況ですが、気持ちを吐き出させていただくことをお許しください。 入院するまで元気いっぱいで過ごしていた祖父が、どんどん衰えていくのを見るのがつらく、お見舞いの帰りには泣いてばかりでした。しかし、こちらでも質問させていただき、後悔のないように時間のある限り病院へ足を運び、だんだん意思疎通ができなくなっても、手を握り話しかけ、後悔のないように過ごしてきました。 死に目には間に合いませんでしたが、苦しみもなく眠るようにゆっくり旅立っていったそうで、少し安心した気持ちにもなりました。 しかし、一晩明けて、やはりどうにも悲しく、気が緩むと涙が込み上げて仕方ありません。 入院中、もうこれで最後になるかもと思いながら、今までの感謝の気持ちを伝えることができませんでした。今までありがとうと言ったら、本当にお別れになってしまう気がしていました。 もっとしっかり感謝の気持ちを伝えて、元気なとき、あれもしてあげればよかった、これもしてあげればよかった、と考えます。 実家で、結婚するまでずっと一緒に暮らし、本当に可愛がってもらったので、思い出がありすぎ、あとからあとから在りし日の祖父の姿が浮かび涙が止まりません。 この世界でもう二度と祖父に会えない、話すことができないという現実に押しつぶされそうになります。 小さな息子がいるので、なるべく気丈でいたいのに、お通夜も告別式も号泣してしまいそうです。 亡くなった瞬間よりどんどん悲しみが増している気がします。気持ちの整理のつけ方を教えてください。
あけましておめでとうございます。 初めての投稿です。 妻子と死別して10年が経ちました。と言いましても子は妻のお腹にいましたので、顔さえ知りません。 僅か25ヶ月の結婚でした。 その時は神仏さえも怨みました。 私への罰なら何故私に与えないのか、 まだ生まれてさえいない子に何の罰があるのか? その後少し見方を変え、他の人を少しでも助けることが出来れば供養になるのはと思い職を変え、被災地の障がい者や子どもの支援に没頭しました。 しかし、埋まらないものが大きすぎて特にこの時期はふとしたことで涙がこぼれます。いつまでこの埋まらないものを抱えていけばいいのだろう。 我欲なのでしょう。早く迎えに来てくれないだろうか。それともこちらから彼方へ行くことを待っているのじゃないか。 ふと自死が頭によぎります。 仏様から見れば、人の一生など刹那のことかもしれませんが、しかし人にとっては無限に等しい時間であります。 苦しみから逃げるのは悪なのですか。 自死は悪なのですか? みなさんの視点からは仏への冒涜の言があるかもしれません。 無知ゆえとお許し下さい。
去年は辛いことが重なり、普段は帰ってこないこの年末に帰省しました。主人とも激しく口論し、別れるかどうか落ち着いて考える機会も欲しかったのです。主人は帰省に反対しましたが、結局お互い、それぞれの実家に帰ることになりました。 ところが、おととい、我が家の猫が急死したと、家を預かっていた友人から連絡がありました。事故死でした。あまりのことにショックで、心配した主人が電話をしてきました。ずいぶん慰められ、私はこの人の支えがなければ生きていけないということを再認識しました。 猫の死が、私たち夫婦の仲を取り持ってくれたように感じてなりません。でも、こんな犠牲を払わなければならなかったのかと思うと、なぜもっと早く、主人の大切さに気付くことができなかったのか、主人が反対したのに出かけてしまったのか、今は私が猫を殺したのだという自責の念でいっぱいで、涙が止まりません。 過去を悔やんでもどうしようもないのですが、これから、猫のいない我が家に帰るのが怖くて、潰れてしまいそうです。どうか現実に直面する勇気を与えて下さい。
約1年前に白血病前段階のような不治の病が発覚。 今年の12月に入り主治医から年内は難しいと言われ個室に入ったが極度の怖がりであること、心細さ、気を使う人なので看護師さんにお手洗いの付き添い、お下の世話を頼むのも難しいだろうと思い、また最期まで人として尊厳が保てる生活を送って欲しかったので(排泄をおむつにためたままになったりしないよう)、病院に泊まり込みで付き添い看護をしました。 人に体を触られたり、心配されたりするのがあまり得意ではない人柄の母が12月に入ってからは私にお手洗いの付き添い、おむつの交換、ポータブルトイレの清掃、をさせてくれました。 痛いときには「痛い痛い」と言ってくれました。介護する私に「最期は楽な方(鎮静剤で眠ったまま最期を迎える)選ぶけどごめんな」と言った、死にたくなるほど痛いのにそんな中でまで私を気遣った母。 お通夜お葬式はひと目をはばかることもできず参列者の前で泣き崩れ「おかあさんー」と叫びました。 今でも母の死を受け入れることができません。子供二人の前で夜な夜な泣き崩れベランダから「おかあさんー」と大声で叫ぶ始末です。 結婚して離れて住んでいたので、頻繁に会える仲ではありませんでした。今でもただ会えないだけ、と思い生きている体で、日々を過ごすのは良くないのでしょうか?母は、いまどこにいるのでしょうか?母は、今何をしているのでしょうか?どうすれば母と話ができるのでしょうか?私は、また母と同じステージで会うことがでるのでしょうか?間もなく引っ越しを控えているのですが、お盆等に母は、迷わず私の新居に来れるでしょうか?私の新居を楽しみにしておりました。母は、私の新居を見ることができるのでしょうか?実家ではもちろん炊きますが私の家でもおがらを炊いて母を迎えても良いのでしょうか?自分が何を思いたいのかどうしたいのかもわかりません。。食道楽で美味しい物が大好きでした。最後の1ヶ月は殆ど食べる事もできませんでした。今はお腹いっぱい食べれているでしょうか?今でも「▲▲食べに行こうや」と連絡が来るんじゃないかと思っています。○○ちゃん(長女)にイチゴ買うたって、お肉買うたって、クリスマスプレゼント何しよ。○○君(長男)また虫取り?と連絡が来るような気がしてなりません。母にはこれから楽しい事がたくさん待ち受けていたはずです。 母と話がしたいです。会いたいです。
76歳の父の命が尽きようとしています。 4年前にがんを患い懸命に闘病をしてきた父。 抗がん剤治療の苦しさにも何一つ愚痴を言わず一生懸命に生きてきた父。 何も親孝行らしいことすら出来ず、父の命が尽きようとしているのを目前にしてただただ狼狽えるばかりの私が居ます。 父の死を仏様の教えではどの様に考えれば良いのでしょうか。 そして私はここでどの様な対処をすれば良いのでしょうか。 未熟な私にアドバイスをいただければと思い、初めてここに書き込みをさせていただきます。