六日前に祖父が亡くなりました。 葬儀は昨日全て終わったのですが、未だに亡くなったことが信じられません。 またひょっこりと祖父が出てくるんじゃないかと期待してしまう自分がいます。 突然亡くなり、私たち家族と別れの言葉もないまま祖父はどんな気持ちだったんだろう、、と色々考えると涙が止まりません。 最後は寝たきりだったので、三途の川をちゃんと渡れるのかなど、心配でたまりません。 夢でもいいからまた祖父に会いたいし、祖父の声とか思い出がどんどん薄れていくのが怖いです。 祖父の死とどう向き合っていけばよいのか教えて頂きたいです。
私は、母親の死によって自分自身の冷たさについて考えるようになりました。 母親が苦しんでいる時、私はとても冷たかったです。 例えば私は母親が病気で苦しんでいる時に初詣に行きました。 私は、その時トートバッグが欲しかった 初詣に行く前にトートバッグを買いました。 今思うと、私は母との時間よりも物欲・・を優先したんだろうと・・ もちろん、その時はタイムリミットが近づいてる事は 分かってはいなかったけれど、 あんなに苦しんでいた母より、私はそっちを選んだ 最初はどうして初詣を断れなかったんだろうと・・そう悔やんでいました でも、よく考えると私は断れなかったのもあるけれども、結局はトートバッグが欲しくてそっちを優先したんだろうと思います。 苦しんでいる母を横目に私は何か言葉をかけるでもなく パソコンやっていた事もありました 母が亡くなって気づきました パソコンとか物欲とか母との時間に比べたらどうでも いい事だったと・・ 母が自分の死をもって私の持ってる冷たさを教えてくれたのだろうか・・と考える時があります。 あんなに苦しんでいたのに、自分の物欲、自分の時間ばかりを優先して母の事を顧みようともしなかった 私はおかしいのではないだろうか・・ と今思い出しても自分の冷たさについてやるせなくなります 私はずっと、自分中心に生きてきた 自分の中にある冷たさ、冷酷さと、どう向き合ったらいいのでしょうか?
大好きだった父が亡くなりました。 父のために何もできず、後悔の気持ちでいっぱいになり、 うつ病を発症しましたが、会う人会う人に「元気そうだね!」と 言われて悲しい毎日を過ごしています。 独りぼっちは寂しくて、悲しくて、早く父のもとに行きたいと日々思っています。 もう今の生活に後悔はありません。 病気で死亡するのも、自殺も、同じに感じる私はおかしいでしょうか。
度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。
母親の死で後悔というか懺悔したい事がありすぎて どうしたらいいか分からないです。 母は病気だったのですが 母が一番苦しんでいる時に寄り添ってあげなかった むしろ、私は母が一番不安な時に冷たかった・・ 断れなくて苦しんでいる母を置いて初詣に行ったり パソコンしたり・・ 母との最後の時間を大事にしなかった事、最後に優しくしなかった事 申し訳なくて懺悔の思いでいっぱいです。 どうしてか、寄り添えてあげなかったのか分からない・・ あんなに苦しんでたのに、危機感というかなくて、まだ大丈夫・・ 何を根拠に思ったのか、そう思ってました 結局、自分の用事を優先して、母の事を後回しにしてた 初詣もパソコンも母との時間に比べたら今となってはどうでもいい事で 私は何をしてたんだろう・・と 母は優しい人で、いつも私に負担がかからないよう、気遣ってくれて そんな母に恩返しどころか、冷たい態度をとって何もしなかった 自分が許せない日々が続いています。 結局、母が病気になってから寄り添ってたつもりだったけれど、振り返ってみると結局、私は自分を優先して母を後回しにしてたんだろうと思います だからこんな事になったんだろうと思います
お世話になります。 昨年末、73歳の母がステージ3の肺癌であることが判明しました。 年明けから、抗がん剤治療、放射線治療を行い、不幸中の幸いで、手術出来る段階まで小さくなったのですが… 母が「手術はしたくない」と言い出して、戸惑っています。 手術したくない理由は、「これ以上体力を落としたくない。これからは上手に癌と付き合い、生きていきたい」と。 内科の担当の先生も、「せっかく手術出来るのに」と説明して下さいましたが、本人の意志は固いようで、何やら吹っ切れたように、逆に元気になっています。 親の病、生き方に関しては、本人の気持ちを尊重すべきで、いくら娘でも、口は出せない、母か決めた事だから…と自分を納得させていますが、「このまま母が弱って死んだらどうしよう」と悪い方にばかり考えてしまい、涙が止まりません。 現在、夫の転勤で県外に住み、地元を離れているため、母のお見舞いに行けるのは週に何日かだけ。 それでも自分なりに精一杯やっているつもりですが、「私が母の近くに住んでたら、もっと早く病に気付けたはず」と自分を責める気持ちが治まりません。 老いていく親の大病、やがてくる死、どのような心持ちでいれば、私自身も心穏やかに過ごせるか、ご教示いただけたらありがたいです。
今までかっぱえび◯ん依存症にお付き合い下さりありがとうございました
現在30代。 結婚もあまりするつもりがなくこのまま1人で生きていった時、自分がどうなっているか不安で仕方ありません。
初めまして 過去、流産を4回しました。 毎年、春秋のお彼岸、お盆は欠かさず墓参りし、お地蔵様に手を合わせ水子供養はしてますが、会いたいんです。 他の質問にもお話してますが、乳がんを患ってからなおさら、死ねば水子に会えるかなぁと涙が流れて来ます。 水子を思うと無条件に涙が流れます。 私は死が来るまで、頑張って生きていきます。 でも、抱くことの出来なかった赤ちゃんを、あの世で抱きたいなぁと願ってしまうのです。 水子は待っててくれるのでしょうか。
昨日、17年飼った愛犬が亡くなりました。 私が21歳の時、家族の反対を押し切って自分で買ってきました。 その後、結婚して引っ越しをしても犬を一緒に連れて行き、ずっと傍にいました。 11年前、私に子供が出来るとアレルギーが酷くなり、犬のお世話に子供のお世話にアレルギーとの戦いに疲れてしまい、何度か知り合いに愛犬を預けた事がありました。 しかし、愛犬は吠え続けるなどで預け先も手におえず、その度に家に戻ってきました。 私の家族と同居をしていたので、私の妹が面倒を見るという話しになり、妹の部屋で隔離状態で何年も過ごさせてしまいました。 暗い部屋で一人で何年も淋しい思いをさせてしまいました。 妹もだらしのない性格の為、小屋も汚く犬も汚い日々が数年続きました。 1年半前、年をとってしまい歩く事もままならなくなり、私のアレルギーも落ち着いてきたので、リビングに移動させ最後の1年半はずっと一緒に過ごしてきました。 ここ数ヶ月体調が悪化してからは、介護の毎日でしたが、本当に可愛くて可愛くて、放置してしまった数年間を悔やんでなりません。 亡くなる前、2,3日は私も心配で寝る事が出来ず、沢山抱っこして過ごしました。 亡くなる数時間前、もう力も残ってない中、最後の力を振り絞って何度も声をあげていました。 直ぐに抱っこしてあげると暫くして落ち着きました。 明け方まで起きて頑張ったのですが、気づくとウトウトしてしまい、朝起きるともう亡くなっていました。 亡くなる直前だったか、一度私が目を覚まし頭を撫でると瞬きをしてくれたのが最後になってしましました。 放置してしまった数年間、無責任に可愛いだけで買ってしまった事、本当に愛犬に申し訳なくてなりません。 最後の時間、一緒に過ごせた事が唯一の救いですが、本当に申し訳なくて苦しいです。 愛犬は私を恨んでたかなぁ。それでも好きでいてくれたかなぁ。 と今はただただ苦しいです。 話しを聞いて頂きたく、こちらに投稿させて頂きました。
「認知症の魅力」そんなの綺麗事だ! と思っている方が多いんだろうなぁ と思うから「認知症の魅力?」も書いておこうと思う 介護も看護も関わる家族にとっては大きな負担 でも家族だから仕方ないし見捨てる訳にもいかず 「こんなに我慢してるのに!」「こんなに疲れ果ててるのに!」と思っている人も多いのだろう 私のポジティブおばあちゃんも全部が全部完璧な訳じゃない 暴言を吐いたり問題行動を起こしたりもする 家族の名前も分からなくなっている時には お世話するおばのことも「◯ちゃんじゃない!」と不審者扱いもする 出かけたら疲れたもう帰ると言うのにお出かけしたくてしたくて堪らない せっかく遊びに来てくれた人たちに対しても文句タラタラ早く帰れ!風になる でもそれは本当に単なる「ワガママ」なのだろうか? 誰だって脳みそ萎縮したり出血や梗塞を起こしたら 若くたって「ワガママ」にもなることはある思うように動けなくなったりもする 介護や看護も必要になる それがたまたま若い頃でなく老いてから起きているだけ もちろん100歳過ぎてもおおらかでいられる人もいる でも何かしら脳や体に病を患いつつ生きている 長生きしたくても長生きしたくなくても死ぬまで生きるしかない 暴言吐くのは認知症の人たちだけ?赤ちゃんなら子どもならOK? 赤ちゃんは完全介護状態でも可愛いからOK? そんなことはないはず 産後うつで亡くなるママは今すごく多い 思春期に反抗期で暴言吐いた経験がある人も多いのでは? 私は残念ながら反抗期がなく親にとって何でも言う通りの「いい子」でどんな「ブランド品」よりも価値ある風に扱われてきた だから今病気になって「今が反抗期だね!」と言われてしまう 歯痒い気持ちにもなるけど それだって仕方ないことだし親の気持ちも分からなくもない 私は存在を消し消されて生きているけど 私が病気だと親が明かしている人の前では平気な顔して「私は家ではヘルパーさんやねん!」とか言う 私は…何?って思ったりもするけど その文句タラタラのポジティブおばあちゃんはどんなに「ワガママ」扱いされても 食べて寝てトイレ行って寝て文句言って寝て笑って寝て… 「ワガママ」扱いされていることにも気付かず精一杯生きている 人それぞれだけど 私はそんなおばあちゃんを誇りに思う
愛犬の病気が治りません。以前も大きな手術をしていて何回も入院してきました。毎日不安で不安でたまりません。治療もあまり経過がよくなく今日も愛犬は具合が悪そうです。 以前は、突然、具合が悪くなり夜間の救急にも何回も通いました。そこの医者の中に信じられないかもしれませんが、私に対して馬鹿にしてくるようなスタッフがいました。担当の先生は、診察の時は親切にしてくれましたが、一番近い救急がそこしかなく二次診療機関もまた必要ならそこに行かなくてはならないかと思うと憂鬱で仕方ありません。 そういうストレスもあり、愛犬の具合が悪いと私まで体調が悪くなるようになってしまいました。毎日つらいです。つらいのは愛犬のほうなんだから、私がまいっていてはいけないとは思うけど、正直つらくなります。 家族には、こんな時にグズグズしてないで愛犬の食事を作るなら早く作れ、などどやされたりそれなら自分が作ればいいだろ、などと思いながら昨日も過ごしました。 また、別にいる同居の家族は非常に無責任で雪の降る寒い日に体調の悪い愛犬を留守番させる際暖房を危ないからといって消して行って、帰ってきたら愛犬が呼吸も荒くてひどいことになっていました。それなのに、そんなの大丈夫だとか平気で言い放ち腹が立ちます。 ここのところ、正月も深夜も関係なく病院通いの毎日で、それで良くなるのならば苦ではないけれど、今は治療の見通しも立たないのでそれが不安でたまりません。 以前、危篤的な時には延命のお唱えを心の中でしてみましたが、神様に病気を治してください、とお願いするお唱えみたいなものはありますか? また、こんな時はどういう心構えでいたら良いでしょう。何かアドバイスあればお願いします。
92歳の私のおばあちゃん 住んでいるところが遠いのと 私自身の病気の為 毎年おばあちゃんのお誕生日に日帰りで会いに行くのが習慣になっています 4月20日はおばあちゃんのお誕生日です 認知症がどんどん進んでいっていますので いろいろいろいろと大変なこともありますが 私は今のおばあちゃんが大好きです 私が電話したら いつも楽しくて愉快な話?!を何回も何回も繰り返し話してくれます また認知症ですが私の前では「おばあちゃん」を崩したことがありません この前は風邪を引いて2週間電話出来ずにいましたが 久しぶりに電話をすると 「バカは風邪引かん言うからね、ばあちゃんは風邪も引かんよ!あんたは賢いけんねぇ、もっとバカにならんといけんよ!」 そう言って明るく私を励ましてくれました そして「5円玉が6つもありゃ、飴玉じゃぁなし、いろんな物が買えるじゃろ!用意して待っとるけんね!一緒にウマイもん食いに行こうや!」 とまるで自分の誕生日が近いことが分かってる風に話してくれました 「この前ばあちゃんのお母さんが死んだんよ!」 もし生きていたら世界最高齢でギネスもの! 「なかなかじいさんが帰って来んのじゃ」 まだおじいちゃんのことが好きなんだな! いろんなことを私に気付かせてくれます 有り難い存在です 今度のお誕生日プレゼントは何にしようかなぁ… 一昨年前は上より下が広い倒れ難いマグカップをあげたら「わ~末広がりじゃぁ!」と喜んでくれました 去年はおばあちゃん暑がりなので夏向きのスリッパをあげたら「わ~赤いのをばあちゃんにくれるんかね!キレイじゃね~!」と喜んでくれました 赤ちゃん戻りしてみたりおばあちゃんらしく振る舞ってみたり そんなあやふやで曖昧で新語連発するおばあちゃんが大好きです 他の家族からは文句ばっかり言って!ワガママし放題!と言われているけれど 私はそんなおばあちゃんも大好きです 人間らしさ満開!!! 人間らしさ万歳!!! さて今日はどんな話をしてくれるのかな? 楽しみですね! お坊さまは認知症のお年寄りにステキ!と魅力を感じていますか? 私はすごく魅力的な部分山積みだと思っています。
先月、育ての親である祖母が亡くなりました。いまだに祖母の死を受け入れられません。 よく、自分が死んだときに迎えにきてくれる、また会えると聞きますが、 亡くなってもまた会えるときが来るのでしょうか?
今朝うちの電車(私)の始発の時間が13分遅れました 毎日6時に雨戸を開けたり新聞を取りに行きます そして毎日7時から掃除を始めます それが私が7時前にうたた寝してしまい遅れてしまいました そしたら部屋の扉を「トントントン」と叩き「起きてるんか?」と父が… 父は7時前にトイレに起きてまた寝て 8時に起床します 母は8時30分に起床します 始発が13分遅れたので 「起きてるかチェック」が入りました うーん… 電車が遅れたら多くの人たちが迷惑します 最近何かと電車に飛び込む人が増えたことで 余計に神経質になっているのかイライラがたまっているのか 線路内等で死人が出たら ネットの書き込みには必ずと言っていい程このツブヤキが… 「マジで止めて!」 「迷惑きわまりない行為!」 うーん… 確かにたくさんの人たちのスケジュールが狂うし鉄道会社にも損失が生じますが… その… 尊い命が1つ失われているのに… もしその自殺したのが自分の家族や友達でも同じことが言えますか? そんなことを考えたりしています でもそんな私も自殺希望者で 何度「今だ!」と思ったことか… 何度も何度も耐えて耐えて… でも「マジで止めて!」の気持ちが分かるし 鉄道会社に損害賠償を請求されたら残された家族に迷惑がかかるので 長いこと長いこと無い知恵を練って練って 自殺するならコレと決めておくしかなくなってしまいました 今朝はうちの電車が13分遅れました 13分… 怒られてうたた寝したことを後悔しました… がもう起きてしまった事故なので あまり責めないでいただきたいものです お坊さまは寝過ごして迷惑かけたことがありますか? 電車が遅れることどう思いますか?
父のことでこのhasunohaのサイトに出会いお坊さんにいろいろとアドバイスをいただきました。 さて本日は自分のことでお話を聞いていただきたく書き込みをさせていただきます。 以前からなのですが、病気が怖くて怖くてたまりません。 何か体の不調があると、それを癌と結びつけ、夜も眠れないほどの恐怖に襲われるのです。 昨日も胸の辺りの肌が変色していたため皮膚科を受診しました。 先生ははじめは、よく分からない様子だったのですがルーペで観察をしたところタムシであるとの診断を下しお薬を処方していただきました。 しかし、帰宅後皮膚片を顕微鏡で観察しなかったことや皮膚科で使用する特殊な拡大鏡で皮膚を観察しなかったことなどから、本当はタムシでは無く皮膚癌では無いのかという思考に陥り、一晩中その事が頭の中を巡り、眠れない一夜を過ごしたのです。 このhasunohaでも父の死からも人間の命は永遠では無いことや人間には病の苦しみが付きものだと言うことは理解しているのですが、癌が怖くて怖くて仕方が無いのです。 心療内科も受診し、薬物療法とともに先生からは気分転換をしなさいと言われるのですが、時には恐怖から呼吸が苦しくなるなどの症状になることもあります。 本当に本当に弱い人間で情けない限りですが、今後どの様な対応をすれば良いのか?、アドバイスをいただければと思い書き込んだ次第です。 よろしくお願いします。
小学生の娘を持つシングルマザーです。 乳がんになってしまい、今度手術をします。昨年に離婚と同時に子宮がんの手術をしたばかりで、悪いことが続いて 負けてしまいそうになります。 幸い今の段階では初期と言われているのですが、元々ネガティブなため、次またどこか悪いところが見つかるんじゃないか、、と考えても仕方ないことを考えてしまいます。 まだ小学生の娘のこの先を考えると、あと最低10年は働いて育てないとなのに、どうしよう。不倫で出ていった元旦那には子供は任せられないのに、誰が育てるんだろうか、どうしよう、と 暗くなってしまいます。 私一人なら覚悟できるけど、娘のことを思うと、どうなっても大丈夫!とは言えないのです。申し訳なさばかり募ります。 明るくならなきゃとは思うのに、どうしたら明るくなれるかわかりません。
漠然とした質問です。 人は誰でも必ず死を迎えます。死ぬことは、やむを得ないですが(頭では解っていても)精神的に苦しくない穏やかな最期の迎え方をするには、どのような生活を心掛ければよろしいでしょうか?
(編集部より。回答者を指定した質問はできません。タイトルを変更しました。) 前回も愛犬の事でお世話になりました。 ありがとうございました。 実は今日、最愛の父がなくなりました。 ケガで3ヶ月入院し、退院した矢先、今度はウイルス性の院内感染が原因で、入院から6日で亡くなりました。 入院時には意識がなく、話せないままの別れになってしまいました。 でも、入院中はたくさんありがとうを伝え続けました。 晩年は苦しかったと思いますが、一切泣き言を言わず、家族の為に生き抜いた、世界一の父でした。 どうか、父の為にお念仏を唱えて頂けませんか?
常々自分は身体という車に乗せて貰っているだけに過ぎない雇われ領主みたいなものだと思ってしまいます。 勿論、織田信長みたいなカリスマ性の有る領主ではありません。しかしこの身体にどうにか天寿を全うさせてやりたいと考えては居るのですが、身体のある部分だけに病が起こりそれを取り除くのもやむなしと思われる時、しかし当然その取り去られる部分の身体にも何らかの存在意義や権利がある筈なのにそれを無碍に踏みにじって裁断を下して良いものかどうか悩んでいるのです。 自分としては、命に関わったりする場合は身体の他の部分を巻き込むことは流石に出来ないのでただちに処断しなければならないと思うのですが、そうではなくて不便ではあるけれど命を危険にさらす程でも無く付き合っていくことが可能なら、生かしてやりたい。 けれども幾らかの薬が必要で代謝などで他の臓器にご負担をお願いしなければならないかも知れない。そう考えると他の臓器から不満の声が上がらないとも言い切れない訳でして・・・。しがない領主としてそんな悩みが尽きない訳でありますが、お坊さん国の先輩領主様はどの様に思いますでしょうか?