真宗のお坊さんに質問です。
私は、曹洞宗の南直哉和尚の著作が好きでよく読んでいます。
南和尚の著作で「超越と実存」という本がありますが、その中での親鸞聖人の信仰のとらえ方が非常に興味深かったです。
曰く、
「親鸞聖人の悪人の自覚は、肉食でも妻帯でもなく、阿弥陀仏の救いを信じられぬことが根本にあったのではないか、そのため謗法をした者をも救われるという根拠を教行信証で示そうとしたのではないか」
ということです。
また、南和尚は
「ゆえに、親鸞の称名念仏はそれ自体無常で無意味な発声行為であり、超越を排しながらも実存を受容する方法として、道元と並び日本思想史上でも希有なものである。」
と結論づけています。
真宗のお坊さんでこの本を読まれた方、また読まれていない方でも南和尚のこのような解釈についてどのように考えられますか?
私はとても心打たれ、やはり真宗もただものの宗教ではない、深淵があるものだと感じました。
有り難し 21
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