心の中で南無阿弥陀仏してもそれは称名念仏ですか?
はじめまして。こんばんは。
私は失声症の時があったり、肺に持病があったりで、口で南無阿弥陀仏と称えることが苦しいことがあります。
こういうとき、心の中で南無阿弥陀仏と称えているのですが、法然上人や親鸞聖人が大事にされた「称名」念仏ではないので、何か違うと思ってしまいます。
念仏が好きなので、たくさん念仏をしたいのですが、身体的に念仏ができなくてつらいです。
①心の中で念仏するのは、法然上人や親鸞聖人はどう仰っているのでしょうか?
②心の中で念仏するのは、浄土真宗的にどのような意味合いがあるんでしょうか(浄土真宗の念仏は信後の御恩報謝だとされていますが、心の中でもいいのでしょうか)
③口に出す念仏より心で思う念仏は劣っているのでしょうか
有り難し 50
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