こんにちは。一年前に仏教を知り、以来本を読むなどして、勉強をしております。そこで、とある疑問があります。 自分は写真を撮ることが趣味です。思い出の場所、大切な人物を写真に残していきたいのですが、仏教だと過去への囚われ、執着になってしまい悪いことになってしまうのでしょうか? また、お釈迦様は現在の趣味をどのような扱いにするだろうか?というのが疑問です。 ご回答いただければと思います。
いつもお世話になっております。 色んな人の話を聞いて思うの ですが、「この世は苦である」 と説きながらも、「他者は大切 に」「信頼も大事」という教えも あり、少々理解が難しいです。 つまり、 「私もみんなも苦の中で生きる からこそ、相手にはやさしく、 信頼して、また、時には頼る ことも必要」 ということでしょうか? また、そう言われている中でも 「縁なき衆生は度し難し」など という法語もあり、???と といった感じです。 私自身も、まわりから 「縁なき衆生」と思われていない か不安です。 私自身の実体験と照合して 考えたりもしますが、理解が なかなか難しいのが実情です。 少しでも理解ができれば、より 楽に生きられるのでしょうが… お知恵を拝借したく存じます。
もうすぐ母の四十九日を迎えます。 仏教では亡くなってから四十九日まではこの世に魂が居て、四十九日を過ぎると魂はあの世(浄土?)へ行くと聞いた事があります。 四十九日までは母の魂がまだ家にいると思い、遺影に話しかけたり母が好きな食べ物や飲み物(コーヒー等)を毎日供えています。しかし四十九日を過ぎ母の魂があの世へ行ってしまうのであれば、今までのように話しかけたりお供えしても母に伝わるものでしょうか? 四十九日で母が近くからいなくなるのかなぁと考えると寂しい気分にもなります。
伊豆諸島に住んでまして、当家に代々伝わる日蓮上人のお弟子さんが残してくれた巻物が数点あります。 それは開けずの守り「家に何かあった時に開けなさい」とした物で、代々当主である長男しか見てはいけないものだとされています。1月16日と8月16日にのみ家の仏壇でご開帳し、お経を上げています。先代が興味本位で開けた時に体調を崩したなどの逸話もあるほどでして… 島の日蓮宗のお寺の和尚さんから、中身が見たいと言われ、久遠寺から数名僧侶を招き、お経を上げながらご開帳した時に、正式に日蓮宗のものだと言われました。 保管は桐の箱と和紙で保管していますが、古いものなのでボロボロになっており、今後の保管にも差し支えるため「補習」を考えているのですが、普通の巻物では無いため、僧侶では無い方に見せてもいいのか、由緒あるものをネットで見つけた補習屋さんで補習していいものか悩んでいます。
タイトルとは違いますがどの宗派の方でもokです。阿弥陀如来と観音菩薩、勢至菩薩、釈迦如来、文殊菩薩。以上五柱の真言の漢字表記を教えてください
夜分に失礼いたします。 どうしても悩んでおり、ご相談させていただきます。 あるとき、仏教に通ずる方から仏様のお話や地獄のお話を聞き、それ以来仏さまの存在を心から信じるようになりました。 浮気したら地獄に行くことになるんだよ、という話を聞きました。 今までそういうことはした事はあるが、大丈夫だろうか、と相談すると その方は、これからの頑張り次第じゃないかとおっしゃってくれました。 その時、仏様にも もう二度と浮気などはしません、これから真面目に生きます、地獄には行きたくない、と誓いました。 しかし、私は、その数ヶ月後に 日頃の主人から受ける心無い行動に愛想が尽き、 誓いを立てたにも関わらずに浮気をしてしまいました。 浮気直後は悪気も何もなかったのですが 浮気後に浮気相手に病気を移されていたことが発覚し、 主人に対して申し訳ない気持ちになりました。 現在こっそりと治療をし、反省する毎日を送っているのですが それと同時に主人は別人のように優しくなりました。 (浮気のことは主人は知りません) 付き合いは10年近くになる主人ですが 今の主人が一番好きだと思うくらい素敵で優しく、穏やかな夫婦生活を送っております。 主人の変化によって、私は反省し始め、愛する主人を裏切るようなことは、もう二度としない、浮気などはしないと、思い直したとき、 仏様の誓いを破った事が頭でいっぱいになってしまいました。 一度仏様にした約束を破ってしまいましたが 残りの人生を一生懸命生きて、主人を愛し通すことは許されますでしょうか。 また、どんなに頑張っても地獄に行くことは決まってしまったのでしょうか。 新たな約束と頑張りは仏様に認められることはあるでしょうか。 このような相談で本当に申し訳ないですが、お答えいただければ幸いです。
今年本厄で、来年後厄になるものです。家の事情で、来年度引越しをすることになりました。今実家暮らしで一人暮らしも未経験です。しかし今年は家族ともうまくいかず、来年の引っ越しにはお前は連れていきたくないと言われました。 実家に残るという選択肢もありますが、正直今いる家には残りたくありません。今年は今年で、入院やケガ等があり、すごく大変な年です。来年、一人暮らしを始めても厄年とかの関係では大丈夫なのでしょうか。 是非ご回答のほどよろしくお願いします。
前回の質問に幸運なことにお答えして頂き、本当にありがとうございました。仏様は罰を与えるのではなく、見守ってくれてると知り、心が少し軽くなりました。 あれからハスノハさんにある、他の方の質問や答えも見ながら自分なりに仏教は思いやりの心が大切なのかなぁと思いました。 過去のことは反省してこれからは相手のことを思った行動をとろうと思っているのですがまだ自分の中で恐怖が出てきてしまいます。 過去のことを考えすぎるのは悪因を生むし、過去のことを悔い続けたところで何も出来ないためよくないとわかっています。しかし、このままではまた安易にネットに頼り、間違った情報を受け、家族に迷惑をかけてしまうと思い、自分よりもとても勉強をされているお坊さんの知識に頼ろうと思いました。 以下、質問になります。質問は大きく2点あります。 どこで知ったかはわからないのですが、スピリチュアルな嘘はほかの嘘よりも大罪になると見たことがあります。私は昔、気を引きたかったのか、特別な存在になりたかったのか霊的なものを感じると嘘をついていたように思います。もちろん、今はそんな嘘をつこうと思っていません。幼い頃の嘘ですが、これは大罪となるのでしょうか。知識不足のため恐怖しています。 2つ目は戒律についてです。これからは昔やってしまったことを反省して繰り返さないように生きていこうと思いました。しかし、よく考えるとこれから先も戒律を守ることは出来ないのではと思います。蚊やハエは、これからもきっと殺してしまいます。嘘だって全くつかないことは不可能です。気を使わせないための嘘や秘密もあると思います。また、お酒に関しても父は私とお酒を飲めることをとても喜んでくれます。私は全ては存じ上げておりませんが、もっと多くの戒律があるのでしょう。自分としては相手のことを思う心、例えば虫を殺す時でも申し訳ないという心をもつことが大切なのかなと今は思っております。お坊様方は戒律についてどうお考えでしょうか。どんな時でも絶対守った方がよいのでしょうか。仏様は罰を与える方ではないと教えて頂きましたが、戒律を完全に守らないことは悪いことになるのかと恐怖しております。 大変申し訳ありませんが、どなたかお答え下されば幸いです。
私はとあることがきっかけで、ずっと不動信仰をしております。 それがさらにきっかけとなり、真言宗にも興味を持っています。 毎日、お青不動様の写真に般若心経、光明真言、仏説聖不動経などを お唱えしております。よく高野山に行くのですが、理趣経が売ってたので 購入しました。お経の中の漢字を見ていると、まるで曼荼羅を見ているように思い 気に入ったのですが、インターネットで調べてみると、 「むやみに読むと功徳を授かろうと未成仏霊が寄ってくる」 「これは真言密教の秘経であり、一般人は読んではならない」 「僧侶や行者、信頼できる師から教えを受けなければ読んではならない」 とあり、非常に残念に思っています。自分にとって、本当に文字の集まりが 曼荼羅のように思えてしまうほど素晴らしいと思っていたので、その理趣経を 自由に読めないのはショックでした。 本当に、インターネットのように、自由に理趣経は読んではダメなのでしょうか? お教えいただけたら幸いです。
周りとの死への価値観が変だと言われます・・・ この間、友達とこれからの人生どう生きる?みたいな感じの話題になって友達が 「私は死にたくないから少しでも長生きする!」 みたいな事を言ってました。 でも、死というのは誰にでも訪れるものであり死ぬというのは今までの生きてきた中の嫉妬や苦痛劣等感などの苦しい思いから放たれることだと私は思ってます。 犯罪を犯した人や人を殺した人も社会や周りから許されることはなくても死は死をもって許されると思います。 病気やガンになっても、時間が経てばいずれはくるもの。私たち人間は時間を止める方法も不死身になる方法もないから受け入れるしかないのに、何故死にたくない、死へ抗おうとするのでしょうか? やっぱりこの考え方はおかしいのでしょうか
いま大学1年生なのですが、今までの人生を振り返ると自分は地獄行き確定だと思っています。 小学生の頃に祖父から性的虐待を受けていたのですが、当時は幼かったため祖父の行為が悪いことと知らず、抵抗しませんでした。数年後にその行為の意味を知り愕然としました。家庭が壊れるのが怖くて家族には相談できていません。 世間では血が繋がっている者同士の性的な行為はタブー視されており、知らなかったとはいえ祖父とそういう行為をした自分は地獄行きではないかと怯えています。 また、私は持病があり、治らないことへの苛立ちから悪いことをしてしまいました。 物や人に当たったり、親に対して「なぜこんな欠陥だらけの体に産んだんだ」「流産してくれたらよかったのに」と心の中で何度も暴言を吐きました。 中学時代に持病が原因でいじめを受け、辛さから逃れたくて自殺を試みたことも後悔しています。 地獄が本当にあるのかは知りませんが、最近は死後のことを色々考えてしまって眠れない日が増えました。 要するに何が言いたいのかというと、地獄に行きたくないです。怖いです。 こんなどうしようもない愚か者でも、地獄に行かずに済む方法はあるのでしょうか。
先日はご回答ありがとうございました。 ①過去、写経ができるカフェでなぞるタイプの写経をしました。 その時の用紙について、おそらく捨ててしまったのですが、納める必要があったと知りました。 写経を捨ててしまったことによる罰はありますか?用紙は元に戻せなくとも、これからでも何か取り返しのつく方法はあるでしょうか? ②字の練習も兼ねられるという般若心経の写経本を購入し、取り組みはじめました。こちらも全て取り組んだ後は納める必要がありますか?終わったあとの適切な取り扱いはどのようにすればよいでしょうか。
チベット僧とチベット仏教徒の方に聞かれました。①日本にも金剛手菩薩は在するのか?と。私は金剛薩埵がそうだと答えましたが、果たして金剛薩埵と金剛手は全く同じと考えていいのでしょうか?②チベットでは無量寿と無量光は分けて別のマントラを唱えるが日本では何故一緒くたにするのか?これには答えられませんでした。日本では無量寿如来も阿弥陀如来も同じと答えていいのでしょうか?これからも聞かれるかもしれません。この二点御教授ください。
浄土系のお坊さん、お願いします。 地蔵菩薩は浄土系にいますか?
だるまさんの由来が、9年間座禅をされて手足が腐ってしまわれた達磨大師様ということを知りました。 子どもたちとだるまさんが転んだの遊びをしたり、だるまさんのことを面白く書いた絵本を読んだりして楽しむことは、達磨大師様に失礼にならないでしょうか。 また、転んでも転んでも起き上がるから縁起が良いと言われていると知りましたが、手足が腐ってしまわれたのに、だるまさんは縁起がいいというのはなぜでしょうか。 心配なことが多く、いつも質問してすみません。よろしくお願い致します。
仏教で『自灯明』『法灯明』という言葉があります。法灯明は、ブッタの教えを拠り所とし物を正しく見る目を養うということ。自灯明は、自分自身を拠り所とするという事。ここで質問です。 自灯明は仏教の教えを元に、自分自身の島を作るのか、もしくは仏教とは関係なく、自分自身が納得できる何か(夢中になれる仕事など)を見つけるのかが分からなくなってしまいました。 仏教と関係ないものをベースに考えたら、ブッタの智慧と矛盾するような事が起こってしまうのではないでしょうか。しかし、それをしない為にも経典を全て読み解くというのは在家の修行者には難しいと思います。 自灯明を確立させる為のヒントをいただければと思います。よろしくお願いいたします。 合掌
大日経を読んだことがあり、理解できた方なら宗派は問いません。夜分遅くすみません。時間が時間なので回答は急ぎません。タイトルの通り、大日経にある修法について教えてください。「密教」と云われる所以は存じ上げていますが、しかし、大日経の和訳が出版されているので大日経にある修法を教えていただいても問題はないかと。 どんな咒法であろうと悪用は致しませんし、真宗高田派の者なので使用できません。ただ、知りたいだけです。お願いします。
観光でお寺や神社にお参りに行きますし、お墓参りもいたします。 しかし、どこで仏教が学べるのか実は分かっていません。 学ぼうとするとネットで本を買う事になります。 教会のように毎週日曜日礼拝したあとの聖書勉強会のようなものはあるんでしょうか。
悟りとは何ですか? 本当にあるんですか?証明できますか? なんで釈迦の時代以降ずっと悟った人が出ていないんですか? ずっと悟った人が出ていないのは伝わった修行法に欠陥があったためとは考えませんか? 悟りはキリスト教の死後の世界のような鼻先に吊るされた架空の餌ですか? なぜ悟ってないのに人に指導するのですか?知らないことを人に教えるのは間違いを産む原因を作ってると思いませんか?まずは確実に悟ってから人に教えた方がいいのでは?
お寺でいただいたお札は、仏壇にお祀りしてもよいとネットで見たのですが、どこにどのようにお祀りすれば良いのでしょうか? 実家に帰った際仏壇を見ると、仏壇の中の、左側の側面にお札が立てかけてあり、大丈夫なのかと心配になり質問しました。左側の側面に立てかけてあるので、お札は正面からはあまり見えません。 曹洞宗です。 よろしくお願い致します。