私は仏教徒ではありません。しかし、1つの生きる智慧としての仏教に興味をもち、色々と小さな脳ミソを使い調べてきました。 それで思ったのが、仏教は私に「生きることは思い通りにならないことばっかだけど、残念ながら諦めるしかないよ」と言ってるのではないか?ということです。 私のような若造でもこれは理解できます。うまくいくことよりもうまくいかないことの方が圧倒的に多いですし、楽しいことより辛いことの方がたくさんあります。 そこで私の中に「ならば、生まれさえしなければいいのでは?」「辛いと分かってるのになぜ子どもを産むのか?」という疑問が生まれました。 言うなれば、辛い世界に「送り込んだ」親は加害者、「勝手に送り込まれた」子供は被害者という構図です。 そこで質問なのですが ・この考えは正しいのか間違っているのか ・間違っているなら、どう違ってるか ・正しいなら、なぜ人間は子どもを産むのか 教えていただきたいと思います。
お願い致します。 仏教では「人生は修行」と、キリスト教では「耐えられない苦難は与えない」と言います。しかし世界には過酷な悲惨な状況下に於いて命を落とす人達が多くいます。赤ん坊や幼い子供であっても容赦のない状況があります。修行でも 耐えられる苦難でも無く 生まれてきた意味さえ見つからないと思うしか無いような。 長い間の疑問です。お教えいただきたくよろしくお願い致します。
仕事や資格の試験で自分を追い込んだらしく、精神疾患を患ってしまいました。 何事も程々にと言いますが、程々にの程度がわかりかねます。自分で見極めることに難儀しております。 お釈迦様のように苦行をすれば中道は見えてくるのでしょうか?お坊様の観点からお返事頂ければ幸いに思います。
仕事柄ご遺族の方とお話しする機会が多くなってきたのですが、その際に故人の宗派が分からなくて話しの内容を誤ってしまうことがとても心配です。 たくさんの宗派があるとは思いますが、たとえば仏壇にこの仏具あったらこの宗派、故人がこの念仏を唱えていたらこの宗派 など 各宗派を簡単に見分けるポイントなどがあれば教えてください。 宜しくお願いします
hasunohaは勿論、さまざまな仏教関連のわかりやすい本を読む機会もあり、少しでも心穏やかに正しく生きていきたいと思っております。そこで、例えば洋服を着飾ったりして少しでもよくみせたい、子供をどこかの遊び場に連れて行って喜ぶ顔をみてみたいというのはやはり煩悩のあらわれなのでしょうか。実際に結果的にうまくいかなかったときにつらい思いをするのは自分であり、ちょっとしたことでうつ気味になってしまうことも少なくありません。良い処方箋を頂けますでしょうか。
もうすぐエイプリルフールですが、お坊さんならではのエイプリルフール体験談ってありますか? 笑える話、シュールな話、びっくりな話 なんでもOKです
旅に出て、もしも自分よりすぐれた者か、または自分にひとしい者にであわなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道連れにしてはならぬ。 「ブッダのことば」で読みましたが、自分よりすぐれた者、ひとしい者とはどういった人間をさすのでしょうか。どう判断するべきなのでしょうか。 そもそも、ひとと自分とを比較して優劣をつけることはすべきでないと思っていましたが、意図する内容が違うのでしょうか。
はじめまして、こんにちは。 私は最近、六道とは今生きている私たちの心の状態だと思うようになりました。 今までの私は嘘つきで本当にずるい人間でした。 友人や家族にも償えきれないようなことばかりしてきたように思えます。 これは餓鬼や畜生、修羅などに心が落ちていたのではないのかと今では思います。 そして今までの自分の愚かさを悩み、反省しどうしようもない後悔ばかり押し寄せてくるこの状態が地獄なのだと考えています。 しかし輪廻転生を考えるとこのことは因果応報で来世に伝わるというのが説ですよね。 では私はこれからこの罪をもって転生するのでしょうか。 あまり仏教に詳しくないためよくわかりませんが、 私の考え方は間違っているのでしょうか。 よろしくお願いします。
それとも、生きている時の幸せを求めるものですか? また、宗派によって違うのでしょうか? 先祖供養をしたり、生きている人の煩悩を消すようにしたり、 両面を見ることがあります。占いをしているところもあるし 宗派によっても随分違うのでしょうか? 色々な宗派のお坊様にご意見を賜りたいです。
私の宗派は浄土真宗なのですがもっと自分の考えに近い宗派があるのではないかと考えております。宗派を変えることはできるのでしょうか? また、宗派を変えるにはどうしたらいいのでしょうか?
はじめまして! 昨日友人のTwitterからhasunohaを知って興味を持ちました☆ お坊さんってお葬式の時にしか見かけないし、実際お寺にお参りしても会った事が無い様な気がします(^^;; ですが、このサイトに回答を読んでいるとお坊さんが近い存在に感じたし、仏教って心に優しい宗教なのかな?って思いました。 私は悩みが無さそうだよね?って良く言われるので余り悩みを人に打ち明け辛いです…。これから悩みがあったらここに相談すれば!って思いました♬ …って質問では無くてすみませんが、気持ちを伝えたく書き込みました。 あ、質問に入るかわかりませんが、スマホ対応にならないでしょうか? 結構早打ちな私でも時間がかかってしまいました(´・_・`)
仏教と言ってもいろんな宗派があるようですが、それぞれどう違うのですか?難しいことはわからないので、一言で特徴を教えてください。 例えば浄土真宗だと「他力本願」ですか?
煩悩とは何ですか? wikipediaに書いてあることは難しくてわかりにくいので、わかりやすく簡単に教えてください。
はじめまして。 最近、カトリック教徒の女性と結婚し、 仏教とキリスト教の違いについて考えるようになりました。 両者の比較について、わかりやすく解説している文献があれば、 教えていただけませんでしょうか。 雑学程度の内容よりは、もう少し思想的なところまで踏み込んだ解説があるとありがたいです。 (イメージ的には、雑学以上、学術未満といった感じでしょうか。わかりにくくてすみません。)
道元禅師の生き方にひかれています。道元様の生涯や曹洞宗の教えでわかりやすい書物などあれば教えてください。
本願寺派の門徒です。真宗では弥陀一仏に帰依する立場から、神棚を祀ったり祈祷占い等を受けたりしない決まりごとのようです。 ですが、わたしは地元の神社のお祭りには氏子として協力しますし、正月には当然のように神社に初詣に行き1年の健康を祈願します。子供の成長を願って七五三詣にも行きました。 門徒としてはこういう態度はやはりよくないのでしょうか。
徳積みが大切だと言われますが、徳とは一体何で、徳を積むとはどういうことを指すのでしょうか?徳積みとは徳を積むことすら意識することなく自然に見返りなく相手のためにすることだと思うのですが、私はどうしても欲が出て、人に認められたい、見返りがほしいと思ってしまうときもあり自己嫌悪に陥ることもあります。
お坊さんは本気で、死んだら仏になると信じているんですか?
仏教では、身近な人(例えば妻や子)への愛情について、どのように考えているのでしょうか。 例えばキリスト教ですと、配偶者への愛や子への愛を大事なものとして、信仰の中に上手く位置づけているように思います。 一方で、仏教ですと、「お釈迦さまが妻や子を捨てて出家した」というエピソードがあるためか、身近な人への愛情も「煩悩」のうちで、振り払うべきものとしているようなイメージが、何となくあるような気がします。 実際のところ、仏教では身近な人への愛情、慈しみや哀れみの心について、どのように捉えているのでしょうか。 教えていただけるとありがたいです。
この質問で木魚がamazonで買えるって知らなくて思わず笑ってしまいました。 http://hasunoha.jp/questions/19 調べたらほんとうにamazonで売ってました! まあ、よく考えたら当たり前ですよね。 さらに質問ですが、木魚って、ギターだとGIBSONみたいに、このブランドの木魚がいいとか、ワインみたいに30年前のがいいとかあるんですか? 350年前からの木魚を代々もっていると一目置かれるとか。