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「身近な人の死」を含む問答(Q&A)一覧

両祖父との別れを看取ることができなかった

はじめまして。私が20代前半の頃の祖父との死に別れについて相談したいのです。 その頃私は、県外に勤めておりました。父方の祖父は病院で寝たりになっていました。帰省のタイミングで会いには行っていましたが、最期、祖父を看取ることが家族の中で私だけできませんでした。 私は今30代前半ですが、どうして私はだけ祖父を看取ることができなかったのだ、う?と考えてしまい後悔とどうして私だけ?と思ってしまいます。 母方の祖父もその1年後に亡くなりました。その時も私は祖父の最期に会うことができませんでした。 大好きな祖父2人とお別れも言えず、会うこともできなかった。 なぜなんだろ、私は何がいけなかったのだろう?祖父達はどんな気持ちだったのだろう。そう思うと涙が止まりません。 父方の祖父は、生前母に私の事を優しい子だ、本当に優しい子だと言っていたそうですが、そうなんでしょうか? 祖父が逝ってしまう時に側に居なかった私が優しいのでしょうか?ひどい子だと思ってしまいます。 亡くなった方のことでいつまでも悲しんではいけないと聞きます。前向きに生きていきたい、そう思うのですが、祖父のことを思うと、寂しさとやりきれなさでいっぱいになってしまいます。家族全員揃って最期を看取ってあげたかったと思います。 最期に会えないのってどうしてなのでしょうか?

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母と愛犬2匹相次いで亡くした

今年1月2日に実家の母が慢性心不全で亡くなり、2月5日に愛犬チョコが急死、2月14日にもう一匹の愛犬風太も病死と立て続けて最愛の母と愛犬を亡くしました。 母は91才で病気のこともあり、又、日帰り旅行や私が休みの日には近いこともあり昼食を一緒に食べたりとしてきたのでもっと長生きして欲しかったのですがある程度覚悟はしていたので比較的落ち着いていましたが、愛犬2匹は全く心の準備がないまま続けての急死、心身共に非常にしんどいです。 もっと早く病院に愛犬を連れて行っていたら、帰りたがっていたのに元気に帰って来ることを願い信じ入院治療し結果病院で2匹とも逝かせてしまいました。 2匹ともさみしくてお互い呼びあってしまったのかな… 風太は家族の都合と葬儀社の都合があわず、まだ自宅のいつもの場所でまるで生きてる時と同じように眠っています。 風太はまだまだ家に居たいのだと思います。 風太とチョコは一緒にいてさみしくないでしょうか?病気の辛さから解放され元気に2匹で走り回り生前の数日食べられなかったぶん美味しいもの、大好きなものをお腹いっぱい食べているのでしょうか? とにかく辛い辛いです。 長文乱文ですみません よろしくお願いします  

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お世話になった方の死について

はじめまして。よろしくお願いいたします。 前の職場は初めての接客業で、不器用な私は毎日ついていくのがやっとでした。 しかし、上司が助けてくれ、時には冗談も言って笑わせてくれ、職場で話しにくいことはメールや電話で相談したり、世間話をしていました。 その後、私が転職し職場が別々になった後も、お互い近況報告をしていました。 しかし、だんだん連絡を取らなくなり、ある時、偶然街で上司とばったり会い、その時はお互い笑顔で挨拶だけしました。 私は偶然会えたことがうれしく、仕事終わりに上司に電話しましたが、1回目は出なくて、2回目は着信拒否設定されました。 その後は私も連絡を控えていたのですが、4ヶ月後、上司が亡くなってしまいました。 手術を受けたらしいのですが、術後の経過が悪く、こういう結果になってしまったそうです。 お葬式にも行きましたが、棺の中の上司の顔が今でも忘れられません。 みんなに平等に接してくれ、人が嫌がる仕事も率先してやる、尊敬する上司でした。あんなに元気だったのに、これからやりたいことがあっただろうに、無念でなりません。 亡くなって3ヶ月経ちますが、毎日ため息ばかりで、気持ちの落ち込みがひどいです。 上司のご冥福を祈り、家でお線香をあげたり、手を合わせて心の中で上司に話しかけたりしていますが、着信拒否するほど嫌われていた私から手を合わせられるのは迷惑なことでしょうか。 今でも上司の死が受け入れられず、思い出すと涙が止まりません。 長文で申し訳ございません。よろしくお願いいたします。 [hasunoha]ご登録ありがとうございます

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大好きな祖母の死

去年の11月に 大好きなおばあちゃんを亡くしました。 私は22歳で初めての人とのお別れが 大好きなおばあちゃんでした。 おばあちゃんは母のお母さんで、私は小さい頃に母が離婚し母は母子家庭で育てるため夜も働いてました。その時2歳 3歳からおばあちゃんがずっと私の面倒を見てくれていました。 そんな祖母が 亡くなる約半年前に 膵臓癌が発覚し 気づいた時には ステージ4の末期でした。 その時すごくショックでした。 私は病気が憎いです。なんでおばあちゃんが、、と毎日毎日思います。 ガン宣告され、だいたい半年が余命と聞き そこからの半年は物凄く早く感じました。 入院は1度 十二指腸が閉塞していたのでそれをステントで広げる手術をして無事成功し退院後は おばあちゃんの希望で自宅療養でした。 私は アルバイトが休みの時に祖母の所に行き 母がほぼ祖母を見てくれていました。 病気になる前は食べることが大好きだった おばあちゃんが 食べることもしんどくなり だんだん痩せ細っていく姿を見るのは 本当に辛かったですし、だんだん 目に見えてわかるように弱っていくおばあちゃんをみてわかるものがありすごく、不安でした。 最後の方はモルヒネをつかっていたので 意識がほぼない日がつづきましたが 亡くなる1日前などは普通に起きて 返事もしてくれ会話もしてくれました。 そして、亡くなった日 、なくなる瞬間を私は 見ました。 呼吸が止まったのもわかりました。 その時はなにがなにかとかも理解出来ず 涙もでませんでした。 その日お通夜をし次の日お葬式でした。 お葬式の時 火葬の時に やっとじわじわ実感がわいてき、火葬の時にはもう二度とおばあちゃんに触れること見ること出来ないんやと頭で思うと涙が止まりませんでした。 22さいにしての初めてのお別れが大好きなおばあちゃんでした。 あれから、毎日毎日おばあちゃんの事ばかり考えては涙が止まりません。 おばあちゃんはいいとこにいけたのかな。とかも心配です。 毎日、おばあちゃんに、会いたい。 おばあちゃんに会えるならもう何も要らないと思います。 この先ずっとこの悲しみから立ち直ることはできないのでしょうか。 長々とごめんなさい。あとごちゃごちゃになりました。

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祖母の死が悲しく涙が止まらない

先週、祖母が老衰のため亡くなりました。私が幼い頃、両親は仕事が忙しく私は祖母に育てられました。その為、お婆ちゃんっ子に育ちました。本当に母の様でした。時に優しく時には厳しく接してくれました。祖母と一緒にいたずらしたり、山菜を取りに行ったり今でも昔の事だとは思えないくらい鮮明に覚えてます。 第一発見者の母いわく、祖母は眠るように亡くなっていたそうです。 お通夜や本葬の時は泣かなかったのですが、後になって祖母との思い出が蘇って涙が出そうになります。一人の時は涙が勝手に流れてきます。 「お婆ちゃんはほぼ寝たきりだから、結婚式は行けない。でもせめてドレス姿を見せてあげたい。」「ひ孫を見て欲しかった」「もっと祖母とお話がしたかった」「お婆ちゃんに育ててもらった恩を返していない」そう思うと涙が溢れてき ます。 でもいつまでも泣いていたら祖母が悲しんで、なかなか成仏できないと思い泣かないようにしています。それに両親や夫にも心配をかけてしまいます。でもそう簡単に悲しみを忘れる事が出来ず、つい泣いてしまいます。 どうすれば祖母の死を受け入れて悲しみから抜け出せるでしょうか? また「生まれ変わり」はあるのでしょうか?もし生まれ変わりがあるなら、ぜひ私の子として生まれ変わってきて欲しいと思っています。次は私がお婆ちゃんにしてくれた恩を愛情を上乗せして返したい。と考えています。 下手な文章ですみません。 回答を宜しくお願い致します。

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亡き母に再会し、謝る事は出来ますか?

初めまして。二点質問よろしいでしょうか。 ・昨年末に母の一周忌を済ませました。 母ロスと言ってしまえばそれまでですが、最近は悲しみの質が変わり、自分がいつかあちらに行った時に母と再会して胸の内を伝えられるのか不安になってきました。 生前は些細な事でなじってしまい優しくなれなかった事、過去の親不孝についてしっかり謝罪出来なかった事、目を見てこれまでの感謝の気持ちをきちんと伝えられなかった事(しかも、母が亡くなったのは私が選んだ施設での窒息事故が原因でした…) 今更ながらあれこれ後悔してばかりです。 未だこんな罪悪感に苛まれるということは、淋しがり屋の母が成仏できていないからなのではないか?私の今までの行いが、母の魂の浄化を妨げてしまっているのではないか?などと考えてしまいます。 良かったと思えるのは孫の顔を見せてあげられた事と、子どもである私が親より早く亡くなることなく 母を看取れた事しかありません。(亡くなる直前、母の耳元で「ずっと側に居るから安心して」「私はしっかりやって行くから大丈夫だからね」とは言えました) お位牌と写真に手を合わせれば、心の中で対話出来る事も頭では理解しているつもりです。が、やはり母とまた会って今度こそ感謝と謝罪の気持ちを直接伝えたいのです。追孝を心掛けていれば、この願いは叶うでしょうか? ・母は戦争孤児で、養父に育てられました。私にとってこの養祖父は、生前自分が亡くなったら今のお墓が絶えてしまう事を案じていたそうです。母が未だ元気だった頃、養父と夫(私の父)どちらのお墓に入りたいか希望を尋ねた時があったのですが、双方に気を遣ってか当時は曖昧な答しか返って来ませんでした。 亡き父のお墓については他に管理者がおり安心な事と養祖父菩提寺の奥様と母との関係が良好だった事から、私の一存にて、母は養祖父の方のお墓で眠ってもらっております。私の目の黒いうちは、父のお墓についてもしっかり守って行くつもりですが、おしどり夫婦だった両親の遺骨を、別々のしかも宗派も異なるお寺に託してしまった事は果たして良かったのか否か?両親の位牌は私の自宅で仲良く隣同士に並べてありますが、亡き父が淋しがっていないか?母はこれで満足だったのか? 今後私の取るべき方法につきご教示いただければ幸いでございます。 お忙しいところ、長文乱文大変失礼いたしましたよろしくお願い申し上げます。

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愛犬への償い

はじめて相談させていただきます。 数日前愛犬が急死しました。 朝までは元気だったのですが、夜に食事を終えてからふと愛犬を見てみると苦しそうな呼吸をし、痙攣をしはじめました。 急いで動物病院へ駆け込んだのですが駄目でした。 愛犬はまだ7歳で、本当であればその倍は生きられたはずです。 愛犬は本当に可愛らしく、賢く優しい良い子でした。 愛犬が逝ってしまってから、 愛犬があんなに若くして苦しみながら死んでしまったのは私のこれまでの行いが悪かったせいなのではないのか、 わたしの日頃の行いが良ければ治療にまにあったのではないか…… とこのようなことばかり考えてしまいます。 (特別に酷い悪行をしたことはないですが、度々怠惰に過ごしたり、小さな嘘をついたり、人を嫌ったりするというような良くない行いをしてきたという自覚があります。) 愛犬が逝ってからも楽しいと感じられることは沢山起きますが、愛犬は苦しんで逝ったのに自分は楽しいことをしていいとは思えず、楽しいことが起こる度に胸が苦しくなります。 私の日頃の行いのせいで若くして逝ってしまう運命となった愛犬に償わなければならないと思っています。 今後どのように生きていけば、またどのような供養を行えば愛犬の魂は救われるでしょうか? よろしくお願い致します。

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父親の死と子供の心のケア

初めまして。つい一週間ほど前に父親の葬儀を終えました。私は遠方に嫁いだため、最期会うことができませんでしたが一ヶ月ほど前に入院していた父の所へ会いに行っており、その時最後かもしれないと意識はしていたつもりです。が、生前とても可愛がってもらい気にかけてもらっていたし私も父が色々あっても大好きだったので最期会えなかったのを申し訳ないと思ってしまいます。頭の中では、受け入れなくてはならないと分かっているのにもう自分が死ぬまで父に会えないという事実がなかなか受け入れられません。また、今まではあまり深く考えなかった自分の死というのも強く意識してしまい怖さを感じます。時間が流れれば、全て受け入れられる事だとは思いますが、頭の中が色んな感情でゴチャゴチャしてしまい混乱しています。こんな事では優しくて時には厳しかった父に怒られてしまいそうです。 ただ、こんな感情の今の私を支えてくれる家族は勿論います。主人と子供たちは優しく、理解してくれて助けてくれ支えとなってくれています。その中で中学生の長女が初めての身近な死を経験し私以上に悲しみを感じていたようで、体調を崩したり精神的にもやや不安定になっています。私は自分の感情を優先していた事に気付きハッとしました。娘へのケアも考えなくてはいけないと、今になって感じています。娘は祖父の死によって、いつかは親の死が訪れる恐怖もやはり感じているようです。どのように話をしてあげればいいでしょうか? 私自身も、今はまだ辛いし娘と同じように先の事に恐怖も感じています。私も娘も今を乗り越えるために是非ともアドバイスをお願いします。

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最後の課題にアドバイスをください

尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。

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死に目にも会えず、苦しくて仕方ありません

お恥ずかしい話なのですが、私は10年ほどお付き合いをしていた、不倫関係の相手がおりました。 私は独身で、相手に家庭がございました。 その彼が先月、55歳という若さで突然病死し、既にお骨になった後、私の耳にその事実が届きました。 奥さまとは長年家庭内別居状態で、私達が付き合い始めた頃に傾き始めた会社も5年前には倒産し、50過ぎで新しい職に就くプレッシャーや強い責任感などから、自分の身体を後回しにした結果でした。 私も貞操観念の欠如と言われるのは承知の上で、自死された彼のお父様と同じことにならぬ様、 彼に寄り添い支え続けた10年でした。 彼は22歳の若さで、会計事務所の所長さんの強い勧めで、5歳年上のお得意様のお嬢さんと訳も分からぬまま結婚し、 私は私で、彼と出会うまでお付き合いをしたことが有りませんでした。 ですから、私達は初めて本当に心から愛し合える相手同士でした。 私達の間柄を知る周りの方々も、 私と付き合う前から、彼の口から奥さまについての苦悩を聞かされており、 世間では、ただただ愛人の側が悪いと言われるけれど、不倫不貞で片付けられない、お互いでないとダメだった強い絆で結ばれていた二人と感じて下さっていた様で、 皆さんがご焼香に行かれるとき、彼の家の中には勿論入れないが、家の外から手を合わせたらどうかと連れていって下さいました。 私には余命宣告を受けている母が一人いるだけですので、彼を亡くした今、この先路頭に迷う人生を思うと恐怖しか有りません。 また、こんな50過ぎのおばさんに、いつも沢山の愛情と安心を与え、大切にしてくれた彼を亡くし絶望で胸が苦しくなります。 誰にでも公平に思いやりを掛ける慈悲深い人でしたから、もうこの世で修行をする必要がないと、 神様が早々に連れていったのかも知れません。 私には霊感が無いため、彼がそばにいる気配すら感じません。 それにホーキング博士が唱える様に、魂もあの世も無いなら、死んでも会えないということになります。 もう死んでも会えないのかと思うと、母に心配を掛けたくないのに、泣けて泣けて、どうしようもなくなります。 人の道に外れた自業自得の人間が、助けを願うのはお門違いと思われるでしょうが、どうかお助けください。苦しくて苦しくて仕方ありません。

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弟が亡くなり混乱しています

昨年11月に弟が57歳で急逝しました。リウマチの痛みとの闘い、胃潰瘍、十二指腸潰瘍も患っており、死因は胃からの出血性ショックでした。私達夫婦の隣室で倒れる音に気づき、様子を見に行ったところ既に焦点が定まらず、救急搬送しましたが心肺停止の状態で、一時、心臓蘇生したものの二時間頑張り、息をひきとりました。弟は人との交わりを好まず、私達夫婦と息子ふたり、叔父、従兄で葬儀を営み見送りました。私達姉弟は、小学生の時に父を亡くしました、祖母と母との家庭で成長、私は結婚で実家を離れ、弟は祖母亡きあとも母と暮らしておりましたが葛藤を抱えた暮らしでした。怜悧で感受性が強く、優しいところもありながら社会のなかでよき部分を発揮することがなかなかできず、職場でも人間関係がうまく結べずしんどいながらも一回の転職で仕事を続けており、仕事に誇りも抱いていたようですが、10年前、母が亡くなったころ、事実上解雇のうなかたちで退職、その後起きた東日本大震災で傷んだ古い実家を畳み、私の家の一室で暮らすようになりました。シニカルなところがあり、私の中の家族とはざっくばらんとはいかないながらそれなりの距離感で過ごしていましたが、感覚の違い(特に私の夫)や、お酒を飲むと不穏な表情を現すことなど私にとっては正直、心痛むこともありました。 また、年数を重ねるほど、実家を処分したお金も目減りしていた様子で、なくなる半年ほどは困窮していたといってもおかしくありませんでした。プライドが高いところがあるので、援助も様子をみながら、障害者年金を数年前から勧め、拒んでいたのをようやく手続きはじめた矢先ありました。いなくなり、私自身、弟のことをかなり気にかけていたことに改めて気づきました。なんとか支えていこう、と思うことがある意味、支えだったのかもしれません。でも、亡くなるまでの期間、苦しい思いをさせていたのでは?拒まれてももっとはっきりとした例えば経済的な支援をしていれば、と悔やまれますし、ただただ寂しくてならず、気持ちが不安定で夫に対して感情を爆発させて怒らせてしまいました。でも、どう気持ちをおさめてよいのかわからないでいます。自分でも困惑しています。どうか、指針をいただけたらと思いご相談しました。

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