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「供養」を含む問答(Q&A)一覧

彼が自殺をしました。

彼とお付き合いしてまだ4ヶ月しか経っていなかったんですけど、付き合ってすぐに同棲をはじめました。 些細なことで喧嘩もすることもあったけど、いつも彼の方から「ごめんね。俺が悪かったから。」って言ってきてくれてました。 彼が亡くなった日も家で喧嘩をしました。 その時も「ごめんね。俺が悪かったから。許して。」っていつものように言ってきました。 でも私は、「前にも同じことやって、何回やれば気が済むの?!! ほんとに今回だけは許さないから!! この手離して!! もう実家帰るから!!」って彼の手を強引に離して荷物を片付けていた時に後ろの方から、「今までありがとね…」って声が聞こえて「なによ?」って振り向いたと同時に、ロフトの柵の所で、目の前で首を吊りました。 すぐ隣人の人も呼んで救急車で運ばれたんですけど、そのまま帰ってきませんでした。 まだあの日から日が浅いのもあって、お酒がないと眠れなくて、シラフの状態だとほんとに些細なことで彼のことを思い出して辛くて苦しくて、気づいた時にはお酒を飲んでしまいます。 こんな姿、彼は見たくないとは思うんです。 でも、心の整理なんてまだ全然つけられなくて、半分まだ生きてると思ってるし、でも現実にはもういないって、もう色々と心がぐちゃぐちゃで… 後追い自殺をしようとも思ってしまいます。 彼が生きる意味になってたのに、なぜ彼をもっと大事にできなかったのか… 今では、後悔ばかりしかありません… 相手方の遺族の方や友人にも謝っても謝りきれません… もうこんなことを毎日考えて、すごく辛くて苦しくて、耐えられません。 こんな私ですが、少しでも生きる希望を持ちたいです… どうすればいいのでしょうか…

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犬の供養。何に祈るのか。

度々のご相談失礼いたします。 本日は一周忌を迎える、ご縁があった犬への供養についてお伺いしたいです。 【質問】 ・自身(人間側)が無宗教、かつ遺骨を分骨して頂いている上で【一周忌】を迎えるにあたり、どうしたら、ヒトも犬も安寧を得られるのか。 ・具体的に何に手を合わせれば良いのか。 【背景】 ・前々回のご相談内容の上で、自身はさておき、この度一周忌にあたる犬がいる。 ・依怗、自己憐憫、何かはわからないが、 その子の供養を出来る環境に今、自身がいる。 ・思いを馳せるに、諸々私に与えてくれた犬が少しでも安心出来るようにしてあげたい。 【具体的なこと】 ・犬と自身の関係はたまたまの偶然。 ・オーナーは在職だった頃の会社の先輩。 ・一時期、同居をしており犬への一通りの世話をしていた。 ・看取りこそ出来なかったが、不思議と懐いてくれていた様にも思えて、この度、一周忌を迎えるにあたり、何とか供養してあげたい。 ・先輩も私も実家の宗派はあれど、深くは知らず、遺骨は互いに手元供養(お骨の前に本尊なしで犬の写真、お水、ご飯を供え合掌している。納骨予定もなし) そんな中で、この度大阪の四天王寺様へ一周忌の区切りとして、行く運びになりました。 【質問2】 ・特段、ご縁がないお寺さんへ行く事、その上で犬の安寧を祈る事、これは良いのでしょうか? ・自身の気持ちの整理、と言う意味で馬頭観音様の前で観音経をお唱えしようと思いますが、付け焼き刃の知識の中で行って良いのでしょうか。 何を信じるかはそれぞれ。仏様に合掌すれば何となくの知識として安心できる気がする。 それだけの想いで安易に行おうとしている行為に不安あり、だがあの子にはありがとうと伝えたい。 何かご助言頂けたら幸いです。

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昨年の11月24日に愛犬を亡くしました。

様々な事を回想して思う事は いくら考えても真実はわからないんだと。 一生わからないとどこかでわかっている確信のない自信があります。 生前、変な話ですがここ数年アルは人間みたいと周りの人に言われる事が何度もありました。 僕自身そう思う事もあり、むしろ神々しさすら感じていました。 アルは具合が悪くなってから1週間で亡くなりました。 それまで大きな病気もせず、丈夫で我慢強く、本当に我が家の宝物でした。 しかし、それは自分のエゴで、アルにとっては違かったなと気づきました。 亡くなった後、違う対処をしていれば、もっと生きれたんじゃないか、生きたかったんじゃないか、、。と後悔ばかり。 しかし、それがどうであれアルはもう戻って来ません。 アルは全てを受け入れたんだと、 そう選択させてしまった事が申し訳なくて申し訳なくて、、、、。 アルが亡くなって数日後、夜の散歩中に流れ星を見ました。 また幸せに生まれ変わったら会おう!また出会えたらもっと大切にするから!と願う事も出来ました。 アルが亡くなって数日は不思議な事があり、でも全然違和感もありませんでした。 今はアルと過ごした全てが、アルが準備したものだと強く感じます。 アルは色々な事を教えてくれました。 今はそれを胸に生きています。 世の中の見え方が変わり、世間の人の見方までも変わりました。 それでもやはり、アルとまた暮らしたいと強く思い、悲しみや寂しさに押しつぶされそうになります。 行き場のないこの気持ちを供養や成仏という形で先人の方々は整理してきたのかなとも思います。 胸には悲しみと寂しさの静寂があり日々をいつものように過ごしています。 自分であって自分は変わったと実感しています。 それが良いのか悪いのかもわかりません。 今の自分がずっと変わらないのか、変わってしまうのかもわかりません。 ただ命あるものに対して気持ちの変化はあります。 大切に丁寧にと。 有限なものには精一杯。 無限なものには希望を。 損得なしにただ生きているそんな状態です。 支離滅裂な文章で申し訳ありません。

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母の死

母が12月末の木曜日に亡くなりました。前日まで元気に過ごしていたのに信じられません。元気な母にはいつでも会えると思っていました。その週の月曜日の私のお休みに母に電話をするとこれから皮膚科にいくとのこと(遠いところに通っていたため、皮膚科に行く日は往復2、3、時間かかります)、私はだれかと話をしたかったので友達と約束をしてしまいました。母が皮膚科から戻って電話をくれたときには友達と会っていて、「ごめんね、友達と会っているんだ」と話して電話をきってしまいました。元気な母なので、またすぐに会える、冬休みも始まるし子供たちと会いに行けるという気持ちからそのまま電話をすることもなく、その電話が最後になってしまいました。どうして友達と約束をしてしまったのか、少なくとも夕方に母と「さっきはごめんね。友達と約束しちゃて」と話せたのではないかと後悔でいっぱいです。 母が皮膚科に通っていた理由は、2018年の夏くらいから徐々に髪の毛が抜けだし、去年の春くらいにはすっかり髪の毛がなくなってしまいました。病院で検査を受けても異常はなく、本人はいろいろな心配事があるのでストレスではないかといっていたので、いつも元気に動いていたので私も病気ではないと思っていたのです。本当はもっと母と一緒に大きな病院で検査を受ければよかったのではないかと後悔ばかりです。家で倒れてなくなったので、母が亡くなった原因がわからずとてもつらいです。 結婚してから子供ができてからは孫たちの面倒、たくさんの事をしてもらい、これから私が親孝行をしてあげたいと気持ちでは思っていましたが、何もできずにお別れになってしまいました。明るく元気で、小さなことにも感謝の気持ちでいられる母にもう一度会いたいです。、突然になくなった母、気持ちの整理ができません。今から私にできることは母のように誰にでも優しく感謝の気持ちを忘れないこと。子供たちを立派に育てること。私にできることがあれば教えてください。どうかよろしくお願いいたします。

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亡くなった金魚に気持ちは伝わりますか

小学生の頃の話です。当時金魚を3匹飼いました。私は親に世話を任せきりでした。  ある日、金魚はまだ元気でしたが、親から「金魚はおしまい」というようなことを言われました。 当時の理解として「おしまい」というのは家から追い出すことかな…可哀想だな…と思う程度でした。  その後金魚は暗い物置へ水槽ごとしまわれ、暫くして3匹は亡くなりました。発見時あまりにも悲惨な状況で、その時にようやく残酷なことをしていたんだ…ということを理解しました。 それ以来、お魚は飼っていません。釣りや活け作りも厳しいです。  私にはとても忘れられない状況でしたが、親は記憶がないそうです。不思議ですね。  その当時、子供心にも「可哀想」と思いがあるのに、その素直な思いを親に言えなかった後悔があります。その一言で思いとどまったかもしれないのに…。 そして大人になった今、金魚を死に至らしめる結果になったのは、世話を親に任せっきりにした自分にも原因があったこともわかります。 しかし何よりも犠牲になった金魚の苦しみを思うと、今は金魚へ謝りたい気持ちでいっぱいになります。 時折家でお線香をあげて金魚へ語りかけています。それ以外に私にできる供養はあるのでしょうか?

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先日愛猫が亡くなりました。

先日愛猫の「ひめ」が14歳で天国に旅立ってしまいました。 肺に水が溜まっていたらしく、死ぬ間際も呼吸困難で呼吸ができなくなり、相当苦しい思いをしたと思います。 もっとああしておけばよかった、もっと可愛がってあげたらなど後悔が尽きません。 まず、 ・かかりつけの動物病院に行ったが主な原因がわからず、薬をもらったが一向に元気にならなかったので、その時にセカンドオピニオンで違う動物病院に連れて行けば元気になっていいたかもしれない。 ・毎週日曜日に動物病院に連れて行っていて、その前日、土曜日に猫の様態が悪くなり、日曜日の病院に連れていく1時間前に亡くなった。 土曜日にでも全然連れていけたのに日曜日じゃないとダメという謎の認識があり、土曜日に連れて行っていたらまだ死ななかったんじゃないか もっといろんな食べ物やいろんなおもちゃで遊んであげたらと後悔しています。亡くなってしまった今後悔しても遅いですが亡くなった猫のことを思うと涙が止まりません。 「死」というものがこんなにも重く、自分が猫に沢山支えられてきていたことを心の底から実感しています。 死んでしまったひめへの後悔はどうすればいいでしょうか、

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