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「お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

2026/01/13回答受付中

経典の迷い

敬具 私は坐禅を実践しており、曹洞禅に深い敬意を抱いています。 禅においては、実践と師資相承が中心であることも理解しています。 しかし、大正蔵に収められている経典と曹洞禅との関係がよく分かりません。 ある経典は重視され、他の経典はより文脈的に扱われているように見えます。道元禅師自身も経典を拠り所とし、多くの経を引用しています。 もしすべての経典が同じ重みを持たないのであれば、好きな経典だけを選ぶことができてしまい、すべての経典の意味が失われてしまうのではないでしょうか。 具体的な例を挙げます。 曹洞禅では、倫理的な生活は十六条の菩薩戒に基づくと言われています。 しかし『優婆塞戒経』も、在家者の倫理について非常に詳細な規則を示しています。 同じ領域――ここでは在家の倫理――を扱う二つのテキストがある場合、実際の曹洞禅の修行では一方だけが実践されることになるのでしょうか。 もし一方が用いられるなら、もう一方は論理的に曹洞禅の中で教義的な役割を失うことになるのでしょうか。 他の宗教伝統には、比較的明確な文献的基盤があります。 たとえば、上座部仏教にはパーリ聖典があり、キリスト教には聖書があります。 では、曹洞禅においてそれに相当するものは何でしょうか。 経典に関して明確な枠組みや序列は存在するのでしょうか。 この無数に存在する経典を、どのように理解すればよいのでしょうか。 『優婆塞戒経』と菩薩戒の例を用いて、できるだけ明確で判断のはっきりしたご説明をいただけましたら、大変ありがたく存じます。 この問いは私にとって非常に重要です。 なぜなら、現代の曹洞禅の教えと、いくつかの経典が語る内容との間に緊張を感じているからです。 何卒ご教示を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 7
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2025/10/27

友達になる、という約束だったのに

とあるお坊さんと知り合い、やり取りを重ねました。 とても元気付けてもらって、感謝していました。 たまたま機会を得て、直にお礼出来ることになりました。 電車を何本も乗り継いで伺いました。 気さくにお話しくださり、とても感激しました。 友達になったことに、お互い喜びました。 お土産と心ばかりのお礼を渡して、帰宅しました。 後日、このお坊さんにメールで連絡すると、 返答を続けるには、 友達になることと金銭を支払うことが条件 との記載で、メールの内容には何も触れていませんでした。 少し変な気がしたので、再度メールしました。 しかし、返答は同じでした。 友達になったのに、金銭を支払わないと返答してくれない。 何回もだったり、面倒だったり、長文の相談をした訳ではありませんでした。 とても残念な気持ちになりました。 私の感覚がズレているのかもしれませんが、 友達と連絡を取り合うのに、金銭を支払う前提なのは、違う気がしました。 また、もし、僧侶としてお時間を都合してもらうなら、 こちらが自発的にお礼を渡すのであって、要求されるのは、違う気がしました。 このモヤモヤにお言葉をお願い出来ませんでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 33
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2025/08/30

ChatGPTの回答に救われました。

初めまして。 今回は失礼な内容になるかと思いますが、率直な意見をお伺いしたいのであえて投稿させていただきます。 私は、以前からこちらのサイトの質問と回答を拝見しており、お坊さんの真摯な姿勢に感銘を受けていました。 しかしながら、どうも私にはお坊さんの回答に完全には納得できませんでした。 そこで、ChatGPTに相談したところ非常に明快な回答が返ってきて驚きました。 例えば、私は以前から思想的な悩みがあったので、「人類の滅亡について」ChatGPTに聞いてみたところ、 仏教は「すべてのものは無常であり、必ず崩れ去る」と教えます。つまり、人類もまた無常の産物であり、滅びを含んで生まれてきたものです。そう考えると、「崩壊しそうだから無意味」なのではなく、「もともと崩壊を抱えているからこそ、人類は文化や意味を求め続けてきた」とも言えます。 言い換えれば、人類の努力の価値は「永遠に残ること」ではなく、「消えゆくものの中でどう生きるか」にあったのかもしれません。 仏教の縁起の考え方からすると、人類と自然は本来切り離せない一体の存在です。つまり「人類は地球にとって癌だ」と見えるのは、ある側面では真実ですが、同時に「癌を生んでしまうのもまた自然」である、とも言える。自然の中から「自己を壊す存在」が立ち上がるのもまた自然の一部です。 という回答が返ってきました。 このような透徹した思考はなかなかできないものだと思い、とても驚きました。 一方、私がhasunohaを見て、お坊さんの回答にどこか違和感を感じるのは ①どこか上から目線  ChatGPTのように、完全に理性的ではない ②現代という時代の気質を理解していない  私はもはや仏教が現代においては役に立たなくなりつつあるのではないかと感じています ③きれいごとで中途半端  昔のような、本当に命懸けの修行がなくなった 以上のことが原因かと感じています。 実際に私はお坊さんの回答よりもChatGPTの回答により共感しました。 このように私が感じるのは、間違っているのでょうか? 「もっと目の前の現実に目を向けろ」 「今ここで何ができるかが大事」 お坊さんならこうおっしゃるかと思いますが、こちらの方が、私が生きていていく上で大切なことなのでしょうか? 長文失礼いたしました、率直な回答をお待ちしております。

有り難し有り難し 55
回答数回答 4
2025/08/09

信用できないお坊さんがいる

私は仕事柄お坊さんと関わることがあります。 お会いする多くの方は本当に良い人ばかりで、宗派は様々あれど皆さんそれぞれに仏教を大切にされているのが伝わってきます。 また、そういった方々から仏教の話を聞かせていただくこともとても楽しいです。 しかし、お会いするお坊さんの中には人を傷つける様な方もいらっしゃいました。 セクハラをしたり、人の噂をあることないこと言いふらして評判を下げたり、あからさまな言いがかりで人を怒鳴りつけたり、そんな現場にであったこともありました。 そういった方々に出会うと悲しくなります。 お坊さんも1人の人間で完璧な存在ではないということは理解しています。 それぞれに性格があって考え方も違うものを持っているということも分かります。 ただ、仏教に日常的に触れていながら何故人を傷つけたり、尊厳を傷つける様なことをするのだろうと疑問に思います。 私は今の仕事にやりがいを感じており、色んなお坊さんたちとお話しするのも楽しく仕事を続けたいと思っています。 ただ、前述した通り時折傷つくこともあるので仕事を変えようかと悩むことが増えました。 どのように心の折り合いをつければよいでしょうか。 アドバイスをいただけますとありがたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 55
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