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「お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

2026/05/19回答受付中

出家するのは、こんなにも難しい事なの?

50代 ソーシャルワーカーです。 元々、修験道に興味があって、山伏・写経・修行・読経体験などを何度か行っています。 毎朝、お香を焚いて読経をしてから出社する様にしています。 そういう生活を続けている中で、自分の掛けた言葉によって「どん底にいたけど希望が見えた」などの感謝の気持ちを利用者様から受ける事があり、より理解を深めたいと感じました。 将来的には自身でお寺を持ちたいと考えていますが、とりあえず定年までは数ヶ月の休みを取る事は現実的では無い感じです。 出家・得度をしたいと思って菩提寺(真言宗)に相談しましたが「坊主は儲からないし辞めた方が良い。私自身も兼業なので得度を与える事は出来てもその後の面倒は見れない。」という事で断られてしまいました。 費用面は当然負担するし、そちらの都合に合わせると食い下がりましたがダメでした。 何件かお知り合いの真言宗のお寺にも連絡して頂きましたが「日々の業務が忙しくてお弟子さんを取る程の余裕が無い」という感じで断られました。 何件かは直接訪問して想いを伝えましたが、手厚く持て成してはくれたものの結局は断られるという感じでした。 出家ビジネスとかの「出家する事だけが目的」という人ならば門前払いされても仕方ないのかな?と思いますが、将来的に寺を持ちたいという程の本気度であっても、菩提寺すらもダメ・他もダメという状況に困惑しています。 ここ数ヶ月で自宅周辺の真言宗寺院には全て訪問して相談しましたが、全滅でした。 話は聞いてくれて親身に対応してくれたという事は救いでしたが、数か月間休みを返上してお願いをしてまわったのに結果が出なかった事に対する失望感は大きいです。 不適切な言い方かもしれませんが、皆さん医師や経営者などの本業を持っていて、二足の草鞋でお寺の経営もしている様な感じでした。 本業が忙しいから弟子を取る余裕が無いという感じなのでしょうか? こういうのは本山とか分院とかの大規模な所に相談したら、そちらで引き受けてくれたり、どこかの寺院を紹介してくれたりするのでしょうか? 最悪は定年退職後に大学に進学という方法も検討していますが、早くから出家・得度を受けて仏道に進みたいという想いもあります。 長くなってしまいましたが、宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2
2026/05/18回答受付中

得度を受けるというのは重大な事なの?

重度重複障害者施設にて直接支援・相談支援を行っています。 同じ福祉職で僧侶の方がいて、その方の言葉を受けて安心して旅立てる・見送れるというケースを見て、その様な支援を提供出来る人間になりたいと思いました。 元々、神仏全般に興味があり研究・論文発表もしていて、お経を唱えたり山伏的な事をしたりしていたので、一定の知識はあると思っています。 人と比べる失礼を承知で言えば、前出の福祉職の僧侶の方は阿闍梨位ですが単立寺院の資格ビジネスに騙された様な存在なので、その方よりは知識が上だと思います。 ただ、相手が求めているのは「知識人からの言葉」では無く「僧侶からの言葉」なので、ニーズの不一致が生じている感じです。 師僧となってくれる方を探していて、自作の名刺を持って飛び込みで何件も廻っていましたが全滅。 しかし本日「私の知人で、社会人を続けたままでも良いと言ってくれている真言宗の住職さんがいる。」という連絡がありましたが、車で2時間程度離れた場所なのです。 得度を受けたら終わりという礼を欠いた事はしたくないので、自宅から通える範囲で考えていましたが、何十年も関わっていくには100kmという距離は遠すぎます。 紹介してくれた方には「あまりにも遠方だと週末にしか通えないので失礼にあたるのでは?今後のお付き合いの事も考えると近隣で探したい。」と伝えましたが「弟子を取るという事は戸籍に加えるのと同じ位に覚悟のいる行為だから、今回のご縁を流したら二度と得度を受けられないかもしれない。お寺の家系ならばまだしも、何の縁のない方が師僧を探すというのは、あなたが考えている以上に大変な事。ある意味では今後の修行よりも大変な事かもしれない。」と言われてしまいました。 「戸籍に加える程に…」というのは、宗教法人の規定にある「世襲の場合は血縁者…」という部分から来た言葉だと思いますが、本業を続けながら得度を受けたいという事からも、寺を継ぐという程の覚悟はありません。 得度を受ける事をそこまで重大に捉えていなかったのですが、住職さん側の立場として「弟子を取る・得度を授ける」というのは「戸籍に加える程に重大な決断」なのでしょうか? 正直なところ「社会人を続けながら…」という部分から「住職になる程の覚悟は無い」という様に汲み取ってくれないかな?と思っていました。

有り難し有り難し 28
回答数回答 3
2026/01/13

経典の迷い

敬具 私は坐禅を実践しており、曹洞禅に深い敬意を抱いています。 禅においては、実践と師資相承が中心であることも理解しています。 しかし、大正蔵に収められている経典と曹洞禅との関係がよく分かりません。 ある経典は重視され、他の経典はより文脈的に扱われているように見えます。道元禅師自身も経典を拠り所とし、多くの経を引用しています。 もしすべての経典が同じ重みを持たないのであれば、好きな経典だけを選ぶことができてしまい、すべての経典の意味が失われてしまうのではないでしょうか。 具体的な例を挙げます。 曹洞禅では、倫理的な生活は十六条の菩薩戒に基づくと言われています。 しかし『優婆塞戒経』も、在家者の倫理について非常に詳細な規則を示しています。 同じ領域――ここでは在家の倫理――を扱う二つのテキストがある場合、実際の曹洞禅の修行では一方だけが実践されることになるのでしょうか。 もし一方が用いられるなら、もう一方は論理的に曹洞禅の中で教義的な役割を失うことになるのでしょうか。 他の宗教伝統には、比較的明確な文献的基盤があります。 たとえば、上座部仏教にはパーリ聖典があり、キリスト教には聖書があります。 では、曹洞禅においてそれに相当するものは何でしょうか。 経典に関して明確な枠組みや序列は存在するのでしょうか。 この無数に存在する経典を、どのように理解すればよいのでしょうか。 『優婆塞戒経』と菩薩戒の例を用いて、できるだけ明確で判断のはっきりしたご説明をいただけましたら、大変ありがたく存じます。 この問いは私にとって非常に重要です。 なぜなら、現代の曹洞禅の教えと、いくつかの経典が語る内容との間に緊張を感じているからです。 何卒ご教示を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2