ハスの葉様、ご活動の方々に、お布施をしたいのですが、クレジットカードを持ってません。わずかな額ですが神様に送りたいのです。 どうしたらいいのでしょうか。
「いいね!」を「有り難し」にしてみたり、FacebookやTwitterへの誘導を「この問答を娑婆にも伝える」にしてみたり。 言い方は悪いですが、イメプレ臭がします。 質問の大半についても、「何もお坊さんに訊く必要はないのでは…」と思います。 お坊さんが答えても良いでしょうが、質問者と近い経験をしている人の方が、もっとためになる回答ができるのでは?と思えるものばかり。 大した回答でもないのに、質問者の大半が、「お坊さん」という仕事に対する過剰な期待と幻想にごまかされて、必要以上に有り難がっていることが多い気がします。 とくに熱血系の回答を見ていると、何だかなー…って気分になります。 こういうサイトこそ、人々を宗教の本質から離れさせていくのではないでしょうか? 利得が絡んでいそうなので、回答はないかもしれませんが、僧侶のみなさまの本心をお聞きしてみたかったので、質問させていただきます。
ハスノハは毎日閲覧しています。お坊様のご回答に「必ず幸せが…」とか、悪い事をした方には「必ず…返ってきます…」など…必ず…なのでしょうか?私は、友人に騙されてお金を騙し取られ、今だに連絡がつかない状態です。以前の相談では返ってこないと思え。と、アドバイスを受けました。そう思い、1年半以上過ごしてきましたが、私は、親の介護、受験生の子供がいて毎日、空いている時間にはパートをしています。最近、お金を渡した友人は、家を購入した、と、噂を耳にしました。やはり、腹が立ち警察に相談しましたが、証拠がないので何もできない。と…弁護士さんは、費用が払えないなら何もできないと…幸せになれる?悪い事をしたら、返ってくる?必ず……ですか?一生懸命やっていても、正直者がバカをみる世の中。お坊様は、必ず……と、言い切れるのですか?乱文で申し訳ありません。 今までは、お坊様の回答に納得していましたが、今は、簡単に必ず…と、言われても自分の中では、必ず……なんて無い!と、思ってしまっています。所詮、その方は悪い事をして幸せになっているのだから。私は、まじめにやってきたつもりですが、幸せにはなれません。
ハスノハの過去の質問を見ていて「?」と思ったものがあったので質問させていただきます。 僧侶以外に職のないお坊さんは、師僧のお寺から給料をもらう、と書いてありました。仮にその僧侶が「師僧のお寺から給料もらえるから働かなくていいや」なんて思ってニートになったらどうするんでしょうか? 師僧が不快に思ったら破門したりするんでしょうか?
キリスト教においては、仕事というのは、人間への神の罰と考えられているようなのですが、 仏教において、仕事というのは、人間にとって、どのように考えられているのでしょうか?
お坊さんの皆さまは、仏教への執着、悟りへの執着がものすごいのではないでしょうか?そうでなければ、お坊さんになりますか? その部分への対策や、他にこんなものにも執着しているというのがあれば教えて頂けませんでしょうか? よろしくお願い致します。
寺での修行の際に読経をすることがありますが、始める前に必ずする、もしくはしなければいけない作法・儀式的なものってあったりするのでしょうか?
この時間帯悩みますが、おはようございます。 皆さんは、お坊さんになられる前となられた後では、性格に変化はございましたか? よろしくお願いいたします。
まだ前の質問のお礼もまだなのに申し訳ありません...。 行ってみたいお寺があります。 このハスノハに登録されているお坊さんのお寺です。 ですが、私は日頃から神社ばかり参拝しており、お寺のマナーをよくわかっていません。基本的には神社と同じような感じなのでしょうか?
お坊さんは、なぜハスノハでボランティアをされているのですか? 大抵は面倒臭い話なのに、もちろん私を含めです。 なぜ一緒に考えてアドバイスをしてくださるのですか? 身近なひとだって誰だって損得勘定。 なのに、なぜ?
私が得度を希望する本山に問い合わせると、「必ずどこかの寺に所属していないといけない」と言われました。 現在、私の家は先祖代々真言宗醍醐派です。宗教宗派という観点から見ると、いま私が得度したいと思っているのは浄土真宗なので、「宗派違い」「宗旨違い」「手続き違い」になってしまいます。親戚の檀那寺におられる浄土真宗西本願寺派のお寺さんとも知り合いで、よく仏教の話をし合ったり、参拝に行ったりしています。ただ、私は、浄土真宗大谷派(東本願寺派)での得度を第一希望にしています。真宗大谷派の寺院の方はほとんど存じ上げないので、寺院を直接訪問し、信徒になってその寺院の所属として本山で得度したいのですが、そのようなことは可能でしょうか? それに似た前例はあるでしょうか? 私は、この40年間、念仏メイン、阿弥陀様一心で信心してきたので、その信仰を深め、得度し、衆生教化したいのです。 「憲法第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する……」と、憲法では「信教の自由」は完全に保証されています。この憲法の大原則から見れば、「宗旨違い」でも何ら問題はないと思うのですが……。 適切で具体的なアドバイスをお願い申し上げます。
お寺で一年前から働いています。 そこで今の彼女となった女性と知り合いました。 そしたらその彼女から住職からセクハラに合っていて、現在もされていると報告されました。 期間は三ヶ月です。 私達が付き合っていることは住職は知っています。 セクハラは怖くて拒否できないそうです。 セクハラ内容 出勤退勤のときにハグされている セクハラ発言をされる 泊まりの時にベッドに誘おうとする 等 私からは 同じ職場で腹ただしい、怒鳴り込みに行きたい、彼女からは波立たせてほしくない、前までは尊敬していた住職への絶望感、軽蔑感 どうすればいいでしょうか 何かご意見が欲しいです。 よろしくお願いします。
自分の大きな悩みである僧侶として生きるべきかと何ヵ月も悩み答えを探してまいりましたがとある僧侶の方よりやってみなさいとの言葉が心に響き真言宗の修行をしてまいりたいと思いお大師様の御廟の前にてご報告をさせていただきました。 そこでネットにて師僧様を探しておりますが求人もなく気持ちと現実がかけ離れている為どのように師僧様とのご縁をいただけるかご教授よろしくお願い致します。
いつもお世話になっております。祈願寺の椅子席で足を組んで 座っていたら女性の修験者さんに 「こんにちは〜…あっ!ご祈祷始まったら足を閉じて お座り下さいネ!あ、まだ大丈夫ですヨ!」と言われました ✳︎ 素直に笑って謝りましたが、なんだかモヤついています。 私はいつも時間前に畳に降りて正座、マナーも守るし、経頭さん にも合わせます。お堂中の防犯カメラにいつも映っている筈です。 おまけに、「これから仕事ですか」と同じお坊さんにまた 聞かれて休みと返したら「日曜日だからね」とか言われるし。 ✳︎ 私は色々な意味で目につくんでしょうか。 熱心な若者は珍しいから見本になって欲しかったのか、 若い修験者さんだったので、新米警察官がやると言われている バン掛け練習のように、お客への注意の練習なのか。 だったら喜んで協力します。 ✳︎ それとも、以前ここでも相談したお嬢様が何か言ったのを 真に受けてしまったのか。 ✳︎ 仕事云々に関しては、あと1回我慢して、4回目となる次で苦情 言おうと思います。といっても、みんな私の事知ってるし…。 ✳︎ 「お勤めしてない人はお参りしたらいけないお寺なのですか? 私なんかよりもっと自分勝手やってる信者さんいますね? どれだけ我慢させられてると思ってるんですか。 私だって色々あるけどちゃんと周り見て考えてるんですよ?」 くらい言いたい気分です。 * なんだかな…ご意見頂けたら嬉しいです。
私の家は信仰が深く、私は幼い頃からお寺に行っています。 そのお寺には私より4つくらい年上のお坊さんがいます。小さい頃から一緒に遊んでもらったり、県外への団参に行ったりしているので、幼なじみでお兄さんのような存在です。 私はそのお坊さんのことが好きです。 お互い20代になった今でも、お寺に行く度に会いますし(月に数回は会います)、用事があればLINEや電話をすることもあります。 2人だけではないですが、他の檀家の人と一緒に食事に行くこともあります。年も近く、幼なじみということで、仲は良いほうだと思います。 お互いの好きなことについて話すこともあります。お寺の帰り際(別れ際)には手を振ってバイバイするのがいつの間にか2人のお決まり(?)にもなっています。 積極的にお寺のお手伝いもさせていただいています。お寺の奥様を見ていると、かなり大変そうですが、そのお坊さんを支えることができるならお寺に嫁ぎたい、というくらいそのお坊さんのことが好きです。 しかし… 2人で食事に行ってみたい、いつかは告白も…なんて考えるのですが、いくら仲が良くても私は所詮檀家。 お坊さんはお寺の副住職で忙しそうだし、私が食事に誘っても、邪魔になってしまうかも…。 とても真面目なお坊さんなので、今は恋愛なんか興味ないかも…。(別の知り合いのお坊さんには30代後半でまだ未婚の方もいるので…) ずっとそんなことを考えて、時間だけが過ぎていきます。 そこでお坊さんの皆様に教えていただきたいです。 お坊さんは恋をしますか? 檀家の私がお坊さんの彼女になることは可能ですか? 女性に食事に誘われることをどう思いますか? 結婚を考えるのはいつ頃ですか? いろいろな方の意見を聞かせていただけると幸いです(合掌)
先日、ある弥勒菩薩を見るために京都へ行ってきました。 優しげで、今にも語りかけてきそうなその表情に、心の底まで見透かされてしまっているような感覚になりました。 自分の日頃の行い、気持ちの弱さ、多くのことを改めなければと思わされた一時でした。 質問なのですが、お坊さん方は、普段ご自分が良くない考えや気持ちを持ってしまった場合、どのように向き合っていますか? 人間誰しも、穏やかな気持ちを持ち続けるのは難しいことだと思います。 (厳しい修行をされていたら、それも可能になるのでしょうか…?) ハスノハのお坊さん方には、これまでにも沢山お話を聞いていただきました。 お陰様で、自分の中の考えも少しずつですが変わってきたように思っております。 しかしまだまだ、怠けたい気持ちや誰かへの嫉妬など、消えては現れてくる嫌な気持ちが残ったままです。 出来るだけ穏やかに、やさしく居たいです。 些細なことでは惑わされない自分になりたいのです。 お坊さん流の、穏やかでやさしい気持ちの持ち方を教えてはいただけませんか?
以前の投稿では表現が回りくどくてイマイチ聞きたいことが伝わっていない様でしたので簡潔な質問文にして投稿し直しました。 宜しければご回答お願い致します。 私の悩みの元に関してはプロフィールに記載しました。 『なぜ愛する女性の命を出産という危険に晒してまで子どもを望んだのですか?』
おはようございます。 朝昼晩と拝読させていただき問答より沢山のお知恵をいただいております。 本当にありがたいことです。 今朝は6時半にhasunohaを読ませていただきました。 良い秋晴れでいつも通わせている神社にお参りさせていただきました。 これも大変ありがたいことです。 しかし頭の中からは朝イチに読んだ問答が離れません。 【お母さん?「死にたい」は「生きたい」てことやで。 環境とか何かが違ったらみんな本当は生きてたいんやで?わかる?ほんまにわかる?】 何度も聞いた娘からの言葉です。 自殺サイトをみていた娘の言葉です。 自殺を考えている人間がかなり運よくこのサイト辿り着く確率はどれくらいでしょうか。 若者が官公庁や各自治体が運営しているところに相談するでしょうか。 電話するでしょうか。 政府は迅速に対応したいと言ってますが如何なるものか、と個人的には…。 お坊さま、お忙しくされている中、ボランティアで私共に人生を変えるが如くのご対応、本当にありがとうございます。 いのちを救われた人もたくさんおられると思います。 感謝の限りです。 朝晩冷えますしどうぞご自愛くださいませ。 質問じゃなくてすみません。
タイトルの通りです。 お坊さん、あなた達の仕事は何ですか。 法事のお勉強は沢山して、沢山葬式では命について教える機会はあるかも知れませんね。 一部の方は自分の経験を元に説法するために全国を飛び回り、忙しくされているかもしれません。 その法話に集うのは若い子ですか? 見てください。今の若い子達の顔を。 幸せ、生きること、命について教えるのがお坊さんの仕事ではないのですか? 彼らは氷山の一角に過ぎませんが、もしあの9人がツイッターではなくここでのお坊さんに出会っていたら、教えを受けていたら。 危機感をもっともって欲しいです。 警察は法のもとに起きた事件に対してしか動けません。それが仕事。 学校の先生は命の授業はしません。みんな学業の点数をつけるのに忙しくされています。 お坊さん、お坊さん。何やってるんですか。 犯人は言っていました。 会ってみたら本当に死にたいと、殺して欲しいと言う人は1人もいませんでしたと。 やっぱりな。と思いました。 彼らは行動力のある若者です。その足で寺に向かっていれば。 こう思いました。 でも彼らは命の地図を誰が持っているのか知りません。自分の悩みが死でしか解決できないと、本当は生きていたいと思いながら、行動に出たんです。 お坊さん、立派な良い地図持ってるんでしょう? そこで迷ったのは被害者だけではなく、加害者もであると私は考えます。 私は今まで自分が幸せな立場にいると思うが故に、被害者の気持ちに寄り添って生きてきました。 それは今でも変わりません。この事件に家族も自分も絶対に巻き込まれたくはありませんし、加害者の気持ちに寄り添う事はまだ出来ません。 しかし、こういった事件の根本を解決、未然に防ぐ為には、加害者の気持ちにこそ寄り添うべきなのでは?とも思うのです。 気持ちが分からずに罪を憎んでも犯罪は無くなりません。 済んだ事件、亡くなった命は戻ってきません。 だから問います。 お坊さん、今の子達に、今後どうやって命について教えていかれるおつもりですか。 自殺を考えている子の話だけではありません。 加害者になり得る子に対しての話もお聞かせ下さい。
「否定はしませんが~」「その意見もわかりますが~」などと肯定的な前置きをしてから否定してくる人が多いです。 否定をするための肯定、否定の為の否定。 初めから相手の意見を受け入れる気が無いなら、正々堂々と否定すればいいのです。 なぜこんな回りくどいことをするのか、それは「怖いから」だと私は考えます。 自分を安全な位置に置いてから攻撃したい人です。 ハスノハのお坊様方はどのようにお考えですか?