私は保守系な思想の持ち主で、政治に関心があります。 これといった活動はしていませんが、朝一番に北朝鮮問題などや与野党のnewsに目を通します。 ですから、左よりなメディアや自分の相反する思想の方のデモなどに反感を持っていますし、 事実と違う事を報道していると思い腹が立つ事が多々あります。 (保守でも戦争は反対だし平和が一番です) しかし、最近はそれが執着の元になっていると思うので、なるべく関心を持たない様にしています。 そこで質問ですが、一般的なお坊さんは政治には関心がある方もいらっしゃるのでしょうか?また、お坊さんが政治活動をすることはどう思われますか?
どうしても気になることがあり、ご質問いたします。 5〜6年ほど前、家族で京都旅行をしていたときのことです。 東山区にある護国神社や高台寺のあたりだったかと記憶しています。 わりと広い坂道を歩いていると、デモ行進をしている団体がやってきて、その中に黒い袈裟を着た優しそうなお坊さんがおられました。 珍しい組み合わせなので思わず注目していると、お坊さんの方もこちらを見ていることに気がつきました。 そして、距離が近づくと、そのお坊さんは私に向かって手を合わせました。 立ち止まっていた私たち家族の後ろに神社があったため、最初はそちらに手を合わせているのかと思ったのですが、父に「お前に向かって手を合わせるんじゃないか」と指摘されました。 たしかに私とそのお坊さんは終始目が合っていたので、私に向かって手を合わせていると考える方が自然です。 でもなんで?どうして?とドキドキしていたのですが、お坊さんは私に手を合わせたあと、そのまま通り過ぎていってしまいました。 とてもにこやかなお坊さんでしたので、全く嫌な気持ちにはなりませんでしたが、通りすがりのお坊さんに手を合わせられたのは後にも先にもこの一度きりなので、不思議な出来事として印象深く記憶にのこっています。 そこで2点ほどお聞きしたいのですが、お坊さんは、通りすがりの誰かに手を合わせることがあるのでしょうか? (それともはやり私たちの思い違いで、お坊さんは神社に向かって手を合わせいらっしゃったのでしょうか) また、そういったことがある場合、お坊さんはどのような意図があって私に対して手を合わせられたのでしょうか? よろしくお願いいたします。
僧侶になりたいと思っています。 私は高校入学をして間もないころにうつ病になり一年間不登校になり、高2の春に通信制高校へ転校しました。 転校後は以前よりも回復し、ボランティア活動へも従事できるほどになっていましたが完全にうつ病が治ったわけでもなく日々人との関りや両親の喧嘩が絶えない家でしたのでそんな家庭のこと、バイトをしておらず親に頼ることへの罪悪感など様々なことに悩みながら過ごしていました。 そんなあるときに、インターネットで日蓮宗のご僧侶の方が主催する唱題の会というのを見つけ、参加してみることにしてみました。 初めて参加したときはびくびくし緊張もしていましたが唱題を進めていくうちに、まるで登山でもしたかのようなすがすがしく心が空っぽになるような感覚を体験し深い驚きと感動を感じました。それから何度か通うようになり僧侶の方のお話を聞くうちに心が軽くなるような、ストレスや悩みを置いていけるような安らぎを感じました。 私は幼いころから今日にいたるまで、一貫して人の役に立つ人の心を支えたい安らぎの手助けをするような人になりたい思っています。高校時代にボランティアを通して東日本大震災の被災地やそこで葛藤しながらも前向きに生きる人たちと触れ合いました。また自分の様にうつ病や家庭のことで悩み苦しむ同級生や友人の姿を多く見てきました。 そのような人たちのために、自分が安らぎを感じた法華経・お題目で人の役に立ちたいと思っています。この様な理由から僧侶になりたいと思いました。 しかし、現実的には師僧の方を見つけることや家庭のことを考えると就職したほうが良いのか、また宗門指定の大学へ進み僧侶になるべく学びその中で師僧を見つけるか、はたまた就職をしてそれから先の人生で僧侶になるかなど日々悩んでいます。また現在もうつ病の気がある私が果たして僧侶になれるのかというのも心配な部分です。気持ちや思いはあるものの現実的な部分が漠然としてしまってます。 唱題の会の僧侶の方とは、昨年末に家庭内が大きく揉めそれが発端で一時期引きこもりのような生活になってしまい、その間唱題会へも行っておらずそれから音信不通になってしまっています。 拙い文が長々となってしまって申し訳ありません。言葉の間違いがありましたお許しください。 どうか、皆様のご意見を頂戴させていただけますようお願い申し上げます。
お坊さんの煩悩とは何ですか? 煩悩が生じた時にそれをどう対処されますか? 失礼過ぎてすみません。
私の上司はヘアスタイルとして坊主頭をしています。 法事に行った際、いらっしゃったお坊さんから 「あなた清々しい顔をしてるなぁ。面倒見てあげるから坊主にならんか?」 と誘われたそうです。 上司は「転職考えてるんでお願いしようかなぁ」と冗談で返したそうですが。 上司はその話をしながら、「本気で行こうかなって思った」と私に話してきました。 上司は、自分の思い通りにならないとすぐに文句やクレームをつけたり、 損得勘定がとても強い人です。 毎日のように給料への不満、宝くじが当たらないとかぼやき、 面倒なことは人に押し付け、ミスは人のせいにしたり、 あれ欲しいあれ食べたい、など、欲が尽きることがありません。 誰でも欲はありますが、欲多き人間が簡単に僧侶になれるのでしょうか? また、初対面の人を坊主に勧誘するお坊さんは、大丈夫なのでしょうか? こういった質問を書いている時点で、過去にとらわれていますよね。 ただ、少し僧侶の世界はどうなっているのか興味がでてきましたので 現状をお聞きしたいとご質問させて頂きました。
生後8ヶ月の息子を亡くした母親です。 仏壇に花を備えています。 バラやゆりなどの花も備えています。 幼くして亡くなった息子。 堅苦しくはなく、子どもだからこそかわいく 色んなものを見せてあげたかったから 菊などの仏花にだけこだわらなく バラなども備えています。 話したところ義母に注意され今度見に来るとまで言われました。 お墓などに備えるのは仏花にはします。 だけど仏壇など家にあるものにも昔ながらのルールや風習を取り入れないといけないですか? 自分の故人に対する思いで供える花を変えることはそんなにいけないことですか?
こんばんは。 ネットを閲覧していると、意地悪な人が多い事に驚かされます。 匿名で、気持ちが大きくなるのでしょうか。 お坊さんは、ネット上で意地悪な気持ちになることはございませんか? こんな人には意地悪したくなる的な、です。 よろしくお願いいたします。
出家したばかりでお寺を持っておらず、僧侶以外に職を持っていないお坊さんって収入はゼロなんですか?本山?から給料は出ないんですか? 素朴な疑問です。
こんばんは。 話が長くなるかもしれませんが、お付き合いくだされば嬉しいです。 ずばり、①ここにいらっしゃるお坊さまは家中のゴキブリにどう対処なさいますか。②また蚊はどうですか。 例: 殺虫する、生け捕りにして外へ逃す、全く気にしないので放置 加えて、ゴキブリに対するその対応について、既婚者の方は、③奥さまも同じように対応なさいますか。 こんな質問をするに至った経緯を説明しますと… 私の住んでいる県ではうちわまきがあり、蚊に対しても不殺生、というエピソードを何度と聴くうち、「そうか、蚊も生きているのだものな」という事実を認識するようになりました。 私自身は仏教徒かと問われれば甚だ疑問の残る、なんでも信じる人間ですので可笑しな話ではあるのですが、なんとなく、蚊を叩き殺したりすることに葛藤が生まれ、ただ払うことが多くなってきたのです。(※肉食するのでそもそも論でいえばなぜそんな不徹底なことをするのか意味がわからないですが…) そしてつい最近、同じ県内に"護鬼佛理天"(ごきぶりてん)なる神様の像があることを知ってしまいました。なんでも、害虫駆除の被害にあった虫を供養するためのようです。さて、ここで、蚊もゴキブリも虫であり、理論でいえばゴキブリも殺さずにおくべきなのでしょう。とはいえ、やっぱりどうしても無視できないのです。同じ場所にいると考えるだけで嫌悪感が募ります。自分で殺虫できればまだいいのかもしれないですが、あろうことか、自分で手を下すのが嫌なので(単純に怖いというのもある)誰かに殺してもらっている、というのもなんだかひっかかります。自分の手は汚さずに…という感じで精神的にはひどいな、と思います。 訓練すればゴキブリすら無視できるようになるのでしょうか…。 さて、宣言通り長くなりましたが、質問は上にあげさせていただいた通りです。お坊さまたちとそのご家族は一体どんな意見をお持ちなのか伺いたいです!お手隙のさいにでも回答をいただければ幸いです。よろしくお願いします。 ここまで読んでくださり有難うございました◎
今まで、とてつもない重いものが乗っかってるような気分で生きてきました。 それが、心のsosだとわかって、向き合い、受け入れるようにしてきて少しずつ、気分が晴れて軽くなり、視界も広がってきたような感じもします。 一人では決して、自分と向かい合えなかったと思います。 回答してくれたお坊さんに、感謝
今、お坊さんを題材にしたものを描きたいと思っています。 まったく想像もつかない職業でキャラを作ったのですが 青年誌向けの雑誌なのでリアリティーを出すために 一つ質問があります。 お坊さんで言葉で説くのが下手くそで 行動で示すお坊さんは「あり」でしょうか?
55歳を過ぎ、子育ても仕事も一段落した現在、これからの人生は仏教に関する行いを通じて、世の為・人に為に人生をささげようと考えております。 僧侶とまではいかなくとも、仏法対話ができる能力までになりたいです。 僧侶になるには、どのようなステップがありますでしょうか? 高卒で就職したものですから、仏教系の大学も出ておりません。先祖は日蓮宗を信仰しております。 そもそも僧侶になりたい・・など、甘くみてはいけない!と𠮟られるかもしれませんが。
私が住む住宅地に霊園が造成されています。県(担当は保健福祉事務所)の許可を得ているという申請者は、登記上は日蓮宗の寺になっています。 知り合いの工務店の社長が色々調べてくれて、寺の代表は、ここから70キロメートルくらい離れたところに住む不動産業者であって、曹洞宗の檀家の世話役をしているということです。 単立の寺で、信者なし、本堂なしというところだそうです。不動産業者の地元の中小企業経営者団体の会合では、僧侶として、般若心経について講演したと聞いています。テレビのぶっちゃけ寺という番組で、出演する僧侶が一斉に般若心経を唱える場面がありましたが、日蓮宗の僧侶だけは、唱えませんでしたので、その寺の代表が本物の僧侶ではないと疑っています。 県庁の宗教法人グループに確認依頼をしたら、いろいろな形の宗教法人があるので、自分たちは関与できないと、つれない回答でした。私の疑問は、杞憂なのでしょうか。
質問というか。 在家出身のお坊さんって大変じゃないですか?お坊さんとしての仕事はほとんどゼロという方が多いのでは? 個人的な推測ですが。
こんばんは。 お坊様の着る衣装ってどうなっているのか、画像を検索したりしてるんですが、私が思うほど単純じゃ無さそうで細かいところがよくわかりません。 ひょっとして宗派によってデザインが違うんでしょうか? お坊様の好みで選んだりもするのでしょうか? 何種類ぐらいあるんでしょうか? 着るのもきっと難しいんでしょうね。
先代のお坊さんはとても良い方で、人徳者でした。 しかし、今代のお坊さんがとてもよくないです。 葬儀をあげるとき、1週間以上待たせたり、お布施をたくさん要求したり、話もなく勝手にお坊さんを余所から呼び、その分割増しにしたり、檀家を辞めたいという方に金銭を要求したり… 常に多くの金銭を要求してきます。 お坊さんになる修行もどうやら袖を通して早めに切り上げた等、悪いうわさしか聞きません。 お寺は田舎にあり、小さいお寺なのでそのお坊さん一人でおります。 代々そのお坊さんの家系が継いできたのですが、このお坊さんをお寺からいなくなって貰うことはできるのでしょうか? また、新しいお坊さんに来ていただくことは可能なのでしょうか?
愚問でありましたら 申し訳ありません 両親の葬儀からのご縁で 浄土真宗本願寺派のご寺院に法要法話にお伺いさせていただいております 家には お仏壇もお迎えしております ご住職さま 門徒の方々みなさんご親切にしていただいております 両親が亡くなり一人になった私にはいろいろな先生のお話を聞け 法要法話にお伺いするのが楽しみなのです。 法要法話の時に門徒の皆さん 式章をされていまいして お聞きしますと 法要法話に 寺院にお参りする時の正装 とお聞きしましたので 素人考えだったのですが ご寺院に失礼の無いようになのと まだ小さな信仰心から 京都 本願寺様の売店で購入し 式章をつけて法要法話にお伺いするようにしておりました ただ 私まだ帰敬式も受けておらず正式に門徒に なっておりません。 色々な思いからなのですがまだ釈の法名をいただく気持ちに なれないのです。 いつかは釈の法名をいただくつもりなのですが。 いまさらながらに考えますと正式に門徒でない人間が 式章をつけて法要法話に参加しているのは ご住職や門徒の方たちにかえって失礼な事だったのでしょうか? 決して悪気ではなく 正しく参加させていただこうと思った気持ちなのです。 ご住職さまや門徒の皆さんからも注意されたことは無いのですが 質問をお読みいただいた お坊様皆様 のご寺院に正式に門徒 檀家で無いものが そのような正装をして参加しているのは良くないことなのでしょうか? ご意見をお聞きできましたらありがたいです。
こんにちは。 最近、浄土真宗の僧侶と籍を入れ僧侶の嫁として奮闘中です。 夏、冬用、自宅での黒衣の洗い方やお手入れの仕方はそれぞれだと思いますが、どの様にしたら良いのでしょうか? 白衣や襦袢は主人から教えてもらったので出来るのですが、 黒衣を洗ったり手入れをした事がなく… 衣替えの季節でもありますし、そろそろ…と思っております。 クリーニングに出すという方法をお義母さんはしているらしく自分で洗う方法は知らない、また、主人も長い間黒衣に関してはお義母さんに任せていたのできちんとしたやり方を忘れてしまった様で… 教えていただけると有り難いです。 宜しくお願い致します。
私は出家希望者です。理由は正式な仏弟子になりたいからです。別にお寺の住職になりたいわけでもお葬式でお経を唱えたいわけでもありません。 しかし、最近思うようになったのは、日本仏教において僧侶は在家とほとんど変わらない生活をしています。お寺の住職は別として、それ以外のお寺を持っていないお坊さんは、在家のように働き、在家のように生活を送ります。 すると、どうでしょう? 僧侶といっても剃髪して法名をいただいているだけで、その実際は在家とかわりないわけですよね?在家得度というものもあるそうですが、そうなると出家と在家の区別って物凄く曖昧じゃないですか? 私は仏弟子になりたくて出家を希望していますが、仏弟子になるなら在家のままでもいいかもしれない、と悩みはじめています。 日本仏教において僧侶の存在意義って何なんでしょう?特に、お寺の住職ではないお坊さん。
坊さんのこと考えると 「こんのくそ坊主が!」 と激しく憤る自分がいます。 どういうことなんでしょうか。特に坊さんと会ったことなんてないですけどね。