はじめまして。 私は、近い将来 大谷派で得度したいという目標を持っています。 在家であり、妻帯者であるため、お寺に入ることは無理でしょうか ら、どこかの寺院にお世話になりながら、活動できたら、という思 いでいます。 しかしながら、地元を離れ、縁も ゆかりもない土地に住む私にとっては、頼るお寺が見つかりません。 近くのお寺の報恩講や法話会に参加しても、なかなか、深い話ができないまま、一年近く過ぎています。 そもそも、ご住職のお力添えなくして、得度が出来ないことはわかりますが、弟子をとって得度するようなことを親族以外の人にも行ってくれるのでしょうか。 また、その場合、一般的に謝金等は礼儀として必要なのでしょうか。師匠と弟子の関係というものが、一般家庭で育ち、サラリーマンとして働く私にとっては、なかなか想像がつきません。 ついつい、逆の立場で考えてしまうと、一般の人の面倒を見て、得度させたところで、メリットがあるのだろうか・・・など考えると、なかなか深い話が出来ません。 何かしらアドバイス頂けたら幸いです。
こんにちは、相談させてください。 よく行くお寺のお坊さんに一目惚れをして、よかったら連絡を下さいという一言を書き、連絡先を書いた手紙を渡しました。 人生で初めてのラブレターでした。 待つ事、早1ヶ月お返事が来ません。玉砕です。 返事がないことが返事。 とわかっているし、覚悟はしていましたが、やはり気になってしまいます。 それに加え、嫌がられるかなとか、そのお寺中の噂になっていたらと少し怖くて、そのお寺にも行けなくなってしまいました... 全てはわたしが決めてした事なので、仕方がないですが、もう一度そのお寺に足を運んでもいいと思いますか? 避けられたり、嫌がられたりするのがとても怖くて、悩んでいます。
ハスノハ初心者です。 殆どのお坊様方の下さるご意見は温かく時に厳しいものもあり、大変親身になってお答え下さっているのだと感じます。 しかし先ほど私の質問に対してではないのですが、ショッキングな回答を見かけてしまいました。 あるお坊様が「結婚は女性向き」「結婚制度は女を守る為のもの」等と回答に書かれておられたのです。 要約すると、女は自分に見返りを求めたがる傾向が強いからこそ結婚すべきだし、女は結婚により守られる存在だ、といった感じです。 このお坊様以外にも「子供を作らないのは身勝手」だとか 「男女には向き不向きがあるからこうした方がよい」等と仰るお坊様方もおられました。 男女は対等な存在であり、結婚は支えあい愛する為にするもの。 女だからといって弱くて至らない存在として守ろうとするのは対等ではなく見下しているのと同じ。 子供は授かりもので、その選択も夫婦の自由意思によるもの。 男女に性差はあるがあくまで傾向でしかなく、腕力等ハッキリ違いがあるものを除いて「向いている向いてない」と決めつけるものではない。 私はこう考えています。 そして当たり前のことではないでしょうか。 とても前時代的なお坊様がおられること、そしてこんな書き方はしたくありませんでしたが差別的な発言をされる方が少なからずおられることにショックを受けております。 こんな風に思う私はおかしいのですか? ハスノハの印象が変わってしまいました。
こんばんは。 少しだけ心がしんどいなあ、というときにいつも開くhasunoha。皆様方の問答に共感しては時に涙し、頑張って前を向いている方々を見ては自分を奮起させるきっかけにさせていただいております。 今回は心の葛藤などの悩みではなく、お坊さんの敬称についての質問です。是非お教えください。 お坊さんの敬称で、「和尚様」「お坊様」というのは正しいのでしょうか。流派によって違うものですか? また葉書の宛先などは、 〇〇寺 住職 △△様 で失礼に当たらないでしょうか。 △△の後に続く特別な敬称等あれば是非お教えください。 いつもお世話になっている方ですので、出来るだけ失礼のないようにしたくこちらで質問させて頂きました。仕様もない質問で申し訳御座いませんが、お答え頂けますと幸いです。
お坊さんの1日のスケジュールはどんなものか気になります。 やはり朝は早く起きて、夜遅くに寝てらっしゃるのでしょうか? お寺によって様々な催し物も開催されているようなので、お坊さんとはとても活動的な人達なのでは、と思っているのですが...。 hasunohaで様々なお坊さん達の取り組みを知り、質問してみたくなりました。 よろしくお願いします。 (前の質問、自殺をしたら地獄へ行くの?では多くの方々から回答を頂けたのにも関わらず1人1人にきちんとしたお礼ができず申し訳ありませんでした。一度お礼を書いてしまうと、後から書いてももう反映されないみたいですね...?参考になりました、ありがとうございました。)
私の母が1年前に亡くなり、一周忌にお寺のお墓に納骨することになって、まだ生きている90歳の父がすっかり体が弱ってしまい、遠いお墓にお参りできないので、母の遺骨を分骨し自分の近くのお墓に埋葬したいと申しましたので、その旨お坊さんに申し出ました。 お坊さんは一周忌の時に、やっと小さな骨壺に分骨し、兄が持って来てくれましたが、いざこちらの霊園に埋葬しようとしたら分骨証明がないと埋葬できないと言われ、お坊さんに分骨証明を書いていただくことをお願いしましたが、当山では分骨は認めていないと言って、書いてくれません。 火葬場に火葬証明の再発行をお願いしても今となってはその分骨した遺骨が母の物である証明ができるのは、そのお坊さんだけなので、こちらではできませんと言われ、でもその時にお寺の監督をしているのは保健所なのでそちらに相談してみるようにと教えていただき、保健所に連絡しましたら、保健所の方が分骨証明は遺族の求めに応じ書かなければいけないという法律があることをおっしゃって、お坊さんに「指導」の電話を入れるとおっしゃて下さいました。 ところがその後保健所から連絡がなく、結果を聞くのが怖くてお電話できずにいます。お坊さんは母の遺骨は父が持っていればいい、父が亡くなったら、戻すようにとおっしゃって分骨は認めないし、どうしてもと言うなら墓じまい、とまで言ってきて、脅されています。 法事は長男である兄がしますし、父亡き後の墓守も兄が檀家としてするので、お坊さんの生活を脅かすようなことはありませんし、父はただただ母の墓参をしたいだけなのです。母の分骨墓地は無宗教の共同墓地で、法事もありませんし、父の居場所から数百メートルの場所のバイアフリーで車いすの父にもお参りのできる墓地なのです。お坊さんとは人を助ける人、そう思っていましたが、心身共に弱り、いつ亡くなるかわからない人(父)にどうしたらこんなひどいことができるのか理解できません。教えていただきたいことは、保健所の指導でも分骨証明を書かいていただけない場合、今後どこに申し出れば良いでしょうか?このままでは母の分骨はどこにも埋葬されず、父が可哀想すぎてみていられません。 どうか老い先短い父を助けて下さい。親戚が絡んでいることや父が高齢なので父を矢面に立たせる裁判は避けたいと思います。
はじめまして´`* 私は仏教系の女子校を卒業して現在は短大でいけばなをしています。高校では毎週宗教の授業が嫌ほどあり、頭が悪いのか何なのか、なぜか宗教だけ成績が一番良かったです( ̄∇ ̄)ですがそこまで宗教に興味がありませんでした。高校3年になると得度を受けないとみんな卒業させないと言われたので仕方なく受けた感じでした。 卒業してからは短大でいけばなをしています。いけばなは仏前供花が元になっているので現在でも仏教的思考は少なからずあると思います。いけばなの歴史などを勉強しているうちに仏教にも興味を持つようになりました。 いけばなや仏教を勉強しているうちに、ふとこんな言葉を思い出しました。〝人間になるな、人になれ〟です。 これは得度をした時に学校の先生(お坊さん)が言った言葉です。当時は意味がわからず流して聞いていましたが、今でもわからず日々考えていますが、なかなか答えにたどり着きません。 〝人間になるな、人になれ〟とはどういう意味なのでしょうか?ぜひお坊さんの力を貸して下さい!
こんにちは。 他愛もない質問なのですが、ずっと気になっていましたので思いきって質問します。 先日、京都の大谷本廟まで祖父の納骨をしに行ったのですが、広間のようなところで読経する際に、お坊さんが決まった足(右足か左足か失念しましたが…)で段差を上り下りしていました。 決まった足から踏み出す、など決まりごとがあるのでしょうか? また何か重要な意味があるのでしょうか? その他にも、なにか独特の仕草やしきたりがあるようでしたら、後学のために教えていただきたいです。 単なる好奇心から生まれた他愛もない質問で申し訳ないですが、お答えいただけると幸いです。 何卒宜しくお願い致します。
浄土宗のお坊さんは、 具体的にはどの様な修行を行うのですか? 又、どの様に一日を過ごされるのですか? 教えて頂けたら幸いです。 お願い致します。
はじめまして、実家にあるお仏壇の事で質問させてください。 私は嫁いで県外に暮らしております。 父が五年前に死去いたしまして元々ご先祖様のお仏壇はあったのですが 最近になって80歳になる母が離縁出来る書類をもらってきて 「私はこれから旧姓に戻ってこのお仏壇は知らない」と言い出しました。 私には兄がいるんですが精神的な病で働けなくなってしまい おまけに離婚されて現在独り身です。 母は、父方の親戚に苛められた!と昔から子供の私たちに父やその親戚 の悪口ばかりで子供ながらに最低な母親だな!と私は思って育ちました。 私は父は大好きで母が見ないと言ってるのだから私が引き取りたいと 思ってます。 ただ、主人も長男なので先々はそちらの仏様もうちで引き取る事になると 思うんですが同じ家に2つのお仏壇を置いてもいいものなんでしょうか?
私の家はとあるお寺の檀家なのですが、そこのお寺は毎年寺費と言う言わば年会費のようなものを取っています。年会費はもちろん必要だと思いますがその内容が少し疑問です。その費用の中にはお坊さんの息子の学費も寺費に含まれています。普通なことなのでしょうか? それに三回忌など拝む時のお金は別で、少なく包むとお坊さんに少ないですねと言われました。仏の道に行く人がお金の額の高い低いを言って良いものなのですか?しかもその人の前で。 正直檀家を抜けたいと思っています。どうしたらいいか教えてください。
現在、父の会社で働かせてもらってます。 祖父が創業した小さな会社ですが、後継者不在という事から、近い将来会社をたたむという事も視野に入れておかなくてはいけないと思います。 父は70代ですが、今のところ全くその事を考えている様子はなく、この先どうするかさえも考えていないようです。 自分が死んだ時に会社をたたんで欲しい…そんな印象が今のところあります。 本当はそれでは困るのですが… もし会社が無くなったら、仏様に仕えたいという道を選びたいと思っているのですが、40代からのスタートは無謀でしょうか? お寺運営の保育園に通ったり、お寺に貢献していた祖父に連れられ、行事参加や墓参り・法要にも頻繁に参加していましたので、幼い頃から仏教には親しみがあり、仏様への関わりは歳を重ねてからも多少あります。 ただ、仏教関係の学校は出ていないため、専門的な知識や資格は一切持っていません。 昨年、死ぬまでに必ず訪れたいお寺を訪れた際、安堵感と共に、心がグッと引きこまれるものがあって… 何と言いますか、言葉に表せない思いで涙が出ました。 これが仏様に仕えたいという思いを強くさせたのだと思います。 僧になるまでは大変困難な道を歩まなければいけない事は存じております。 やはりお寺関係者や若いうちから経験を積まないと僧になる事は厳しいのでしょうか? 甘い考えとお叱りを受けそうですが、ご回答いただけるとありがたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。
お坊さんのお給料は、月(又は年間)幾ら位でしょうか。普通のサラリーマンと同じ位だと聞いた事が有るのですが、如何でしょうか。 又、お坊さんは税金を納めていますか? 偶に、「お坊さんは税金を払わなくていい」と聞きますが、それは本当なのでしょうか。 質問尽くしで申し訳有りませんが、どうか教えて下さい。お願い致します。
お坊様方、お坊様に公開している私のプロフィールをご覧ください。 元気さがいまいち足りないのですが、何かアドバイスを頂けますか? 以前の私の質問(ニックネームもメールアドレスも異なりますが)の中の善神という言葉は神様方に悪神がいるかの誤解を受けかねないものでした。失礼しました。すべては欲(無心を続けたいのも無意識の欲)で少しの嫉妬心などがあり得ますが、優しく弱さのある良い!人で普通、、普通、、普通、、、普通、、、普通、、、普通、、、普通、、、(^^)ですね?
おはようございます この国に生まれてよかった/村下孝蔵 日本の良さが歌われています ヴィジュアル系ではないので御安心下さい 個人的には「故郷へ」という歌も、感慨深くて味わいがあって、好きです 村下孝蔵さんの歌は秀逸です 他にも良い曲が沢山ございますので、是非お聴きになって下さい お坊さんは日本が好きですか? 愚問ですかね よろしくお願いいたします
お忙しい中、申し訳ありません。 お釈迦様本来の教えに最も近いと言われる最古のお経の中には、 お釈迦様は、何がしかの行為を行った場合にお布施を受け取ることを拒否された、 と書かれていると聞きます。 またお釈迦様は、死者に念仏のようなものを唱えることは意味がない、と説かれたとも。 お釈迦様が対機説法を用いられたと言われていることを少しは存じておりますが、 お釈迦様の教えを学び実践する目的は、たった一つしかないと思っています。 現代のお坊さまの方々は、葬儀などでお経を上げお布施を受け取ることを、どのように考えておられるのでしょうか?
守護霊・霊言があると言うのは、ブッダの教えに背いていると思いますが、 宗派によって様々な考え方が有るというのが現実なので、仕方ないのかもしれません。 しかし、僧侶が苦しんでいる人を救うことに努めるという事は、 全ての宗派に共通するのではないでしょうか? 最近話題の清水富美加さんが出家した宗教団体、について >その方々のことはよくわかりません。 と言うのは、僧侶の行を果していないと思います。 その教団に苦しんでいる人、苦しめられたと言う人々が沢山いるのですから、 その様な方々の事に思いを巡らした上で回答するのが、僧侶の責務ではないでしょうか?
お坊さんの上下関係は、厳しいですか? 私は以前、テレビで、“お坊さんの上下関係は厳しい”と聴いた事が有ります。お坊さんには、はっきりした官位や地位(僧正、僧都等)が有るので、やはり上下関係は厳しいものなのでしょうか。 又、私は浄土宗の僧侶を志しているのですが、浄土宗でも、上下関係は厳しいのでしょうか? 法然上人の「敬上慈下」という御言葉は、上下関係を意識し、上の者には敬い、下の者には慈悲の心を以って接せよ、という意味ではないかと私は思うのですが、それは、今の浄土宗の上下関係にどの様に影響しているのでしょうか。 これを見て下さっているお坊様方、どうか私に教えて下さい。宜しくお願い致します。
お坊さんになる為には、お寺への入門や得度等には、費用は掛かりますか? 又、掛かるとしたら、どの位掛かりますか?
こんにちは。私は将来天台宗の僧侶となり、出来る限り多くの人の支えになりたいと考えております。 しかし、私はどこかの寺と関わりがあるわけでもなく、大正大学などの仏教に関することを学べる大学への進学も経済的にかなり厳しいです。 インターネットで調べた限りですが、私が僧侶になることは厳しいと自分でも承知しておりますし、僧侶とならずとも人の支えになることも、仏教に寄り添い生きることも出来るだろうとも考えております。 ですが、幼少期からの夢ですので、なかなか諦めることが出来ずにいます。 そこで質問なのですが、こんな私でも僧侶となることは可能なのでしょうか? 可能だとしたら今後どのような行動を取れば良いのでしょうか? 同じような境遇から僧侶になった方や、そうでない方でも教えて頂きたいです。 よろしくお願い致します。