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「心構え・生きる智慧」を含む問答(Q&A)一覧

他人との強い繋がりは必要か

「本気で人を好きになる」 「人との繋がりで心を満たされる」 「お互い想い合う」 といったような、人との強い繋がりを持つことに非常に強く憧れています。 この人は本気で大事な人だと思ったり、一緒にいるだけで満たされるといったような関係に物凄く憧れています。 というのも、そういったことが一度でもあれば自分の人生も良い方向へ変わるのではないかという期待と、そういったことを経験したことすらないのは人として劣っている気がするし、寂しく感じるからです。 ですが、現実は、自分にとって他人は平等にどうでもいい存在です。好きだと思ったり、大事に思った人はいません。 なぜそんなことを思えるのか不思議でしょうがないです。 こんな自分も人としてダメだと感じていますし、ただただ寂しいです。 最近では、他人との強い繋がりなんて本当に必要なのかなとも思ってきています。 勝手にそういう相手がいる人を羨ましく思っているだけで、本当にそんなに大事なことなのか。大事だと思い込んでいるから、勝手に他人と比較して自分を惨めに感じているだけなのではと。 そこで質問です。 1.他人との強い繋がりを一切経験したことも無い人は人として劣っているのか 2.他人との強い繋がりは人生において必要なことなのか 3.もし必要であるならば、自分がどういう人間になればそういう縁を持てるのか 回答お願いします。

有り難し有り難し 5
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過去の自分との向き合い方

自分について回る考え、思いについて相談させてください。 小中高と地元の学校に通っていました。 小中高の間に何度もいじめや友人トラブルに巻き込まれることが多くあり、地元にいい思い出がありません。なので、地元の同級生には、二度と会いたくない、関わりたくないと思っています。 卒業後、たまたま街であったとしても、こちらをみて陰口をいったり嫌な視線を送ってくることが多いです。 私は結婚し子どももいるいい大人なのですが、それでもなお、地元の人間に対してとても恐怖心のような気持ちを常にもっています。 アルバイトや就職活動、引っ越し、どこかお店にいったりするタイミングで、いつも同級生に合わないか、一緒にならないか、その人が同級生とつながっていないか、などいつもビクビクしている自分がいます。 そんな気持ちでいる中、今度、引っ越しをする予定で、半永久的にそこに住むことになる土地になるということもあり、とても憂鬱な気分になっています。 まだ土地を検討している最中で、自分の実家近くか、主人の会社近く(地元からは少し離れます)かで検討中です。 子どもが小さいうちは、自分の実家の近くにすむのが自分にとっては楽だとは思いますが、地元はさっき話したように嫌な思い出しかなく、居心地がよくありません。(今となっては、同級生たちも地元にいないかもしれませんが・・・。その情報は全く聞いていません。) 地元に住むか、土地勘もない場所に住むかで迷っているのと、私のこの過去にとらわれた気持ち、考え方をどうにかしていただきたく相談させていただきました。これからもこのまま生きていくのはつらいんです。子供が学校に入ったら、そこで子どもの同級生の親が私の同級生だったらとか、考えたらキリがないのです・・・・。 よろしくお願いします。

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こんなに調子が悪くなるとは。

御助言ありがとうございます。 呆れられ怒られるのを承知で打ち明けます。 御存知かもしれないですが私は現在4匹の犬を飼っています。今こうして生きているのはお坊様方の存在は勿論、この犬達がいたからでもあります。まだ前の2世帯住宅にいた頃は中型犬の犬が私を訴えた実の二親から守ってくれたものでした。犬をけしかけた事はありません。夜討ち朝駆けで押しかけられた時も吠えてくれました。泣いている時も中型犬の子も他の3匹も寄り添ってくれました。今でもそうです。特に主人が海外へ赴任中なので。1匹を除いてはマレーシアと中国で主人が拾ってきた野良犬です。私しかこの子達を守れる人間はいません。だから私が病院に行って悪い病気だと判明したら4匹は確実に殺されます。中型犬の子は手のかかる子で、あとの3匹は年寄り、足が不自由、片目が生まれつき無い子達です。私の生きる支えの柱の一本なんです。この子達無しでは生きていけません。主人にとっても大事な子達です。主人の海外での仕事が終わって帰国するまで何とか頑張りたいんです。本当はとっくに帰国しているはずでしたが。 どうか主人が完全に帰国するまで私が頑張れる様にお祈り頂けませんか?勝手なお願いで御免なさい。主人には具合が悪いかもしれないから帰国してくれなんて言えません。私の実の二親と妹に理不尽にも訴えられ傷つき、引っ越しで予定外の大変な額の出費をしました、私が原因で。それでも人間として接してくれています。これ以上ワガママは言えません絶対。迷惑をかけたくないです。

有り難し有り難し 4
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業というのは、本当にあるものでしょうか

私は不倫で生まれた子供でした。 未婚で生むことを決めた母を恨むことはありません。むしろ、生んでくれたから今の自分があると感謝しています。少しでも母に恩返しできるよう、努力しています。 しかし何か辛いことがあると、これは自分に与えられた罰なのかなぁ、と考えてしまいます。 小さい頃から、義理の父親やその親戚の虐待やいじめなどを経験して、強い人間に成長したつもりですが、つい胸のうちに暗い思いがよぎってしまいます。 私が母のお腹に宿らなければ、母も不倫の過ちに気付き、幸せな別の人生を歩んでいたかもしれない… この世のどこかに、私と血の繋がった父とその奥さんがいて、きっと私を恨んでいるのだろう(過去恋人にひどい浮気をされ、浮気や不倫がどれほど辛いか理解しました)…と。 それなりに色々と経験をし、その度にきっと大丈夫だと自分を励まし、弱くあってはならないと奮い立たせてきましたが、業というものがあるならこれからも苦難しか待ち受けていないようで怖いです。 どんな心持ちで、これから生きていけば良いのかわからなくなってきました。私は、幸せになれるのでしょうか。幸せになっていいのでしょうか。 重く暗い、この苦しみとどう向き合うべきなのでしょう。

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ドラえもん

たくさんの言語をマスターしたい! そして、たくさんの人たちとお話しがしたい! 知らない世界を知るのが好きな私。 国境や人種、とにかく壁という壁をぶっ壊したい!!! それを、どうやって叶えたら良いのか? いろいろ試してみました。 「これはなかなかいける!」と手応えを感じているものの中から、1つだけ伝授させていただきます。 その前に、挨拶代わりに、まず「From?」と何処から来たのか、聞いてみましょう。 例えば、この前は「Spain!Spanish!」と言われたので、「オゥ~!ハビエル・フェルナンデス!」と言って、笑って打ち解けました。 ここからです。 日本に観光に来られている外国の方々は、とても日本のことに詳しい! 親日的な方々がほとんどなので、あまり難しく考えずに、一言、心を鷲掴みにする言葉を伝えるだけでOKです。 それをするに効果的なのが…「どら焼き」です! 日本の庶民的な和菓子「どら焼き」。 これを持っていると、皆にウケてチョー楽しいですよ! 「Do you know ドラえもん?」 そう聞くと、大概「Yes!」と答えます。 アニメは日本の文化として広く知られていますからね。 「ドラえもん's favorite food…どら焼き!」 と「どら焼き」を差し出すと、すごく喜ばれます! 日本人だと、「ありがとう!」と言って、カバンの中に入れたりしますが、ほとんどの外国の方々が、その場で食べ始めます! 「Very Good!」と笑顔が出たら、掴みはバッチリです! 「ドラえもんは国境を越える」 すなわち「どら焼きも国境を越える」 結果、「国境が無くなる」 一度、皆様も試してみて下さい。 一気に目の前から様々な「壁」が無くなりますよ! こちらが「壁」をつくらなければ、日本人より外国人の方がフレンドリーなのか、すぐに打ち解けてくれます! 日本の「仏教の素晴らしさ」を、外国の方々に広める為にも、簡単な英会話だけは身に付けておいた方が良いと思います。 お寺さんに行くと、たくさん外国の方々がいます。 思い切って、話しかけてみましょう! お坊さまの皆様も、訪れる皆のハートを「どら焼き」で撃ち抜いてみませんか?

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アカウントの『私の煩悩:』の変更

初めてhasunohaを訪れた際、アカウントに『私の煩悩:』を記す欄があったので、何となく、ふと思い付いたことを書きました。 私が書いたのは、『よく「未来は自らの手で切り開くもの!」と言われるが、未来に希望が見出だせないでいる。』というもの。 ただ「解答用紙に、何か書かないと」というような思いだけで書きました。いい加減な書き方をして、すみません。 しかし、訪れて10日ぐらい経った今、「何か違う」「なら書き直そう」と思いました。ある投稿を読んだのがきっかけです。ここからが、私が未熟であるからこそ生まれた煩悩になります。 新しい『私の煩悩:』 (来世なるものを自ら決められるのだとしたら)次は男に生まれてみたい、という煩悩が生まれたこと 変更理由:①私が今、女であるから。②私は男として生きたことがないから。③なってみなきゃ分からないことがあるはずだから。 以上。 しかし、来世に、また人間として生まれてくる可能性も確率も分からぬまま、容易くそんなことを言えた義理じゃありません。もし人間になれたとしても、今の、現世の「女」の記憶が残っているものでしょうか。 以前、私は『プチトマト』というタイトルの質問を致しました。「私の前世はプチトマトだ!」と小2の私が直感的に思ったことを書きました。ですが、残念ながら「プチトマトの記憶」はありません。ただ「ハッ!」と閃いただけだったのでしょう。 今は、煩悩も「心境の変化は日常茶飯事」と同様の仕組みではないかと感じております。 哀しくも、女の私には、男のことは分かりません。それと同じように、男の人も、女のことは分からないのではないでしょうか。 「どちらが有利・不利」など、両者を経験した者にしか分からないことです。つまり、「そんなこと言っても仕方ない」「誰にも分からないのではないか」と思っています。 そんなことに腹を立てているから、「怒という煩悩」が生まれてしまうのではないか、と、只今感じております。 しかし、まず性別が「男と女しかない」と思っていること自体、『無知』であり『偏見』『差別』ではないでしょうか。 この時代に「男になりたい」「女になりたい」というのは、短絡的過ぎるような気がしてなりません。それなのに、私の頭にムダな煩悩が浮かびました。 どんなご意見でもご批判でも、受け止めます。皆様のお心の内をお聞かせ下さい。

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