久しぶりに地獄についてなのですが、 さっき何気なく地獄について調べたら、阿鼻地獄(無間地獄)のことで気になりました なんかよく読んだら、「五逆罪 謗法罪」というのがあり、特に五逆罪は父母、そしてお坊さんや悟りを開いた方などを殺してしまうと無間地獄行きとかいていたと思います。でも無間地獄=人殺しがおちる と思ってたのですが殺しの中にも殺生があって、それについて調べたら、命あるものをころしてはいけない。とあり、殺人者は五逆の罪に入ってなければ無間地獄行きではないのかな?と思いました。 僕の思ってたのは間違ってたのでしょうか?でもずっと前に地獄の絵本みたいなのがあったのですが「ひとをころすも2000年も真っ逆さま」とあって、これは阿鼻地獄(無間地獄)と関係してますよね。 五逆罪と殺生の違いがイマイチ把握できてませんでした。
聖天様を信仰しております。 毎日、聖天様のご真言千反をお唱えしております。 聖天様は自宅に仏像をお祀りすることは絶対にいけない(十一面様も軽くお祀りすることもよくない)と聞いております。 聖天行者様以外が、聖天様のお姿を見ることはよくないとも聞いており、ネット等にある仏像や仏画等も見ることはよくないとも聞いております。 毎日聖天様のご真言を唱える上で、仏像も画像等も意識におかず、お札のみに対して、聖天様をどのように意識して真言を唱え続ければ良いのか、どのように聖天様に意識を繋げていけば良いか、どうしても体感的にわかりません。 どのようにすれば良いのでしょうか? また、ご真言も含めお経も、本来は阿闍梨様にお授け頂いた上でないと、密教として越法罪になると聞きます やはり、ご真言を知っていたとしても、正式に阿闍梨様にお授け頂くべきでしょうか? もうひとつ、事情があり、ふたつのお寺の聖天様のお札をお祀りしているのですが、やはり、別々にご真言をお唱えした方が良いものでしょうか(おひとつは単身の聖天様、おひとつは双身の聖天様、また、おひとつの本地は十一面様、おひとつの本地は千手様になります) 以上、長々となりましたが、ご指導のほどどうぞ宜しくお願い致します
死んだらどうなるのでしょうか。 地獄や天国に行くのでしょうか。 それとも、輪廻転生して、人間や、動物に生まれ変わるのでしょうか。 仏教的にはどうなんでしょうか。
得度する前までの僧侶や、受戒について質問です。 仏教の勉強が趣味ですが、お寺の内部のことについてはどうしてもわからない部分が多いので、差し支えない範囲で教えていただけないでしょうか。 ①得度する前までは正式な僧侶としての活動はできないものかと思われますが、得度前の幼い頃から棚経を回られる方はしばしばいらっしゃるかと思います。その場合、何かしらの戒律を受けているかと思いますが、どの戒律を受けていますか? ②もし十戒であるとすれば、受戒の段階で沙弥となるという理解でよろしいでしょうか? ③受戒は何歳以上などの年齢制限はございますか?(宗派による部分はあるのでしょうか。) ④ 大乗戒を受けるためには、声聞戒のいずれかを受ける必要がありますか? ⑤得度前の僧侶が行うことのできるお寺の仕事を教えてください。 ⑥得度前の僧侶は袈裟を着ることができないと理解していますが、有事の際に着るものは僧衣という呼び名であっていますか? 根掘り葉掘りと聞いてしまい大変申し訳ございませんが、 ご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いします。
浄土真宗では仏法僧はどのように解釈されていますか? あるいは採用されていない考え方だったりしますか? 付け焼き刃の知識で申し訳無いですが 仏→お釈迦様 法→御仏の教え、真理そのもの? 僧→サンガの方たちみたいな出家修行僧集団? みたいな理解で良いのでしょうか…? 仏とは阿弥陀如来なども含む?としても浄土真宗では非僧非俗? そもそも浄土真宗では釈迦如来はどういう位置づけ? などの疑問があります。 お教えいただければ幸いです。
毎回、お答えしていただいてありがとうございます。 今回も、お答えいただけると嬉しいです。 今回は、正直自分でも気分はいいものではないですが・・、 お答えいただけると嬉しいです。 悪いことをしたら、地獄へ、いいことをしたら天国へ行くという認識が 世の中にはありますが、実際は良い事しようと悪いことをしようと、 行く場所は天国、極楽浄土とでもいいますが、実際そこに行けるわけではなく みんな地獄へ行くんですね。 仏教において~(ネットの記事等なので見た感じです)なんて言葉も調べたら出てきました。 生まれながらに、私たちは色んな罪を犯しています。 だから、良いことをたくさんしても、まるで意味がないように感じます。 とても気分は悪いです。抱えて生きていかなきゃいけない訳ですから・・。 辛いです。救いようがないです。 とても不安しかありません。どう生きていけばいいんですか。 教えてほしいです。お坊さんの皆さまよろしくお願いします。
2ヶ月前に父が亡くなりました。 自分が7歳のときに両親は離婚しております。 原因は父にありましたが、離婚後も家族で会ったりお出かけしたりしていたので、仲は良好でした。 当時はいつもまた一緒に暮らせないのかと、願っておりました。 大学に進学する際、近くに1人で住んでいた父の元で2人で暮らすことになりました。 嬉しかったのですが正直どう接したら良いのか分からず、戸惑い、距離を置いてしまいました。 しかし大学で馴染めず精神病にかかり、莫大な学費を父親が全て払ってくれたにも関わらず、僅か1年で中退しました。 その間もずっと、休学費用、生活費、病院費等全て父が負担してくれていました。 その後引っ越して一人暮らしするようになり、父と会う機会も少なくなりましたが、 父はいつも心配してくれていて、少なくない金額を振り込んでくれていました。 総額にしたら、結構な金額になると思います。 普通のサラリーマンだったのにです。 その父が1年半前くらいに家族で会った際 「癌が見つかった」と話しました。 私は心のどこかで「まだ大丈夫」「いつか治る」と思っていました。 或いは受け入れられなかったのかもしれません。 癌と聞いて、もっと会いに行ったり連絡をすれば良かったのに、 私はたまに 大丈夫?と連絡する程度で、特別なことはなにもしていませんでした。 そして数ヶ月前に複数箇所へ癌が転移。 2ヶ月前に亡くなりました。あっという間でした。 家族で最期を見届けることができたことは幸いでしたが、未だに後悔しかありません。 なぜもっと大学で頑張れなかったのか。 もっと仲良くしておけば良かった。 癌と分かってから、もっと会いに行けば良かった。 お金ばかりかけてしまって、謝りたい。 1番謝りたいことは、 父が亡くなったあとに知ったのですが、父は私が父のことを嫌っていると思っていたようなのです。 会って、その誤解を解きたいです。 葬儀の夜、父の遺品のネクタイで首を吊ったのですが、怖くて死ぬこともできませんでした。 そのとき、暑い夜だったのに異常に寒くなったので、もしかしたら父が傍にいたのかもしれません。 父に会いたいです。 会って今までありがとう、本当は大好きだったと伝えたいです。 父は、いまわたしの傍にいてくれているのでしょうか? まとまらず、長文で申し訳ありません。
義父の自宅に神棚があり、近くの神社でお預かりしている神様を置いてあります。 近々、義父と同居する予定で私達家族は二階に住む予定です。 私は昔から成田山新勝寺、川崎大師様のみ足を運ばせていただいてます。 神棚には色々な神様を置かない方が良いと聞いたことがあり、二階に置く予定ですが、違う神様が入ってきて大丈夫でしょうか? また建て替えの際、神棚と仏壇の場所は変えてはダメと母に言われました。そうなんでしょうか? 回答宜しくお願い致します🤲
私は過去に良いこともしましたが、悪いこともたくさんしました。例えば、人を傷つける言動をしたり、自分の思い出・過去を偽ったり… 今でもそのようなことをした報復が返ってくるのではないかととても恐怖を感じたり、「こんな自分が人から好かれて、家族や恋人に愛されて良いのか」と罪悪感を抱えて日々生きております。 このような気持ちに耐えきれず、先日はじめて私はこのサイトでつぶやきました。そして、私のつぶやきに対して「懺悔文を読みましょう」とアドバイスをくださったお坊さんがいました。 試しに懺悔文などを読経してみたら、なぜかとても心が落ち着きました。 心は落ち着かせることができましたが、罪を悔い改めるためどのような気持ち・心構えで懺悔文を読経すれば良いか、どなたか教えてください。
実家の菩提寺は浄土真宗なのですが、私は下記のようなことを体験してから、毎年比叡山延暦寺さまにお詣りをしています。 親世代は付き合いがあり、改宗は難しいと思いますが、私は天台宗に改宗したいと考えております。後継者がいないので、お墓もどのみち両親でおしまいになるかと思います。 しかしながら、近辺で天台宗のお寺にご縁がなく、どのように改宗手続きをすればよいかわからないでおります。 どうかよいお知恵をお貸しくださりますよう、お願い申し上げます。 死んだ祖母が初7日の頃、私と弟の名を呼びながら、実家を彷徨う夢を見ました。 当時所用があり、滋賀県に滞在していたことから、翌朝比叡山延暦寺さまにお詣りし、お薬師さまに祖母をお願いしたところ、翌週、少し若返った祖母が綺麗な服を着て、真新しい桧風呂の前でニコニコしている夢をみました。ちなみに、私は入れないといわれました。 30日位には、紙の戸籍に祖母が死亡したことが載った夢を見たため、行くところに行ったのだ、と認識いたしました。その後は大きなお寺さまで修行をしているような夢を何度か見ました。 死ぬ直前は本人の意に沿わないまま施設に入れられたり、と不遇に過ごしていたため、死んでからとはいえ、お薬師さまに導いていただき、まっとうなところにいけたのでは、と今でも感謝しております。ですので、是非ともお薬師さまとご縁のある天台宗へと改宗したいと考えております。 何卒よろしくお願いいたします。
7月に夫が急死し、49日の法要を済ませました。 浄土真宗では亡くなった人はすぐに成仏する、と聞きました。 お尋ねしたいのは、故人を思い出したり、あたかも、故人がそこにいるように話しかけたりするのは、故人にとって悪いことにならないか、ということです。 家の中のあちこち、外出先の車の中、夫といつも一緒にいたので、どうしても話しかけたりしています。 義実家の仏壇には週に一度、分骨していただいた手元供養の小さい骨壷には毎朝毎晩手を合わせ、話しかけたりしています。 仏壇やお墓以外で故人に話しかけたり、思い出したりすることで、故人が苦しんだりはしないですか? くだらない質問になってしまいますが、ご回答何卒よろしくお願い致します。
今年の2月に母が亡くなり、私は嫁いだ身ですが 私の家に母の位牌と仏壇があります。 (父と兄と主人に頼み、快諾してもらいました) 父は2年前に老人ホームに入居して、母が一人で住んでいました。 母が亡くなり、今実家は誰も住んでいません。 私が1日おきに実家に行き、掃除など風を通しています。 実家には祖父の位牌と祖父の先祖代々の位牌があります。 祖父は真言宗です。 (父方の祖父母は、父が10代の頃に離婚しており、 その後は全く音信不通でしたので、 母も兄も私も、お棺の中の祖父が初対面でした。) 母は浄土宗です。 初盆供養に来て下さるお坊さんに相談させて頂き、 祖父と先祖代々の位牌を私の家に持って来て、先祖供養もして頂きました。 祖父にこのまま私の家に居て貰おうかなと思っていますが、 仏壇には阿弥陀様がいらっしゃいます。 祖父の御本尊はどうすれば良いのでしょうか? そのまま実家の仏壇に居て頂いても良いのでしょうか? 祖父は来年三十三回忌です。 来年閉眼供養をして頂くつもりですが、せめてその時まで 誰もいない実家よりは私の家の方が良いのかなと思っているのですが、 孫とはいえ、生前会った事もない私の家じゃ居心地悪いかなとも思い どうするべきか考えています。
はじめまして。 29歳、浄土真宗のお寺の長女です。 ここ数年我が家では後継者の話題になることが多いのですが、私は今の仕事を続けたいと思っているので、自分自身が僧侶として働くことは難しいと思っています。 私が結婚して、夫となる方がお坊さん、またはお坊さん志望で継いでもらえたら嬉しいのですが…一般的な婚活に何度か参加しましたが、この話題を切り出すタイミングが難しく、うまくいってもお寺のこと言うと振り出しに戻ってしまいました。 職業で結婚相手を選ぶなんて!と周りに言われたこともあり、「お寺を継いでくれる人と結婚したい」や「お坊さんやお坊さん志望の方と結婚したい」とも言いづらくなってしまいました。 ですがお寺を継いでもらえるとしても、それだけですぐ結婚するのではなく、時間を設けてお相手の方とはきちんと向き合って一緒に幸せになれるように私の方から努力していきたいと思っています。 独身のお坊さん、またはお坊さん志望の方とはどこで出会えるのでしょうか。 紹介などしてもらえる場はあるのでしょうか?(お寺の婚活サイトにも登録しましたが、養子に入りたい方は人数がとても少なかったです。) よろしくお願いいたします。
毎年お盆が来ると、仏様が普段どこにいるのかが気になります。 お盆の時のみ迎え火、送り火などをして仏様を迎え送りますが、その他の日はどこにいるのでしょうか?? 宜しくお願い致します。
私の罪をお許し頂くために、お坊さんに個別で直接お会いしたいのですが、このご時世では無理でしょうか。
今、大学で、全然宗教とは方向性が違う学部を選考してやっていますが、この時点からどうすれば、お坊さんになれるのでしょうか? 大学は中退した方が良いですか? 正直、真面目に就職して社会と自分を無理矢理結びつけるよりもお坊さんになって大自然の中で悟りを開く修行に打ち込んだ方が自分にとって有意義だと感じた為です。
お坊さんにも、悪いことをしたことがありますか? 間違ったことをしてしまったこともあるのでしょうか? 昔の罪や自分を許せないことはありますか? 過去の自分を許せない時、どのように立ち直れば良いのでしょうか。 私は悪いことをした自分が目標の仕事に就きたいなんて思っていいのか、と自分を責める気持ちがあります。 お坊さん方も、自分がお坊さんになることに対して躊躇した経験や、自分がこの仕事をしていいのか、と考えたことはありますか? お坊さんは善人というイメージが個人的に強い様に感じます。しかしハスノハの回答を見ていると、お坊さんでも過去に罪を犯してしまった方もいるようです。 私のなりたい職業よりも、お坊さんは善や心、道徳を大事にする部分が多いため、葛藤もあったのではないか、と疑問に思いました。 罪を犯した自分が夢を追いかけることに対してどうしても罪悪感が拭いきれないため、お話を聞かせていたたけたら有り難いです。 どのようにして罪や過去の自分、今の自分、そして仕事に向き合っていますか? 僧侶や仏教、宗教というものにあまり詳しくないため、検討違いな文章になっているかもしれません。 僧侶を職業だと認識して、仕事として書いておりますが、お坊さん方は「仕事ではない」と認識されているかもしれません。 知識不足でご不快な文章になっていましたら申し訳ないです。
仏教について調べていると、葬式とその後の供養が最重要トピックの用に扱われているのが不思議です。 親や先祖の供養ってそこまで大事なのですか? 血縁ってそこまで重要なのかしら? 先祖供養は儒教ではないのかしら? いえ、私も木の股から生まれたわけではないので、縁なり因果なり何かしらあるのだろうとは理解はしていますが。 この世に産み落としてくれたことは有り難いのですが。 血のつながりばかり大事にしなくてもそこかしこに縁はあると思うのです。 個人的に家族の縁が薄いこともあり、 親や先祖のことはよく知らず供養もしていません。 私の死後供養してくれるものもおりません。 しかしそんな私が死んだ時も 仏さまなら何とかお慈悲をくださるのではなかろうか というのが信仰を持ちたいと思った動機なのです。 「私と仏さま」の話ならわかる気もするのですが「私と先祖と仏さま」の話がよくわかりません。 先祖供養が必須なら、親のない人間は仏さまに救っていただけないのでしょうか。 そもそも私の理解が間違ってるのかもしれませんが、 苦しみの多い輪廻の輪から解脱するため修行をしよう、また大乗仏教においてはいろいろな仏さまの力を借りたりおすがりして解脱にいたろう、 というように仏教的な死生観を解釈しています。 修行が足りず仏さまとの縁も結べなければ輪廻の次の段階に進むでしょうし、 宗派によっては生前から成仏しているわけですし 浄土系の宗派では阿弥陀さまのお慈悲によって極楽往生できるでしょうし…。 死後、死者の行く末に関して、生者はどれだけの干渉ができるのだろうか、というのが疑問です。 それは死者本人と仏さまの間の話ではないのかと思います。 そうすると供養とは何のためにするのでしょうか。 お教えをいただければ幸いです。
先月母が亡くなりました。 父から葬儀の事に関して、丸投げされていたので、私が葬儀屋さんに電話し、喪主を勤めました。 葬儀屋さんと打ち合わせ中に、お寺のお坊さんがいつ葬儀に来てくれるか電話するように言われました。 お坊さんに電話したら、“枕行に行きたい“と言われました。 今朝母が亡くなった事で気持ちが動転していて、葬儀屋さんとプランの話し中だったことで、また後で電話すると言って電話を切りましたが、私は電話をするのをすっかり忘れていました。 それから2〜3時間後にお坊さんから連絡があり、お坊さんを怒らせてしまいました。 母の戒名を考えるために明日、寺に来るのかと言われましたが、私は逆ギレしてしまい、上から目線だとお坊さんに言ってしまいました。 うちにはお金も無いと伝えました。 私のほうからお坊さんに用事があって電話したのに、逆ギレしてしまうほど、まともでは無く、冷静ではありませんした。 葬儀の日に待合室で、“待てど暮らせど電話がなかった。自分から連絡してきて、あの態度は何だ。枕行をやらなかったのは初めてだ。“ともっともな事を言っていました。 今日は母の49日でした。 お経を詠んでもらい、お話しを聞いていましたが、お坊さんは私とは目を合わせませんでした。 お話が終わると、お坊さんさんは烈火の如く怒り始めました。 “何故遺骨を持ってこない?こんな事は初めてだ。“ “何故49日の打ち合わせに来ない?今日は来ないかと思っていた“ “枕行をやらなかったのは初めてだ“ “お父さんは萎縮してしまって、あなたに何も言えない“ “自分のやりたい事だけをやって、周りに迷惑をかけている“ “枕行しに行きましょうかと言った日は、もっと若い女性が悩んでいるのかと思ったら、36歳だったなんて!“ “あなたがした事で、お父さんは謝っているのを知っているか?“ “葬儀の時にお布施5万、御膳料5千円、御車代5千円の6万だったけど、0が一個足りねぇよ“ と親族の目の前で言われました。 お坊さんの大きな声で何故何故といわれて私は何も言い返すことができませんでした。 私の実家はこの先墓じまいになります。 母の遺骨はそこには入れたくありません。 お骨は私の家にあります。 来年の一周忌、3回忌、七回忌…毎回このお坊さんに会うと考えると気が重くなります。