hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

お坊様を信用出来なくなりました

このようなタイトルを掲げてこちらへ来るのはとても勇気がいりましたが、お坊様側からの見解をどうしてもお聞きしたく質問させて頂きます。 6年前の父の火葬の際、檀家になっている寺の住職がお経を唱えた後、「貴女方お金無いんでしょ?30万円を20万円にしてあげますからご安心を」と周りに人がいるのも憚らず非常に通るいい声でおっしゃられました。 確かに我が家は貧しいのですが、お布施も苦しい生活の中からきちんと納めていましたし、今回の葬儀も安くしてくれとは一言もお願いしておりませんでした。気を使ってくださったのでしょうが、仏に支えるお坊様からお金の話が火葬場で出るとは開いた口が塞がりませんでした。 火葬場まで高級外車で乗りつける姿にも違和感を感じましたが、こんなお坊様は今時そんなに珍しくないのでしょうか? 寺での葬儀後も納骨にはいくらいくら、石材店にはこのくらいと、始終お金の話が絶えずさすがに腹が立って仕方ありませんでした。父を亡くして悲しんでいる家族にビジネス丸出しの言葉ばかりの住職に対し不信感しかありません。 先代の住職は緋の衣を纏うほどの立派な方との事で、祖父の代から檀家になったそうです。 現在の住職はゴルフはするし、高級外車を何台も駐車場に並べています。おまけに意味のない鐘突堂等の建築にも力を入れておられます。 そして肝心の寺の設備と言えば、檀家用のおトイレは和式のままでバリアフリーとはなんぞや?のような古寺です。 あれではお年寄りが気の毒です。 お布施や寄付は一体何に使われているのでしょうか? どんなにありがたい仏様のお話しも耳に入りません。 檀家離れが騒がれる今日、こうした生臭坊主が時代にそぐわないお金儲けに走っている事が原因なのか、そもそもコロンブスの卵のように檀家が減るからお金儲けを始める坊主が出てしまうのか どちらが先か分かりませんが、墓終いをしたくても今度はいくら吹っ掛けられるか怖くて相談も出来ません。 仏の名を借りたそれらしい説教をさ れそうで怖いです。 お寺って昔はそんな人を見下したりする所じゃなかったのに…と悲しみと怒りと今後の不安で夜も眠れません。 私は元々お墓参りやお盆、彼岸の古来からの習慣を大切にしてきました。金金金のお寺さんを目の当たりにして、今後続けていく気持ちが無くなりそうです。どうぞお導きのほどよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 110
回答数回答 4

属すべき仏教宗派が分かりません

見ていただきありがとうございます。 タイトル通りの質問をさせてください。 私は自分に(普通に生活をしているだけですが)仏教徒という自覚があり、 出来れば自分がどの宗派であるのかも名乗っておけるようになりたいのです。 私の母親(母方の家系)は曹洞宗であり、 父親は宗教全般が合わないと感じるのか無宗教を名乗っています。 私が継いでいるのは父方の家系なので、本来であれば 祖父(故人)の宗派である浄土真宗を名乗るべきなのでしょう。 しかし、浄土真宗は私と考えがあまり合わず、 葬儀での作法も少し面倒になるそうなので、親戚への負担を 考えると納得がいきません。 唯一父方の家系で生きている父方の祖母が天理教に傾倒しており、 会って口を開けばお前は馬鹿だという罵倒や学歴の話とマルチ商法などの 話ばかりをする人なので…連絡を取りたくないです。 父親も私も今はそれを避けるようにして父方の家系とは疎遠です。 そこで質問なのですが、 私はどの宗派を名乗り属せばいいのでしょう? 好きにしてしまってよろしいのでしょうか? 墓地や寺に関してはいつも宗派不問のところに お世話になっているので大丈夫そうなのですが。 可能ならば、考えが合う人や優しい人が多いと感じる 曹洞宗に属したいのですが…

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

浄土真宗と日蓮宗の違いについて知りたい

よろしくお願いします。 私の父方の家は浄土真宗、母方は日蓮宗です。 私自身は幼稚園からキリスト教の学校に通わされました。 いかにも宗教感に鈍い日本人の家庭といったところでしょうか。 しかし、親も高齢になり、自分は長男でもあるため、家を継ぐことになるのですが、肝心の仏教の教えが全くわかりません。残された仏壇に対してどういう風に毎日向き合えばいいのか、どのような決まりがあるのか、無知な状態です。本を読んでも今まで葬式くらいの時しか自分は関わっていなかったため、自分一人になった時、どのようにすればいいのかわかりません。 親は毎日、仏壇にお供え物をしてお祈り(表現が正しくないと思いますが) しています。南無妙法蓮華経とか南無阿弥陀仏とか念仏を唱えていますが、 私はきっと人に教えてもらわないと意味が理解出来ないと思うのです。 どういう風に仏教を勉強してこれから向き合っていけばいいのでしょうか。 浄土真宗と日蓮宗の教えとは何でしょうか。宗派が違っても仏教はうまくやっていけるものなのでしょうか。それともうちの家が特殊なのでしょうか。 キリスト教ではカトリックとプロテスタントはかなり教えが違い、結婚生活を続ける上でどちらか一方に合わせるということを聞いたことがあります。 あと、非常に失礼な質問かもしれませんが下記教えてください。 親は時々身延山というところでお守りを買ってきています。有名なお寺なのでしょうか。 また、元嫁の母(義母、キリスト教)に、私の家は仏教ですよ、といったところ、仏壇に誰を祭っているのかと聞かれ、私は答えられなかったのでその質問をそのまま私の母に伝えたところ、誰を祭っててもいい、失礼な質問する人ね、とかなり怒っていました。その怒りの要因についても私は理解できないままです。 長くなってしまいましたが、もうアラフォーですが、自分のルーツと向き合うためにも仏教について少しづつ学んでいきたいと思います。 よろしくお願いします。 親も宗教観を押しつけるようなことはしてこないのでこちらからも質問はしにくい部分があります。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2

師僧について

自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。 そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。 しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。 更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。 そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。 自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。 でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

亡くなった人はどこにいますか

よろしくお願いします。 母は生前いろいろな苦労をして、私も母に楽な暮らしをさせてあげられず、せめて来世は幸せになってほしいとの願いで日々仏壇に手を合わせています。 ただ、一方で疑問を抱いています。 四十九日で亡くなった方の魂の行先が決まると解釈しています。となると、既に母が誰かに生まれ変わっているのであればもう私の母としての魂はいないのでは? だとすると、拝んだり母に話し掛けても受取る人はおらず、初盆だとかお盆にご先祖が帰ってくるとかいっても(もうみんな生まれ変わっているなら)帰ってくる人などいないのでは?と思うのです。 そう思うと母が亡くなった時に親戚や知人が私に掛けてくれた、先立った母の兄弟や両親が母を迎えに来てくれてるから大丈夫だよとか、姿は見えなくてもいつでもあなたのそばで守ってくれているよとか、また会えるよとかいう言葉が虚しくなりました。 母が別の誰かとして幸せな新たな人生を踏み出しているなら勿論嬉しいです。ただ、私は誰に、何に、祈ったり笑い掛けたりしているのかと寂しくなる時があります。 勝手な想像で、母の両親兄弟、夫(私の父)らと所謂「あの世」で穏やかに暮らしているイメージを抱いたりしますが、それは四十九日の意味合いと矛盾します。 仏教では、現在母はどのような状態にあるのでしょうか。私の気持ちはもう母には届いていないのでしょうか。 或いは、私が心配を掛けてしまって母が気にして幸せに生まれ変われないなどということはないでしょうか(だとしたら話し掛けたりしない方がいいでしょうか)。 浄土真宗の住職をしている友人がいるので、できれば浄土真宗以外のお教えをお聞きしたいです。 取り留めのない長文で申し訳ありません。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2

浄土宗信仰について

夜遅く申し訳ございません。 僕は今年26歳になります。浄土宗総本山知恩院おてつぎ運動にも参加しています。 毎日勤行は行っています。 家族親族にいつも言われるのは、なぜそこまで若いのに仏教に興味あるのか、仏教を信仰するのは年老いてからだと。 信仰の自由を知らないんですかね。歳が何歳でも、仏教、浄土宗の教えを信仰してもいいですよね。 なぜ浄土宗かといいますと、出身の高校が浄土宗系の高校であったため、浄土宗の授業がありまして、そこで興味を持ちました。 心理の学校の先生でも、融通念仏宗の僧侶をされながらカウンセラーをされておられる方がいらっしゃいます。 その先生とはすごくお話していて面白いのでいつもお話をしているんですが、僕がこの歳で仏教信仰するのはおかしいですか、と尋ねたところ、驚いてはいらっしゃいましたが、すごく受容してくださり、こちらとしては嬉しいという答えをもらえました。 しかし、まだ自分の中にはほんとにいいのかなという気持ちがあります。ひとりで法然上人二十五霊場の寺院を訪れ、参拝し、御朱印をいただくのが好きなんですが、やはりそこらへ行けば周りの目が気になります。 なんで若いのにここに来てるの、という目線を感じます。 最後に、この歳で自ら菩提寺を探し、浄土宗の教えを信仰することはおかしいことでしょうか。 長文、ご拝読ありがとうございました。 合掌

有り難し有り難し 17
回答数回答 3

父の死

先月父を亡くしました。 本当に仲の良い家族で、いつも一緒にいました。家族思いの父が本当に大好きです。父はいつも周りから羨ましがられているくらいでした。 その日も普段通り仕事から帰ってきて、たくさん話をしました。いつも通りの夜でした。頭が痛いと言って普段から頭痛持ちなので、暑さもあり、水分を取るようにお茶を渡したり薬を渡したりしました。本人もマシになったようで、ご飯を食べたりしていました。 夜中に変ないびきをしていて、見に行くと意識がなく、すぐに救急車を手配しました。 病院までなんとか頑張ってくれましたが、亡くなりました。 なんの覚悟もありませんでした。 私含め、家族みんな信じきれない様子です。いつも帰って来る時間に帰ってこない、座っている場所にいないのが辛すぎます。 私が夢を叶え、もうすぐ働く姿も見せられなかったし、定年後、行きたがってた海外旅行にもいけませんでした。後数年で定年だったのにと思うと私達のために精一杯働いてくれた父が無念でありません。亡くなったことも本人は気づいているのか、、などずっと考えてしまいます。 私たちが精一杯生きて、いつか大好きな父と再会できますか? 父は亡くなった愛犬とも再会できていますか?

有り難し有り難し 11
回答数回答 3

得度に関して

大学院に通う22歳です。 将来、浄土真宗本願寺派で得度させていただきたいと考えています。 しかしながら、実家は寺院ではなく、無宗教で所属寺院もなければ、現時点で私は門徒でも無いため、どのように立ち回ればよいのか悩んでいます。 近隣に本派の寺院はあるのですが、学生の身分で足を運ぶのはすこし勇気がいることで、なかなか難しいのが現状です。 もともと宗門大学で4年間仏教について学び、より深く学びたいと思ったため、今年4月からは同大学の大学院に進学しました。 得度したいと思うに至ったのは、僧侶として生計を立てていきたいという訳ではなく、この大学で4年間過ごしてきたなかで様々なご縁を頂き自分の中で信仰心が芽生えたこと、またもっと深く知りたい学びたいと思ったこと、そして自らが仏教をこの先も研究していく過程においてやはり実践者として知見を心得ることは重要になるのではないかと考えたからでした。 正直なところ、このような動機で得度したいと言って良いのか、お門違いで身のほど知らずなのではないか、と考えることもあります。この点についてもご意見を賜りたいと共に、こういった場合はどのように動き、ご縁をいただくのが良いのか、ご助言をいただきたく思っています。 何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 32
回答数回答 2

地獄、輪廻転生について

長文失礼します。Youtubeで地獄という動画を見て個人的にどうかなと思ったので質問させてもらいます。 よく自殺したら地獄へ行く。両親より先に死んだらさいの河原で石を積みあげ、無益な殺生や戦争などで人を殺したりするとそれに対応する地獄へ行き罪を償うと拝見しました。また転生の際は前世の行いによって生まれ変わる条件や生物までもが決められると知りました。欲深く生きていると豚、嫉妬深いと蛇といった感じでした。私にはそれが理解出来ません。 皆仕事や受験で他人を蹴落として上に上にと高みを目指し時には他人を恨みそして欲望の限りお金を儲ける。無益な殺生であれば蚊やゴキブリといった虫を誰もが殺すし戦争であればお国の為にと戦った兵士が何故地獄へ行くのか。自殺した人が地獄へ行くのもどうかと思います。現世でいじめやパワハラ、生きにくい世の中に絶望してその人にとっては楽になりたい、この苦しさから逃げたい、生きている方が地獄だという思いで自殺すると思います。なのに死んでからも地獄は理不尽ではないでしょうか?両親より先に死ぬのにも病気や事故、天災といった理由でもさいの河原で石を積みそして地獄へ行くのはおかしいと私は考えています。 地獄、あの世も時代と共に変化する必要があるのではないでしょうか?自殺した人で地獄へ行くのは殺人などの重い罪を償わず逃げる為に自殺した人は地獄へ、現世で苦労した末に自殺した人は次の人生では幸せな人生を送れるようにするべきです。また仏様はその人が越えられない壁は人生に作らないと聞きましたがその人が壁を越える事ができなかった時のことは考えているのでしょうか? 是非、お坊さんの意見を聞きたいです。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

お坊さんが怖いものは何ですか?

物凄い盛況ぶりのなか、くだらない上に、人によっては失礼と感じられるかもしれない質問ですみません…; 私は趣味で漫画を描いていて、お寺に関連するキャラクターもいつか描いてみたいなと思っています。自分なりに色々調べているのですが、あくまで趣味の範囲のものですので、直に取材に行くようなことはなく…この度、快適インターネットでお坊さんに直接聞けるサイトがあるということで思わずおおっ…となってしまいました。 いつもお世話になっているお寺さんのご住職から、祖父が亡くなった時に「今まで好きだった人が亡くなった途端に不浄な存在になるわけないだろう」と言われ、葬儀場に泊まるのをずずいっとされた経験があります。 確かにその通りで、昨日までおじいちゃん死なないで~とか言っていた人が怖い存在になるわけではないと納得はしたのですが、それでも10年たった今でも葬儀場の横を通るのはなんだか怖いし、無人の集合墓地とか、廃病院の感染症病棟の跡とか、かつて生きていた人がいる場所を通るのはちょっと怖いです。だからといって、不浄だから?と聞かれると、不浄とは…?となります。 そこで思うのは、毎日敷地内にお墓がある環境で生活していらっしゃるお坊さんが言う「不浄なもの」って実際は何ですか? お坊さんが怖いものってあるんでしょうか?…不浄なものですか…? また、その「不浄なもの」というのはホラー映画や漫画等に登場するキャラクターの中に存在するのでしょうか? 長くなってしまってすみません。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 49
回答数回答 2