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hasunoha 問答検索結果 : 「 供養 」
検索結果: 4584件

先日母が急死しました。母親は納得できているのでしょうか

らららら社交的で、思った以上に頑張り過ぎてしまうことが多く頼まれて断りきれず始めたラーメン屋さんの仕事、、ボランティアでしてた国税調査 孫の面倒 辞めている会計士の頼まれた仕事ほか多数、本当にするべき事が多すぎて忙しかったと思います。いつも、走り回り誰かのため自分の事は後回しにして、人のために走り回る母でした。亡くなる前の日、私は次の日子供を見てたもらうため実家に泊まっていました。お風呂入ってる最中に脳内出血が起き朝お風呂場で倒れてるところを見つけました。朝父親が叫ぶ声に慌ててお風呂場に行きました。給湯の音が夜中にもなっていたのは知ってました、、でも、、また、夜中にお風呂に入ってるんだなとしか思わず見にも行きませんでした。お風呂に入らなければ、入ったとしても私がすぐに気になって見に行っていれば、どーにかなったのではと、、なぜ見に行かなかったのか、、そんな事ばかり考えてしまい 母の最後があまりにも虚しく。前の日の夜、風邪気味で熱も少しあったため、、早く先に寝てねーっと言ったのが最後、、お休みと目も合わさず、しんどそうに部屋に行きました。あの頃から、もう予兆は見えてたのかもしれません。、でも、何を言っても後のまつりです。母は帰ってきません。時間よ取り戻したいと何度も思いました。父のことも心配です、急だったため、なんの心構えもなく、お風呂場で目に入った光景は、未だに忘れられません。ただ父親と一緒に母の死を分け合えたこと、死を2人で受け入れ救急車を呼び兄夫婦を呼びに行ったり、父親とお風呂場での時間、、あれを父1人ではなく私も一緒に分け合えたことが、なにより良かったとは思います。 母が一番びっくりしてるのではないでしょうか、私は、まだまだやらなければいけない事がいっぱいなのに、死んでられないって、、なんで死んだのって、、1番悔しいのは母ですよね、、孫の面倒をお願いし過ぎてたなと、、母は自分の事はさておき、私や子供達の事を1番に考え本当に助けてくれました。わたしは母に大した事何1つしてあげれてないです。旦那の実家はわたしのいま住んでる所から4時間ほどです。そちらに引越ししようかと言ってる所でした。母に行ってらっしゃといわれてるのか、、こちらで生活しなさいと言われているのか、、私はもう孫の面倒を見れないから、旦那の実家に行きなさいと死をもって教えてくれてるのかと思ったりしてます。

有り難し有り難し 35
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愛犬が私の誕生日に亡くなりました。

相談させていただきます。愛犬が先日、私の誕生日に亡くなりました。 私たち夫婦には永く子宝に授かれず。子供は諦めようと決めて、飼うことに なった家族です。 しかしほどなく奇跡的に子宝と新しい家族にはもったいないくらいの家まで 購入し、家族仲良く夢のような時間でした。親族も私たち夫婦も彼(愛犬)がこの福をもたらしてくれたのだと信じてやまないほどでした。 愛犬はわが一族の中でも、(犬)というよりその愛嬌からも初孫のように可愛いがってもらいました。私たち家族も(犬)ではなく、(長男)だとしか思えない そんな存在でした。 ここ数年、私の人生でも最大の転機というか不運が重なる出来事が次々あり正直、やっと乗り越えられるかと希望が持てるような状況になったのですが、それと前後して愛犬が急に体調を崩し、あっという間に亡くなりました。私の誕生日に。 今思えば苦しい時期もお互い慈愛の眼差しを絶やさず共に生き、これからというタイミングでなぜ(その日)を選んで逝ってしまったのか? これからたくさん恩返しをしたかったのに。 彼(愛犬)が何を言いたかったのかと。日々悩み答えが見つかりません。

有り難し有り難し 45
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後悔しかない父の死

突然、眠ったまま父が亡くなりました。 お酒を飲みにでかけ、帰宅してソファーで寝てそのまま明け方に亡くなったそうです。 私は父とはあまり会話をせず、母とばかり話していました。父は頑固で変わり者でした。 実家から徒歩1分のところに私は子ども2人と住んでおり、子供を連れてよく母に会いに実家に行きます。 亡くなった前夜も子供たちだけ母の実家に行って遊んでいて、あたしは迎えにだけ行きました。 奥の部屋で寝てる父とは会話もしませんでした。そのまま眠って亡くなるとも知らずにです。 次の日に父が亡くなったと出勤中に電話があり頭が真っ白になり整理できませんでした。 いざ硬直している父を見ると心がポッカリ穴が開いた状態になりました。 警察に連れて行かれ、自宅に帰ってきて父の遺体を横にして後悔の念が溢れてきました。 もっと喋れば良かった。もっといっぱい一緒にいたかった。 私は父ときちんと会話することさえしていませんでした。 私の子供にチョコレートをあげようとしたりすると、まだ1歳だからあげないで!と怒ったりすることもよくありました。でも父は父なりに私の子供をとても可愛がってくれていました。 私は父に[お母さんはどこ?あ、いないのか。それなら帰るわ。』という会話しかできていなかったと思います。 今考えれば、母がいなくても父とももっと子供たちと遊ばせて私も会話したかった。 突然逝ってしまった父の存在はじわじわと私の中で大きくなり、こんなに父の存在が私にとって大切なのかと今更気付かされたのです。 私は父が嫌いだと思っていましたが、本当は大好きでした。 好きで好きでたまらなく、いまも喋りたくてしょうがないです。 明日お通夜です。 父はもう起き上がりません。話すこともできません。 私は後悔しかないです。 もっと父と話したかった。 ごめんね、ありがとうと言いたい。 なんとかして想いだけでも面と向かって話したい。 この一生分の後悔と父への思いはどうしたら良いのでしょうか。

有り難し有り難し 8
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心のたもち方を教えてください

最重度知的障害で強度行動障害の息子がいます。現在26歳です 私は母に「あんたなんかいらない。何も自慢できるところがない」と言われ育ってきました。息子が産まれ、「私はあなたを愛してるし、ぜったいに捨てない」と、思って今まで育ててきました。 母に疎まれたことは息子を受け入れる力となり、母に愛情をもらえなかったことは息子を育てる力となりました。 過去の辛さは今を生きる力となっている。 すべてがつながっていると、感じてはいます。 息子を育てていて、正直本当にどうやって暮らしてきたのかと、思い出せないほど大変な日々でしたが、私は今、息子によって成長させてもらっている、魂を磨いてもらっていると、思っていました。 又、つらいことばかりではなく、たくさんのやさしさや、あったかい手も差し伸べてもらいとても、心豊かにさせていただいたこともたくさんあります。 決して私だけ不幸だとも思ったことはありませんでした しかし、最近私の体調が思わしくなく、入院したり、救急車にお世話になることが何度かあり、通所施設でも「もうそろそろどこかに入所を考えたほうがいい」との、助言を頂き施設を探し始めましたが施設は見つからず、 私が入院しても受け入れ先はなく、行政に相談員さんが働きかけても、動いてはいただけませんでした。結局、私は医者が止めるのも効かず痛みが引けたからと、退院してきた次第です ヘルパーも、障害が重く、行動障害があるため受けてくれるところもなく、そんな中、周りでは軽い方々が施設に入り、親は今までの苦労が報われたかのように人生を楽しんでします。 どうして本当に手助けを必要としているところには手を差し伸べていただけないのでしょうか行政に働きかけても、空きがありません。施設との契約ですので施設がうんと言わなければ入れません。 との回答です。 どこでも人手不足、少ない職員で安全に見るにはおとなしい手のかからない子が優先となるようです。 いつまで私が面倒を見れるのか、私がいつまでそばにいてあげられるのか、親が死んだら、誰かが面倒を見てくれるのか? 親の責任で親に力があるうちに、息子を始末するべきなのか? とも、いけないこととは思いますが考えてしまいます。 すべてから解放され第二の人生を楽しんでいる友人たちがうらやましくないと言えばうそになりますが、それ以上に親亡き後が心配です。

有り難し有り難し 11
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お通夜で口論になってしまった

先日、兄弟の義親が亡くなったとの知らせを受け、私は遠方に住んでいるので葬儀場と日時が決まり次第ホテルと交通機関を手配しました。勿論お通夜と葬儀に参加する予定でした。 しかし、旅行会社の手配が済んだ後に、「大変だから葬儀には来なくて良い」との連絡が兄弟からありました。そのため私はお通夜にだけ参加し、葬儀の日には夕方まで時間を潰して帰宅することにしました。釈然としない思いでしたが、故人の方は血縁者ではないし、ほとんどお会いした事のない方だったので、一般客扱いになるのかなと自分なりに理解しました。 お通夜当日、私は朝から喪服や靴や様々な物を持ち電車に揺られて式場へ向かいました。ホテルで着替えて休む間もなく式場へ向かえば、15分前には間に合う予定で、実際に間に合いました。 ところが、スマホを手に取ると兄弟からラインが来ていて「親族扱いになるから、着いたら連絡して」とありました。着信は約2時間前、私が大荷物と格闘しながら電車を乗り継いでいた時間帯です。当然気がついていませんでした。 慌てて電話を入れると、「なーに⁈今頃着いたの‼︎」と、ひどく怒った兄弟が出ました。その後、受付まで出てきた兄弟は「アンタは親族扱いだって連絡したでしょ‼︎‼︎」等、物凄い剣幕でまくし立てました。 この人は今余裕がない。冷静に。大人の対応で… 一生懸命自分に言い聞かせていましたが、とうとう私もキレてしまいました。その後は大変後味が悪く、故人を悼むために遠路はるばる来たはずなのに、一体何をしに来たのだろうと、泣きたい気分でした。 今思い返しても、どこが悪かったかよく分かりません。 「大変だから来なくていい」というのは私を気遣ったのではなく、葬儀を準備する側が大変だから、お通夜の参列自体迷惑だったのか? 故人の方が私の親族に当たるとして、葬儀に「来なくていい」ことはあり得るのか。 親族の通夜で、15分前に式場に着くのが受付で罵倒されなければならないくらい失礼だったのか? 何分前なら常識の範囲内だったのか? 心の整理を助けてもらえると嬉しいです。 ちなみに兄弟と近距離にすむ私の両親は、小一時間前には式場に到着し、自由に時間を潰していたようです。葬儀への列席も断られる事もなく、「来なくていい」と言われた私の話を聞いて驚いていました。

有り難し有り難し 26
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彼の自殺が受け入れられなく、悲しみから抜け出せません

年下の彼から、「一緒にいても、俺は幸せになれない。」と、一方的に別れを告げられたのが、7月半ばでした。 私が勤めている会社のお客様でもあった彼が、会社に来たのが8月あたま。 彼との別れは本当に辛かったのですが、年上の女を演じて、笑顔で話すようにつとめました。 その時、少し寂しそうに見えたのですが、私に対して気まずい思いをしているのだろうと考えていました。 その後、お盆に車ですれ違った時、お互いに手を振り合いました。 ラインで、「実家の近くのお祭りで、太鼓たたくんよ。」と連絡がきましたが、その文言ですら、妙に寂しそうに思えました。 8月末。 彼が死んだと知らされました。 「一応は病死になってるけど、あまりよろしくない最期だったから。」 と関係者から聞かされました。 自殺未遂2回。 鬱の治療を受けていました。 たぶん自殺だと思います。 何を見ても、どこに行っても、彼との思い出で胸が詰まります。 会社ですら、彼との思い出がいっぱいで、彼を思い出さない空間がありません。 私は振られたのだから、どの道、彼を助けることも、そばにいることもできなかったんだと言い聞かせても、楽しかった時の事が頭を占めて離れません。 ご実家にお焼香に行かせて頂きたいけれど、その勇気も出ず、食事ものどを通らず、夜も眠れず、何を見ても涙がでる日を過ごしています。 「死」というものを、どのように理解し、どのように考えていけば、 幸せだった思い出を、幸せに感じることができるようになるのでしょうか。

有り難し有り難し 7
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大切な存在を失い、生きる糧をなくした

大切な存在とは、約13年間ともに生きてきた猫です。 たくさんペット関連の相談がありますが、愛猫が亡くなってから約一週間かけほぼ全ての投稿を読み、お坊さん方のご回答も閲覧した上で、意を決し投稿させていただきます。 愛猫が亡くなってからと書きましたが、未だに受け入れられず、そばにいてくれていた頃と同じように一緒に寝、遺骨を片時も離せず、一日なにもできないで空虚な時間を過ごし、主人に全てを任せ、ろくに食事も摂らず、心が堕ちていく日々です。 約13年前、保護された姉妹猫の片ほうだった愛猫を里親さんから譲り受け、それ以後、度重なる転居やモラハラだった元夫との荒んだ生活、離婚前後の不安定な私をずっとずっと支えてくれました。 猫は環境に住まうというのに、何度お部屋が変わっても同居する人間が変わっても、私を信用し、頼り、すぐに新しい環境に適応してくれる、本当に賢く優しい猫でした。 今年の二月に悪性腫瘍がみつかり、手術をしました。 もう遅いのに、亡くなってからも毎日病気や治療のことを調べ、手術が実はよくなかったこと、別な治療法を選択すべきだったこと、セカンドオピニオンや転院も考えるべきだったことがみえてきました。 先月再発が発覚し、今月3日に二回目の手術をしましたが、この手術後の麻酔から覚めず、亡くなりました。 病院から連絡を受けた時は頭が真っ白で、急いで駆けつけ手術台に目を見開いて横たわっている姿をみても、その現実が信じられませんでした。先生は心臓マッサージを、私は手を握り泣きながら名前をよび続け戻ってきてと懇願しましたが、だめでした。 あの時の光景、術中もそばにいてやれなかったこと、これまでの治療や病院へ連れて行くタイミング、病院の選択、若い頃与えていた安価なご飯…これまでの猫との人生で考えうる私の失態、誤った判断が次々と思い浮かび、後悔といった簡単な二文字では処理しきれない大きな喪失感と、謝っても謝りきれない謝罪の念に襲われています。 夫には「◯(猫)が私の一番大切なもので、◯(夫)は永遠に二位だからね」と冗談混りに伝えていましたが、それが冗談ではなかったことを夫は知っていて、それでも俺は永遠に二位でいいと言ってくれるほど、私と猫の関係は唯一無二で、誰も割って入ることのできないものでした。 そんな存在を失い、この先どう生きていけばいいかわかりません。

有り難し有り難し 16
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2024/02/06

友人の墓参りに行きたいが行き辛いです。

5年前、友人が病死しご家族のご好意で火葬後の骨上げにも参加させていただきました。 友人の命日には墓参りを。と思っておりましたが、ご家族の意向により、納骨はせず今もご実家にお骨がある状況です。 その為、お盆や命日等友人に会いたい。墓参りに行きたい。と思った時はご家族にアポイントを取る必要がありました。 ご家族の連絡先は友人が持っていましたが、友人も機種変更により連絡先がわからない状況に…ならば住所はわかるので命日のお供え物だけでも。と思いましたが、"事前に遺族に郵送する日時を伝え、法要の2〜3日前には到着するよう手配するのが良い。"と知った時にはご家族との連絡手段を確保する余裕もなく一周忌がすぎてしまいました。三周忌に…と思いましたが、知識不足で、周忌の数え間違いをしてしまい…ずるずると今に至ってしまいました。 数ヶ月程で命日があります。今から準備すれば連絡先を知り郵送をする事も叶いますが、今更…と思われないか心配です。また、今年はは贈らず、七周忌で贈る方が良いのでしょうか。 また、ご自宅へのお参りは家族にとって苦しいものにならないでしょうか。

有り難し有り難し 1
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生まれてこなかった子が、護ってくれることはあるのでしょうか。

夢を見ました。 墓石が端に積み上げられた、墓場だったと思われる場所を、掘り返しています。 やがて中からきれいな棺桶が出てきて、中から巫女装束のぬいぐるみが出てきます。 彼女はとても綺麗で可愛くて、てとてと歩いて、私のそばに来て言いました。 「ずっと一緒にいるよ。」 嫌な気配も気持ちもしませんでした。 むしろ、ポカポカと、優しい空気に包まれていました。 普段あまり夢を見ないので、その夢のことは強く印象に残っていました。 しばらく経って、もしかしてあのぬいぐるみは、 私の子供だったのではないか、と思ったのです。 私は16年前に、恋人との間に子供ができました。 が、恋人が元彼と浮気をしていた為にどちらの子供かわからず、 「私の子供なら絶対に堕ろすな」という私の制止を振り切って、 彼女は堕胎してしまったのです。 私はその時、母親にも、元彼にも、名前を貸した友達にも、望まれなかったこの子供を、 せめて私の子供だったと思おうと、紬、という名前をつけて、時々思い出していました。 占い師さんに聞いてみたところ、 彼女は「私がいろんな人に護られているから大丈夫だよ」と伝えたかったという事、 人形だったのはその方がいいから、というちょっと曖昧な理由でしたが…。 もし私の子供だったなら、ちゃんとした墓のない棺桶から出てきたことも、 体がなく人形だったことも、私のそばにいることも、 全てつながるような気がするのです。 私は、子供を見殺しにしました。 そんな私を、子供が護ってくれるなんて、あるんでしょうか。 でも、護られている気がするんですよね。 車道の真ん中で倒れて意識を失った時も、気づいたら道端に居たりして。 今は、あの子だったらいいな、と思っています。

有り難し有り難し 25
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法要について御教授願います。

先日、お寺様より暦と今年の法要の案内が届きました。 去年、母の一回忌法要をしましたが、今年が三回忌法要との案内が記してあり戸惑っております。 今年が母の三回忌ならば、去年は、一年先に亡くなった祖母の三回忌だったのではないかと? こういった場合、祖母の三回忌を一年遅れですが母の三回忌法要と共に行ってもいいのでしょうか? また、祖父の二十三回忌にもあたる年のようで、今までは十七回忌法要までしか行ってこなかったので一般的にはやるものなのかと疑問が生じています。 やはり、以前からの叔母との確執はそのままで誰にも聞けずに居ります。 こちらで質問させていただくのも、お忙しい中申し訳ないのですが教えていただきたいです。 また、以前ご回答くださった僧侶様へお礼がしたく、ご報告も兼ねての投稿となります。 去年の夏、どうにもこうにも身体がもう言うことを聞かなくなり、塞ぎ込む生活が続いていましたが、一人の男性と知り合いました。 病気であること、障がい者であること、全てを受け入れてくれて、家族のような愛情を注いでもらっています。 今は大半をその人の家で過ごしております。 精神的なストレスや緊張感から解き放たれたおかげか、記憶を失うことは無くなりました。 自分でも不思議なのですが、あんなに動けなかったのに少しなら家事も出来るようになり、調子が良い時は夕飯とお弁当を作ったりしています。 ダメな時は素直にダメと伝え、家事をお願いすることも多々ありますが、色んな物を食べ、色んな景色を見て刺激を受けています。 今年初めには隣県ですが一泊旅行に行ってきました。 病気になる前は仕事仕事と忙しなく働いていたので数十年ぶりです。 体調を崩すことも無く、無事に楽しい思いだけで帰ってこれたことが自信に繋がり、人生もっと楽しまなくちゃ!という思いが芽生え、病気だから何も出来ない。障がい者だから大人しくしていなきゃいけない。という自己否定のような感情は無くなりました。 今では何でもやってみたく、上手く行けば儲けもん!上手く行かなければ次の課題に!とポジティブな考え方をするように頑張っています。 一番辛い時にこちらでご回答くださった僧侶様へ報告がしたく文字を打っています。 病気は治らないけれど、とても幸せです! 今を精一杯生き抜きます。 報告も兼ねての投稿でした。 ありがとうございました。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2