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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん できない 」
検索結果: 7779件
2024/02/06

お寺や神社を訪れた際の撮影マナーについて

私は旅をするのが好きで、よく田舎のお寺や神社を巡っています。 写真や動画を撮るのも大好きでよく映像制作もしています。 そのため神社(鳥居)やお寺さんの敷地内、お地蔵さんもよく撮るのですが、 (もちろん撮影OKの場所のみ) ある日ふと、 「神社に入って早々に鳥居やお寺をパシャパシャ撮る行為は失礼なのかも…」と気づきました。 早速調べ、いろいろな記事を見て回りましたが失礼という方もいるし気にしないでいいという方もいて、結局よく分かりませんでした。 一応お寺や神社を撮る前(入る前)は、 「失礼します」という意を込めてお辞儀をしたりなど、写真を撮らせていただくということには感謝させていただいてます。 お坊さんから見て、 (撮影OKの)お寺や神社にきて早々にパシャパシャしている人をどう思われますか? 田舎のお寺や神社は撮影に関して記載がないところの方が多く、書いていないならOKなのかな?と思っているのですが、この認識も良くないですか? また、鳥居を後ろから撮る行為は神様に失礼でしょうか? 調べても出てこず困っております。 やはり良くないのでしたら、もうやめようと思います。

有り難し有り難し 3
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「乗り越えられる試練を与えている」?

こんにちは 小さいころに悩みにぶつかった際に、「その人だからこそ乗り越えられる試練が与えられている」という言葉を知人、もしくはネット経由で聞いたことがありました。 自身も何かあるたびにこの言葉を思い出すのですが、乗り越えられているのか分かりません。分かるのはこの世を去る間際でしょうか。 ハスノハにて色んなお悩みを拝見し自分の経験は小さく思えることもあるのですが一応記します。 両親不仲(家庭内別居)の家庭で育つ→小中学校はイジメを受ける(暴力+心身的攻撃)→恋人とのトラブル(共通の知人と三股など)→社会人になりパワハラ•セクハラ続きの転職を繰り返す 現在は転々とした結果、夢は持ちつつも職場の環境良し、同棲してる恋人との関係も安定している。と今までにあり得ないくらい生活が充実しております。 しかし、自分自身が成長している実感が得られません。逃げ続けた結果のような気がしています。 タイトルにある通り、人にはそれぞれの試練が与えられているのでしょうか。 もし仮にあるとすればきちんと乗り越えられたかどうかは死ぬまで分からないものでしょうか。 お坊さん的なお考えを教えていただきたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 25
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2023/05/28

悪口を言われたお釈迦様のお話しの意味

周りで、悪口を言われたお釈迦様のお話しを読んだ人達で、この意味をどう取るか?という意見交換?がありまして… 何人かは、「悪口を受け取らない」という意味だと解釈しましたが、 「悪口を受け取らない」は死ぬまで自分を愛する覚悟を持てるまでは、受け取らないというのは難しい という意見もありました。 下記のように言っていました。 悪口を言われる、というのは 少しエネルギーが下がってる時に起きやすい エネルギーが少ないから、エネルギーの強いひとから悪口を送られてくるわけです だから、有難くエネルギーちょうだいしておけば良い 悲しくなっちゃう場合は 悪口を言われていることより より自分の深い部分を褒めまくる。 でも本当に大事なのは 世界中がどんなに私の悪口を言っても 私は絶対に私の味方だ! という覚悟を決めること。  気分で態度を変えず 「私は死ぬまで私を愛する!」 という覚悟を持つ! それが出来るまでは 「悪口を受け取らない」 は難しいと思う! この人の言っている事も、お釈迦様のお話の意味として合っているのでしょうか? お坊さんは、どのように捉えているのかお聞きしたく質問いたしました。 よろしくお願いいたします。

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生きるエネルギー

でんです。お忙しいところ失礼します。 以前相談したことについてはおかげさまで大体が解決して、 今は比較的平和に過ごせています。 ただ、最近何をしても時間がただただ過ぎていくようで 「生きている」という感覚があまりなくて、 惰性で何かしてしまっているような感じです。 また、人との付き合いが希薄になってしまって 友人とのかかわりから力をもらうこともなくなったので (さすがに周りにそんなつもりはないでしょうが) じりじり押されているような感じです。 いわゆる自分の無気力、怠慢なのかもしれないのですが 今年の春から、新たなスタートを切ることになるので それまでには生きるためのエネルギーを得て 今の状況を抜け出しておきたいと思っています。 そこで、お坊さんの皆さまはどのようなときに 「生きる喜び」というのでしょうか、 「また頑張ろう」、という生きるエネルギーを得られているのか また、人生経験が少なくてもできる 「生きているんだ」、と実感できるようなことや 生きるエネルギーを得る方法を教えていただきたいです。 また、普段の小さなことを喜びや「頑張ろう」という気持ちに変えられる 物事への考え方を教えていただきたいです。 よろしくお願いします。乱文失礼しました。

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ネガティブな心配性の治し方

同じような質問があるかもしれませんが、あえて聞かせてください。 私はネガティブな自分が嫌いです。どうにかして治したいと思っています。自己嫌悪そのものというよりは、常に不安や焦りに苛まれて辛いからです。 例えば何か新しいことを始める際「うまく行くはずがないから」とまずかんがえるほどのネガティブで、「今のうちに対処法を考えておこう」というくらい心配性です。 ネガティブも心配性も悪いことばかりではありません。言い換えれば慎重派な性格だと言うこともできますし、慎重な姿勢が役に立つこともままあります。 ただし、今すぐにはどうにもならないことを極度に心配して、不眠状態になってしまっています。なんとなく目が冴える等ではなく、暗い部屋に横になると動悸がして、これからの人生は良くないことばかりが起きる想像をしてしまい、毎日のように夜勤の友達にメールを打ったり、ネットを見て時間を潰してしまっています。 このままでは体にも心にも良くないと思いますし、どうにか「ネガティブ過ぎない」「心配しすぎない」心になりたいと日々思っています。 お坊さんの視点から、仏教的に、あるいはひとりの人間として、何か思うことや生き方のコツなどがあれば伺いたく思います。

有り難し有り難し 14
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