私 短大2年生19歳 実家暮らし 彼 専門2年生19歳 実家暮らし 5/8 8周2日です。 11日に2回目の病院受診します。 生理が遅れてから妊娠検査薬を試すまでは、赤ちゃんがいたとしたらおろしたくない!と彼も言ってくれていて、私もおろすなんて選択はない!と思っていました。 妊娠検査薬で試して病院にも行って確実になった時、私の母に話したら2人が産むっていうならできることはするよと助けてくれるようなことを言ってくれていたので、自分達が覚悟を決めたら産めない事はないという結果になりました。 それからたくさん調べて、彼と相談していくうちに、彼は兄弟が多くて母子家庭ということもあり、子供を産んだら私の方ばかりお金を払うことになることが嫌だ、自分達でお金を貯めてからにしたいという意見になりました。 私は産めないなら最初から子供が出来るかもしれない行為をするなよ!と思ったのですが、自分だって1人の人の親になる覚悟を決めて挑んだわけではなかったので、とても深く反省しています。ごめんなさい。 母や相談した周りの人も、日が経つにつれて就職して結婚してからの方がいいんじゃない?という若干反対意見にまとまってきました。 私の今の気持ちは、 せっかく自分達のところにきてくれた命を止めたくない。いつ産んだって子育ては苦労するはずだからおばあちゃんやお母さんが元気な今の方が逆にいいんじゃないかという気持ちと、やっぱり2人暮らしして結婚してからの方が幸せなのではないか、親にたくさん迷惑をかけずに済むのではないか。 彼や周りが賛成してない中で私は絶対に産みたいんだ!という強い意志をもてずに決めきれない気持ちです、情けないですが、自分の母のように誰かの母になるというのは簡単なことではないと思うので、覚悟を決めれません。 この命を諦めたあと彼との関係うまくやっていけるのかも心配です。 命を諦めなかったらうまくやって行けるかどうか悩むことはないはずです。 どっちにしたら良いのでしょうか… 話をうまくまとめられずすみません。 よろしくお願い致します。
(編集部より。利用規約により投稿の一部を編集しています。) はじめまして。この歳になってお恥ずかしい質問かと思われますがよろしくお願い致します。 仏教や、宗教を分かりやすく教えていただきたいです。 と、いうのも、義家族(親族含む)がある宗教を信仰しています。夫はそこまで深く信仰はしていませんが、心の奥には信仰心はあると思います。 私は、全くの無宗教です。 悪いイメージがあるとか人が悪いとも思った事はないですが、義両親には結婚当初入信して欲しいと言われました。実両親が、その宗教に対して良いイメージはないので入信を断わっています。 周りの友人、知り合い等からもイメージはあまりよくはありません。 先ずは、仏教と宗教を分かりやすく知りたいです。 よろしくお願い致します。
10年以上ぶりに、兄から彼女が出来たからそのうち紹介すると家族に報告がありましたが、よく聞くと一回り以上も年下の学生でした。正直勝手に頼れるお姉ちゃんが出来るものだとずっと楽しみにしておりましたが、何とも言えない気持ちでした。勿論、彼女が出来たと言う報告は嬉しさはありましたが、複雑な気持ちです。そして、昨年私が出産してすぐの頃、そんな忙しい時期に兄は彼女を連れて帰るから、時間を作ってほしいと一方的に母に言っていましたが、私からしたらこの状況を見てて、何で兄も彼女も理解出来ないの?と少しモヤモヤしていました。そして、兄の言動で今回初めて産後うつになりかけ、夜になると自然に涙が出て、誰もこの感情、体の辛さ大変さを分かってはくれないと思っていました。実母もきっと知りませんし、唯一の味方は主人だけだと今でも心から思っております。産後2ヶ月の時にも私に兄から非常識なお願いがあったりと、本当に2人の世界なんだなとこのあたりから兄には嫌悪感しかなく徐々に距離を置くようになりました。しかし両親も2人の事を認めたその後すぐに彼女の妊娠が分かりました。彼女は3月に卒業予定、内定も決まっておりました。言い方は悪いですが、正直2人とも狙ったなと思いますし、兄の年齢を考えたり私の子供達を可愛がる様子を見ると、自分の子供が欲しい気持ちもよく分かります。しかし以前の彼女も妊娠させてしまい別れています。それなのにまたかと言った気持ちでそれまで以上に嫌悪感で仕方ありません。私の実家は裕福で、兄も高収入なので養う事は余裕だと思いますが、彼女も社会に出ずにそれでいいのかと疑問です。そして若さのせいか何も考えていないような彼女にも腹が立ちます。先日子供も産まれましたが、兄からは私の結婚の時のご祝儀や出産祝いなど、一度もお祝いを貰った事がありません。それなのに、自分の結婚式のうちからのご祝儀金額にケチをつけていた事を両親から聞き、本当に大嫌いになりました。特定されてしまいそうなので色々と省きましたが、産後の大変な時に色々と不愉快な事をされた事が原因で私はなるべく距離を置きたいと思っていますが、そう簡単には難しく今後どうやって付き合っていけばいいでしょうか?
タイトルからすると仲の良い夫婦のようですが、長年別居しています。別居の理由ですが元々は夫の女性問題で、その後単身赴任などにより10年以上別居しています。 中学生と高校生の子供がおりますので月に一回ぐらいは1週間ほど一緒に過ごすスタイルで10年以上やって来ました。 最初は離婚を視野に入れていましたが、時が経つに連れ、男女のパートナーとしてではなく、子供を育てる上での良いパートナーになって来たと感じていました。 私は、夫は夫の仕事に対して才能があると思っておりそこは本当に尊敬しています。仕事優先でも全く文句はありません。 夫も、私に対して、子供たちが今のところ心身共に健康的な10代まで育った事を感謝してくれています。 今では夫の女性関係についても相談に乗ったり笑い話にしたりできる仲です。 男女の恋愛や性的な関係にはなれませんが、気づかない間に本当の家族になっていたような気がします。 そんな夫が病気になり入院しています。死亡率の高い病気だそうです。 私が一緒に住んでいなかったから、 もしもっと早く気づいていたら、 健康に気を配った食事をさせてあげていたら、 など全てに後悔していますが、かと言って今は何もできません。まだコロナの影響で面会をする事もできません。 もし退院できたとしてももうお互い生活基盤が出来ており、同居もできません。 また夫は生活費もきっちり出してくれていた為、私は子育て優先のお小遣い程度のパートしかしていません。正社員などを探していますが、50代未経験では中々仕事もありません。 もし夫が亡くなってしまうような事があったらと考えると不安で眠れません。 今まで気楽に生きて来た分、急に後悔と不安で何も手に付かない状態です。歌って踊って暮らして来た訳ではありませんがアリとキリギリスで言うところのキリギリスのような気持ちです。 元々楽天的な性格だと思っています。でも今回の件で頭を殴られたようなショックを受け、無気力になり、何も手につきません。 この不安と後悔をどうしたら前向きに変えられるのでしょうか。
前回相談させて頂いてから、 夫と生活費の話からお互い今までの鬱憤が爆発した事、子供の目の前で物を投げつけて来たので怖くなり安全を取り実家の助けを借りて別居して1ヶ月が経ちました。 そこから数回、夫と会いましたが怖い気持ち家族でいたい気持ちが入り交じりとても複雑な心境です。 外出するのも億劫になり、考えがまとまらず、1人で外出するのも不安で母に付き添って貰い用事を済ませている状況です。 以前からメンタルクリニックにも通っていますが、やる気が起きません。 どうしたら良いのか時間ばかりが過ぎていく気がして気持ちだけが焦ってしまいます。 このまま一緒にいるのは不健康と思いながら決断が出来ない自分、優柔不断な自分が情けないです。 喝を入れて頂けたら幸いです!
いつもお世話になっております。 母が亡くなってから、9ヶ月が経とうとしてます。けれど、母のことを思わない日は1日もありません。自分自身が医療職なので、同じような病気の人を見る度に母を重ねたり、友達が家族の話をすると妬ましく感じることがあります。 以前は無かったのですが最近になって、母のことを思うと息苦しくなったり、胃のあたりがキューっとなることがあります。このままだと、仕事が出来なくなる気がします。 いつになったら、身近な人の死を乗り越えることができるのでしょうか?矛盾するようですが、人の死は乗り越えなくてはいけないのでしょうか?
毎日何回も同じこと考えてます。 私はいつも人とトラブルを起こしてしまう。 私が原因。嫌われてる。 なんで上手く人付き合いができないんだろう。病気だとおもいます。 恨まれてる人数、数えたら両手以上いました。 被害妄想ではありません。本当に嫌われてます。 私も信じてる、大切にしたい人は家族のみ。友人はほぼいません。 いろんな記憶忘れたいです。
2年半程前、大切にしていた文鳥が若くして亡くなりました。ですが、大切にしていたけどもっと頻繁にゲージの掃除をしてあげればよかった、薬を忘れずあげればよかった、もっと沢山触れ合えばよかった、もしかしたら私のせいで死んでしまったのかもしれないと今も後悔しています。 そして、亡くなった時、とても悲しかったのと、離れたくないと思い、私が死んだらまた会ってずっと楽しく過ごそうねと話しかけ絶対にそうなりたいと思ってきました。 ですが動物と人間は死後行く場所が違うと聞きもしかすると会えないかもしれないのに待っていてくれているのだろうかと私のことを恨んでいたり好きではなくてその心配する必要は無いのかもしれませんが、確かめようはないのにあの子がどうしているか、どうなるのかずっと不安でたまりません。 また、成仏することがあの子にとって幸せだとすれば私が思いすぎることによって成仏出来ないことはあるのでしょうか。 私があの子が成仏できますようにと祈っても私があの時いっしょにいようねと話しかけていたことによってずっと待っているのでしょうか。 もし、もしと考えて不安でしょうがないです。 私は本当に今でもあの子のことが大切で大好きです。あの子が望む通りに私はしたいです。あの子にとってどうするのが一番いいのでしょうか。
昨日の朝、16年間共に暮らした愛犬を亡くしました。 外飼い犬でしたが丈夫な子でした。去年の冬から腰が弱くなり、急激に衰えていきました。それでも調子のいい時は散歩に出掛けたり遊ぶ事が多かったです。 彼が亡くなった日の夜中、私は夜中の1時頃に目が覚め、眠れなかった為ずっとゲームをして朝になるのを待っていました。2時になった頃でしょうか、外から大きい声で「ワンワンワン!」と鳴くのが聞こえました。以前夜中に痴呆で鳴く事があったので、すぐにおさまるだろうと、さほど気にもとめずゲームを続けていました。やがて日が昇り、私が朝食を済ませた後に母が起床しました。 9時頃だったと思います。家のインターホンが鳴り、母が何やら慌ただしくしているのが聞こえました。私の名前を呼ばれ、母がいるドアが開いたままの勝手口の先を覗くと、「○○ちゃんが死んじゃった…!」 犬が普段暮らしているスペースは、犬小屋の数m前に段差があり、そこから坂になっているのですが、昨晩その段差に落ちて上に登れなくなってしまったらしいです。ご近所の方が、亡くなっているのを見つけて知らせてくれました。 私が見た時には段差の上に引き上げられ、横たわっていました。タオルが掛けられていましたが目は開き、口から血を流して硬くなっているのが見えました。歳をとって弱っていたからいつ亡くなってもおかしくなかったのに、大丈夫だろうと、夜中に彼が声を上げて助けを呼んでいたのに、無視して、愛犬が死んでしまったことに気づかず何時間も、呑気にゲームしてたんですよ?私。 暗闇の中で不安で怖くて悲しかったかも 寂しかったかもしれない そう思うと、彼に申し訳なく、あの時すぐに様子を見に行かなかった自分が許せません。 遺体を埋葬する際に抱き上げた体は冷たく、硬くなっていました。 昨日からの一連の出来事が、あまりにも衝撃が強く、生きていた頃の人懐こくて優しかった彼の姿がだんだん思い出せなくなりそうで、とても怖いです 夜中に鳴いていた時に、ちゃんと様子を見に行っていれば、助けられたかも知れません。助けられなくても、1人で寂しい思いをさせずに逝かせてやることはできたのかもしれません。 今日も昨日と全く同じ時間に目が覚めました。突然の事で考えがまとまらず、支離滅裂で長文になってしまいましたが、お願いします、助けてください ずっと涙が止まりません
人は死んだらどうなるのでしょうか? 私の周りの一部の''人は死んだら無になる''と言います。でも私はどうしてもそうは思えません。たしかに死んだら形がなくなってしまいますが、魂は無くならないと思います。きっと見えない姿になって生き続けるのだと思います。そんなのはただの願望ですか?たしかに証拠がないので断定はできません。でももし死後の世界が存在するのなら死を目の前にする(私がそういう状況というわけではありませんが)人々にとってとても心強い支えとなるでしょう。まだまだずっと先のことだとわかっていますが、やはり死ぬのが怖いです。人間は死んだら自然の一部になるという考えが一番現実的だと思いますが、それは科学的なことです。今生きている自分の魂(心)はどこへ行ってしまうのか。死んだら全ての記憶や体験がなくなってしまうのか。もしそうならやはり「死」は人間にとってとてもとても怖いものだと思います。生きるということ自体が死によって無駄(リセット)されてしまう。形がなくても魂が永遠に生き続けるということは本当なのでしょうか??
私は物心ついた時には家で1人で過ごすことが当たり前でした。父は単身赴任、母は仕事。姉と兄もあまり家にはいませんでした。 母と会うのは学校から帰って1時間程度、たまの休みには疲れて寝ているので関わりあいにはなりません。それ以外の時間は飼い犬と過ごしていました。 当時は理解していませんでしたが、今思うとずっと寂しくは思っておりました。 また父と母の関係は破綻しており、両親が揃う時は常に私が間に入り続けました。 正直な話、家庭と言うものにいい思い出はありません。 私もいい年になり、友人達との話で結婚について聞かされます。彼らの話を聞く度に、1人で過ごしたこと、父と母の関係の破綻、それらが常に頭をよぎります。 結婚は怖くてできません、したくはないし兄も姉も子供がいるので必要ないとも思っています。 ただ、最近自覚したことがあります。 私は人を好きになったことがありません。恋愛に限らず友人や先輩、後輩についても例外はありません。 ただ、ずっとそれがコンプレックスでもあります。人を好きになることは誰もが出来ることのはずなのに、私はなれない。 向こうは好きと言ってくれるのに、好きにはなれない。必死に嫌いにならない様にしてきましたが、それでも我慢できずに傷つけたことは多く、今も後悔をしています。 人を好きになれないのは傷つくことを恐れる私の弱さが原因だと思っています。幼少期の寂しさや両親の関係を見続けた結果なのでしょう。 正直、いまだに家族全員にいい思いはありません。家族に愛して貰っていると思います、でも私は愛せない。 人を好きになると言うことがわかりません。愛を注いで貰っても愛を返せない自分が嫌いです。 どうすれば人を好きになれるのでしょうか? とりとめのない文章で申し訳ありませんが教えてくださいますよう、お願いします。 また、まずは自分を好きになることだとおっしゃるのは勘弁して下さい。それは無理です。
無理心中したら一緒に死んだ相手と一緒にいれますか? 一緒にいれない場合はその相手はどこに行って私はどこにいくのでしょうか。 死後の世界を教えてください。
前の質問を見ていただくと分かるのですが、今現在不幸としか考えられません。 なりたく無い病気に悩ませられ、治療してもあまり良くならず、 辞めたくなかった仕事も辞めざるしかなくなり。 家族からも見放され、遂に離婚し、一人ぼっちに、 今は一軒家に一人で住んでいる、家を売ってもローンは残り、アパート借りれば家賃が要ります。 ですので、ローン中の家に住むことに決めました。 自分の考えは子供にこの家を残してやりたいと考えてます。 まぁ 自分の考えだけの為どうなるかは分かりません。 今は離れて暮らす子供たち、いつか又 笑って話せる日が来るのでしょうか?
初めまして。 私は、過去に辛い思い出、別れをいくつか経験しながら20代になりました。 多くの方がそうなのかも知れませんが、私はこの思い出に縛られすぎています。 例えば、二度と会いたくないと言われた人に、一年経っても連絡したくなったり、いつまでも腹を立てていたり… 自分が嫌になります。 達観して感情に支配されず、世の中を温かく見守りたいです。もちろん、人に深入りせずに。 しかし、そういう人はお年寄りに多いイメージがあり、若く未熟で感情的な自分がなれるのか不安です。 達観、と言うのが仏教の教えであるかすら余り分かっておらず情けないのですが、ぜひ、 動じない心を手に入れるアドバイス頂けると嬉しいです。
諸行無常や諸法無我はああそのとおりだなと納得するのですが一切皆苦についてはいまいち納得できません。 物事は解釈によっては良くも悪くもなるものですから全ては苦というのはなんだか理解できません。全てが苦なら生きる理由も無いと思います。 一切皆苦について詳しく説明をお願いします。
51歳女性です。 私の両親は熱心な仏教徒で、経典を学び、教えを支えに生きていました。 ですが、慈悲や和合の教えは、相手を軽蔑する心には勝てないようで、両親の不和は続き、お互いに軽蔑しあったまま50年の結婚生活は過ぎ、父が他界したことで終わりました。 生涯、許せなくても、愛せなくても、良いのでしょうか?ふたりそれぞれに確認しましたが、愛はなかったそうです。 そのために孤独な晩年であっても、嫌いなものは嫌いでよい。あるがままの心で生きるのも自由だという教えは、仏教にはあるのでしょうか? ふたりとも一番身近な伴侶との和合は適いませんでしたが、孤独ながら我が道を行き、やりたいことはやり切った人生だったと思います。仏教の教えが孤独なふたりの心を支え、それぞれに邁進できたのだと思います。 ですが、かつての大きな声で喧嘩をしている老夫婦の姿は、朝晩、お経をあげれば救われるはずの宗派の教えが、それだけでは不十分な証拠のようにも思え…。 両親は、何時間もお経をあげるような熱心な信者でした。なぜ、50年かけても慈悲の心にたどり着けなかったのでしょうか? また、このような場合、亡くなった父は成仏できずに、輪廻を繰り返すのでしょうか? それとも、父が仏になれた可能性はあるでしょうか?ボランティアで地域の皆様に尽くし、多くの方々に感謝されていた父でした。
先日、母が旅たちました。 10年ほど前、検診で初期のガンがみつかったのですが、当初、家族に隠し、積極的な治療も避けていたようです。 一番身近にいたのが娘の私でしたので、母の身体のちょっとした変化に、どこか悪いのでは、病院へ行こう、と話したことも一度ではありません。その都度母は、私の心配を一笑にふし、何もなかったように毎日は続きました。 6年ほど前、いよいよ体調を崩し、やっと病院へ行ってくれた母の診断はステージ4、病院の先生方、母自身も最善を尽くしての6年だったと思います。 母が逝って2週間、母のいない人生に意味が感じられず、想像を超えた喪失感に打ちのめされる毎日です。そばにいた私が10年前の初期の段階で病院へ連れて行けなかったことへの自責の念や、親友のような母に、ガンであることをたった一人で抱えさせていたことへの不甲斐なさに潰されそうです。 過去は取り戻せない、そう思おうとしても、後悔ばかりがわいてきて、涙がとまりません。いつも精一杯私を愛し応援してくれていた母の一大事に何もできなかった、助けることができなかった、そのことはもう取り返しがつかない。10年前の自分を殴り飛ばしたいとさえ思います。 亡くなる前、とびきりの笑顔で「ありがとう」といった母の顔と声を思い出すと、もう若くもないのに泣き叫びたくもなります。この思いをどう乗り越えたらいいのか、もしおこたえがいただけましたら幸いです。
アダルトサイトで、しりあった、15歳年下の彼を好きになってしまいました。まだ、会ったことはありませんが、彼の都合がつけば、一度会おうと考えてしまう、自分がいます。今は毎日連絡がないと、不安でなりません。私は既婚の身でありながら、いけないことは、わかっています。遠距離のため、会ったことはありません。でも、好きになってしまいました。彼を忘れるにはどうしたらいいのか、わからなくて。心が毎日つらいです。離婚は避けたいので、私の方の気持ちが冷める別れ方をしたいです。アドバイスお願いします。
初めて相談させていただきます。 最近離婚し、小さな子供たち2人と新しい生活を始めました。 10年勤めた職場も辞め、母の住む街へ転居し、様々な資格を取り、新しい仕事を始め… ようやくひと段落ついた頃です。 元夫は不倫をして出ていきました。 離婚して1.2か月経ち、その不倫の事実が会社に伝わりクビになりました。 すぐに転職してくれましたが、給料は下がり、慰謝料も養育費も滞り気味です。 離婚の際、公正証書を作成したので、養育費の強制執行はいつでもできる状態です。 散々暴言を吐かれ、酷いこともたくさんしてきた彼ですが、もともと結婚したくらい好きになった人です。 もし、これで彼を追い詰めてしまって自暴自棄になってしまうことがあったら… そう思って強制執行は踏みとどまっていました。 それでも、お世話になってる母からも、周りからも強制執行一択の声。 確かに、生活は厳しいし、かといって今の仕事先もこれ以上シフトを増やせる余裕もないし。掛け持ちするにも小さな子供を抱えて雇ってくれるところは少ないし… そもそも、子供たちに寂しい思いをさせるくらい働き詰めになることは避けたいし…。 強制執行に向けて動き出すことになりました。 いまは必要な書類をいろいろと集めている段階です。 それでも、心の中では強制執行をすることに納得しきれていない自分がいます。 どうしても、過去の幸せだった頃の思い出がよぎってきては、追い詰めたくない。苦しめたくない。そんな感情に襲われます。 今回の離婚自体まだ傷が癒えた状態ではありません。ふとした時に切ない思い出が蘇り、周りには明るく振る舞っていても辛い時があります。 元夫の不倫に気がついたのは、さまざまな偶然が重なってのことでした。 悪いことはできない世の中なんだな〜と、神仏の存在を感じています。 自己破産をして慰謝料の支払いから逃げた相手方の女性も、きっといつか因果応報が巡ってくるだろうと思っています。 元夫も、支払いに追われることになったのは因果応報。(離婚時発覚したのですが、借金がありました)因果が巡ることによって、真の反省をして成長をするのだろう。きっと、彼に必要だからこのようなことになったのだろう。私自身も、愛別離苦を乗り越えて子供たちを強く守っていくことが必要なのだろう。 そう思い手続きを進めてますが、辛いのです。 叱咤激励をお願いします。
先日、25年ぶりの友人と再会が実現しました。最初の出会いから27年も経ち当時はお互いが20代で今では年齢を重ね50代に。 再会の時、お互いの近況や当時の思い出のお話が尽きず、彼が転勤で故郷のアメリカを離れ南米や現在のメキシコと転居していても文化だけでなく言葉の壁があっても、長い時間に交流が続き、今回は家族と一緒に初めての日本、京都に訪ねて来てくれた気持ちに感謝の言葉に尽きます。 一緒に南禅寺や食事を楽しみ、今日は改めて一緒に歩いた南禅寺を1人で訪れています。 紅葉の時期で山門、本堂の周りは賑やかですが通り過ぎ、山道を歩き奥の院まで行きましたが、そこには小さな滝がありまして思わず滝に向かい、感謝と家族が元気で暮らせることを伝え気持ちが和らぐと言いましょうか、安らぎを感じます。 「少しの水が流れていましたが、時間や日中に問わず如何なる時も少し、大きくも関係なく流れ続けること、上手く言えませんが水が無いと生活も何も出来ない」ことを。 何だか取り留めもない文面になりお許し下さい。また、近いうちに奥の院を訪れて自分を見つめてみます。